何を欲しているのか(その18)
「感情の自由」について考えようとしたときに、まっさきに頭に浮んできた演奏家がいる。
演奏家とよぶよりも音楽家とよんだほうが、彼の熱心な聴き手であればしっくりくるであるはずのピアニストがいる。
フリードリヒ・グルダ。
1930年生まれのピアニスト、グルダの名前を知ったのと、
1932年生まれのピアニスト、グールドの名前を知ったのは、ほぼ同じころだった。
グルダにしてもグールドにしても、彼らのレコードを実際に聴くよりも前に、
何かの雑誌で読み、正統派ピアニストとは呼べないところにいる、
それでいて素晴らしいピアニストだということを、まず文字の上で知った。
グルダ(Gulda)とグールド(Gould)、どちらもGで始まり、カタカナ表記も似てる、ともいえる。
グールドは風変わりな、グルダは妙なことをするピアニスト、という印象も受けていた。
そのせいもあってか、グルダのレコードよりもグールドのレコードを先に聴いたし、
10代から20代にかけてはグールドの熱心な聴き手ではあったけれど、
グルダのレコードに関しては実のところほんの数えるほどしかもっていなかった。
白状すれば、いっぱしの音楽の聴き手ぶっていたところで、
まだまだ若造にしか過ぎなかった音楽の聴き手だった私は、
グールドのかっこよさに惹かれていたところもあった。
グールドの風変わりな行動はかっこよく映ったのに、
グルダに関しては、妙なことをときどきするピアニスト、という印象が拭えなかった。
それでもグルダのレコードは、ときどき買っては聴いてきたのは、黒田先生の文章があったからだ。
黒田先生のグルダについての文章がなかったら、グルダのレコードへの関心はないに等しかったかもしれない。