心地よい温度の湯につかっていると、ぼんやりできる。
ぼんやりしているのが好きだから、風呂にはいっているのかもしれない。
電車に乗っていても、iPhoneを見ているときもあるが、ぼんやりしている時間のほうが長い。
ひとりで風呂につかっているとき、ひとりで電車に乗っているときぐらいは、
ぼんやりしていてもいいじゃないか、と思うほどに、ぼんやりしている時間が好きである。
ぼんやりしていると、考えることよりもなんとなく思ってしまう。
二年に一度くらい、そのぼんやりした時間におもうことのひとつに、
オーディオに興味を持たなかったら……、ということがある。
中学二年のときに「五味オーディオ教室」を読んだ。
もし「五味オーディオ教室」と出逢っていなければ、教師になっていたと思う。
父は、中学の英語の教師をやっていた。
母は口に出していわなかったけれど、長男の私には、教師になってほしかったようだ。
なんとなくだけど、母の気持はわかっていたし、
中学のころは本気で理科の教師になたたい、と思っていた。
理科の授業がおもしろかったし、中学のときの理科の先生もいい先生だったことも影響している。
単に教室で生徒に授業をするだけが教師の仕事ではないことは、
父を見ていてわかっていた。
いろいろ大変なこともあるのはわかっていた。
それでも、教師という仕事は面白いだろうな、と思っていた。
それが「五味オーディオ教室」と出逢い、オーディオに急速にのめり込んでいく。
それでも中学三年くらいまでは、教師を目指そうとしていた。
でも高校に入り、ますますオーディオの熱は高くなるばかり。
結局、教師になることはどこかへと消えてしまっていた。
「五味オーディオ教室」に出逢わない人生ではなかったわけだから、こうなってしまったわけだが、
それでも教師になっていたら、生れ故郷の熊本から離れることなく暮らしていた、はず。
音楽は聴いていただろう。
多少はいい音で聴いているのかもしれない。
でも、audio sharingをつくることもなかったはず。
twitterもやっていないと思う。
facebookは、twitter以上にやらない、といえる。
ましてfacebookにaudio sharingという非公開のグループをつくるなんてことは、絶対にやらなかった。
このブログにしても、そうだ。
オーディオをやっていなければ、やっていない。
ぼんやりしていたい男なのだから。
湯につかりながらぼんやりしているときに、そんなことを思っている。
何をやっているんだろうな……、とも思う。
でも、facebookグループのaudio sharingに参加している人同士で知合いになられているのをみると、
少しは人様のお役に立っているんだな、ともおもっている。