Archive for 2月, 2015

Date: 2月 22nd, 2015
Cate: 相性

本末転倒だったのか(その5)

チェーンリングとチェーンをトランスと見立てれば、
後輪のホイールがスピーカーということになる。

この場合、タイヤがスピーカーの振動板であり、
リムがスピーカーユニットのフレーム、スポークがボイスコイルとなるだろうか。

では前輪はいったいなんなのか。
前輪には駆動力はかからない。
けれど構造的には後輪とほぼ同じである。
となると、後輪と瞳孔系の前輪はさしずめパッシヴラジエーターなのか。

これが正しい見方かどうかはなんともいえない。
ただこういう見方をした場合、自転車のフレームはスピーカーのエンクロージュアにあたるのか。

スピーカーシステムにおいてもっとも視覚的に大きな存在はエンクロージュアである。
回転体であるホイールはスピーカーユニットとすれば、
自転車全体がスピーカーシステムであり、乗り手がアンプ。

こう考えるのと(その1)で書いた”FRAME MY WHEELS”、
この言葉の意味がわかってくる。

Date: 2月 22nd, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その5)

「名作4343を現代に甦らせる」という記事に対して否定的である私でも、
全面的に否定しているわけではないし、この記事の筆者である佐伯多門氏を否定・批判したいわけでもない。

佐伯多門氏は、いわばダイヤトーン・スピーカーの顏といえる人であった。
私がオーディオに興味をもちはじめた1976年、すでに佐伯氏はそういう人であった。
ダイヤトーン(三菱電機)には、こういう技術者がいるのか、と受けとめていた。

いま佐伯多門氏は無線と実験誌にスピーカーの歴史について執筆されている。
いい記事である。
こういう連載は、一冊の本にまとめてほしいし、
紙の本はどんなに良書であってもいつの日か絶版になる。
佐伯多門氏の連載は十年、二十年……、もっと後になればなるほど資料的には増していく内容である。
だからこそ絶版には基本的にはならない電子書籍でも出版してもらいたい。

佐伯多門氏はスピーカーの技術者である。
スピーカーの技術に関しての理解は、私の及ぶところではない。
けれど、ここがオーディオの難しいところだが、
スピーカーの技術を理解している人だからといって、他社製のスピーカーシステムを理解できるとは限らない。

他社製のスピーカーシステムを技術的に説明することはできても、
製品としてのスピーカーシステムの理解は、また別のものである。

私はそう考えているからこそ、「名作4343を現代に甦らせる」にはもうひとり別の人が必要だった、とする。
スピーカー技術に対しての理解は佐伯多門氏よりも低くていいけれど、
製品としてのスピーカーシステムへの理解が深くしっかりしている人が、最初から必要だったのである。

適任は井上先生だった。
ずっと以前のステレオサウンドに連載されたコーネッタの記事。
これを読み憶えている人は、どうしても「名作4343を現代に甦らせる」と比較してしまう。

そして井上先生の不在の大きさを感じてしまう。
オーディオ評論家を名乗っているだけの人ではだめなのだ。

「名作4343を現代に甦らせる」は、
4343を現代に甦らせることはできなかった意味では失敗ともいえるが、
エンジニアとオーディオ評論家の違いを、そして両者の存在する意味を間接的に語っている。
オーディオ評論家の役目、役割についても、である。

Date: 2月 22nd, 2015
Cate: plus / unplus

plus(その15)

技術だけではない。
オーディオ用に、いまでは多種多様なアクセサリーが販売されている。
オーディオ用として販売されているものだけが、オーディオ用のアクセサリーとして使えるのではない。

どんなモノでも使いようによってはアクセサリーとなる。

たとえばアンプやスピーカーの下に、何かを敷く(挿む)。
オーディオ用アクセサリーとしてインシュレーターの場合もあれば、
フェルトや和紙といった素材の場合もある。

これらによって音は変る。
わずかであっても変る。
最初のうちは、使ったことによる音の変化を聴き分け、
他にはどういうモノがあって、それらによる音の変化はどうなのかを確認していく。
次の段階としては、このインシュレーターと他の素材を組み合わせて、ということになっていくこともある。
いわば屋上屋を重ねる的な使い方である。

いくつか重ねるのか、何種類のモノを持っているのか。
順列組合せでいくと、けっこうな数の音の変化となる。
その中から、その時点でベストといえる組合せを決める。

その状態で聴いていく。
ある時、ふとそれらのインシュレーターの類をすべて取り去ってみる。
あれこれ試した時には、何もない状態よりもあきらかに音が向上したと感じられていたから、
これまでその状態で聴いていたにも関わらず、いま聴くと、何も使わない音がいい音として聴こえる──。

アクセサリー(インシュレーターの類)に凝った時期がある人ならば、
こういう体験をしている人は少なからずいるのではないだろうか。

あの時の音の判断は間違っていたのか、
それとも、なにか別の理由があるのか──、そう考えるのではないか。

Date: 2月 22nd, 2015
Cate: plus / unplus

plus(その14)

オーディオには、アクースティック蓄音器を始点としてあらゆるものがプラスされてきている。
アクースティック蓄音器時代にはプログラムソースはディスクのみだった。
そこにラジオが加わり、テープも誕生した。

テープの誕生は、それまで再生のみだったオーディオシステムに、録音という機能をプラスした。
テープもオープンリールテープ、カセットテープ、エルカセットテープが種類が増えていった。

そしてデジタルという技術が新たに加わってきた。
デジタルにもディスクとテープがあり、
デジタルのその後にはパーソナルコンピューターの誕生と普及、
そしてインターネットも加わり、これらによるオーディオとの結びつきが新たに生れている。

新しい技術が生れ、それがオーディオに採り入れられ性能、機能を拡充していくことを、
進歩であると、ほぼ無条件に思い込んできている。

たしかに進歩はしている。
アクースティック蓄音器に電気という、目に見えないものがプラスされたことで、
再生音域は拡大し、音量に関してもそうとうな大音量まで得られるようになり、
しかも自由に調整ができるようになったのだから。

けれど考えをすこしだけ変えてみると、電気がなければ現在のオーディオ機器はまったく動作しない。
アクースティック蓄音器であれば、電気がなくともレコードを聴くことができる。
これは全面的に進歩といえるのだろうか。

モノーラルからステレオになったことも、同じことはいえる。
それまで一本のスピーカーシステムとそれを鳴らすアンプがあればすんでいた。

けれどステレオは最低でも二本のスピーカーシステムが要る。
アンプだって2チャンネル分必要となる。
片方が故障してしまえば、片チャンネルの音しか聴けない。
それからステレオになったからこそクロストークという問題も生じている。

完全なる進歩といえるものがあるとすれば、
たとえば一本のスピーカーでステレオ再生が可能なモノではないのだろうか。

この項のカテゴリーは、plus / unplusとしている。
unplusという単語はない。
勝手な造語である。
un-は、形容詞·副詞につけて「不…」の意を表わす。

技術は新しいものを生む。
それらがこれからもオーディオ機器に採り入れられていく。
そのことには積極的でありたい。
けれど、同時にplusすることばかりでなく、unplusすることも考えていかなければならないのではないか。

Date: 2月 21st, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その4)

理解していない、理解しようともしない。
このことはオーディオ評論家にとっても、オーディオ雑誌の編集者にとっても致命的なことである。
理解しようともせずに、オーディオ機器の記事を書いている、つくっている、と告白しているのと同じである。
そのことに、なぜ彼らは気づかないのか。

彼らは、目の前にある4343もどきのスピーカーをどうすればよかったのか。
ハンマーで敲きこわす。
これだけである。

4343を理解していない人には、怒りはなかったのだろう。
そうとしか考えられない。

そして思い出す。
五味先生の文章を思い出す。
     *
 とはいえ、これは事実なので、コンクリート・ホーンから響いてくるオルガンのたっぷりした、風の吹きぬけるような抵抗感や共振のまったくない、澄みとおった音色は、こたえられんものである。私の聴いていたのは無論モノーラル時代だが、ヘンデルのオルガン協奏曲全集をくり返し聴き、伸びやかなその低音にうっとりする快感は格別なものだった。だが、ぼくらの聴くレコードはオルガン曲ばかりではないんである。ひとたび弦楽四重奏曲を掛けると、ヴァイオリン独奏曲を鳴らすと、音そのものはいいにせよ、まるで音像に定位のない、どうかするとヴィオラがセロにきこえるような独活の大木的鳴り方は我慢ならなかった。ついに腹が立ってハンマーで我が家のコンクリート・ホーンを敲き毀した。
 以来、どうにもオルガン曲は聴く気になれない。以前にも言ったことだが、ぼくらは、自家の再生装置でうまく鳴るレコードを好んで聴くようになるものである。聴きたい楽器の音をうまく響かせてくれるオーディオをはじめは望み、そのような意図でアンプやスピーカー・エンクロージァを吟味して再生装置を購入しているはずなのだが、そのうち、いちばんうまく鳴る種類のレコードをつとめて買い揃え聴くようになってゆくものだ。コレクションのイニシァティヴは当然、聴く本人の趣味性にあるべきはずが、いつの間にやら機械にふり回されている。再生装置がイニシァティヴを取ってしまう。ここらがオーディオ愛好家の泣き所だろうか。
 そんな傾向に我ながら腹を立ててハンマーを揮ったのだが、痛かった。手のしびれる痛さのほかに心に痛みがはしったものだ。
(フランク《オルガン六曲集》より)
     *
もちろん、このときの五味先生がおかれていた状況と、
4343もどきのスピーカーを前にした状況は決して同じではない。
けれど、どちらにも怒りがある。
何に起因する怒りなのかの違いはある。

けれど怒りは怒りであり、その怒りがハンマーをふりおろす。

こんなことを書いていると、またバカなことを……、と思う人はいてもいい。
そういう人は4343というスピーカーシステムを理解していない人なのだから、
そんな人になんといわれようと、気にしない、どうでもいいことだ。

「名作4343を現代に甦らせる」の連載の最後にふさわしいのは、
ほんとうはなんだったのだろうか。
そのことを考えないで、オーディオについて語ることはできない。

Date: 2月 21st, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その3)

「名作4343を現代に甦らせる」の連載が始まった時、
すこしは期待していた。同時にどうなるのか心配な面も感じていた。
回が進むごとに、ほんとうにこの連載をこのまま続けていくのか、と思うようになっていた。

「名作4343を現代に甦らせる」について、ここで詳細に語りたいわけではない。
「名作4343を現代に甦らせる」が掲載された号をひっぱり出してくれば、
書こうと思えば、どれだけでも書いていける。
そのくらい、「名作4343を現代に甦らせる」にはあれこれいいたいことがある。

だが書くのはひとつだけにしておく。
この記事を読んで感じたのは、
「名作4343を現代に甦らせる」の筆者の佐伯多門氏は、
JBLの4343というスピーカーシステムを理解していなかった人だということ。
理解していなくとも、「名作4343を現代に甦らせる」の連載を続けるのであれば、理解しようとするべきである。
だが理解しようとされなかった。

少なくとも記事を読んで、そう感じられた。
だが佐伯多門氏だけではない。
ステレオサウンドの編集者も4343というスピーカーシステムを誰ひとりとして理解していなかった、といえる。
4343に憧れていた人は、もう編集部にはいなかったのかもしれない。
そうであっても、理解しようとするべきであった。
それがまったくといっていいほど感じられなかった。

新製品の紹介記事や徹底解剖とうたった記事をつくる以上に、
この手の記事では、対象となるオーディオ機器への理解がより深く求められる。
にも関わらず……、である。
そのことにがっかりした。

そして連載の最後、無惨に変り果てた、もう4343とは呼べなくなってしまったスピーカーを試聴した人、
この人こそ、オーディオ評論家を名乗っているのだから、
もっともオーディオへの理解が深い人であるべきだし、
読者、さらには編集者にとっても、理解することにおいて手本となるべき人なのに、
まったくそうではなかったことに腹が立った。

Date: 2月 20th, 2015
Cate: 4343, JBL

40年目の4343(その2)

10年くらい前のステレオサウンドで「名作4343を現代に甦らせる」というタイトルの連載があった。

私が4343というスピーカーの存在を知ったころ、日本ではテクニクスのリニアフェイズ、
それからKEFのModel 105、キャバスのブリガンタンなどが登場していた。
これらのスピーカーシステムは、スピーカーユニットを階段状に配置して、
マルチウェイにおけるそれぞれのユニットのボイスコイル位置を合わせる、というものだった。
実際にはネットワークを含めてのリニアフェイズなのだが。

これらのスピーカーメーカーがカタログ、広告で謳っていることからすれば、
4343の四つのユニットのボイスコイルの位置はバラバラということになる。

これを合わせるにはどうしたらいいのか。
そんなことをしょっちゅう考えていた。

ボイスコイルの位置がいちばん奥まったところにあるのは、
ミッドハイである。ホーン型だから、ホーンの長さの分だけコーン型ユニットよりも奥に位置する。
つまりこのミッドハイのボイスコイルの位置に、ミッドバス、ウーファーのボイスコイルの位置を下げる。
そのためにはどうしたらいいのか。

このころのソニーのスピーカーにSS-G7があった。
このスピーカーのスコーカーとトゥイーターはドーム型で、
ボイスコイル位置が奥にあるのはコーン型のウーファーだから、
SS-G7ではウーファーをすこし前に張り出させることで位置合せを行っている。

ならば4343では逆のことをやればいい。
ウーファーを引っ込めて、ミッドバスはコーンの頂角の違いからもう少し引っ込める。
こんなことをするとウーファーとミッドバスにはフロントショートホーンをつけることになる。

こんなスケッチを当時よく描いていた。
でもフロントショートホーンをつけると、4343はもう4343ではなくなる。
どんなに頭をひねってみても、4343というかっこいいスピーカーは消失してしまう。

それを記事としてやってしまったのが、「名作4343を現代に甦らせる」だった。
唖然とした。

Date: 2月 20th, 2015
Cate: 広告

広告の変遷(ソニーのこと・その5)

1979年のソニーの広告。

徹底を重んじるソニー。
これはコントロールアンプのTA-E88、 エレクトリッククロスオーバーネットワークのTA-D88の広告。

モルモット精神のソニー。
これはPWM増幅のパワーアンプTA-N88、
クリスタルロック・シンセサイザーチューナーのST-J88の広告。

流行にこだわらないソニー。
アナログプレーヤーPS-X9の広告。

現代的な職人をめざすソニー。
4ウェイのフロアー型スピーカーシステムSS-G9の広告。

それぞれ広告に書かれているボディコピーをすこしばかり引用しておく。
     *
徹底ということが難かしいのは、徹することによって何かが犠牲になることが多いからでしょう。

人を驚かせるような新しい技術を世に送ろうとする時、同時に大きな危険を介護しなければなりません。

流行が悪いことだとは考えません。いいアイデアが普遍化されてこそ、進歩があるからです。
しかし、その反対側からものを見つめることができなくなってはなりません。

職人芸というのは、ひとつのことを狭く、深く追求することから生まれるものでしょう。
     *
それぞれの広告の冒頭だけを引用した。
この後にもコピーは続く。

facebookで、ひとつ前の投稿にコメントがあった。
そこには、「当時の広告は今と違ってリアリティーがベースでしたね」と書いてあった。
そうかもしれない。

Date: 2月 20th, 2015
Cate: 広告

広告の変遷(ソニーのこと・その4)

数日前のニュースで、ソニーがビデオ&サウンド事業の分社化が報じられていた。
ソニーについてのニュースは、ほかの会社のニュースよりも目にすることが多いように思う。

ソニーの苦境をさまざまな人が分析している。
現社長に対する批判もインターネットではけっこう目にするようになってきている。

ソニーの内情は、わからない。
ソニーがどうなっているのかについて語ろうと思っていない。

ただ昔の広告を見ていて書きたくなっただけである。
1979年のソニーのオーディオ機器の広告にこうあった。

徹底を重んじるソニー。
モルモット精神のソニー。
流行にこだわらないソニー。
現代的な職人をめざすソニー。

これらを単なる広告のコピーとしてだけ受けとっていいのか。
そう思っただけである。

Date: 2月 19th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(その7)

SAEのパワーアンプ、Mark 2500は瀬川先生が高く評価され自家用として購入されたモノである。
輸入元はRFエンタープライゼスだった。

300W+300WのMark 2500は1977年秋に400W+400WのMark 2600へと変更された。
瀬川先生は、Mark 2600よりもMark 2500を高く評価されていたことは、以前書いている。

1979年6月、SAEの輸入元はRFエンタープライゼスから三洋電機貿易へと変った。
オーディオ雑誌に、RFエンタープライゼスの広告が載っている。
「さようならSAE」とある。

Mark 2600は、だからRFエンタープライゼス輸入のモノと三洋電機貿易輸入のモノとがある。
だからといって同じとは限らない。

「さようならSAE」にはこう書いてある。
     *
MARK2600においては、電源トランスの分解再組立てによるノイズ防止/抵抗負荷による電源ON-OFF時のショック追放/放熱ファンの改造および電圧調整によるノイズ低減/電源キャパシターの容量不足に対し、大型キャパシターを別途輸入して全数交換するなど、1台につき数時間を要する作業を行うほか、ワイヤーのアースポイント変更による、方形波によるリンキング防止やクロストークの改善など、設計変更の指示も多数行ってまいりました。
     *
三洋電機貿易も同じことをやっていたかもしれない。
でも、私はやっていなかったと思う。

以前、ある人からSAEのMark 2600を昔使っていたけれど、瀬川先生がいうほどいいアンプではなかった、
といわれたことがある。
その人に確認したのは、輸入元がどちらかだった。
彼が使っていたのは三洋電機貿易輸入のMark 2600だった。

上に書いたことを彼に説明したけれど、納得していなかった。

だがこれだけ輸入元で手をくわえていれば、
そうでないMark 2600とはかなり音が違っていることは容易に想像できる。

瀬川先生が高く評価されていたのは、RFエンタープライゼス輸入のMark 2500である。
並行輸入されたMark 2500もあるだろうが、それを高く評価されていたわけではない。

この違いははっきりとしておきたい。

Date: 2月 19th, 2015
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(オンキョーD77NE)

昨年12月にオンキョーからD77NEというスピーカーシステムが発表になった。
価格は175000円(一本、税別)。

三倍ちかくになっているけれど、1980年代の598のスピーカーの、いわば現代版である。
598のスピーカー競走はオンキョーから始まった認識している私にとって、
この時代にD77の型番を復活させて、同等規模のスピーカーシステムを出すオンキョーの意図は、
どこにあるのか、どういうものなのか、とぼんやりと考えていた。

発表時から気になっていたのは専用スタンドが用意されていないことだった。
なぜ出さないのだろうか、と思っていた。
もしかすると後から発表になったのかもしれないとオンキョーのサイトを見てみた。
気づいたことがある。

D77NEは、オンキョーによるとフロアスタンディングスピーカーなのだ。
ブックシェルフ型だとばかり思っていた。
だからスタンドのことが気になっていたのだが、
フロアー型としてオンキョーは開発したものらしい。

ならばスタンドは不要ということと受けとっていいはず。

いま書店に並んでいるオーディオ雑誌には、D77NEの試聴記事が載っているはず。
そこでD77NEはどう扱われているのだろうか、
ブックシェルフ型なのか、オンキョーのいうようにフロアー型としてなのだろうか。

確かにD77NEのサイズは、本棚(ブックシェルフ)におさまるサイズと重さではない。
かといってフロアー型(オンキョーではフロアスタンディングスピーカー)だろうか。

フロアスタンディングスピーカーとは文字通りの意味で受けとれば、
床に直置きして鳴らすスピーカーのことである。

D77NEはそうやって聴くスピーカーなのだろうか。

Date: 2月 19th, 2015
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その8)

2010年1月にtwitterを始めたばかりのころ、
友人・知人数人に、やろうよ、とすすめたことがある。

その中のひとりはすぐにアカウントをつくったものの、ほとんどやらなかった。
おもしろそうだ、と言っていたから、なぜ? と聞くと、意外な答が返ってきた。

twitterの本が出たらやる、だった。
書店のパソコン関係のコーナーには、さまざまな種類の書籍が並んでいる。
その多くはマニュアル本といえるもので、彼が望んでいたのもtwitterのマニュアル本だった。

マニュアル世代という言葉がある。
だが彼は私よりも年上で、マニュアル世代ではない。
その彼がマニュアル本が出たらきちんとやる、という。

私もtwitterの機能をすべて理解して始めたわけではなかった。
最初はリツィートもよくわかっていなかった。
それでも使っていくうちにおぼえる(なれてくる)だろう、ということでやっていた。

彼は結局ほとんどやらずにやめてしまった。

入門書とはマニュアル本ではない。
思うのは、彼はマニュアル本を入門書として捉えていたのかだ。

Date: 2月 19th, 2015
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(アルプス電気の電即納)

日本最大の電子パーツ街といえる秋葉原でも、
昔とはずいぶん違ってきていて、以前ならば苦もなく入手できた部品でも、
いまでは入手困難になっていることもけっこう多い。

そのため以前ならば秋葉原に行き、目的の部品を買ってきて自分で修理をすることも可能だったのだが、
いまでは目的の部品を買うことが場合によって、非常に困難となっている。

この部品さえ手に入れば、このアンプが直せるのに……、という場合がある。
アンプならばボリュウムは摩耗する部品だけに、交換が必要となることも多い。

とはいえ、アンプについている元のボリュウムと同じ規格のボリュウムが手に入るとは限らなくなっている。

今日facebookで、個人ブログへのリンクがあり、
そのリンク先を見てみると、アルプス電気の電即納というサービスについて書かれてあった。

ブログは、サンスイのプリメインアンプAU111についてのものだった。
この方も、別の人のサイトでアルプス電気の電即納を知った、とある。

電即納はアルプス電気の通販サイトなのだが、それだけでなく個人の特註にも応じてくれる。
もちろんすべての特註に応じられるのではないだろうが、リンク先のブログには、
アルプス電気とのメールでのやりとりも載っていて、ボリュウムの仕様変更であれば応じてくれている。

しかも100個単位とかではなく、一個からでも応じてくれる、という、
古いオーディオ機器を自分で直して使う人にとっては、ほんとうにありがたい(助かる)サービスである。

AU111に使われているボリュウムそのものに交換できるわけではない。
その意味ではオリジナル至上主義の人にとって、役に立たないことでしかないだろうが、
そうでない人にとっては、少なくとも同じ規格の部品が手に入る(つくってくれる)ことは、
感謝こそすれ、文句をつけることではない。

アルプス電気の電即納、ながく続けてほしい。

Date: 2月 19th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その9)

このテーマで書いていると、あれこれ思い出したり想像したりしている。
上杉先生のステレオサウンド 38号でのシステムのこともそうだし、
こんなことも想像している。

岩崎先生と井上先生が対談形式で、D130の組合せをそれぞれつくるとしたら、
どんな記事になるだろうか、である。

井上先生はD130は、マルチウェイシステムのミッドバス帯域(100〜500Hz近辺)用として使うのにも最適だ、
と書かれているから、ここでのテーマ通りの組合せをつくられると仮定する。

岩崎先生はどうだろうか。
平面バッフルに取り付けられる気がする。
予算やスペースの制約がなければ、1m×1m程度の大きさではなく、
2m×2mの平面バッフルにD130をつけ鳴らされるのではないだろうか。

井上先生はマルチウェイで、岩崎先生はフルレンジとしてD130の組合せをつくられる。
そんなことを想像している。

井上先生はウーファーにはどのユニットを使われるのか、
エンクロージュアはどうされるのか、上の帯域はどうされるのか。
アンプはマルチアンプなのか。

岩崎先生は、そのへんどうされるのか。
100dBをこえる能率をもつD130だが、パワーアンプは大出力のモノにされるような気もする。
それこそステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4でのD130の試聴の際に、
音量をあげていったらコーヒーカップのスプーンがカチャカチャ音を立て始め、
それでも音量をあげていったら……、という瀬川先生の発言を思い出す。

瀬川先生はここで怖くなり音慮を下げられている。
岩崎先生ならば──、
その結果どういう記事ができあがるのか。
そんなことを想像するのは楽しい。

Date: 2月 18th, 2015
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(その7)

つくづく、いいときにオーディオに関心をもったと実感している。
「五味オーディオ教室」のすぐあとに、ステレオサウンドと出逢った。
そこで黒田先生の文章と出逢えた。

別項「戻っていく感覚」で書いている黒田先生の文章だ。
岡先生が以前指摘されているように、黒田先生の文章には、
自問自答の意識が貫かれている。
だから読み手も自問自答を強いられる。

「風見鶏の示す道を」を読み、
ステレオサウンドに連載されている「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」「さらに聴きとるものとの対話を」を読めば、
何もわからずにオーディオに関心をもった中学生であっても、自問自答をしていっていた。

五味先生の文章もそうだった、黒田先生の文章もそうだ。
ふたりの文章から音楽の聴き方を学んだ、というより、
音楽に対する姿勢を学んだ、といえる。

だからこそ入門書は、自問自答を強いるものであってほしい。
残念なことに、書店に並んでいる「入門」とタイトルのつく本はそうではない。