Archive for 10月, 2011

Date: 10月 21st, 2011
Cate: 欲する, 黒田恭一

何を欲しているのか(その19)

ステレオサウンド 85号の、「ぼくのディスク日記」のなかで、
黒田先生はグルダの3組のディスクについて書かれている、そのなかにこうある。
     *
グルダのディスクをきく喜びは、きいていて、非常にしばしば、ああ、グルダ! と思える瞬間があることである。演奏がうまいとか、そういうたぐいのことではない。自作をひいた場合のみならず、大作曲家のすでにさまざまなピアニストの演奏できいている作品をひいた場合でも、ぼくはグルダの素顔というか、独白というか、つまりグルダそのものにふれたように感じ、どきりとすることがある。そのような思いをさせてくれる音楽家は、すくなくともぼくにとっては、グルダだけである。
     *
黒田先生がこの文章を書かれた1987年の私は、黒田先生のようにはグルダを聴くことができなかった。
グルダによって演奏された音楽を聴いて、「ああ、グルダ!」と思えたことはあった。
でも、それは、たとえばグールドによって演奏された音楽を聴いて、「あ、グールド!」と思えたのと、
そう変らなかった。

黒田先生の「ああ、グルダ!」と私の「ああ、グルダ!」とのあいだには、開きがあった。
いまも、黒田先生の「ああ、グルダ!」と同じに聴けている、という確証はどこにもない。
それでも30代後半あたりから、「ああ、グルダ!」と思える瞬間がはっきりと増えてきた。
いま40代後半になって、「ああ、グルダ!」と思えたとき、口元がほころぶときもある。
黒田先生が「そのような思いをさせてくれる音楽家は、すくなくともぼくにとっては、グルダだけである。」、
そう書かれた心境がわかるようになってきた、ということか。

あれだけ多くの音楽を聴いてこられた黒田先生が、「グルダだけである」と書かれたことに、
「ほんとうにそうですね!」と返したい気持が、
いまの私にはあるし、これから先もっと強くなっていくようにも思う。

黒田先生はマガジンハウスから出された「音楽への礼状」では、こうも書かれている。
     *
音楽は、徹底的に抽象的ですから、非常にしばしば、未消化の四角いことばに凌辱されがちです。この日本でも例外ではありません。音楽をきくというおこないに求められる謙虚さを忘れたあげく、ことばを玩ぶだけにとどまった音楽談義がさかんです。
     *
これは、フリードリヒ・グルダへの礼状として書かれたものだ。

Date: 10月 20th, 2011
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その18)

「感情の自由」について考えようとしたときに、まっさきに頭に浮んできた演奏家がいる。
演奏家とよぶよりも音楽家とよんだほうが、彼の熱心な聴き手であればしっくりくるであるはずのピアニストがいる。

フリードリヒ・グルダ。
1930年生まれのピアニスト、グルダの名前を知ったのと、
1932年生まれのピアニスト、グールドの名前を知ったのは、ほぼ同じころだった。
グルダにしてもグールドにしても、彼らのレコードを実際に聴くよりも前に、
何かの雑誌で読み、正統派ピアニストとは呼べないところにいる、
それでいて素晴らしいピアニストだということを、まず文字の上で知った。

グルダ(Gulda)とグールド(Gould)、どちらもGで始まり、カタカナ表記も似てる、ともいえる。
グールドは風変わりな、グルダは妙なことをするピアニスト、という印象も受けていた。

そのせいもあってか、グルダのレコードよりもグールドのレコードを先に聴いたし、
10代から20代にかけてはグールドの熱心な聴き手ではあったけれど、
グルダのレコードに関しては実のところほんの数えるほどしかもっていなかった。

白状すれば、いっぱしの音楽の聴き手ぶっていたところで、
まだまだ若造にしか過ぎなかった音楽の聴き手だった私は、
グールドのかっこよさに惹かれていたところもあった。

グールドの風変わりな行動はかっこよく映ったのに、
グルダに関しては、妙なことをときどきするピアニスト、という印象が拭えなかった。

それでもグルダのレコードは、ときどき買っては聴いてきたのは、黒田先生の文章があったからだ。
黒田先生のグルダについての文章がなかったら、グルダのレコードへの関心はないに等しかったかもしれない。

Date: 10月 19th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(その13)

マルチマイクロフォンによる録音のなかでも、
楽器にマイクロフォンを近づけるオンマイクになればなるほど、分岐とフィルターという面が強くなってくる。

オンマイクに関しては否定的な人もおられるが、
オンマイクのおかげで収録できるようになった音があることも事実である。
たとえば歌手が、耳もとでそっとささやいてくれるような吐息のような歌はオンマイクならではのものであり、
録音の表現を広げている面がある、ともいえる。

こういう極端なオンマイクでは、対象とする楽器、歌手が発する音のみを拾おうとする。
できるだけ他の楽器の音は収録しないようにしているわけだから、
これはフィルターの、いわばスロープ特性を急峻にしているのに近いともいえなくもない。

歌手の歌を収録するには1本のマイクロフォンで事足りるけれど、
これがドラムスとなると、1本のマイクロフォンで十分とはいえない。

ドラムスは、基本的にはバスドラム、スネア、タム、バス(フロアー)タム、シンバル、
ハイハットといったユニットから構成されている。
演奏者によっては、シンバルやタムの数が増えていく。

つまりベースやチェロやヴァイオリンといった楽器が単一のものなのに対して、
ドラムスという複数形の名称が表しているように、大きさも音を発する材質も違う楽器の組合せであるだけに、
うまく録音することの難しい楽器のひとつだといわれている。

しかもドラムスは、それぞれの楽器ユニットの向きが異る、という面ももつ。
バスドラムは正面を向いているが、それ以外のユニットは基本的には上向きだが、
これらも真上を向いているわけではなく、それぞれ微妙に異る角度で設置されている。

こういう楽器であるドラムスを録音しようとしたとき、
最少単位のマイクロフォン(つまりワンポイント)でやろうという人はいないはず。

Date: 10月 18th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(その12)

ステレオ録音用にセッティングされた2本のマイクロフォン(つまりワンポイントマイク録音)は、
その距離がそれほど離れているわけではない。
それでもそれぞれのマイクロフォンが拾う音は、重なり合う音もあり違う音もある。
だからこそステレオ録音になるわけだが、
いいかえると、このことは録音の場で鳴り響いている音のすべてをマイクロフォンが拾っているわけではない。
拾い洩らす音がある、ということだ。

つまりマイクロフォンの周波数特性の範囲内においても、
マイクロフォンがたてられた場所によってマイクロフォンが拾える音と拾えない音がある、
ということは、これもバンドパスフィルターとはまた違う意味でのフィルターということになる。

それにマイクロフォンには指向特性がある。無指向性のマイクロフォン、双指向性のマイクロフォン
単一指向性のマイクロフォン、超指向性のマイクロフォンがあり、
この指向特性も、フィルターとして捉えることができる。

マイクロフォンの感度もある。
感度の悪いマイクロフォンではごく小さな音まで拾うことはできないし、
やわなマイクロフォンでは、反対に大音圧に耐えられないこともある。
つまり、これはレベル的なフィルターといえる。

さらにマイクロフォンのフィルターと見立てた場合、そこには使い方も関係してくる。
これは分岐点とも関係してくることでもある。

これまではモノーラルでは1本、ステレオでは2本という前提で話してきたが、
録音にはマルチマイクロフォン録音がある。
マルチマイクロフォン録音は、
マイクロフォンの分岐点・フィルターとしての性格を積極的に利用したものでもあるし、
より明確にした使い方ともいえる。

Date: 10月 18th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(その11)

マイクロフォンは1本、録音器が1台、これが録音系の最少の構成といえる。
とうぜんモノーラル録音しかできない。

そこでマイクロフォンに2本用意する。もちろん録音器もステレオ仕様のものを用意する。
これでステレオ録音が行なえる最少の構成となる。

モノーラル録音用もステレオ録音用も、マイクロフォンと録音器のみで、
マイクロフォンの本数も必要最少限だけ、ということでは同じ構成といえるし、また決定的に違うともいえる。

なにが違うかといえば、ステレオ録音ではマイクロフォンが2本になっていることだ。
ステレオ録音のためには最低でも2本のマイクロフォンは必要となるわけで、
この点ではモノーラル録音での1本と同じように見えても、
録音系をネットワークとしてとらえ、そこに分岐点とフィルターをあてはめていけば、
同じ最少単位の録音系でもモノーラルとステレオとでは、
前者には分岐点はなく、後者には分岐点がある、といえる。

それはスピーカーシステムのデヴァイディングネットワークの分岐点的ではないものの、
右チャンネル用の音を拾うマイクロフォンと左チャンネル用の音を拾うマイクロフォンがあるということは、
オーディオの録音系・再生系というネットワークの最初にあらわれる分岐点であり、
そしてこのマイクロフォンが最初にあらわれるフィルターでもある。

マイクロフォンにも他のオーディオ機器同様、周波数特性がある。
昔のマイクロフォンは電気信号に変換できる範囲が狭い(ナロウレンジ)だし、
特性もけっして平坦ではないものもあった。
その後登場してきたワイドレンジになってきたマイクロフォンでも、
すべての周波数を拾えるわけではない。
これはつまりフィルターであり、低域も高域も、どこかでなだらかに周波数特性は下降していくわけだから、
マイクロフォン自体が周波数的にバンドパスフィルターといえるのだが、
マイクロフォンのフィルターとしての捉え方は、これ以外にもある。

Date: 10月 18th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(その10)

4ウェイのスピーカーシステムのデヴァイディングネットワークとして、
一度に4つに分割する方式とLo-DのHS10000に採用されている順次二分式はどちらが優れているのか、
正直はっきりしたことはいえない。

ただ順次二分式だと最初の分岐点は並列型となるが、その次にくる分岐点からは直列型にすることも可能になる。
一度に4つに分割する方式では並列型のみ、という構成になる。
たとえばJBLの4343のように、
スイッチでネットワーク・モードとバイアンプ・モードを切り替えられるようにするためには、
一度に4つに分割する方式になってしまう。

つまり4343でバイアンプ駆動を考えなければ、
順次二分式のデヴァイディングネットワークにしてみるのも興味深い。
4343ではウーファーとミッドバスはコーン型で振動板の材質は紙。
ミッドハイとトゥイーターはホーン型で振動板にはアルミが使われている。

下2つのユニットと上2つのユニットは方式と振動板の材質が異るわけだから、
順次二分式にして、まずミッドハイとミッドバスのクロスオーバー周波数で2つに分割する。
そのあとは直列型のネットワークにするというのはどうだろうか、と考えている。

つまりウーファーとミッドバス、ミッドハイとトゥイーター、
それぞれ2つの、同じ形式、同じ材質の振動板をもつスピーカーユニット同士を直列型のネットワークに接ぐ。
順次二分式では、こういう自由度もある。

最終的な結果である音がどうなるのかは、実際に試してみないことにはなにもいえないし、
順次二分式が優れている、といいたいわけでもない。
HS10000を例としてあげたのは、デヴァイディングネットワークは分岐点とフィルターの組合せであり、
その組合せ方も一通りではない、ということである。

しつこいようだが、オーディオのデヴァイディングネットワークは分岐点だけでは成り立たない。
必ずフィルターが必要になり、このフィルターの捉え方を拡大していけば、
録音現場におけるマイクロフォンもある種のフィルターとみなすことができる。

Date: 10月 18th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(その9)

HS10000はウーファーは30cmの金属コーン型、上の3つの帯域を受持つユニットはドーム型を採用している。
ただしフロントバッフル面に対して各スピーカーユニットの振動板の形状が、くぼんでいたり(くぼみ効果)、
逆にふくらんでいたり(ふくらみ効果)することによる周波数特性の乱れをなくすために、
各スピーカーユニットには振動板前面に発泡樹脂を充填することで表面を、フロントバッフルと同一面としている。

このころ日本のスピーカーシステムには平面振動板がひとつの流行になっていたが、
テクニクスやパイオニア、ソニーが新たに平面振動板のスピーカーユニットを開発したのに対して、
Lo-Dは従来からあるスピーカーユニットをベースにして、
振動板の形状からくる欠点を解消するために手を加え平面化しているところが異るところだ。

この設計思想がエンクロージュアの形式にまでとりいれられているからこそ、
壁に埋め込んで使うことを前提としているわけである。

この、平坦化が、HS10000の設計思想ともいえ、
デヴァイディングネットワークに順次二分式を採用しているのも、やはりそのためである。
通常の一度に4分割する方式ではバンドパスフィルターがはいる帯域が2つあり、
その帯域幅も広くないことから、理論的には平坦な周波数特性が得にくい、といわれている。

HS10000のデヴァイディングネットワークの構成を自分で描いてみればすぐわかることだが、
バンドパスフィルターは存在しない。
たしかにミッドバスとミッドハイはローパスとハイパス、2つのフィルターを通ることになるが、
ミッドバスのローパスとハイパス、ミッドハイのハイパスとローパスは分岐点によって分けられている。

ミッドバスを例に取れば最初の分岐点のあとにミッドバスのローパスフィルターがあり、
次の分岐点のあとにミッドバスのハイパスフィルターがある。
同じ4ウェイのデヴァイディングネットワークでも、一度に4分割する方式では分岐点が1つしかないため、
ミッドバスとミッドハイへいく信号は、
バンドパスフィルター(ローパスとハイパス組み合わせたフィルター)を通ることになるわけだ。

Date: 10月 17th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(その8)

一度に4つに分けずに、まず2つに分け、さらに次の段階でさらに2つにわける方式を順次二分式という。
4ウェイのスピーカーシステムはJBLの4343をはじめ、いまとなってはかなりの数市場に登場しているが、
この順次二分式のデヴァイディングネットワークを採用したスピーカーシステムとなると、
もちろんすべてのスピーカーシステムのネットワークの回路図を見たわけではないから断言はできないものの、
その数はすくないのではないだろうか。

私の知る順次二分式のデヴァイディングネットワークを採用したスピーカーシステムには、Lo-DのHS10000がある。
1978年に登場した壁バッフルにとりつけて鳴らすことを前提として設計された、このスピーカーシステムは、
4ウェイ仕様が標準で、さらに特別仕様として5ウェイも用意されていた。

HS10000のクロスオーバー周波数は、630Hz、2.5kHz、4.5kHzとなっている。
通常の一度に4分割するネットワークでは、ウーファーには630Hzのローパスフィルター、
ミッドバスには630Hzのハイパスフィルターと2.5kHzのローパスフィルターによるバンドパスフィルター、
ミッドハイには2.5kHzのハイパスフィルターと4.5kHzのローパスフィルターによるバンドパスフィルター、
トゥイーターには4.5kHzのハイパスフィルターが、それぞれ設けられる。

これが順次二分式となると、まず2.5kHzで2つの帯域に分けられる。
そのつぎに630Hzで2つの帯域、4.5kHzで2つの帯域に分けられるわけだ。

一度に4分割するネットワークでは、ウーファーに入る信号は630Hzのローパスフィルターだけである。
トゥイーターも、4.5kHzのハイパスフィルターだけ、となる。

順次二分式では、この点が異る。
ウーファーに入る信号は、まず2.5kHzで分けられるわけだから、
この時点で2.5kHzのローパスフィルターを通り、さらに630Hzのローパスフィルターを通ることになる。
トゥイーターに関しても同じことがいえ、2.5kHzと4.5kHz、2つのハイパスフィルターを通る。

Date: 10月 16th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(その7)

オーディオとひとことでいい表しているものには、
再生系だけでなく録音系もそこには含まれることになる。

再生系、録音系と書いているように、「系」はシステムであり、
このシステムこそがじつのところネットワークそのものではないだろうか。
この1年のあいだに、そう思うことが強くなってきている。

そう思われない方でも、少なくとも録音系と再生系、
このふたつの系(システム)をつないでいるものはネットワークであることには同意されると思う。

私は録音系・再生系をふくめた大きな系(ネットワーク)と捉えている。
そして大きな系(ネットワーク)のなかに、分割するネットワークがあり、統合するネットワークがある。

分割するネットワーク(Dividing Network)の身近な例は、
(その6)にも書いているようにスピーカーシステムの中の、いわゆるネットワークと呼ばれるものである。

このネットワークにもいくつかの種類がある。
スロープ特性やフィルターの方式による違いではなく、構成そのもの違いとして、
まず直列型と並列型がある。
世の中の大半のスピーカーシステムのネットワークは並列型が圧倒的に多いが、
直列型のネットワークを採用しているモノは、昔から、そして現行製品のなかにもいくつか存在している。

それから2ウェイのスピーカーシステムのネットワークでは構成的には並列型と直列型だけということになるが、
3ウェイ、4ウェイと分割の数が多くなってくると、
その分け方が、たとえば4ウェイの場合、一度に4つにわけてしまうやり方もあれば、
まず2つにわけ、その先でさらに2つにわける、というやり方がある。

Date: 10月 16th, 2011
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(続facebook・三度目の再掲)

2003年から数年間、audio sharingでメーリングリストをやっていた。
いまも、メーリングリスト、もしくはメーリングリスト的なことは始められないんですか、という声をいただく。

いま契約しているレンタルサーバー会社にメーリングリストのサービスはない。
仮にあったとしても、いまメーリングリストを、数年前のまま再開することに抵抗がまったくないわけではない。
今月にはいり放ったらかしにしていたfacebookを使いはじめたのは、
メーリングリストに代わるものとして使えそうだと思ったからである。

思いつくまま使ってみた。
facebookページに「オーディオ彷徨」と「聴こえるものの彼方へ」もつくった。
それで今日(7月24日)未明、「audio sharing」というグループをつくった。

いまのところ非公開にしている。
これから先に公開していくかどうかは決めていない。
ずっと非公開のまま運営していくかもしれない。

このfacebookグループを、メーリングリストに代わるものとしていく。
音楽、オーディオに関することであれば、どんなこともでも気軽に書き込め、
そして真剣な討論もできるような場にできればと考えている。
メーリングリストでは文字だけだったが、facebookなので写真、動画なども添付できる。

気軽に登録・参加していただければ、と思っている。
facebookのアカウントをお持ちの方は、私のfacebookアカウントまでメッセージをくだされば登録いたします。
ここをクリックして、参加リクエストをくださってもかまいません。
お待ちしております。

(多くの方に参加していただきたいので、7月24日に公開したものを再掲しました。)

今日(10月16日)現在、44人の方が参加されています。
毎日、活発な書き込みがあります。

参加は、上にも書いていますように非公開ですので、管理人(私)の承認が必要になりますが、
とくに参加資格はあるわけではありません。
facebookのアカウントをお持ちの方で参加リクエストをいただければ、承認いたします。
つまらないと思われたら、退会はご自身で簡単に行えます。

http://www.facebook.com/groups/audiosharing

Date: 10月 16th, 2011
Cate: 欲する

何を欲しているのか(その17)

ホロヴィッツのいう、「感情に自由を与えなさい」とは、いったいどういうことなのか。

いうまでもないことだが、自由と好き勝手は、まったく違う。
ホロヴィッツ本人が、正確にどういっているのかははっきりしないが、
ホロヴィッツのいう「自由」とは、もちろん「好き勝手」ではないと言い切っていいだろう。

われわれはオーディオという器械・システムを介して音楽を聴いているわけだが、
ホールに足をはこび演奏を聴く行為とのあいだに、感情の自由において違いはあるのだろうか。
まったく同じとは、私には思えない。

この違いについて考えていくことが、
オーディオを介して音楽を聴く行為の楽しさを問う行為でもある、といま思っている。

「音は人なり」の言葉があらわしているように、
たとえ同じシステム、同じような環境で聴いていたとしても、
100人の聴き手(つまりオーディオの使い手)がいれば、ひとつとして同じ音はありえない。
100通りの音が存在している。
この100人が同じ演奏家の同じレコードを名盤として愛聴していたとしても、
それでもやはり100通りの音楽が、そこでは鳴っている。

そして、実際には同じシステム、同じ環境ということはまずありえない。
つまり100通りの環境、100通りのオーディオの在り方、ということになる。
オーディオの楽しみ方も接し方も、人によってさまざまのはず。

もちろん大きく分ければいくつかのパターン分けみたいなことはできるのかもしれないが、
それはあくまでも共通するところで括っているだけのことであり、
まったく同じ楽しみ方・接し方をしている人はいないのが、オーディオのはずだ。

Date: 10月 15th, 2011
Cate: ベートーヴェン, 正しいもの

正しいもの(その4)

中野英男氏の著書「音楽 オーディオ 人々」に「日本人の作るレコード」という章がある。
     *
シャルランから筆が逸れたが、彼と最も強烈な出会いを経験した人として若林駿介さんを挙げないわけにはいかない。十数年前だったと思うが、若林さんが岩城宏之──N響のコンビで〝第五・未完成〟のレコードを作られたことがあった。戦後初めての試みで、日本のオーケストラの到達したひとつの水準を見事に録音した素晴しいレコードであった。若くて美しい奥様と渡欧の計画を練っておられた氏は、シャルラン訪問をそのスケジュールに加え、私の紹介状を携えてパリのシャンゼリゼ劇場のうしろにあるシャルランのスタジオを訪れたのである。両氏の話題は当然のことながら録音、特に若林さんのお持ちになったレコードに集中した。シャルランは、東の国から来た若いミキサーがひどく気に入ったらしく、半日がかりでこのレコードのミキシング技術の批評と指導を試みたという。当時シャルラン六十歳、若林さんはまだ三十四、五歳だったと思う。SP時代より数えて、制作レコードでディスク大賞に輝くもの一〇〇を超える西欧の老巨匠と東洋の新鋭エンジニアのパリでの語らいは、正に一幅の画を思わせる風景であったと想像される。
事件はその後に起こった。語らいを終えて礼を言う若林さんに、シャルランは「それはそうと、あなた方は何故ベートーヴェンやシューベルトのレコードなんか作るのですか」と尋ねたのである。録音の技術上の問題は別として、シャルランはあのレコードの存在価値を全く認めていなかったのである。若林さんが受けた衝撃は大きかった。それを伝え聞いた私の衝撃もまた大きかった。
     *
この中野氏の文章を引用したのは、若林氏、それに若林氏の録音についてあれこれ書きたいからではない。
シャルランの「あなた方は何故ベートーヴェンやシューベルトのレコードなんか作るのですか」という言葉に、
若林氏も中野氏も大きな衝撃を受けられている。

なぜシャルランは、若林氏(日本から来た若いミキサー)のことを気に入って、
若林氏が持参したベートーヴェンとシューベルトのレコードのミキシング技術の批評と指導を試みながらも、
最後に、このレコードの存在価値をまったく認めていないということを、
あえて「あなた方は何故ベートーヴェンやシューベルトのレコードなんか作るのですか」と尋ねたのか。

このレコードを私は聴いたことがない。
でも、おそらく、このレコードには、
ベートーヴェンの音楽がベートーヴェンの音楽として収録されていなかった、のではないだろうか。

ベートーヴェンの音楽をベートーヴェンの音楽として録音することは、
適切な位置にマイクロフォンを設置して、適切なバランスでミキシングし、
録音器材にも良質なものを使い、つねに細部まで注意をはらえば、
それでベートーヴェンの音楽がベートーヴェンの音楽として収録されるわけではない。

ベートーヴェンの音楽をベートーヴェンの音楽として収録するには何が求められるのか。
シャルランが録音を担当したイヴ・ナットのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集に答がある。
けれど、まだ私はそこから読み解けて(聴き解けて)いない。
それでも、イヴ・ナットのベートーヴェンの録音には、
ベートーヴェンの音楽がベートーヴェンの音楽として鳴っている。

そんなシャルランだからこそ、
「あなた方は何故ベートーヴェンやシューベルトのレコードなんか作るのですか」と問えるのである。

Date: 10月 14th, 2011
Cate: 欲する

何を欲しているのか(iPhoneのこと)

最初に使った携帯電話は、auの前身のIDOのときに発売されたモトローラのStar Tacだった。
当時、世界最小・世界最軽量を謳っていた。
小さくて軽い、ということもよりも、まずそのデザインに惹かれた。
Mac Powerの連載で、川崎先生も取り上げられていたことが、欲しい、という気持にさせた。

とはいえけっこうな値段の携帯電話で、正直、買おう、とまではいけなかったのだが、
ある日、ある雑誌を読んでいたら、小さな扱いではあったが、Star Tacのプレゼント、とあった。
ただ必要事項だけを書いてハガキを送っても、まず当らないだろうからと思い、
Star Tacがなぜ欲しいのか、とハガキいっぱいに書いて送った。

それでも当るとは思っていなかったから、当籤したとの連絡があったときは、うれしいよりも驚きだった。

今日、iPhoneを自分のモノとした。
10月7日に、最寄りのauショップに行って予約しておかげか、発売初日に何の苦労もなく購入できた。
1週間前に予約に行った時、ふりかえってみると、いままで予約をして何かを買ったという記憶がない。
レコードにしても、予約したことはいままでなかった。

生まれて初めての予約をしてまで、欲しい、と思い手に入れたのが、iPhoneだった。
受け取りに行く時間も予約が必要で、19時30分だった。
10分前に着いたけれど、前の人たちがつかえていて、iPhoneを手にできたのは20時をまわっていた。
それから帰宅して、うれしくてあれこれさわっていたら、ブログを書くのを忘れて、こんな時間になってしまった。

去年、すでにiPadを購入していたから、iOSにふれるのがなにもはじめて、というわけではないのに、
インストールしたアプリケーションも基本的にiPadと同じものなのに、
iPadとiPhoneのサイズの違い、それに形状の違いを含めて、iPhoneにふれるのが楽しい、と感じながら、
なぜiPhoneを欲していたのか、欲する、とはどういうことなのか、をぼんやり思っていた。

Date: 10月 13th, 2011
Cate: 正しいもの

正しいもの(その3)

「正確な音」ではなく「正しい音」とは、
ベートーヴェンの音楽がベートーヴェンの音楽として鳴る音である。

この項の(その1)に書いているフルトヴェングラーの1945年の言葉──、
「思考する人間がつねに傾向や趨勢のみを『思考する』だけで、
平衡状態を考えることができないのは、まさに思考の悲劇である。
平衡状態はただ感知されるだけである。
言い換えれば、正しいものは──それはつねに平衡状態である──ただ感知され、体験されるだけであって、
およそ認識され、思考されうるものではない。」

つまり、正しいものとはつねに平衡状態である、のならば、
音、音楽、そしてオーディオにおいて正しいものは動的平衡である、といえるはず。

別項の「ベートーヴェン(動的平衡)(その3)」を書いているように、
私はベートーヴェンを、そう聴いている。
だからベートーヴェンの音楽がベートーヴェンの音楽として鳴らなければ、
そのオーディオからどんなに情報量の音が非常に精確に音として出てこようと、
それがどんなに磨き込まれた音であろうと、それは「正しい音」ではない。

Date: 10月 12th, 2011
Cate: Bösendorfer/Brodmann Acoustics, VC7

Bösendorfer VC7というスピーカー(その26)

微小入力へのリニアリティという捉え方は、
そこにスピーカーのピストニックモーションの追求・実現が強いように感じる。

ベーゼンドルファーのVC7に私が感じているよさは、
そういう意味では微小レベルへのリニアリティのよさ、ということとはすこし違っている。
なんといったらいいのか、なかなかうまい言葉が見つからないのだが、
ごく小さなレベルでの空気のゆらぎみたいなものを、このスピーカーシステム(VC7)は再現している気がする。

クラシックの公演をメインを行っているホール、それも響きがいいといわれているホールに入ると、
あきらかにロビーとの空気の違いを感じる。
空気がゆったり動いているような、そんな感じを受ける。

まだ演奏は始まっていないが、人は大勢いる。
一緒に来た人と話している人もいれば、パンフレットをめくっている人もいる。
席を探している人、バッグを開け閉めしている人、
そういう人たちがつくり出している音がホールの壁や天井に反射しての空気のゆれ・ゆらぎなのだろうが、
この感じが、これからホールで演奏を聴くという気持にもっていってくれる。

開演ぎりぎりにホールにはいってしまうと、この空気感をあじわう時間的余裕が無く、
いきなり音楽が目の前で始まってしまう。それではせっかくの音楽が充分に楽しめなくなる。

変な例えで申し訳ないが、この開演前のホールの空気感を味わうのは、
アンプのウォームアップにも似ているような気もする。
アンプにしてもCDプレーヤーにしても、電源スイッチをいれて、たしかにすぐに音は出るものの、
その音はけっして安定した音ではない。アンプやCDプレーヤーが温まってくるにつれて、音も変化していく。

その変化の仕方は製品によって違うものの、どんなアンプでもウォームアップの時間は必要とする。

ホールにおいての聴き手のウォームアップ(というか気持の準備のようなもの)としても、
ホールの空気の揺れ・ゆらぎがあり、
これは再生においては単純に微小レベルへのリニアリティだけでは語れない要素のはずだ。

VC7よりも微小レベルへのリニアリティの優れたスピーカーシステムは、おそらくあるだろう。
でも、そのスピーカーシステムが、VC7のように響きの鳴らし分けに優れているかどうかは、別問題のように思う。