ハイ・フィデリティ再考(その20)
高城重躬氏のピアノの腕前がどのくらいであったのかは、まったく知らない。
そうとうながくピアノを演奏することはつづけられていたと聞いている。
そのあいだに、ピアノの腕は上達するだろうし、録音器材の進歩もある。また録音技術の上達もあるはずだ。
そうなると以前のテープに録音したものよりも、
新しく録音したものが、ピアノの腕も音もよくなっているとしていいだろう。
五味先生は、バイロイト音楽祭のテープを演奏が気に入らないものでもとっておかれていた。
その点、高城氏はどうだったのだろうか。
自分の演奏以外の録音に関しては、とくにハンス・カンの録音のものは保管しておられただろうが、
ご自身の演奏については、気にくわないものに関しては、古くなったと感じられたものは消去されていたのか。
このあたりにも、ふたりのちがいがあると、そんな気がする。
そして高城氏にとって、ハイ・フィデリティは「原音再生」であったはずだ。