正しいもの(その3)
「正確な音」ではなく「正しい音」とは、
ベートーヴェンの音楽がベートーヴェンの音楽として鳴る音である。
この項の(その1)に書いているフルトヴェングラーの1945年の言葉──、
「思考する人間がつねに傾向や趨勢のみを『思考する』だけで、
平衡状態を考えることができないのは、まさに思考の悲劇である。
平衡状態はただ感知されるだけである。
言い換えれば、正しいものは──それはつねに平衡状態である──ただ感知され、体験されるだけであって、
およそ認識され、思考されうるものではない。」
つまり、正しいものとはつねに平衡状態である、のならば、
音、音楽、そしてオーディオにおいて正しいものは動的平衡である、といえるはず。
別項の「ベートーヴェン(動的平衡)(その3)」を書いているように、
私はベートーヴェンを、そう聴いている。
だからベートーヴェンの音楽がベートーヴェンの音楽として鳴らなければ、
そのオーディオからどんなに情報量の音が非常に精確に音として出てこようと、
それがどんなに磨き込まれた音であろうと、それは「正しい音」ではない。