Archive for 10月, 2014

Date: 10月 10th, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(その11)

インターナショナルオーディオショウの前身である輸入オーディオショウも第一回開催のとき、
前日の夕方に会場となる九段下のホテルに行っている。

輸入商社のスタッフの方たちが器材の搬入、開梱、設置など慌ただしくされているところへおじゃました。
ショウの前日搬入、しかもホテルという、搬入条件の決してよくないところへ、
いくつもの搬入が重なるわけだから、想像するよりも大変な作業であったはずだ。

それでも誰もが活き活きとされていたように記憶している。
オーディオフェアの会場に開催前に行った時に感じた雰囲気とはまるで違っていて、
ショウとしての規模は比較にならないほど小さくなっているけれど、いい感じがしていた。

オーディオフェアも先輩に連れられて取材に行っている。
けれど、あくまでも取材であり、そこへ参加しているというようなことは感じなかった。

けれど輸入オーディオショウは、もちろん初日に取材で行っているわけだが、
どこか参加していると感じさせてくれる雰囲気があったように記憶している。

輸入オーディオショウには、オーディオフェアのようなブースはない。
ホテルの部屋が、各出展社のブースであり試聴室である。
ようするに、こぢんまりとしている。

このこぢんまりとしているところから始まったことが、
輸入オーディオショウ(いまのインターナショナルオーディオショウ)のいいところでもあり、
ここ数年感じられるようになってきた悪い面にもなってきているのではないだろうか。

Date: 10月 9th, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(その10)

ステレオサウンドにいたころ一度だけ開催前の国際見本市会場に入ったことがある。
オーディオフェアのブースの準備期間中である。1982年のことだ。

前年が私にとってはじめてのオーディオフェアだった。
会場の、開催期間中の雰囲気は知っていたけれど、準備期間中の雰囲気には圧倒されてしまった。

そこにいる人たちは施工業者や出展社の人たちばかりである。
こういう場がはじめての者は、どうしたらいいのかわからなくなってしまうほど、
それまで見たことのない光景がそこにはあった。

当り前のことなのだが、オーディオフェアのような規模の展示会では、
準備期間もそれだけ必要となる。
いったい何日間だったのだろうか。
そして約1週間の開催。フェアが終了すれば撤去作業が始る。
撤去も一日で終っていたとは思えない。

オーディオフェアにはコンパニオンもいた。
彼女たちの服もメーカーが用意する。
カタログもかなりの量、用意する。
その他にもこまごまとしたものが必要となっていたはずだ。

あのころ大手のオーディオメーカーの出展費用の大きさ。
それだけかけているからこその、独特の熱気がオーディオフェアにはあった、といまになって感じている。

Date: 10月 9th, 2014
Cate: ショウ雑感

2014年ショウ雑感(その9)

アキュフェーズ(当時はケンソニック)の創立者である春日二郎氏の著書「オーディオ 卓美のこころを求めて」に、
こんな記述がある。
     *
 オーディオ・フェアが10月24日から開かれるが当社は出品しない。これには数百万円の費用がかかり、それだけの効果が期待できないこともあるし、今の当社にはそれだけの経費は負担できない。「出さない話題性」も有効だし、アキュフェーズは別格だというイメージを作り出したい。
     *
1975年に書かれている。
数百万円が、二百万円なのか五百万円なのか、それとももっと翁金額なのか、そこまではわからない。
それに1975年はいまから約40年前である。
当時の物価で考えれば、かなりの金額なのだろう。

ステレオサウンドの1980年のオーディオフェアの別冊をいま見ているが、
アキュフェーズ(ケンソニック)の名前はない。
1975年からオーディオフェアには出ていなかったか。

オーディオフェアの、このころの規模は大きかった。
1981年は招待日を含めて六日間(ただこれは会場の都合で前年より二日短くなってのことだ)。
つまり一週間ほど開催されていた。

各社、晴海の国際見本市会場にブースを設置する。
メーカーによってブースの広さは違う。
アキュフェーズが1975年以前はどのくらいの広さのブースだったか知らないが、
おそらくそう大きくはなかったと思われる。
それでも1975年の時点で数百万円である。

1981年ごろ、国内メーカーの大手は、この一週間のために、どれだけの費用を用意していたのだろうか。

Date: 10月 9th, 2014
Cate: Glenn Gould, 録音

録音は未来/recoding = studio product(その1)

別項「オーディオマニアとして」で、グレン・グールドの「感覚として、録音は未来で、演奏会の舞台は過去だった」について触れている。

ここでの録音、つまりグレン・グールドが指している録音とは、studio productである。

studio productといっても、何も録音場所がスタジオでなければならない、ということではもちろんない。
ホールで録音しても、教会で録音しようとも、studio productといえる録音もある。

スタジオで録音したから、すべてがstudio productというわけでもない。
studio productとは、録音によって解釈を組み上げる行為、その行為によってつくられるモノであり、
録音をstudio productと考えていたのはグレン・グールドだけでなく、
カラヤンもそうであるし、ショルティもそうだ。

studio productだから、生れてくる「モノ」がある。

Date: 10月 8th, 2014
Cate: Kathleen Ferrier

Kathleen Ferrier (22 April 1912 – 8 October 1953)

いつごろからなのか、Kathleen Ferrierをキャスリーン・フェリアと表記するようになったようだ。
私がKathleen Ferrierを聴きはじめたころは、カスリーン・フェリアーだった。

だからいまでもカスリーン・フェリアーと言っている。

初めて聴いたのは、バッハ/ヘンデルのアリア集のCDだった。
入荷したばかりの輸入盤。1985年に買った。

このときのスピーカーはセレッションのSL600だった。
イギリスのスピーカーでよかった、と思っている。

フェリアーの声は柔らかくあたたかく、しっとりしている。
どこにも刺々しさはない。
とりすました表情はどこにもない。

そういう声・表情で歌われたバッハとヘンデルは、心に沁みた。
それまで聴いたどんな音楽よりも、そうだった。

フェリアーの歌が心に沁みてこなくなったら、もう終りだとおもっている。

Date: 10月 7th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その7)

五味先生がオーディオマニアの五条件として、
金のない口惜しさを痛感していることを挙げられている。

ハイドンの交響曲第四十九番について書かれている。
こう結ばれている。
     *
少々、説明が舌たらずだが、音も亦そのようなものではないのか。貧しさを知らぬ人に、貧乏の口惜しさを味わっていない人にどうして、オーディオ愛好家の苦心して出す美などわかるものか。美しい音色が創り出せようか?
     *
金のない口惜しさは、それまでも何度か痛感している。
それでも、このときほど、痛感したことはなかった。
いままでの痛感は、痛感といえるほどではなかった、と思うほど、
この日、Design Talkを読みながら、金のない口惜しさを痛感していた。

同時に、五味先生が書かれていた「金のない口惜しさを痛感していること」は、
こういうことなのかもしれない、ともおもっていた。

そういえば、あの日も雨が降っていたな、と思い出していた。

名古屋市立大学に行きたい……、けれど無理である。
また遠く感じた日だった。

Date: 10月 7th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その6)

何をしてきたのか。
ある日からしてきたことは、Design Talkを読みつづけることだった。

読んでいくうちに、オーディオマニアだということがわかった。
草月ホールでの講演をきいたとき、もしかしてオーディオマニアなのだろうか、とおもいはしたけれど、
確信は持てなかった。

Design Talkには、真空管アンプのことも書かれていた。
モノーラルで一台のみ、とあった。
少しずつわかってきた。
JBLの4343を鳴らされていることもわかった。

オーディオという共通項がある。
そのことで会えるようになるのかどうかはわからなかったけど、わかっただけで嬉しかった。

それでもDesign Talkを読むしかなかった。
1996年、名古屋市立大学大学院芸術工学研究科教授に着任されることをDesign Talkに書かれていた。
この号のMAC POWERを読んだ日のことも、はっきりと憶えている。

雨が降っていた。
車の助手席で読んでいた。

この日ほど、金のない口惜しさを痛感した日はない。

Date: 10月 7th, 2014
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(JBL 4311というスピーカー・その6)

JBLの4310のクロスオーバーネットワークは、これ以上部品を省略することができないまで簡潔な仕様である。
以前にも書いているように、4310(4311以降のモデルも含めて)のネットワークを構成している部品は、
コンデンサーが二つに、レベルコントロール用のアッテネーターが二つである。
コイルは使われていない。

ウーファーはネットワークを必要としない設計である。
スピーカー端子から直接ケーブルが接続されているだけ。
スコーカーも基本的に同様で、高域カットをネットワークでは行っていない。
低域カット用にコンデンサーが一つ直列に入っているだけ。
トゥイーターもスコーカーは同じである。低域カット用のコンデンサーが一つだけ。

これ以上部品点数を減らそうとしても、コンデンサーは省けない。
4310は3ウェイのスピーカーシステムとして、ネットワークは最も簡単なつくりである。

しかも4310では、スコーカーのバックキャビティもない。
ドーム型ならばバックキャビティはなくても問題ないが、
コーン型のスコーカーの場合、ウーファーの背圧の影響を避けるためにバックキャビティを持つ。

4311になってからはバックキャビティがあるが、4310にはない。
大胆な設計だと、感心する。

ネットワークはこれ以上省略できないところで設計し、
スコーカーのバックキャビティもない、という内部に対して、
4310の特徴はフロントバッフルに顕れている。

スコーカー、トゥイーター、バスレフポートは三つまとめてサブバッフルにとりつけられている。
このサブバッフルの形状はウーファーを囲むように弓形になっている。
4311から、このサブバッフルはなくなっている。

Date: 10月 7th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

音の聴き方(マンガの読み方・その3)

四コマ・マンガと複数頁にわたるマンガの違いがあるとしたら、
コマ割りだと思う。

四コマ・マンガはその名の通り四つのコマしかない。
しかもコマの大きさは同じで、コマの形も同じである。

複数頁にわたるマンガ(面倒なのでマンガと略す)の場合、
一ページ当たりのコマ数に、何コマまでという決りはない。
二ページ見開きで一コマというものから、こまかくコマ割りしてあり十コマ以上ものも珍しくない。
しかもコマの大きさ、形も実にさまざまである。

コマの形はたいていは長方形だが、正方形である場合もあるし、
長方形でも縦横の比率が大きく違う場合もある。
台形や三角形のコマもある。

四コマ・マンガではコマの枠線は必ず描かれているが、
マンガの場合、コマによっては枠線を省略していることもある。

そういうマンガの読み方とは、どういうことなのか。
ひとつ言えるのは、右頁の上段右端のコマから読みはじめる、ということぐらいである。
コマの進み方も、場合によって違ってくる。

私が読んできたなかで、こんなコマ割りもあるのか、と感心するのが多かったのは、石森章太郎のマンガだった。
当時読んでいたのは、サイボーグ009、仮面ライダー、人造人間キカイダーなどだ。

これらのマンガのコマ割りは、それまでのマンガの通例からは大きく離れていることもあった。
初めて見るコマ割りも少なくなかった。

そういうコマ割りでは、コマの順序という決り事に捕われていては、戸惑うばかりではないだろうか。

マンガは二ページ、もしくは一ページ全体をまず見ることから、読むことは始まるといえる。
つまり最初から右頁の上段右端のコマを凝視してしまっては、
マンガを読むという行為を強く意識してしまうような気がする。

理解しようと凝視すればするほど、難しくなっていくから、
文字から先に読んだらいいのか、絵を先に見たらいいのか、ということになるのではないだろうか。

Date: 10月 6th, 2014
Cate: iPod

ある写真とおもったこと(その10)

録音された音楽の聴かれ方は、じつにさまざまであり、しかもみな違う音で鳴っている。

ずいぶん以前のこと、ある有名人の部屋の写真が、なにかの雑誌に載っていた。
音楽関係では多くの人が知る、その人は、左右のスピーカーを二段重ねにしていた。

上段のスピーカーが左チャンネルなのか右チャンネルなのか、
写真では知りようがなかったが、この写真を見て、オーディオに関心のない人は、
ステレオのスピーカーは、こんなふう(二段重ね)にしていいんだ、と思っても不思議ではない。

あるオーディオ店では、スピーカーが左右反対に接続されていたことがあった。
高価なオーディオ機器を売ることで有名なところでも、そんな状況である。

ステレオ再生のいちばんの基本である左チャンネルのスピーカーは左側に、
右チャンネルのスピーカーは右側に設置する、ということすら守られていないことがある。
しかもシステムが違ってくるわけである。

どんなディスク(録音)であれ、同じ音に鳴ることを期待するのが無理というものである。
録音された音楽の共通体験ということを考える時、このことをどう扱うべきなのか。
けれどiPodはそうではない。

iPodの登場の前にAppleはiTunesというアプリケーションを用意していた。
このiTunesがiPodを管理することになり、共通体験を可能にしているといえるし、
iTunes Storeの開始もそうである。

Date: 10月 6th, 2014
Cate: SP10, Technics, 名器

名器、その解釈(Technics SP10の場合・その6)

テクニクスは、SU-A2でコントロールアンプの標準原器といえるモノを開発しようとした──。
いまでは、私はそう考えている。

パワーアンプはメインアンプと呼ぶこともある。
いまではそう呼ぶ人は経てきているようだが、メイン(main)アンプ、主要なアンプということであり、
その前に存在するアンプをプリ(pre)アンプとも呼ぶ。
プリとは、前置の意味である。

コントロールアンプなのか、プリアンプなのか。
音質向上を謳い、各種コントロール機能を省略する傾向が広まってきた時期から問われていることである。

音量調整と入力切替えしか機能がなくとも、
それでもコントロール機能がふたつは残っているのだから、コントロールアンプと呼べないわけではないが、
それでもこういうアンプ(マークレビンソンのML6)は、もうコントロールアンプとは呼べず、
プリアンプということになる。

ではコントロールアンプとプリアンプの境界線はどこらあたりにあるのか。
トーンコントロールがついていたら、プリアンプではなくコントロールアンプと呼べるのか。
それとももっと多くの機能をもつアンプがコントロールアンプなのなのだろうか。

この問いに、テクニクスが出した答がSU-A2といえないだろうか。
ここから先がコントロールアンプ、そんな曖昧な境界線ではなく、
コントロールアンプとして最大限の機能を搭載しておけば、誰もがSU-A2をコントロールアンプとして認める。

SU-A2を目の前にして、これはプリアンプ、という人はいない。
絶対にプリアンプとはいわせない。
それがSU-A2なのだ、と思う。

Date: 10月 6th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

音の聴き方(マンガの読み方・その2)

マンガの読み方がわからない、というのは、世代によるものではない、と思う。
私の親も(数は少ないけど)マンガは読んでいた。ふつうに読んでいた。

だいたい私が夢中になってマンガを読みはじめたころ、
マンガを描いていたのは、親と同じ世代かそれより上の世代なのだから、
世代によってマンガの読み方がわからない、ということはありえない、と断言できる。

数日前までマンガをどう読んでいるのか、について特に意識したことはなかった。
それでも今回、私はどうマンガを読んでいるのだろうか──、と意識してみた。

いまはiPad、iPhoneなどでもマンガを読める。パソコンでも読める。
けれど私が最初に読んだマンガは紙の本に印刷されたマンガである。
正確にいえば、新聞の四コマ・マンガかもしれない。

新聞の四コマ・マンガといえば、マンガの読み方がわからないという人でも新聞は読んでいたはずである。
四コマ・マンガは読んでいなかったのだろうか。

四コマ・マンガは読んでいても、複数頁にわたるマンガとなると、読み方がわからなくなる、ということなのか。

Date: 10月 5th, 2014
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

音の聴き方(マンガの読み方・その1)

先日、twitterで非常に興味深いツイートがあった。

石ノ森章太郎が「マンガ日本の歴史」を描いていたころの話だった。
この「マンガ日本の歴史」を生れてはじめてマンガを読むという年配の人から、
「マンガって、文字から先に読むんですか、それとも絵から先に見るんですか」
という質問が来た、というものだった。

これは意外だった。
これまで意識したことがなかったことだから、である。

マンガは幼いころから読んできている。
誰かに読み方を教わったわけではない。
苦労して読み方をおぼえたわけでもない。

自然と読んでいた。
マンガとはそういうものだと、だからずっと思ってきていた。
これは何も私だけではない。
小学生、中学生だったころ、同級生もマンガは読んでいた。
誰も「マンガの読み方がわからない」といってはいなかった。

誰かが誰かにマンガの読み方を教わっていた、ということはなかったはずだ。
これまでに、どれだけのマンガを読んできたのか、数えられないくらい読んできている。
けれど、ただの一度も、
文字から先に読んだらいいのか、絵を先に見たらいいのか、といったことは考えたことがない。

Date: 10月 5th, 2014
Cate: 組合せ

石積み(その1)

石積みには、練積みと空積み、ふたつの施工法がある。
練積みとは石と石とのあいだにモルタルやコンクリートを流し込んですきまを埋めていくやり方で、
空積みとはモルタルやコンクリートも使わずに、
大小さまざまな形の石をうまく組み合わせてすきまを埋めて積み上げていくやり方。

いま空積みができる職人が減っている、と建築関係の人から先日聞いたばかりである。
そうだろう、と思って聞いていた。

空積みはやり方を習ったからといって、誰にでもできるわけではないはず。

ここでの石とは、いくつかのことに例えられる。

石は、その人にとってこれまでの体験でもある。
大きな体験もあれば、日常的といえる小さな体験もある。
ひとつとして同じ大きさ、同じ形の石が存在しないように、
体験もひとつとして同じであるわけがない。

石は人でもある。
生きていれば、それだけ多くの人と接する。
家族が、もっとも身近にいる。
学校に通うようになれば、先生と接するようになる。
友人も、それまでよりも多くできるようになるし、多くの同級生だけでなく先輩、後輩もできる。
人も、ひとりとして同じ人はいない。皆違う。

音も石として例えられるだろう。
世の中にひとつとしてまったく同じ音は存在しない。
すべて違う。
同じシステムであっても、鳴らす人が違えば同じ音はしない。
同じシステムで、鳴らす人が同じであっても、昨日の音と今日の音はまったく同じわけではない。
なにひとついじっていない、変えていなくとも、音は変っていくものだから。

体験という石、人という石、それだけではない知識という石、知恵という石、
さまざまな「石」を積み上げていく。
大きな石だけでは、安定して積み上げることはできない。

それは練積みなのか、空積みなのか。

Date: 10月 5th, 2014
Cate: ロングラン(ロングライフ)

ロングランであるために(JBL 4311というスピーカー・その5)

JBLの4311の前身モデルとして4310がある。
ステレオサウンド別冊「JBL 60th Anniversary」によれば、4310は1968年に登場していることがわかる。

この時は、まだJBLのスタジオモニターであることを表す「4300」のモデルナンバーはつけられていなかった。
同時に登場した4320が、その前身であるD50の型番で発表され、4310はJBL Control Monitorと、型番なしに近い。
どちらも正式に4300シリーズとしての型番が与えられたのは、1971年だ。

4310を担当したエンジニアはエド・メイ。
エド・メイに求められていたのは、
当時スタジオモニターとして標準スピーカーシステムとなっていたアルテックの604の音を模倣することだった、
と「JBL 60th Anniversary」に書いてある。
しかも小さなサイズで、である。

ここでいうアルテックの604とは、いわゆる銀箱のことである。
612と呼ばれた、このスピーカーシステムは、「JBL 60th Anniversary」には、
「少しも正確な(accurate)ではなかったことである。
中域には明らかにピークがあり、高域のレスポンスは著しくロールオフしているからである。」とまで書かれている。

つまり、こういうスピーカーの音を模倣するということは、
4310というスタジオモニターは、正確さを目指したスピーカーシステムではなかった、ということになる。

そして、このスピーカーシステムがJBLのスピーカーの中で、いちばんのロングランモデルとなり、
現在も4312Eが作られ続けれられている。

いわば異端児として生まれた4310だからこそ、生き残っている、ということになるのではないか。