ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その5)
菅野先生がステレオサウンドにほとんど書かれなくなってから、
ステレオサウンドに何かを書いている人の誰かを、先生と呼ぶことはない。
今後、先生と呼びたくなる人がステレオサウンドに書いてくれるのだろうか、とも思ったりする。
けれど実際には、ほとんどの筆者が、オーディオ業界では先生と呼ばれている。
オーディオショウやフェアに行けば、
メーカー、輸入元のスタッフが、オーディオ評論家と呼ばれている人たちを、先生と呼んでいるのがわかる。
ずっと以前から、オーディオ評論家と呼ばれている人たち、という書き方をしている。
オーディオ評論家と呼びたくないからだ。
業界の人たちだけではなく、
販売店の人たちも先生と呼んでいようである。
そして読者にも、先生と呼ぶ人がいる。
人が誰かを、さん付けで呼ぼうと先生と呼ぼうと自由である。
他人の私が口出しすることではない。
それはわかったうえで、あの人も先生と呼んで、この人も先生なの? と思ってしまうこともある。
誰かを先生と呼べば、別の人も先生と呼ばなければならないような気がしてのことだろう。
そうした方が角が立たないのもわかっている。
そういえば、と思い出した話がある。
オーディオ評論家ではなく音楽評論家のことだ。
ある大手新聞に、音楽雑誌の広告が載った。
特集記事の紹介があり筆者名があり、連載記事のタイトルと筆者名などが載っている。
そこで編集部に怒鳴り込んできた大御所の評論家がいた。
自分の名前が、若手評論家よりも小さかったのが、その理由だった。
なにも大御所評論家をないがしろにしたからそうなったのではなく、
若手評論家は特集記事、大御所評論家は連載記事であったら、そうなったまでである。
にも関わらず怒りだす人がいる。