Archive for 2月, 2014

Date: 2月 8th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その8)

数年前にステレオサウンドの連載記事として、4343を現代に甦らせる、というものがあった。
エンクロージュア、ネットワークを新たなものにつくり変えて、という企画だった。

一回目から、いやな予感があった。
それでもステレオサウンドというオーディオ雑誌を、どこかで信じていた。
だから最終的にはいい企画になるんだろうな、という期待をもって、
二回目、三回目……と読んでいった。

4343はパーフェクトなスピーカーシステムとはいえない。
パーフェクトなスピーカーシステムなど、この世に一台も存在したことがないのだから、
4343がパーフェクトでないから、
といって、他の優秀な最新のスピーカーシステムよりもひどく劣っているわけではない。

4343が登場したのは1976年だから、
ステレオサウンドの4343改造(改良とはとうてい書けない)記事が出た時点でも、
古い時代のスピーカーシステムという括り方をされるようになっていた。

30年ほど経っていれば、気になるところがないわけではない。
技術も進歩している。
だからもう一度、現代の視点で4343を徹底的に見直していけば、
文字通り「4343を現代に甦らせる」ことは充分に可能である。

だがステレオサウンドの4343改造記事は、
4343というスピーカーシステムが、どういうモノなのかを徹底的に検証することなく、
改造に取りかかってしまっていた。

これ以上こまかいことはここでは書かないけれど、
結局のところ、あの記事は4343改造記事であり、
4343を、ではなく、4343に搭載されているスピーカーユニットを、というところで終ってしまっている。

話をもとに戻そう。

Date: 2月 8th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その7)

JBLには、特徴あるデザインのスピーカーシステムは、4343の他にもいくつもある。
パラゴンがそうだし、ハーツフィールドもあるし、ハークネスもある。

これらコンシューマー用のJBLのスピーカーシステムと、
4343が違うところはプロフェッショナル用というところではなく、
スピーカーユニットを見せた状態でのデザインの美しさである。

4ウェイだから、4343には4つのユニットがついている。
それだけのユニットがフロントバッフルについていながらも、
洗練されているのは、最初にステレオサウンド 41号の表紙で見た時も、
そして知人のリスニングルームで4348のあとにそこにおさまった4343を見た数年前でも、
その印象はまったく変ることがない。

4343のスピーカーユニットは、前身の4341と同じである。
4341もいいスピーカーシステムだとは思う。
音に関しては4343よりも4341のほうをとる人がいるのも知っている。

でも4341は、どこか間延した印象が拭いきれていない。
4343には、そういうところがない。

4343について書き始めると、書きたいことはいくらでもあってとまらなくなる。
ここでもすでに少し脱線しはじめていることはわかっているが、
あと少しだけ脱線したまま書いていく。

Date: 2月 7th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その6)

1970年代後半のJBLのスタジオモニターは、ひとつのピークを迎えていた。
ラインナップも豊富だった。

ラインナップが豊富なだけのメーカーはほかのメーカーでもあるけれど、
この時代のJBLのスタジオモニター(4300シリーズ)は、
もっともローコストの4301にしても、トップモデルの4343、4350にいたるまで充実していた。
2ウェイの4331があり、3ウェイの4333、それにブックシェルフ型の4311が揃っていた。

なかでも4343は、もっとも洗練されたモデルだった。
それは音だけでなく、デザインにおいても、
4343はJBLというスピーカーメーカーの体質のもっともよいところを凝縮したような、そういう存在だった。

いまもJBLには4300シリーズはある。
これらのスピーカーシステムの音が評判がいいのは知っている。
いいんだろうな、とは思っている。
それでも、デザインに関しては、ほとんど魅力を感じない。

そういえば数年前、知人のところで4348を聴いたことがある。
4348は15インチ・ウーファー、10インチ・ミッドバス、ホーン型のミッドハイとトゥイーター。
つまり4341から始まった4ウェイの最終形態でもある。

4つのユニットをすべてインライン配置している4348は、4343の後継機といえる。
4343のあとに4344が登場しているけれど、
4344は4345の弟分であり、4343のエッセンスを継承しているといえるのは、4348のほうである。

4348の知人は、しばらくして4343の中古を手に入れた。
知人のリスニングルームで、短期間のうちに4348と4343がおさまっているのを見たわけだ。

4343はやはり洗練されたスピーカーだ、と強く実感できた。

Date: 2月 7th, 2014
Cate: きく

音楽をきく(その1)

2月5日の、作曲のゴーストライターのニュース以来、
facebookでもtwitterでも、この件に関する書き込みが多い。

いろんな意見がある。

私はというと、問題となった人がつくったといわれている曲をまったく聴いていないから、
この件に関しては何かを書こうとは、いまのところ思っていない。

それでも、いまこうやって書いているのは、
twitterでの、いくつかの書き込みを見たからである。

問題となっている人は、「現代のベートーヴェン」と呼ばれていた。
そのこともあってtwitterには、ベートーヴェンの音楽を聴いても、
ベートーヴェンがどういう人性で、
それゆえにどういう人生をおくってきたかのということにはまったく関心がなくて、
「純粋に曲を聴いている」というのがあった。

何もベートーヴェンだけに限らない、他の作曲家の音楽においても、
「音楽自体を聴いて感動できる」というのもあった。

「純粋に曲を聴いている」も「音楽自体を聴いて感動できる」も、
表現は違えども同じことを主張している。

だが、ほんとうにそんな聴き方ができるのか。
純粋に音楽を聴く、ということはいったいどういうことなのか。

Date: 2月 6th, 2014
Cate: ラック

ラックのこと(その8)

思い込みが、いい音を思い込んでいる本人だけにいい音を聴かせることはある。
だが、そうやってのいい音には、遅かれ早かれ気がつく。
思い込みが強ければ強いほど、気がつかなかったりするけれど。

実際にはラックの天板なり棚板のどの位置に置くのがいいのか、とはいえない。
天板、棚板の上でアンプなりCDプレーヤーを動かしてみる。

最初は基準として真ん中に置いて、音を聴く。
それからオーディオ機器を前に移動する。
落ちないぎりぎりまで手前に持ってきて、そのときの音を聴く。
今度は反対に後に移動して、また音を聴く。

真ん中、手前、後と、三つの音を聴いたことになる。
システムがうまく調整されていれば、
この移動による音の差は、決して小さくはない。

動かしたからといって、あるアンプがまったく別のアンプに変るわけではないが、
音のバランスが変化していることに、まず気がつくはずだ。

三つの位置のどこかに、求める音に近いところがあるはず。
たとえば手前に持ってきたときの音が、すべての面ではいいとは感じられなくても、
全体としては求めている音に近ければ、
次の段階として、真ん中と手前の中間の位置に移動して音を聴いてみればいい。

このときの音の判断によって、もう少し真ん中寄りにするのか、それとも手前寄りにするのか。
すこしずつ移動距離が短くしていくことで、追い込んでいく。

Date: 2月 6th, 2014
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その6)

こんなことを考えながら書いていると、ルートヴィヒ二世のことが頭に浮ぶ。

ワーグナーを宮廷に招き、
ワーグナーのためにバイロイトに、ワーグナーの作品の上演のためだけの劇場、
バイロイト祝祭劇場の建築を全面的に援助する。

バイロイト祝祭劇場で最初に上演されたのは「ニーベルングの指環」。

バイエルン国王だからできたことであるけれど、
ルートヴィヒ二世たったひとりのためだけの上演をワーグナーが行ったという話はきいたことがない。

ルートヴィヒ二世は、たったひとりでワーグナーを聴きたかったのだろうか。
ワーグナーはどうおもっていたのだろうか。

Date: 2月 6th, 2014
Cate: きく

音を聴くということ(試聴のこと・その1)

数年前のことだった。
あるオーディオ店で試聴会をやっていた。
試聴会をやっているのは知らずに、たまたま入ったらやっていたので、そのまま椅子に座り聴いていた。

オーディオ店の試聴会というのも、ずいぶんとひさしぶりだな、と思いながら聴いていたわけだが、
不思議なことに、音を鳴らすたびにディスクをかえる。

オーディオ機器の試聴会だから、いくつかの機器の比較試聴もやっているわけだが、
なのになぜか機器を替えると、鳴らすディスクも替える。

このオーディオ店だけの、こういうやり方なのか、
それともこのオーディオ店に働いている、この店員だけのやり方なのか、
それとも、私がこういう試聴会に行かないあいだに、こういうやり方が一般的になっていたのか。

とにかくとまどいながら音を聴いていた。

何枚かのディスクが鳴らされたあと、あるお客が、
「なぜ同じディスクで鳴らさないのか」と店員に訊ねた。

やっぱり、これはこの店(この店員)の独自のやり方なんだな、と安心したのも一瞬だった。

店員の返答は、
「同じディスクを鳴らしたいんですけど、そういうやり方をするとお客さんが帰られるんです」。

あるオーディオ機器の、いわゆるプレゼンテーション的な試聴会であれば、
ディスクを替えているのはわかる。
けれど比較試聴においても、ディスクを替えなければ、お客が帰っていく。
俄には信じられないことだったけれども、
店側としても客が帰っていくような試聴会をやるよりも、
客が最後までいてくれる試聴会のほうが、商売に結びつきやすいだろうから、
そうであれば、こういうディスクのかけ替えも仕方ないのかもしれない。

それにしても不思議としかいいようがない。

Date: 2月 5th, 2014
Cate: ラック

ラックのこと(その7)

とにかくGTR1Bの天板の真ん中にくるようにオーディオ機器を置く。
後にもっていったり、前寄りにしたり、左右どちらかにずらして置いたりは、この段階ではしない。

とはいえ、ラックの天板、棚板の真ん中に置くのが必ずしもベストというわけではない。
にも関わらず、神経質そうに天板の真ん中に置くのを、ミリ単位で測る人がいる。
そして、それが音がもっともいい、という。

アンプでもCDプレーヤーでもいいのだが、たいてい脚は四つもしくは三つついている。
これらの脚に均等に荷重がかかっているのであれば、
つまりオーディオ機器の重量バランスが完璧であれば、
ラックの天板・棚板の真ん中に置くのがいちばんいい、というのはわかる。

だが現実には、重量バランスはたいていがどこかに偏っている。
偏っていれば、すべての脚に均等の荷重というわけにはいかない。
それにすべてのアンプなりCDプレーヤーの脚が、筐体底部の四隅に取り付けられているとはかぎらない。

メーカーによっては脚の位置を前後で変えているものもある。
それに三点支持で、三つの脚のものも少なくない。

そういったオーディオ機器の場合でも、とにかくきちんと真ん中に置くことが、
もっとも音がいいと思い込み、定規できちんと合わせている人を見ていると、
滑稽というよりも、なんといったらいいのだろうか、
思い込みの激しいことはシアワセなんだなぁ、と羨ましいのとは違うけれど、
ほんのちょっとだけそれに似たものを感じないわけではない。

Date: 2月 4th, 2014
Cate: 孤独、孤高

毅然として……(その5)

グレン・グールドが一人で演奏しているピアノの録音(レコード)を聴いている時、
グールド(演奏者)と聴き手とは、一対一である。

グールドは、ピアノ協奏曲も録音しているし、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタなども録音しているから、
そういったグールドのレコードを聴く時には、
聴き手がひとりであるならば、演奏者の数の方が多くなる。

オーケストラの規模が大きくなり、演奏者の人数がさらに増しても、
マーラーの「千人の交響曲」を聴いている時でも、聴き手はひとりである。

演奏会場では、まずこういったことはおこり得ない。
それこそ想像のつかないほどの資産をもつ者であれば、
コンサートホールを貸し切り、そこで演奏者を招いて、
観客はひとりだけということも実現できるであろうが、
私を含めて多くの人(ほとんどの人)は、そういった夢物語とは無縁のところで生活しているし、
その生活の場で音楽を聴いている。

たったひとりの観客のためのコンサート。
そこでどれだけ素晴らしい演奏がなされたとしても、観客から返ってくるのは、
たったひとりの観客による拍手だけである。

がらんとした広い空間に、ひとりの観客だけの拍手が響くだけである。
それがどれほど力のこもった拍手であっても、ひとりの拍手はひとりの拍手でしかない。

Date: 2月 4th, 2014
Cate: Claudio Abbado

アバドのこと(その8)

アバドが、フルトヴェングラー/スカラ座の「ニーベルングの指環」のことを話したのか、
その前後に関してはまったく忘れてしまっている。

私にとって、このときのアバドのインタヴュー記事で、
このことがとても意外であり、だからこそいまも憶えている。

アバドもいつかはワーグナーを録音するだろうな、
どういうワーグナーになるんだろうか、
そんなことをぼんやりと想像していたところに、
フルトヴェングラーの「ニーベルングの指環」に熱狂している、という、
いわばアバドの告白のように感じられた、この発言は、だから意外だったのだ。

フルトヴェングラーの「ニーベルングの指環」に熱狂しているからといって、
アバドが「指環」を録音することになっても、同じような演奏をするとは思えない。

アバドが亡くなったのを知った時に、
アバドとアルゲリッチがピアノをはさんで坐っている写真を見つけた。
Googleで画像検索すれば、すぐに見つかる。

1970年代に撮られたであろう、この写真のふたりは若い。
そして、この写真は青を基調としている。
そのことが、この時代の、若いふたりの雰囲気にぴったりとあっている。

アバドは、そういう演奏をしてきた人である。
それにフルトヴェングラーの「指環」について語っていた記事を読んだのは、1980年代だったはず。

そういうアバドと、フルトヴェングラーのスカラ座との「指環」がうまく結びつかなかった。

Date: 2月 4th, 2014
Cate: ラック

ラックのこと(その6)

ヤマハのGTR1B一台に対してオーディオ機器一台という使い方をしていたわけだが、
GTR1Bのどこにオーディオ機器(アンプ、CDプレーヤー、アナログプレーヤー)を置くのかでも、音は変化する。

天板に置くのか、それともGTR1Bの中に置くのか。
このふたつの置き方による音の違いは、決して小さくはない。

天板に置けば、オーディオ機器の周りは開放空間であるのに対し、
GTR1B内部に置けば、開放管の中に置くわけで、オーディオ機器の前後のみが開放だが、
他はラックによって囲まれている状態であり、このことが音に影響している。

どちらの音を良しとするのかは、人によって、聴く音楽によって異るだろうが、
音がすっと拡がってくれるのは、天板に置いた場合である。

だからステレオサウンド試聴室では常に天板にオーディオ機器を設置していた。

細かいことを書けば、天板のどの位置に置くのかでも、音は変化していく。

試聴室は、試聴のための場であり、そのための準備(設置)が要求されるわけだから、
オーディオ機器はGTR1Bの中央にくるのを基準としていた。

これはあくまでもアンプ、CDプレーヤーなどの筐体を上から見た際に、
前後、左右が均等になるように置く、ということである。

Date: 2月 3rd, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(その21・補足)

その21)を書きながら、
コントロールアンプに関しては、他にもいい候補がありそうな気がするけれど……、
思い出せないもどかしさがあった。

なんだろうな、何があったか、としばらく思い出そうとしていた。
やっと先ほど思い出せた。

プレシジョン・フィデリティのコントロールアンプC4である。
C4は1978年に登場している。
ゴールド仕上げのフロントパネルをもつ管球式アンプである。

プレシジョン・フィデリティは、スレッショルド社長のプライヴェートブランドだったらしい。
価格は550,000円だった。

C4の製品寿命は短かった。
ローコストモデルのC7は聴く機会があったけれど、C4はなかった。

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」の巻頭記事、
「’78コンポーネント界の動向をふりかえって」のなかで、瀬川先生が書かれている。
     *
プレシジョン・フィデリティのコントロールアンプは、管球特有の暖かい豊かさに、新しい電子回路の解像力の良さがうまくブレンドされた素晴らしい音質と思った。残念な点は、パネルフェイスが音質ほどには洗練されていない点であろう。そのことが残念に思えるほど逆に音はすばらしい。アキュフェーズC240と並んで、78年度注目のコントロールアンプといえそうだ。
     *
このC4とマイケルソン&オースチンのTVA1の組合せは、どんな音を聴かせてくれただろうか……。

Date: 2月 3rd, 2014
Cate: ラック

ラックのこと(その5)

ヤマハのラックGTR1Bは、その形からもわかるように、一種の開放管であり、
つまりは開放管としての共鳴・定在波の発生があり、
これを抑えることも、GTR1B固有の音を和らげることにつながっていく。

具体的にはステレオサウンド試聴室ではラック内に、天然素材の吸音材を入れていた。
吸音材といえば、すぐにグラスウールを思い浮べる人もいるけれど、
聴感上のS/N比的にはグラスウールは不適であり、天然素材の吸音材でなければならない。

あまり入れ過ぎてうまくいかないところがあり、
適度の量(意外に少ない量である)は自分で見つけて行くしかない。
最初は思い切りラック内を満たすほどに入れてみればいい。
その状態の音と、何も入れていない状態の音、ほんの一枚だけ入れた状態の音、
中間ぐらいに入れた音、それぞれの音を聴いたうえで、増やしたり減らしていく。

GTR1Bは木製の開放管である。
板厚は50mmだし、素材は一種類。
それゆえに固有音があるところに集中しやすいともいえるが、
逆にとらえれば、固有音が分散されにくいわけであり、
固有音の正体(どの帯域にそれがあるのか)をしっかりと見極めれば、
その対策(固有音を和らげること)は、それほど難しくはない、といえる。

複数台のGTR1Bをぴったりとつけずに離して置くのも、問題を複雑化しないためである。
だからステレオサウンド試聴室では棚板を使うことは一度もなかった。
ラック内部に、何かモノをいれるということもやらないようにしていた。

あくまでも天板にオーディオ機器を置く、ただそれだけのために使っていた。

Date: 2月 3rd, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その5)

アルテックの同軸型ユニット604シリーズは、
中高域のホーンがウーファーの前面に配置されている。
604-8Gまではマルチセルラホーン、604-8H以降はマンタレーホーンという変更はあるものの、
ホーンがユニットのセンターに、このユニットが同軸型であることを誰の目にも明らかなように、
存在感たっぷりに、そこにある。

これだけの大きさのモノがウーファーの中心、その前面にあるということは、
音響的には不利といえる。

タンノイの同軸型ユニットは、
アルテックのストレートコーンに対しカーヴドコーンを採用し、
ウーファーのコーンをホーンの延長として利用するという設計であるために、
604のようにホーンが前面に張り出してはいない。

タンノイの古いカタログが、インターネットで見ることができる。
それらの中には、アルテックの同軸型との比較で、
ホーンが前面にないため、タンノイの同軸型が音質的に有利であることを示す図が載っている。

アルテックと同じアメリカの、もうひとつの代表的な同軸型ユニット、
ジェンセンのG610もタンノイと同じようにウーファーの前面にホーンを設けていない。

タンノイの指摘に頼らなくとも、
604シリーズのホーンそのものが音質に影響を与えることぐらいは、容易に想像できる。

そんなことはわかったうえで、それでも604シリーズの外貌(カタチ)は、いいと感じてしまう。

Date: 2月 3rd, 2014
Cate: audio wednesday

第37回audio sharing例会のお知らせ(マークレビンソンに何を求めていたのか)

今月のaudio sharing例会は、5日(水曜日)です。

別項で書いているように、久しぶりにマークレビンソンのLNP2を聴く機会があった。
バウエン製モジュールとマークレビンソン製モジュールも比較できた。

LNP2が登場して40年が経つ。
LNP2はいうまでもなくトランジスターアンプである。
進歩の激しいトランジスターアンプの流れにおいて、40年前のアンプを聴いて感じることは、
どういう意味があるのか、それとも意味などないのか。

1970年代の後半、マークレビンソンからの新製品には、特別な感情を抱いていた。

新製品は、マークレビンソン以外の会社から数多く登場していた。
その中にあってマークレビンソンの新製品に何を求めて、何を期待して、何を見ていた(聴いていた)のか。

それに関係することでオーディオにおけるニューウェーヴとは、どういうことなのか。
はたしてマークレビンソンはニューウェーヴだったのかどうか。

時間はこれまでと同じ、夜7時です。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。