夜の質感(その7)
私はバーンスタインの新録にマーラーの闇(と勝手に思っているだけにしろ)を感じる。
けれど、マーラーの聴き手のすべてがバーンスタインの新録に、それを感じているとは限らない。
バーンスタインの旧録に強く感じている人だっていていいし、
ワルターだ、という人、いやテンシュテットこそが、という人だっていよう。
闇といっても、あまりにも漠然としすぎている。
闇をどう感じているかによっても、変ってくることだから、
誰が正しいのかなんて無意味でもある。
ただ私にはバーンスタインの新録だ、ということだけが、私にとってのマーラーであり、
私のマーラーの聴き方、ということになるだけの話だ。
そのバーンスタインのマーラーの新録と、ほぼ同時期に、
同じドイツ・グラモフォンに、シノーポリがフィルハーモニー管弦楽団を指揮して、
マーラーの全集の録音をすすめていた。
何番が最初に出たのかは憶えていないが、
私がシノーポリのマーラーを最初に聴いたのは第五番だった。
シノーポリは心理学、脳外科を大学で学んできた人ということでも、
シノーポリのマーラーは注目されていた。
マーラーと同じユダヤ人としてのバーンスタインとは、
イタリア人で学究的(衒学的ともいわれていた)なマーラーの解釈をする、
というようなことがいわれていたシノーポリは、ずいぶんと立つ位置の異るところでのマーラーを聴かせてくれた。