Date: 8月 14th, 2013
Cate: スピーカーとのつきあい
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複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その13)

ダイヤトーンのDS1000に関しては、擬人化で語ろうという気はなかったことに、
しばらくして気がついた。

DS1000の一般的な評価は、
私がステレオサウンドの試聴室で井上先生によって鳴らされた音で高く評価していたのとは少し様相が違っていた。
井上先生によって鳴らされるDS1000の音に驚いていたけれど、
オーディオ店での決していいとはいえない環境ではどう鳴るのかは容易に想像できたし、
DS1000を最低限鳴らせるだけの使いこなしのテクニックを持っている人も、そう多くはなかったのだから、
当然とはいえ、DS1000の真価を伝えられないもどかしれも感じていた。

どんなスピーカーであっても、それを鳴らすという行為は、
鳴らす人間が試されていることであるわけだが、その点において、DS1000は特にシビアだった。
その意味では、若いスピーカーシステムといえる。

スピーカーシステムが、鳴らし手よりも年上であれば、
鳴らし手の未熟さも、まあ大目にみてやろう的なふところの深さみたいなものに助けられる、
そういった面も確かにあるけれど、
DS1000には、それがまったくなかった。
だから、よけいに鳴らし方がシビアだった。

でも、そのシビアさは人によっては、快感につながっていく。
これだけやれば、それが間違っていない方向であれば、音は確実にいい方向へと向っていく。

いろいろなもの・ことを吸収していく年齢のころに、DS1000が登場した。
だからこそ、DS1000は、よりつよく面白いスピーカーシステムだと感じていた。

自分のレベルを容赦なく見せつけるDS1000に対しては、擬人化で捉えようという意識はまったくなかった。
こういうスピーカーシステムが、若いときにあったことを幸運だと思っている。

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