ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その6)
新聞広告に載った自分の名前が、彼よりも若い評論家の名前よりも小さかったというだけで、
編集部に怒鳴り込む。
この人のことを正気の沙汰ではない、とか、バカな人だ、とか、
そんなふうにいうのは簡単である。
この人を擁護する気はないが、私は別の人のことを思い出している。
今度はオーディオ評論家と呼ばれている人のことだ。
その人は編集部に怒鳴り込んだりはしない。
そういう人ではない。
けれど彼は、オーディオメーカー、輸入元からの食事に呼ばれた際、
帰り際に、メーカー、輸入元がいくら払ったのかを領収書を見せてくれ、といって確認する。
ある金額よりも高ければ、満足そうにうむっ、と頷き、
そうでないときは、不満げな表情をする──、
そんな話を聞いている。誰なのかも知っているけど、名前は書かない。
その人のことを批判したいわけではないからだ。
音楽評論家は新聞広告での、自分の名前の大きさ、
オーディオ評論家は、いわば接待の金額の多寡を気にする。
なんと小さな人間なんだろう……、
そう思う人もいるだろうが、評論家という、いわば自由業で虚業ともいえる仕事をしていると、
自分の立場と評価に対して敏感であることは、仕事をしていく上で必要なことのはず。