Archive for 8月, 2010

Date: 8月 18th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その18)

スレッショルドからSTASIS1が、まずステレオサウンドの誌面に登場したのは、53号。
1979年の12月発売の号だ。

STASIS1は、スレッショルド初のモノーラルパワーアンプで、記事には予価1,500,000円となる。
1台の価格だから、3,000,000円。
300万円……、このときもっとも高価なパワーアンプがマークレビンソンのML2Lで、
ペアで1,700,000円だったから、ほぼ2倍。

当時としては、おそろしい価格だったし、こうなるともう購入目標とかではない。
けれど、スレッショルドから800Aをおそらく超えたであろうパワーアンプが登場したのが、
すなおに嬉しかった。

価格もすごいけれど、音もきっと、まちがいなくすごいはず、おそらくこれが最高のパワーアンプであるはず。
そう思っていたし、そう信じていたかった。
ステレオサウンドの記事には、簡単な解説があるけれど、
ステイシス回路が具体的にどういうものかはまったく不明。

このアンプの評価は、井上、山中両氏による対談で行われている。
山中先生は、「一つの理想に近づいたといっていい」とされ、
「まったく誇張感のないところに底力を感じる」とまず発言されている。
井上先生は、パワーアンプの音を表現するのに使う言葉が、通用しない、と断わり、
「本当の意味のナチュラルさ」と表現されている。

コントロールアンプを3機種交換しての試聴では、「このときの反応の速さ」に驚かれ、
これを受けて山中先生は「コントロールアンプが直接スピーカーを鳴らすような感じ」と言われている。

さらに私が個人的に惹かれたのは、井上先生の次の発言。
「4343が、ロジャースのLS5/8と一脈通じる、誇張感のない自然な鳴り方をした」とある。
珍しいことだ、ともいわれている。

ステレオサウンド 53号をお持ちの方ならば気づかれていると思うが、
山中、井上、山中、井上の順で途中まで発言がつづいているが、なぜか最後の発言者も「井上」となっている。
つまり山中、井上、山中、井上、井上となっている。

最後の「井上」とある発言は、山中先生なのか、それとも表記どおり井上先生なのかは、
いまとなっては確かめる術はないけれど、私は、これは井上先生の発言のように受けとっている。

そこにはこうある。
「非常に素晴らしいアンプと思われるでしょうが、今回の試聴ではそこまで判断できせん。」

Date: 8月 18th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その16)

「コンポーネントステレオのすすめ」(ステレオサウンド 1977年別冊)のなかの組合せで、
瀬川先生は800Aを2回使われている。
スピーカーシステムはどちらもJBLで、4343との組合せではこう書かれている。
     *
これは現代が生んだ最高のスピーカーのひとつだ。マークレビンソンとスレッショルドのアンプの組合せが、おそろしいほどデリケートな音でいっそうスピーカーを生かす。
     *
ここに掲載されている組合せの集合写真も、亀井良雄氏。
LNP2Lの斜め後に800A、その上にセクエラのモデル1が乗っている。

この次のページLNP2LとSAEのMark2500がいっしょに写っている写真がある。
見比べると、LNP2Lと800Aはよく似合っている。私の感覚では、Mark2500よりも800Aが、
瀬川先生が書かれているおそろしいほどデリケートな音を出してくれる、そんな予感が伝わってくる。

さらに4350の組合せでも800Aは登場する。低域・高域とも800A。コントロールアンプは、やはりLNP2L。
だから、もし800Aがもうすこしながく生産されていたら、800Aを瀬川先生は自宅に導入されたのかもしれない……、
そんなことも思いながら、800Aに憧れていたのが私の10代だった。

そこまで憧れていると不思議なもので、意外にも早い時期に800Aを聴くことができた。

Date: 8月 17th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その15)

瀬川先生が書かれたものによると、800Aは「あまりに手がかかって採算が取れない理由」で、
この価格の製品としてはわりとはやく製造中止になっている。

800Aの登場の約半年後に弟分にあたる400Aが発表された。
出力は100W+100Wで、シャーシー左右に放熱器を配置した自然空冷としているところが、800Aと外観上、
もっとも異る点といえる(そのほかパワーメーターはLED式に変更されている)。
価格は620,000円。アンプジラやMark2500と、価格的にはライバル機に相当することになる。

ただなんだろう、写真をみていると、800Aに感じられた凄みは薄れたというよりも、なくなったという印象だし、
アンプジラ、Mark2500とくらべてみても、おとなしい雰囲気でこれらのライバル機と呼べるほどの迫力がない、
そんなふうに感じていた。

しばらくして800Aは姿を消し、4000 Customがスレッショルドから登場した。
型番からわかるように、400Aの上級機に相当する。

800Aの弟分が400Aで、その400Aの上級機が4000 Customということは、
4000 Customは800Aの後継機、ということになるのだろうが、
全体の構成、パネルフェイスといい、800Aの後継機ではなく、あくまでも400Aの上級機という印象にとどまる。

もっとも4000 Customの価格は、798,000円で、800Aと同じには比較できないのは当然だろう。
4000 Customの登場で、800Aの後継機はスレッショルドからはもう登場しないのだろう……、
そんなふうに、買えもしないに、残念に思っていた時期があった。

Date: 8月 16th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その14)

スレッショルドの800Aは、ML2Lが登場するまでのあいだ、マークレビンソンのLNP2と組み合わせて、
その音を聴いてみたい、そしていつかは手に入れたい、と思っていたパワーアンプである。

瀬川先生の800Aに対する評価は高かった。
そして五味先生の評価もなかなかだったのが、私の中では最終的な決めてになっていた。

ステレオサウンド 47号に、続・オーディオ巡礼の一回目が載っている。
五味先生が訪問されたのは、奈良の南口重治氏。
ここでの五味先生の文章の中に、こんな一節が出てくる。
     *
南口邸ではマッキントッシュではなくスレッショールドでタンノイを駆動されている。スレッショールド800がトランジスターアンプにはめずらしく、オートグラフと相性のいいことは以前拙宅で試みて知っていたので南口さんに話してはあった。
     *
ここを読んだとき、「800A、やっぱりいいんだ!」と即思った。
しかも南口氏は、タンノイ・オートグラフだけでなく、JBLの4350のウーファーも800Aで駆動されている。
その4350の音を聴かれ、「心底、参った」と五味先生は書かれている。
つづけて、こう書かれている。
     *
テクニクスA1とスレッショールド800で鳴らされたJBL4350のフルメンバーのオケの迫力、気味わるい程な大音量を秘めたピアニシモはついに我が家で聞くことのかなわぬスリリングな迫真力を有っていた。ショルティ盤でマーラーの〝復活〟、アンセルメがスイスロマンドを振ったサンサーンスの第三番をつづけて聴いたが、とりわけ後者の、低音をブーストせず朗々とひびくオルガンペダルの重低音には、もう脱帽するほかはなかった。こんなオルガンはコンクリート・ホーンの高城重躬邸でも耳にしたことがない。
     *
このときマークレビンソンのML2Lは登場している。すでに高い評価を得ていた。
でも、この五味先生の文章によって、私にとって800Aは、また光り輝くことになった。
1978年の夏のことだ。

Date: 8月 15th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その13)

800Aがステレオサウンドの新製品紹介の記事でとりあげられたのは、41号。
私が「コンポーネントステレオの世界 ’77」といっしょに買った最初のステレオサウンドにて、
井上卓也、山中敬三の両氏の対談形式で登場している。

800Aは250W+250Wのステレオ構成で、Aクラス動作を謳っていた。
まだそのころは詳しい情報が伝わってこなかったようで、井上先生、山中先生の対談の中にも、
「クラスA」とだけ紹介されている。価格は1,110,000円。
GASのアンプジラが499,000円、SAEのMark2500が650,000だったわけだから、
当時の海外製のパワーアンプのなかでもとびぬけて高価なモノだった。

しかもAクラス。それでいて当時の最高出力を誇っていたマッキントッシュのMC2300の300Wにつぐ、250Wの出力。
デザインにしても、アンプジラもMark2500もMC2300もいずれもメーターつきだったが、
800Aのメーターは大きく、それが上下対称に配置されていた。
つまり上側のメーター(左チャンネル用)は上下逆さまになっているわけだ。

デザインも洗練されているように思えて、
とにかくほかのアンプとくらべても、より未来的に私の目には映っていた。

800Aの音について、井上先生は国産アンプのAクラス動作に共通して感じられた
「低域のレスポンスがあまり伸びていなくて、やわらかい音が多かった」のに対して、スレッショルドの場合は
「今までのクラスAのアンプとは違って、力強さのある音をもっていて」、
さらに「妙に硬質にならず、芯はあるのだけれど、やわらかさをもっている」特徴があると。
弦楽器の音については「生の楽器の持っているノイジーな部分も出して」きて、「美化された音ではなく聴える」。
そのことに関連して、山中先生は「ヴォーカルなどを聴いても、そうした感じがある」と発言されている。

なにかほかのアンプとは次元の異るレベルで登場してきたアンプ、という印象を受けたし、
その印象をさらに自分の中で増幅しよう、とくり返し読んでいたわけだ。

Date: 8月 15th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(続・余談)

マークレビンソンやスレッショルドの世界に憧れる一方で、
GASに対しては、なんなとなく反発、抵抗、とにかくそんな感情を抱くことが多かった。
もちろん優れたアンプだということは認めていても、青臭すぎた中学生には、
GASの姿勢が、不真面目なようにも思えていたところがある。

それでもなぜかGASのロゴは好きだった。
パワーアンプのアンプジラのフロントパネルにはいっているサイケデリック風のロゴではなく、
「GAS」、この三文字だけのロゴのほうだ。

それで中学3年の時の冬休み、同じクラスの友人たちに出す年賀状に、このGASのロゴをそのままマネた書体で、
HAPPY NEW YEAR と描こうと考えた。A以外は、GASのロゴを参考に、きっとこうなるんだろうな、と下書きして、
年賀状の制作にとりかかった。

1枚は仕上げた。けっこういい感じになったと自分では思っている。
でも3時間ほどかかり、結局2枚目からは、まったく違うものにしてしまった。

GASのアンプのもつほんとうのよさ、ボンジョルノがつくるアンプのすごさに気づくのは、もう少しあとのこと。

Date: 8月 14th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その12)

GASはGreat American Soundの略だと書いたが、正しくは頭に”The”がつく。
The Great American Sound co.inc である。

正直、このセンスについていけなかった。というよりも抵抗感があった。
しかも当時のステレオサウンドに載っていた輸入元バブコの広告に、
そのころ話題になっていた映画「スターウォーズ」のパロディ的な内容のもがあった。

アンプジラが、他社のパワーアンプを攻撃している内容のイラスト。
アンプジラ(アンプのゴジラという意味)のネーミングのセンスもすごいけれど、
この広告も(輸入元のセンスなのか、GAS側センスなのかは不明だが)、
背伸びしたい年ごろは、繊細なものへの関心がつよく、
この手のものには興味が涌くというよりも、抵抗感のほうが先に立つ(私はそうだった)。

それに意外とご存知ない方がいらっしゃるが、コントロールアンプのテァドラには、初期にホワイトパネル仕様があった。
でもツマミは黒。これを見た時、「パンダだ」と思ってしまった。

それに当時、何で読んだのが最初だったかはもう忘れてしまったが、
人の声の再生には、パワーアンプはA級動作のモノがよい、というのがあった。
出力は犠牲にしても、音の滑らかさ、繊細さに、ニュアンスに富む音、ということであれば、
これにまさるものはない……、いつまにやらそんなことがすでに頭の中にできあがっていた。

だからアメリカのパワーアンプなら、
スレッショルドのデビュー作、800Aのほうにずっとずっと魅力を感じていた次第だ。

Date: 8月 13th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その11)

岩崎先生によるL300とGASのアンプの組合せの写真は、「ツラ構え」という言葉を使いたくなる感じで、
たとえば瀬川先生の4343とLNP2とSAEのMark2500の組合せの写真とは大きく印象が異る。

この当時は、それぞれの製品の内容についてほとんど知らなかっただけに、
よけいに写真全体から伝わってくる雰囲気は第一印象として強烈だったのかもしれない。

どの組合せも、レコードを聴くための装置なのに、
それぞれが集まると、その組合せ独自の雰囲気を醸し出しているし、
まったく別の目的の装置のようにも見えてくる。

GASのアンプのツラ構えはとにかく強烈だった。

そして、ステレオサウンド 43号に載ったアンプジラやテァドラへの、各評論家の文章を読んでいくと、
ますます、少なくともそのとき思いこんでいた、私の求めている音は違う感じだな、ということがわかる。

瀬川先生はアンプジラIIについてだけ書かれている。
「一聴して重量感と暖かみを感じさせる腰の坐りのいい、素晴らしく安定感のある音質が特長。総体に音の芯をしっかり鳴らすため、ことに高音域でも線が細くなったり弱々しくなったりせずに、悠々たる落ち着きをみせる。コンストラクションは飾り気を排したいかにも実質本位という感じで、機能に徹した作り方。」

菅野先生はテァドラとアンプジラIIの両方について。
「ユニークなネイミングもさることながら、あらゆる点でオリジナリティに溢れた個性的製品である。マーク・レビンソン同様、これも、ガスの社長、ジム・ボンジョルノ氏との対話のできるパースナリティである。DCサーボループ・アンプという最新の回路設計に、よく練られたサウンドの輝きが感じられ、豊かで、弾力性のあるグラマラスなサウンドである。デザインも個性的であるが、見るほどに味が感じられる。」(テァドラ)
「グレート・アメリカン・サウンドのアンプジラは改良型でIIとなった。いっそう、そのサウンドには磨きがかけられ、豊かで、ねばりのある血の気の多い音は圧倒的な表現力をもつ。少々体力の弱い人は負けてしまいそうな情熱的なサウンド。最新最高のテクノロジーに裏づけられたアンプはもちろん抜群の特性をもつ。」(アンプジラII)

やっぱり「コンポーネントステレオの世界 ’77」で感じた印象は、けっこう当っていた、
やっぱり私が聴きたい音──つまり、女性ヴォーカルを、ひっそりとしっとりとぬくもりのある音──ではない、
GASのアンプはすぐれたアンプだろうけど、その名前(Great American Sound)があらわしているとおりなのだ、
そう強く思いこんでしまった。GASのアンプは、男性的な音だ、と。

Date: 8月 12th, 2010
Cate: 朦朧体, 瀬川冬樹

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(余談)

オーディオ機器への関心はあっても、
知識はほとんどなかったころに読んだ「コンポーネントステレオの世界 ’77」でも、
なんどか読んでいるうちに、おぼろげながらではあるけれど、他の方たちにくらべて、
瀬川先生のつくる組合せには、なにか違うものがあるように感じていた。

「コンポーネントステレオの世界」はその後も、暮に出ていた。
それを読んでも、ステレオサウンド本誌上での組合せや、そのことに関する発言を読んでいても、
よい悪いではなく、他の人と、あきらかに組合せのセンスが違う、という印象は深まっていっていた。

そうともいえるし、一方で、瀬川先生の組合せの感覚が、私に「合った」ということだけともいえる。

組合せをつくるうえで大事なのは、各コンポーネントの相性であり、
これはつまり「合う」か「合わないか」ということになるだろう。
でも、ある形をしていたものが、ぴったり合わせるという意味での「合う」「合わない」ではなく、
あくまでも個人個人の感覚による「合う」「合わない」であり、
このスピーカーとこのアンプは合う、いいかえれば相性がいい、と感じるのは、
その組合せ(つまりスピーカーとアンプの相性)がぴったりなのではなく、
あくまでもそのスピーカーとアンプが鳴らす音と、それをよいと感じた「私」との相性がいいことになる。

となると、瀬川先生のつくる組合せに魅力を感じていたわけだが、それはいま思うと、
たしかに「合っていた」ところもあっただろうが、
瀬川先生の感覚に「合わせよう」としていたところが、むしろ大きかったのかもしれない。

それでも、やはり瀬川先生の組合せのセンスは、なにか光るものがあった。

オーディオ評論家は、音をうまく表現する能力だけではなく、この組合せをつくる能力・感覚において、
他のひととは違う、その人だけの光るものもてるように磨いていくべきではなかろうか。

Date: 8月 11th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その10)

とにかくむさぼるように読み、くいいるように見ていた。

組合せの写真をみながら、「この感じいいなぁ」と感じていたのは、
ブリガンタンの組合せのほかに、瀬川先生によるタンノイ・アーデンの組合せ。
見出しはこうだった。
     *
室内楽の静謐な、
しかも求心的な響きを
アーデンとLNP2の組合せによる
密度の濃い音で楽しむ
     *
アーデンを鳴らすのは、マークレビンソンLNP2とスチューダーのパワーアンプA68の組合せ。
レコードは、ラサール・クヮルテットのベートーヴェン。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」が出たのは12月。
寒い季節だったから、
よけいに、ブリガンタンの組合せとともにアーデンの組合せの写真が醸し出す雰囲気に惹かれた。
このふたつの組合せとは対照的に強烈な印象だったのは、

岩崎先生によるマイルス・デイヴィスのエレクトリック・サウンドのためのシステムである。
スピーカーはJBLのL300と予算を抑える組合せのためのパイオニアのCS616、
アンプはL300用にGASのセーベとアンプジラのペア、CS616にはダイヤトーンのDA-P10とDA-A10のベア。
レコードは、マイルスの「Get Up With It」。
見出しはこうだ。
     *
マイルスのエレクトリック・サウンドによる
リズムの饗宴を
GASがドライブするL300の
豪快な大音量で聴く
     *
私が求めている音(というよりも世界)とは正反対だ、と漠然と思っていた。

Date: 8月 11th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その9)

「コンポーネントステレオの世界 ’77」の組合せの集合写真には、かならずレコードのジャケットも写っている。

この組合せの企画そのものが、
読者からの「こういうレコードを楽しむための装置を選んでほしい」という手紙に応えるためのものだから、
選ばれた読者がステレオサウンドの試聴室に愛聴盤を携えて来て、試聴をすすめていくかたちで行われている。
だから写真には、その愛聴盤が、そのレコードのために選ばれたコンポーネントとともに写真におさまっているわけだ。

そこに見出しがつく。
当時は、見出しまでくり返し読んでいた。
文字数にしてみればながいものでも100文字にみたない。

井上先生のブリガンタンの組合せ(つまり女性ヴォーカルのための組合せ)には、こんな見出しがついていた。
     *
聴くもののこころに
ひっそりと語りかけてくる〈歌〉を
AGI+QUADで鳴らす
ブリガンタンの
ぬくもりのある音で味わう
     *
写真には、ジャニス・イアンの「愛の回想録」と、
その陰にほとんど隠れてしまっているが山崎ハコの「綱渡り」の2枚。

そしてブリガンタンの前にQUADの405が置かれ、そのあいだにロジャースのLS3/5Aが置いてある。

これだけあれば、当時はイメージを思う存分ふくらませることができた。
そのイメージが、どれだけ正確などうかは別として、だが。

Date: 8月 11th, 2010
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(その20)

高城重躬氏のピアノの腕前がどのくらいであったのかは、まったく知らない。
そうとうながくピアノを演奏することはつづけられていたと聞いている。
そのあいだに、ピアノの腕は上達するだろうし、録音器材の進歩もある。また録音技術の上達もあるはずだ。

そうなると以前のテープに録音したものよりも、
新しく録音したものが、ピアノの腕も音もよくなっているとしていいだろう。

五味先生は、バイロイト音楽祭のテープを演奏が気に入らないものでもとっておかれていた。
その点、高城氏はどうだったのだろうか。

自分の演奏以外の録音に関しては、とくにハンス・カンの録音のものは保管しておられただろうが、
ご自身の演奏については、気にくわないものに関しては、古くなったと感じられたものは消去されていたのか。

このあたりにも、ふたりのちがいがあると、そんな気がする。

そして高城氏にとって、ハイ・フィデリティは「原音再生」であったはずだ。

Date: 8月 10th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その8)

ロジャースのLS3/5Aを知るきっかけであった「コンポーネントステレオの世界 ’77」が出たのが1976年12月、
ステレオサウンド 43号は半年後の’77年6月。

こんなわずかな期間で、LS3/5Aに対する印象がなんとはなくであっても、
私の中にできたのは、やはり「コンポーネントステレオの世界 ’77」の写真のおかげだと思う。

この本の表紙は、ステレオサウンド本誌と同じ安齊吉三郎氏。
対して本文の組合せの集合写真は、亀井良雄氏。

「コンポーネントステレオの世界」の’77年版と’78年版をお持ちの方は、
組合せの集合写真を見比べてほしい(どちらも亀井氏の撮影)。
’78年のほうはスタジオでの撮影に対して、’77年は、ステレオサウンドの試聴室での撮影である。
当時はそんなことには気がつかなかったが、ステレオサウンドで働くようになって、あれっ? と気がついたし、
あの部屋で、よくこれだけの写真を撮影できるものだと、つくる側になってはじめて感じたものだった。

いまは知りたいことがあったらインターネットの普及のおかげで、得られる情報量だけは多い。
でも当時は、ほとんど、この「コンポーネントステレオの世界」だけから、だった。

もちろん何度かくり返し読んだ。それだけでなく、本文の写真をじっくり眺めていた。
とにかく一冊の本から、どれだけ多くのことを得るかは、オーディオの初心者であれば、
くり返し、じっくり時間をかけることにかかっている。

Date: 8月 10th, 2010
Cate: JBL

なぜ逆相にしたのか(その8)

昔ながらのホーンがコンプレッションドライバーの前につくことで、
スロート近辺の空気圧はひじょうに高いものになっているといわれる。
つまり、この圧力分だけ振動板が前に動くためにエネルギーが、まず必要になってくる。

圧力をこえるエネルギーに達するまで振動板は動かないのではないだろうか。

たとえば指をはじくとき、人さし指を親指でおさえる。
そして人さし指に十分な力を加えていって解放することで、人さし指は勢いよく動く。
親指での抑えがなければ、人さし指はすぐに動くものの、そのスピードは遅くなる。

いわば親指によって人さし指にエネルギーが溜められていた。
この「溜め」こそが、ホーン型スピーカーの魅力のひとつになっているように、
以前から感じていたし、そんなふうに考えていた。

溜めがあるからこそ、次の動作(つまり振動板が前に動くの)は早くなる。立上りにすぐれる。

これが逆相になっていたらどうなるだろうか。

Date: 8月 9th, 2010
Cate: JBL

なぜ逆相にしたのか(余談)

ジェームズ・バロー・ランシングがアルテック・ランシングを辞めたのは、
「家庭用の美しいスピーカーをつくりたい」からという理由だということに、以前はなっていた。

ただこれについての真偽はのほどはさだかでなく、ランシング本人の言葉とは断言できないし、
アルテック・ランシングとは、最初から5年契約だったことは、はっきりとした事実である。

となると「家庭用の美しいスピーカーをつくりたい」からというのは、なにかあとづけのことのようにも思えてくる。

D130が最初のユニットであれば、「家庭用の美しいスピーカー」という理由も、
確たる証拠がなくてもすなおに信じられる。
だが事実はD130の前にD101が存在する。

その最初のフルレンジユニットD101とアルテック515は、写真でみる限り、
ほぼそっくりであることはすでに書いたとおりである。

となると「家庭用の美しいスピーカー」というのがランシングが本当に語っていたとすれば、
おそらくD101に対してアルテック・ランシングからのクレームがきたからではないのだろうか。

もしもアルテックがD101を黙認していたら、JBLの歴史はどう変っていたのだろうか。
もしかするとJBLというブランドは、これほど長く続かなかったかもしれない。

アルテック・ランシングに対するジェームズ・バロー・ランシングの意地があったからこそのJBLなのかもしれない。