オリジナルとは(続×二十三・チャートウェルのLS3/5A)
アルテックの612Aをマランツの真空管アンプ、Model 7とmodel 9でもし鳴らされていたら、
「滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声」でエリカ・ケートのモーツァルトは鳴らなかった、
と断言できる。
おそらく、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のMcINTOSH号での記事での発言ようになっていたはずだ。
この項でも以前引用していることを、ここでもう一度引用しておく。
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マランツで聴くと、マッキントッシュで意識しなかった音、このスピーカーはホーントゥイーターなんだぞみたいな、ホーンホーンした音がカンカン出てくる。プライベートな話なんですが、今日は少し歯がはれてまして、その歯のはれているところをマランツは刺激するんですよ。(笑)マッキントッシュはちっともそこのところを刺激しないで、大変いたわって鳴ってくれるわけです。
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瀬川先生の発言である。
612Aをマランツの組合せで鳴らしたら、
瀬川先生にとってアルテックのスピーカーの気になるところが、ストレートに出て来てしまったはず。
エリカ・ケートのモーツァルトが、「初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた」ように鳴ったのは、
アルテックの612Aというスピーカーシステムのもつ毒と、
マッキントッシュのC22とMc275というアンプのもつ毒、
どちらも瀬川先生の音の好みからすると体質的に受け入れ難い毒同士が化学反応を起して、
非常に魅力的な、それはある種の麻薬のような音を生み出したからこそ、
瀬川先生の「耳の底に焼きついて」、
「この一曲のためにこのアンプを欲しい」と思わせるだけの力を持ったといえる。
これがオーディオ的音色のもつ魅力が、音楽とうまく結びついて開花した例であり、
こういう音を、一度でもいいから聴いたことのある聴き手と、そういう体験をもたない聴き手では、
オーディオへののめり込み方、取り組み方に、はっきりとした違いをもたらす。
同じくらい、オーディオを通して音楽を聴くことに強い関心をもっていたとしても、
こういう体験の有無がもたらす違いは、オーディオ機器の評価においても、
時としてはっきりとした違いを生む場合がある。
そのことを抜きにして、実はオーディオ評論は語れないはずだ。