Archive for 5月, 2010

Date: 5月 11th, 2010
Cate: ステレオサウンド特集

「いい音を身近に」(その7)

スピーカーシステムの位置と聴取位置の関係について考えるとき、まず思い出すのは、
ステレオサウンド 47号に黒田先生が書かれた、テクニクスのコンサイス・コンポについての文章だ。

そこには「ぼくのベストバイ これまでとはひとあじちがう濃密なきき方ができる
というタイトルがつけられていた。

47号発売時の1978年には、テクニクス、ダイヤトーン、オーレックス、パイオニアから、
小型のコントロールアンプ、パワーアンプ、FMチューナーが、シリーズとして発売されていた。
そのなかで、もっとも小型化に成功していたのは、テクニクスのコンサイス・コンポだった。

コントロールアンプSU-C01、パワーアンプ SE-C01、チューナーST-C01で、
横幅は297mm、高さ49mmで共通、奥行きはだけはわずかに違い、
SU-C01が241mm、SE-C01が250mm、ST-C01が255mm。
パワーアンプの SE-C01は、スイッチング電源を採用していたはずだ。

黒田先生は、このコンサイス・コンポと、アナログプレーヤーのB&OのBeogram4000、
ビクターの小型スピーカーシステム、S-M3を、すべてキャスター付の白い台にのせられた。

Date: 5月 10th, 2010
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(その18)

NFB以外で、これほど簡単に、追加する部品点数も少なくて、問題を解決できる手法があるだろうか。
補正信号の方向を、フォワードからバックにする発想の転換が、70年以上も有用な技術として使われ続けている。

NFBをかけたことによって、アンプが発振すると言われることがあるが、
NFB自体は、アンプを安定化するために生れてきた技術であり、きちんとかけることでアンプはその安定性を増す。

NFBは、本質的にひじょうに優れた技術のように思えてくる。

人間の身体にもフィードバックはある。フィードバックがあるから体験から学んでいける。
その学んだことをベースにフィードフォワードが成立する。

たとえば卵を、生れてはじめてつかむ。
当然力のいれ具合がわからないから、もしかするとつぶしてしまうかもしれない。
一度つぶした体験があれば、そこから学んで、次につかむときは力のコントロールを行なう。

このコントロールがフィードフォワードである。

そうやっていくつもの体験を経て、はじめて手にするものでも、ある程度の予測は可能となる。
なにか重たいものを持ち上げようとしたとき、あらかじめ力をこめる。
それで持ち上がるときもあるし、持ち上がらなければ、さらに力をこめる。

追加の力のコントロールがフィードバックである。

Date: 5月 10th, 2010
Cate: 理由

「理由」(その8)

1976年の後半、オーディオの本は、私にとって「五味オーディオ教室」だけだった。
はじめてのステレオサウンドは、この年の暮に出た41号だから、
それまでの数ヵ月は、「五味オーディオ教室」だけが、教科書だった。

それにいまと違い、インターネットという便利ものはないから、
それにまわりにオーディオをやっている詳しい人もいなかったから、わからないことは考えるしかなかった。
いまならば、Googleで、知りたい単語を入力して検索するだけで、
よほど変ったことでもなければ、かなりのヒット数がある。

この考えることが、想像を加速していた、と思っている。

Date: 5月 10th, 2010
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(その9)

オーディオ評論という仕事は、彼が始めたといっても過言ではない。
彼は、それまでおこなわれていた単なる装置の解説や単なる印象記から離れ、
オーディオを、「音楽」を再生する手段として捉え、
文化として捉えることによってオーディオ評論を成立させていったのである。

長島先生が、サプリームNo.144に書かれた一節だ。
No.144は、瀬川冬樹追悼号。
「彼」とは瀬川先生のことだ。

瀬川冬樹からオーディオ評論は始まった。
私も、そうだと思っている。

Date: 5月 9th, 2010
Cate: 理由

「理由」(その7)

「五味オーディオ教室」を手にしたとき、手持ちの音の出る機械はラジオカセットのみ。
いまどきのラジカセとは違い、当時、中学生がこづかいを貯めて購入できるものにステレオ仕様はなかった。
モノーラルだった。

そして、まわりにオーディオ好きのひとはいない。
つまりオーディオの経験は「なし」に、限りなく等しかった。

だから中途半端な体験によって、想像することが邪魔されることはなかった。
こんなものだろう、と勝手に、オーディオの限界を頭の中でつくりだすことはなかったわけだ。

「五味オーディオ教室」を読めば読むほど、想像はふくらんでいく。
繰り返すことで、膨張の度合いは加速していく。
ある意味、もっとも純粋に想像をふくらませることができた、貴重な時期だったように、いまは思っている。

Date: 5月 9th, 2010
Cate: 理由
3 msgs

「理由」(その6)

「五味オーディオ教室」によって、オーディオを読む楽しみ、そして想像する楽しみを、
それこそ暗記するほどまでくり返し読むことで、自分の中に根付かせていた、ようにいまは思う。

タンノイ・オートグラフが、空気が無形のピアノを鳴らす、のを想像していた。
EMT・930stの鳴らす「誠実な音」、優れた真空管アンプの鳴らす「倍音の美しさ」、を想像していた。

想像できるようになるまで、とにかく読むしかなかった。

1976年当時は、すでにオーディオブームだった。
いまでは想像できないだろうが、NHKの教育テレビで「オーディオ入門」という番組をやっていたし、
そのテキストも販売されていた。
菅野先生が龍角散のCMに登場されたのも、このあたりのことだ。

とはいえ、熊本の中心部から、バスで1時間ほどかかるイナカ町では、だからといって、
あれこれ内外の有名なオーディオ機器の音を聴けたわけではない。

聴くためには、バスに揺られて熊本市内まで出て行く必要があった。
都内のバスとはちがって、距離に応じて料金は増していくから、
バス代かレコード代か、はたまたステレオサウンドを買うか。アルバイトのできない中学生は迷う。
それに熊本市内まででかけたところで、オートグラフをマッキントッシュのC22とMC275で聴けるわけでもない。
だから、読むことに集中するしかなかった、ともいえる。

Date: 5月 8th, 2010
Cate: 4345, JBL, 瀬川冬樹

4345につながれていたのは(その3)

4345を、生きておられたら瀬川先生は、どのくらいの期間を使われていたのだろうか、
そして、アンプは、どう変化していったのだろうか、そしてCDの登場以降は……、ということを夢想してみる。

マーク・レヴィンソンがはなれてしまったマークレビンソンのNo.シリーズの一連のアンプは、
評価はしながらも自家用として使われなかっただろう。

クレルのPAM2とKSA100の組合せへの評価は、きいてみたかった。

チェロの、オーディオ・スイート、オーディオ・パレットとパフォーマンスの組合せについては、
その価格のことについて、なんらか触れられただろう。
トーレンスのリファレンスのところで、
「であるにしても、アーム2本、それに2個のカートリッジがついてくるにしても、これで〆めて358万円、と聞くと、やっぱり考え込むか、唸るか。それとも、俺には無縁、とへらへら笑うことになるのか。EMT927までは、値上げになる以前にどうやら買えたが、『リファレンス』、あるいはスレッショルドの『ステイシス1』あたりになると、近ごろの私はもう、ため息も出ない、という状態だ。おそろしいことになったものだ。」
と書かれていることを思い出すからだ。

チェロの組合せは、リファレンスの価格を、はるかに超えている。
手もとに1980年代のステレオサウンドが、ほぼ揃った。
ぱらぱらめくってみても、これだ! ピンとくるものがない。

ほんと、何を使われただろうか……。
(個人的には、クレルのPAM2とKSA100のような気もする)

Date: 5月 7th, 2010
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(その31)

とにかく井上先生は、音が変化する要素は、基本的にすべて試される。
インシュレーターを追加したり、ケーブルをあれこれ交換して、といったことも、もちろんやられるが、
それ以前に、いまある状況において、何も追加せず、何も交換せずに、
どれだけ音を変化させられるか、ということについて、
井上先生ほど徹底的にやられている方は、おそらくいないのでないか、そう思えてくるほど、すごい。

AC電源の極性はちもろん、どこのコンセントからとるのか、同じコンセントでも、どの口からとるのか、
ケーブルの引回しのちょっとした違い、置き方、置き場所による違い、
いまでも常識的にとらえられている使いこなしの、そういったこまかい要素は、
私がステレオサウンドにいたころ(1980年代)、井上先生の試聴のたびに発見の連続だった。

意外に思われるかもしれないが、井上先生は、アクセサリーの類いを、あれこれそろえておけ、とは言われなかった。
構造の異るケーブル数種類、それからフェルトなど、わりと身近に手に入るものを利用される。
特殊なものを要求されることは、まずなかった。

ただ例外的といえいなくもないのが、ひとつだけあった。
試聴中に、「あれが、あればいいんだけどなぁ」とぼそっとつぶやかれたこと。
「あれ」とはアセテートテープのこと。

Date: 5月 6th, 2010
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(その17)

NFB理論は、1937年に、ベル研究所にいたハロルド・ステファン・ブラック博士によって発明・発表されている。

ブラック博士は、その9年前に、フィードフォワードについて発表している。
フィードフォワードは、私が昔、すごいアイディアだと一瞬思ってしまったことと、同じ考えである。
1928年に考えられていたわけだ。私が思いついたのは1977年。50年も前にあったわけだ。
このとき、まだサンスイのスーパー・フィードフォワード・システムは、まだ登場していなかった。

ブラック博士が、フィードフォワードを考えたのは、
長距離の電話回線の中継アンプの不安定さ(レベルの変動)を解消するため、だったらしい。

ベル研究所の力を持ってしても、フィードフォワードはうまく動作しなかったようだ。
そのため、ブラック博士は、発想を180度転換して、NFBを発明している。

フィードフォワードでは演算アンプが必要になる。その演算アンプの精度が低ければ、うまく動作しないだろうから、
つまり親アンプと同等の演算アンプ(子アンプ)となると、それだけでアンプのコストは二倍近いものになるだろう。
それに使用部品が増えれば、それだけ故障発生率も高くなる。

ところがNFBとなると、基本的には抵抗を一本追加するだけですむ。

Date: 5月 6th, 2010
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(その16)

10代のころは、NFBは必要悪的なものだと思っていた。
いつまにかは、必要不可欠(もちろん無帰還アンプの存在は認めながらも)と捉えている。
そして、いまはNFBを適切なかたちでかけたものが、
理想的なかたちではないだろうか、と考えはじめるようになっている。

NFBの問題点について、わずかばかり知った中学3年のときに、
出力信号を入力に戻すくらいなら、入力信号を、アンプのへの入力と、出力端へ、と分岐させ、
そこで、NFBと同じように出力信号との比較(演算)をおこなえば、
NFBは使わずにすむだろう、と安易な考えをついた。

そのときすでに差動回路が、二つの信号の差分を取り出せることは知っていたから、
入力信号と出力信号を比較して、歪成分を検出し、180度反転させ逆相信号として、出力信号に加えれば、
歪みは打ち消せるはずだ、と思いついた。

でも、すぐにうまく動作しないようにも思えてきた。
差分信号を作り出すアンプにも、同じことをやる必要があるからだ。

つまり信号を増幅するアンプを親アンプとすれば、差分信号を作り出すアンプが子アンプ、
子アンプの歪をなくすために差分信号を作るアンプは孫アンプ、孫アンプの歪を……となっていくと、きりがない。

子アンプにNFBをかければ孫アンプ、ひ孫アンプは必要なくなるわけだが、NFBをなくすことはできない。

それにこの考えは、NFBの発明の9年前にすでに発表されたものであることを、あとで知る。

Date: 5月 5th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その5)

10代に男子における女性ヴォーカルものの比重は、人それぞれではあろうが、
人生のうちでもっとも大きな時期のひとつかもしれない。

ステレオサウンド 41号とともに最初に手にしたオーディオ誌であるステレオサウンド別冊の
「コンポーネントステレオの世界 ’77」で、いちばんくり返し読んだ組合せのページは、井上先生担当の、
「聴くもののこころに ひっそりと語りかけてくる〈歌〉を 
AGI+QUADで鳴らす ブリガンタンのぬくもりのある音で味わう」、
この見出しがついていた、女性ヴォーカルのための組合せだった。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」には、
瀬川先生による室内楽のための組合せ(スピーカーシステムはタンノイ・アーデン)、
ルネッサンス、ネオ・バロック音楽のための組合せ(JBL・4343)も、もちろんくり返し読んだけれど、
回数的には、井上先生の組合せのほうだった。

この本は、読者からの手紙に応えるかたちで、評論家の方々が、いっしょに組合せを構築していくという企画だ。
井上先生宛の手紙を書かれていた方は、山崎ハコの「綱渡り」、ジャニス・イアンの「愛の回想録」、あと「絵夢」を、
「ひっそりときけて、それでいて声のなまなましさが失われないような装置」を求めておられた。

井上先生の答えは、キャバスのフロアー型システム、ブリガンタンと、
ロジャースのLS3/5Aの、ふたつのスピーカーシステムだった。

Date: 5月 4th, 2010
Cate: 朦朧体

ボンジョルノのこと、ジャーマン・フィジックスのこと(その4)

10代のころ、女性ヴォーカルものに夢中になった、熱中したという人も多いと思う。
クラシック、ジャズを、いまは主に聴いていたとしても、
若いころからクラシック(もしくはジャズ)が音楽を聴くきっかけだったとしても、
男として、異性の声に惹かれるものがあるだろうから、
クラシックやジャズ、ロックという音楽のジャンルではなく、女性ヴォーカルという音楽ジャンルが、男にはある。

高校1年ごろのころだったか、FM誌(当時はFM fan、週刊FM、FMレコパルがあった)のどれかが、
女性ヴォーカル特集の別冊を出したこともこともあった。

話は少しそれるが、この本で、実はケイト・ブッシュの存在を知った。
東京歌謡音楽祭での写真が載っていた。

胸のあいだにマイクロフォンをはさみ、パントマイム的振付けで躍るケイト・ブッシュの写真を見て、
「この人の歌は、聴くことはないなぁ」と思っていた。

その本が出て、そんなに経っていない時期に、NHK-FMが、月曜から金曜までの夕方の1時間の番組を、
女性ヴォーカルを特集したことがあった。

女性ヴォーカルの本にも載っていた人たちが、偶然にも取りあげられていた。
1日ひとりの特集で、そのなかのひとりがケイト・ブッシュだった。

録音するつもりは、なかった。ただカセットテープがあまっていたのと、
他の4人を録音するのだから、いちおう放送される人全員録音しておこう、そんな気持だった。

Date: 5月 3rd, 2010
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その7)

想像力の欠如が、オーディオの「本」をつまらなくしている、いちばんの原因かもしれない。

「紙の本」でも、想像力に関して、まだまだやれることはきっとある。
電子書籍のほうが、想像力に関しては、あれこれやれる。
けれど、安易にやっているだけでは、むしろ「紙の本」に、その点でも負けてしまう。

iPadで読むオーディオの「本」について、考えているところである。

Date: 5月 2nd, 2010
Cate: トーラス

同軸型はトーラスなのか(その15)

井上先生が、サイテーションXXを気に入っておられることは、
試聴に立ち会っていれば、自然と伝わってくるし、
ステレオサウンドのベストバイの短いコメントの中にも、はっきりとあらわれている。

サイテーションXXの設計にたずさわったマッティ・オタラ博士は、
ステレオサウンド 57号のインタビュー記事の中で、NFBをアスピリンに喩えている。

「もし、私の頭が痛くなかったら、アスピリンはいらないでしょう。アンプがよければ基本的にはNFBはいらない。しかし、頭がちょっと痛ければ、ほんの少しのアスピリンでずっとよくなるでしょう。アンプも少し悪いのなら、ほんの少しのNFBをかけることでよくなるでしょう。10kgのアスピリンを飲んだら死んでしまうのと同じように、NFBをかけすぎるとアンプの音も死んでしまう。
私はたしかにNFBをたくさんかけてはいけない、NFBは少ないほどいい、といってきました。と同時に、NFBは上手に使うと非常に有効であることもいってきたつもりです。NFBの非常にいいポイントをさがすとゼロよりはいい。もちろん、ここでいう良いというのは、測定値のことをさしているのではなくて、聴感上の歪ということです。」

つまりサイテーションXXのNFB量9dBは、聴感上の歪が少なくなる最適量ということになる。

サイテーションXXの手法だけが、NFBの問題点を解消するわけではない。
日本のメーカーからも、この問題に違う視点から、しかし真っ正面からとりくんだ結果のアンプ技術がある。

テクニクスのリニアフィードバック回路と、サンスイのスーパー・フィードフォワード・システムだ。

Date: 5月 2nd, 2010
Cate: 「本」
4 msgs

オーディオの「本」(その6)

「オーディオを読む楽しみ」は、想像する楽しみへとつながっているはずだ。
そこへ、つなげていくのが、オーディオの本としての役目でもある。

想像力をどこかで失ったのか、それとも想像力をはぐくんでこなかったのか、
およそ想像力のカケラもない人は、オーディオには向いていない、とはっきりと言える。

想像力がなければ創造力は持ちえない。
音を創造することもできない。

もっとも、そういう人たちは、
「音を創造するなんて、もってのほか」と顔を真っ赤にして反論するであろう、
ある意味、シアワセな人たちである。