あるスピーカーの述懐(その5)
スピーカーはいうまでもあくアンプからの入力信号を振動板の動きに変換して、
空気の疎密波をつくりだし音とするメカニズムである。
つまりは、こういう考え方ができるのではないか。
スピーカーは耳である。
アンプからの入力信号を聴きとる耳である、と。
これだけでスピーカーをリスニングルームにおいて「耳があるもの」とするわけではない。
結局は、「音は人なり」ということにつきる。
「音は人なり」、
このことを否定する人には、
スピーカーを「耳があるもの」とする私の考えはまったくおかしなことでしかない。
それはそれでいい。
あくまでも「音は人なり」をオーディオの、否定できない現象として認めるのであれば、
スピーカーこそが「耳があるもの」だと思えてならない。
スピーカーは音を出すメカニズムである。
その音に、鳴らす人の人となりが表出されるのであれば、
スピーカーは鳴らす人のすべてを聴きとって、音としている。
そう思うからだ。