Archive for 11月, 2013

Date: 11月 26th, 2013
Cate: prototype

prototype(その6)

ヒートパイプが登場したころは、まだまだアンプの開発において電気的なことが優先されていた。
筐体構造については、まだまだこれからという時期だったともいえる。

ヒートパイプは音があまり芳しくない、ということで、使われなくなっていった。
けれどメリットも大きい。
それで一度井上先生に訊ねたことがある。

ヒートパイプの薄っぺらなヒートシンク部分を、
厚みのある金属板に置き換えたものをあるメーカーが試作したか、
もしくはヒートパイプ製造メーカーに特注で作らせたか、
とにかく市販品のヒートパイプとは比較にならない立派な作りのモノを搭載したところ、
明らかに市販品のヒートパイプでは得られなかった音が出てきたし、
従来のヒートシンクよりも、いい結果が得られた、とのことだった。

ただしその特注のヒートパイプはコスト的に採算ベースにのらず、
搭載は見送られて、そのメーカーも通常のヒートシンクをふたたび使うようになった。

これでヒートパイプの問題がすべて解決したわけではなく、
実はもうひとつヒートパイプには、オーディオ用として使うにも問題があった。

ヒートパイプの銅パイプの中には液体が入っていた。
たしかオイルだったはずだ。
この液体が長時間アンプを使い、パイプの温度が高くなりすぎると、
パイプの中から音がしてくる、ということだった。
これも銅パイプを肉厚をかなり増していけば解消できるように思うのだが、
これもコストが増していくだけである。

ヒートパイプは液体を使っているけれど、熱を放出するヒートシンクを水冷しているわけではない。
あくまでも空冷式ということになる。

あるメーカーの特注ヒートパイプも、プロトタイプのひとつといえなくもないだろう。

Date: 11月 26th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その8)

瀬川先生が、ステレオサウンド 53号当時は、JBLの4343を鳴らされていた。
その4343をオール・マークレビンソンによるバイアンプ駆動、
しかもパワーアンプのML2、それにコントロールアンプのML6がモノーラル仕様ということで、
ヘッドアンプのJC1からデヴァイディングネットワーク(チャンネルデヴァイダー)のLNC2まで、
二台ずつ用意して片チャンネルを遊ばせてのモノーラル使い、という徹底した鳴らし方だった。

まさに「ベストサウンドを求めて」というタイトルにふさわしい実験といえる。
この記事の終りに、こう書かれている。
     *
「春の祭典」のグラン・カッサの音、いや、そればかりでなくあの終章のおそるべき迫力に、冷や汗のにじむような体験をした記憶は、生々しく残っている。迫力ばかりでない。思い切り音量を落して、クラヴサンを、ヴァイオリンを、ひっそりと鳴らしたときでも、あくまでも繊細きわまりないその透明な音の美しさも、忘れがたい。ともかく、飛び切り上等の、めったに体験できない音が聴けた。
 けれど、ここまでレビンソンの音で徹底させてしまった装置の音は、いかにスピーカーにJBLを使っても、カートリッジにオルトフォンを使っても、もうマーク・レビンソンというあのピュアリストの性格が、とても色濃く聴こえてくる。いや、色濃くなどというといかにもアクの強い音のような印象になってしまう。実際はその逆で、アクがない。サラッとしすぎている。決して肉を食べない草食主義の彼の、あるいはまた、おそらくワイ談に笑いころげるというようなことをしない真面目人間の音がした。
 だが、音のゆきつくところはここひとつではない。この方向では確かにここらあたりがひとつの限界だろう。その意味で常識や想像をはるかに越えた音が鳴った。ひとつの劇的な体験をした。ただ、そのゆきついた世界は、どこか一ヵ所、私の求めていた世界とは違和感があった。何だろう。暖かさ? 豊饒さ? もっと弾力のある艶やかな色っぽさ……? たぶんそんな要素が、もうひとつものたりないのだろう。
 そう思ってみてもなお、ここで鳴った音のおそろしいほど精巧な細やかさと、ぜい肉をそぎ落として音の姿をどこまでもあらわにする分析者のような鋭い迫力とは、やはりひとつ隔絶した世界だった。
     *
4343のウーファー2231AにはML2をブリッジ接続して割り当てられている。
だからMl2が計六台必要になるシステムだし、
ML2の消費電力は一台400Wだから、1.6kWの電力を電源を入れた瞬間から消費するし、
それだけの電源の余裕も求められる。

そういうシステムゆえに、出てきた音は瀬川先生も書かれているように、
「飛び切り上等の、めったに体験できない音」であったし、
「常識や想像をはるかに超えた音」であったわけだ。

4343が、ある方向のひとつの限界に近いところで鳴った、という意味では、
たしかに「ベストサウンドを求めて」ではあったけれど、
瀬川先生個人にとっての「ベストサウンドを求めて」であったのかどうかは微妙なところがある。

Date: 11月 26th, 2013
Cate: prototype

prototype(その5)

ダイヤトーンの水冷式のプロトタイプの展示から、
一、二年後だったか、ヒートパイプを採用したアンプが、国内メーカー数社から登場した。

ヒートパイプとは熱伝導率の高い銅パイプの片側にヒートシンク、
その反対側に出力トランジスターを取り付けられるようになっていた。

出力トランジスターがヒートシンクに直に取り付けられるわけではないので、
複数の出力トランジスターをきわめて接近させて配置することができるようになり、
複数個使用による配線の延長の問題がなくなる。

ヒートパイプが登場する一、二年前から出力トランジスターの広帯域化がはじまっていて、
この手のトランジスターの特徴を発揮するためにも、
ドライバー段から出力トランジスターまでの配線はできるだけ短い方がいい、ということも関係していたはずだ。

ヒートパイプはパワーアンプのコンストラクションをある程度変えるまでのパーツであったけれど、
割と早くにオーディオでは使われなくなっていった。

理由は単純で、ヒートパイプを使うとあまりいい結果の音が得られない、ということからだった。
電気的な配線としての従来の大型ヒートシンクよりも有利にも関わらず、なぜ? と思われる方もいるだろう。

それはヒートパイプの作りにあった。
ヒートシンク部分が、薄い金属で作られていたことが、その原因だといわれた。

Date: 11月 25th, 2013
Cate: 表現する

夜の質感(その7)

私はバーンスタインの新録にマーラーの闇(と勝手に思っているだけにしろ)を感じる。
けれど、マーラーの聴き手のすべてがバーンスタインの新録に、それを感じているとは限らない。

バーンスタインの旧録に強く感じている人だっていていいし、
ワルターだ、という人、いやテンシュテットこそが、という人だっていよう。

闇といっても、あまりにも漠然としすぎている。
闇をどう感じているかによっても、変ってくることだから、
誰が正しいのかなんて無意味でもある。

ただ私にはバーンスタインの新録だ、ということだけが、私にとってのマーラーであり、
私のマーラーの聴き方、ということになるだけの話だ。

そのバーンスタインのマーラーの新録と、ほぼ同時期に、
同じドイツ・グラモフォンに、シノーポリがフィルハーモニー管弦楽団を指揮して、
マーラーの全集の録音をすすめていた。

何番が最初に出たのかは憶えていないが、
私がシノーポリのマーラーを最初に聴いたのは第五番だった。

シノーポリは心理学、脳外科を大学で学んできた人ということでも、
シノーポリのマーラーは注目されていた。

マーラーと同じユダヤ人としてのバーンスタインとは、
イタリア人で学究的(衒学的ともいわれていた)なマーラーの解釈をする、
というようなことがいわれていたシノーポリは、ずいぶんと立つ位置の異るところでのマーラーを聴かせてくれた。

Date: 11月 25th, 2013
Cate: prototype

prototype(その4)

大型のヒートシンクは出力トランジスターへの配線が長くなるだけではなく、
ヒートシンクも筐体の一部であり、その材質、形状、取り付け方などにより、音は確実に変化する。

そして、海外製のパワーアンプに多い形態、
ヒートシンクがシャーシーの両サイドに露出して取り付けられている場合、
モノーラルアンプだったりマルチアンプシステムで、複数台のパワーアンプを使用する際には、
隣りあうパワーアンプのヒートシンク同士の干渉も、セッティングでは考慮しなければならない。

大型のヒートシンクがむき出しになっているパワーアンプは、
例えば以前のアンプをあげればマークレビンソンのML2、
これなどは星形のヒートシンクがいわばアイコン的でもあった。
ML2が、ヒートシンクをシャーシー内部におさめたタイプだったら、
そのイメージは多少なりとも変化していたと思う。

こんなことを書いていくと、また話が逸れてしまう。
とにかくヒートシンクは音に大きな影響を与えているわけで、
これが水冷方式になり、自然空冷にくらべてコンパクトにできれば、
それたけでもパワーアンプの音は変っていく。

もっとも水冷にするための機構をどう設計するかによって、
必ずしも音がよくなるとは限らないだろうが、
ダイヤトーンのプロトタイプは、そのへんどうだったのだろうか。

ダイヤトーンの水冷式のプロトタイプが登場したときは、
筐体設計が音に影響を与えることはあまり注意が払われていなかった。
だから、いまあれこれ想像してしまう。

Date: 11月 25th, 2013
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その21)

盤塵集をお持ちの方は、読み飛ばしていただくとして、
盤塵集は1981年に発行された本だから、この本の存在も知らない人が多くても不思議ではないから、
要約して書いておこう。

トランスには一次側と二次側のインピーダンスが同じモノもあるが、
一般的には一次側と二次側のインピーダンスは違う設計となっている。

管球式のコントロールアンプの出力に挿入されることがあるライントランスは、
一次側のインピーダンスが10kΩ、20kΩと高く、二次側は600Ωと低くなっている。
こういうライントランスが手元にあったならば、
トランジスター式のコントロールアンプの出力に接続する。
接続するといっても、トランスの基本的な接続とは少し違う。

二次側は開放とする。
一次側だけをコントロールアンプの出力に対して並列に接続する。
二次側の巻線の片側だけはアースに落しておく。
つまりライントランスのインピーダンスの高い巻線をコントロールアンプの負荷とするわけである。

ライントランスなどは持っていないという人も、
MC型カートリッジの昇圧トランスをひとつぐらいは持っているだろう。
それがあれば、ライントランスとは違い、二次側を同じようにコントロールアンプの出力に並列に接続する。
一次側巻線は開放で、巻線の片側だけをアースに落す。

これだけのことである。
アンプを改造したり昇圧トランスを改造したりすることなく実験できる。
コントロールアンプ・パワーアンプ間のケーブルは手を加える必要がある。
その結果が気にくわなければ、すぐに元に戻せる。

Date: 11月 25th, 2013
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その5)

スピーカーはいうまでもあくアンプからの入力信号を振動板の動きに変換して、
空気の疎密波をつくりだし音とするメカニズムである。

つまりは、こういう考え方ができるのではないか。

スピーカーは耳である。
アンプからの入力信号を聴きとる耳である、と。

これだけでスピーカーをリスニングルームにおいて「耳があるもの」とするわけではない。

結局は、「音は人なり」ということにつきる。

「音は人なり」、
このことを否定する人には、
スピーカーを「耳があるもの」とする私の考えはまったくおかしなことでしかない。
それはそれでいい。

あくまでも「音は人なり」をオーディオの、否定できない現象として認めるのであれば、
スピーカーこそが「耳があるもの」だと思えてならない。

スピーカーは音を出すメカニズムである。
その音に、鳴らす人の人となりが表出されるのであれば、
スピーカーは鳴らす人のすべてを聴きとって、音としている。

そう思うからだ。

Date: 11月 25th, 2013
Cate: トランス

トランスから見るオーディオ(その20)

トランスはバンドパスフィルターである。
どんなに広帯域のトランスであったとしても、バンドパスフィルターであことには変りはない。

トランスというモノを頭から否定する人は、まずこのところが気にくわないらしい。

それから一次側(入力)と二次側(出力)にそれぞれコイルがあり、
それが鉄芯に巻かれている。そしてふたつのコイルは電気的には絶縁されている。
このこともトランス否定の人は気にくわないようだ。

トランス・アレルギーの人はいる。
でも不思議なのは、そういうトランス・アレルギーの人が、
トランスをいくつも経て録音されたディスクを、いい音だと評価していることてある。
ほんとうにトランス・アレルギーであるのなら、
トランスを使っていた時代の録音は、すべて気にくわないはずなのに。

トランス・アレルギーの人は、再生系のどこかにトランスがひとつでも入っていればすぐにわかる、という。
音が悪くなるからだ、と。
そんなトランス・アレルギーの人でも、トランスを使っていた時代の録音をいいと感じるものがあるのなら、
すくなくとも池田圭氏が、盤塵集に書かれている使い方を試してみてはどうだろうか。

Date: 11月 25th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その7)

HIGH-TECHNIC SERIESというタイトルは、実は別冊に使われたのが最初ではない。
ステレオサウンド 37号から連載が始まった「ベストサウンドを求めて」が最初になる。

「ベストサウンドを求めて」は37号が岩崎先生、38号が岡先生。
残念なことに、この二回で終ってしまっている。

37号の一回目には「ベストサウンドを求めて」のタイトルの前に、
HIGH-TECHNIC SERIES-1と、
38号のときにはHIGH-TECHNIC SERIES-2、とついている。

そして岩崎先生の「ベストサウンド」はJBLのユニットとマルチアンプシステムによるもの、
岡先生の「ベストサウンド」はARのフラッグシップモデルLSTの、やはりこちらもマルチアンプ駆動である。

37号は1975年12月、38号は1976年3月に出ている。

ステレオサウンドでのHIGH-TECHNIC SERIESはここまでだったけれど、
HIGH-TECHNIC SERIESは別冊として復活したことになり、
その一冊目(一回目)がマルチアンプだったのは、だから当然だったといえる。

53号での瀬川先生の、オール・マークレビンソンによる4343のバイアンプ駆動は、
だからHIGH-TECHNIC SERIES-3「ベストサウンドを求めて」ともいえる記事である。

Date: 11月 24th, 2013
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その4)

マイクロフォンとスピーカーの動作原理は基本的に同じである。
だからスピーカーユニットをマイクロフォン代りに使うことはできないくはない。
いい音で収録できるかどうかは別として、マイクロフォンとして動作はする。

話は逸れるが、ジャーマン・フィジックスのDDD形ユニットの音を聴いていると、
DDD型マイクロフォンが登場しないのものか、と想像する。

DDD型マイクロフォンという言い方がまずければ、
ベンディングウェーヴ型マイクロフォンである。
ベンディングウェーヴ型のユニットとしては、ジャーマン・フィジックスと同じドイツのマンガーのBWTがある。

BWTの構造をそのままマイクロフォンとすることはできないのだろうか。

話を元に戻そう。
スピーカーとマイクロフォンの動作原理が同じだから、
スピーカーがリスニングルームにおける「耳があるもの」といいたいわけではない。

スピーカーは音を発するものだから、
目とか耳という意味では口にあたる。

だが、その口は勝手になにかを喋っているわけではない。
その口を喋らせているのは、その口からの音を聴いている聴き手ということになると、
スピーカーは口ではなく、「耳があるもの」と思う。

Date: 11月 24th, 2013
Cate: prototype

prototype(その3)

当時のオーディオ雑誌が手元にあれば、あれこれ思い出せるのだが、
ステレオサウンド以外のオーディオ雑誌はほとんどない。

だから、記憶にあるものだけをいくつかあげていくと、
水冷式のパワーアンプを、ダイヤトーンが展示していたはずである。

ファンによる強制空冷のパワーアンプはある。
当時のアメリカのハイパワーアンプにはたいていファンがついていた。
SAEのMark2500、マランツの510Mなどがあったし、
ファンの音を気にしがちな日本においても、パイオニアのExclusive M4はA級動作ということもあって、
かなり静粛性にすぐれるファンを搭載していた。
それでも聴取位置に近いところに置けば、静かな環境・時間帯ではファンの音が気になる。

ダイヤトーンのプロトタイプがA級動作だったのかはわからないが、
水冷式はA級動作でハイパワーを実現しようとする際には、有効な手段のひとつになり得たかもしれない。
オーディオ雑誌に載っていた小さなモノクロ写真、
それに写真の解説文も短かく、細かなことはなにひとつわからなかった。

だからこそ想像をかき立てられる。

大出力を得るには出力トランジスターの数を増やすことになる。
部品にはすべてサイズがあり、数が増えればそれだけ配置のためのスペースを必要とし、
電子回路であるから配線距離がその分のびることになる。

発熱量の多いA級アンプではヒートシンクも大型のものとなるから、
出力トランジスターへの配線は、より長くなりがちである。

Date: 11月 24th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その6)

HIGH-TECNIC SERIES-1の二年後、ステレオサウンド 53号が出た。
特集は52号から続いているアンプ。

個人的に、53号でわくわくしながら読んだのは、特集ではなく、
瀬川先生による「4343研究」のページだった。

51号から始まった「4343研究」は、53号がひとつのピークだった。
ここでは、瀬川先生のリスニングルームにおいて、
オール・マークレビンソンによるバイアンプ駆動が行われていたからだ。

この記事の書き出しはこうだ。
     *
 ♯4343を鳴らすアンプに何がよいかというのが、オーディオファンのあいだで話題になる。少し前までは、コントロールアンプにマーク・レビンソンのLNP2L、パワーアンプにSAEの♯2500というのが、私の常用アンプだった。SAEの♯2500は低音に独特のふくらみがあり、そこを、低音のしまりが弱いと言う人もあるが、以前の私の部屋では低域が不足しがちであったこと、また、聴く曲が主としてクラシックでありしかもあまり大きな音量を出せない環境であったため、あまり低音を引締めないSAEがよかった。そのSAEが、ときとして少しぜい肉のつきすぎる傾向になりがちのところを、コントロールアンプのマーク・レビンソンLNP2Lがうまく抑えて、この組み合わせは悪くなかった。
 いまの部屋ができてみると、壁や床を思い切り頑丈に作ったためか、低音がはるかによく伸びて、また、残響をやや長めにとったせいもあってか、SAEの低音をもう少し引締めたくなった。このいきさつは前号(140ページ)でもすでに書いたが、そうなってみると、以前の部屋では少し音が締りすぎて聴こえたマーク・レビンソンのML2L(パワーアンプ)が、こんどはちょうど良くなってきた。しばらくしてプリアンプがML6×2になって、いっそうナイーヴで繊細な音が鳴りはじめた。それと前後してアキュフェーズのC240とP400の組合せを聴いたが、マーク・レビンソンの音が対象をどこまでもクールに分析してゆく感じなのに対して、アキュフェーズの音にはもう少しくつろいだやわらかさがあって、両者半々ぐらいで鳴らす日が続いた。けれどそのどちらにしても、まだ、♯4343を鳴らし切った、という実感がなかった。おそらくもっと透明な音も出せるスピーカーだろう、あるいはもっと力強さも出せるスピーカーに違いない。惚れた欲目かもしれない。それとも単に無意味な高望みかもしれない。だが、♯4343の音には、これほどのアンプで鳴らしてみてなお、そんなことを思わせるそこの深さが感じとれる。
 ♯4343というスピーカーが果してどこまで鳴るのか、どこまで実力を発揮できるのか、その可能性を追求する方法は無限に近いほどあるにちがいないが、そのひとつに、マルチアンプ(バイアンプ)ドライブがある。
     *
 このころのステレオサウンドは年末に別冊として「コンポーネントステレオの世界」を出していた。
1976年末、77年末、78末の「コンポーネントステレオの世界」で、
瀬川先生は4343の組合せをつくられている。

53号の、この記事は、「コンポーネントステレオの世界」の続きでもあり、
ひとつの区切りでもあったようにおもう。

Date: 11月 24th, 2013
Cate: 岡俊雄

アシュケナージのピアノの音(続々・岡俊雄氏のこと)

やわらかい音が出れば、アシュケナージの、このときのピアノの音が再現できるというものではない。
マシュマロのような、といっても、それはあきらかにピアノから立ちのぼってくるやわらかい音なのである。

アシュケナージのレコードは、それほど多くはないけれど、
このコンサートの後に聴いてきた。
ふり返ってみると、ほんとうに数えるほどの枚数である。

あのコンサートでのアシュケナージのピアノの音は、
アシュケナージ本来の音なのであろうか、という疑問もある。

アシュケナージというピアニスト、
当日演奏に使われたピアノ、
コンサートホールの音響特性、
それに私がいた二階席。
こういった要素が偶然うまく絡みあっての、あのときの音になっていた可能性だって排除できない。

それはわかっていても、一度でも聴いて、はっとさせられた音は忘れられるものではないし、
アシュケナージのレコードを聴けば、どうしても、あの音を思い出すし、
それはスピーカーから出る音としては、いまのところ無理なのかもしれない。

そんなことがあったからアシュケナージのレコードは、いつのまにか遠ざけるようになったのかもしれない。

Date: 11月 23rd, 2013
Cate: 岡俊雄

アシュケナージのピアノの音(続・岡俊雄氏のこと)

アシュケナージ以前にも、ピアノのコンサートには数えるほどではあったが、行ってはいた。
アシュケナージの後にも、もっと多くのピアノのコンサートには行っている。

こと音に関してだけでいえば、アシュケナージの、このときのコンサートほど印象に残っているものはない。

アシュケナージの演奏を聴きながら、
ピアノの音に驚いていた。
ピアノから、こういう音が鳴ってくるのか、
こういう音をなんと表現したらいいのだろうか。

もうこうなるとアシュケナージの演奏を聴いている、というよりも、
アシュケナージの弾くピアノの音を聴いていた、というべきだろう。

しばらく考えていた。
浮んできたのは、マシュマロをおもわせる音、だった。
まるくやわらかく、ふわっとしている。
一音一音が、すべてそんな感じでピアノから上に向って、音が浮んでくる。
そんな感じだった。

マシュマロのような音だ、と思った次の瞬間におもっていたのは、
こういう音は、スピーカーからは出せないだろう、
どこまで技術が進歩したらスピーカーから、このときのアシュケナージのピアノの音が再現できるようになるのか、
そんなことをぼんやり考えていた。

Date: 11月 23rd, 2013
Cate: 岡俊雄

アシュケナージのピアノの音(岡俊雄氏のこと)

岡先生のことを書いていると、
やはりアシュケナージのことが頭に浮んでくる。

岡先生のステレオサウンドの連載、クラシック・ベスト・レコードを読まれてきた人ならば、
岡先生がショルティ、アシュケナージを高く評価されていることは気づかれている。

クラシック・ベスト・レコードは私が担当していた。
見出しにショルティ、アシュケナージの名を書いたこともある。

当時私は20代前半。
ショルティもアシュケナージも、岡先生がいわれるほど素晴らしい演奏をするとは感じられなかった。

ショルティに関しては、30代後半ごろから、
なかなかいい指揮者なんだ、と思うようになり、
40もこえると、個人的にショルティ再評価ということになっている。

アシュケナージは、というと、ほとんど、というより、まったく聴いていない。
聴かなければ再評価もできないわけで、
怠慢な聴き手の謗りを甘んじて受けようとも、なぜかアシュケナージを聴こう、
まして聴きたい、とは思えない。

そんな私でも1981年ごろだったか、
アシュケナージのコンサートに行っている。
後にも先にもアシュケナージのコンサートに行ったのは、この時だけである。

ホールがどこだったのかも忘れてしまった。
ただ二階席で聴いていたことだけは、はっきりと憶えている。
そして、そのときのアシュケナージのピアノの音は、もっとはっきりと憶えている。