Date: 11月 26th, 2013
Cate: マルチアンプ
Tags:

マルチアンプのすすめ(その8)

瀬川先生が、ステレオサウンド 53号当時は、JBLの4343を鳴らされていた。
その4343をオール・マークレビンソンによるバイアンプ駆動、
しかもパワーアンプのML2、それにコントロールアンプのML6がモノーラル仕様ということで、
ヘッドアンプのJC1からデヴァイディングネットワーク(チャンネルデヴァイダー)のLNC2まで、
二台ずつ用意して片チャンネルを遊ばせてのモノーラル使い、という徹底した鳴らし方だった。

まさに「ベストサウンドを求めて」というタイトルにふさわしい実験といえる。
この記事の終りに、こう書かれている。
     *
「春の祭典」のグラン・カッサの音、いや、そればかりでなくあの終章のおそるべき迫力に、冷や汗のにじむような体験をした記憶は、生々しく残っている。迫力ばかりでない。思い切り音量を落して、クラヴサンを、ヴァイオリンを、ひっそりと鳴らしたときでも、あくまでも繊細きわまりないその透明な音の美しさも、忘れがたい。ともかく、飛び切り上等の、めったに体験できない音が聴けた。
 けれど、ここまでレビンソンの音で徹底させてしまった装置の音は、いかにスピーカーにJBLを使っても、カートリッジにオルトフォンを使っても、もうマーク・レビンソンというあのピュアリストの性格が、とても色濃く聴こえてくる。いや、色濃くなどというといかにもアクの強い音のような印象になってしまう。実際はその逆で、アクがない。サラッとしすぎている。決して肉を食べない草食主義の彼の、あるいはまた、おそらくワイ談に笑いころげるというようなことをしない真面目人間の音がした。
 だが、音のゆきつくところはここひとつではない。この方向では確かにここらあたりがひとつの限界だろう。その意味で常識や想像をはるかに越えた音が鳴った。ひとつの劇的な体験をした。ただ、そのゆきついた世界は、どこか一ヵ所、私の求めていた世界とは違和感があった。何だろう。暖かさ? 豊饒さ? もっと弾力のある艶やかな色っぽさ……? たぶんそんな要素が、もうひとつものたりないのだろう。
 そう思ってみてもなお、ここで鳴った音のおそろしいほど精巧な細やかさと、ぜい肉をそぎ落として音の姿をどこまでもあらわにする分析者のような鋭い迫力とは、やはりひとつ隔絶した世界だった。
     *
4343のウーファー2231AにはML2をブリッジ接続して割り当てられている。
だからMl2が計六台必要になるシステムだし、
ML2の消費電力は一台400Wだから、1.6kWの電力を電源を入れた瞬間から消費するし、
それだけの電源の余裕も求められる。

そういうシステムゆえに、出てきた音は瀬川先生も書かれているように、
「飛び切り上等の、めったに体験できない音」であったし、
「常識や想像をはるかに超えた音」であったわけだ。

4343が、ある方向のひとつの限界に近いところで鳴った、という意味では、
たしかに「ベストサウンドを求めて」ではあったけれど、
瀬川先生個人にとっての「ベストサウンドを求めて」であったのかどうかは微妙なところがある。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]