「理由」(その7)
「五味オーディオ教室」を手にしたとき、手持ちの音の出る機械はラジオカセットのみ。
いまどきのラジカセとは違い、当時、中学生がこづかいを貯めて購入できるものにステレオ仕様はなかった。
モノーラルだった。
そして、まわりにオーディオ好きのひとはいない。
つまりオーディオの経験は「なし」に、限りなく等しかった。
だから中途半端な体験によって、想像することが邪魔されることはなかった。
こんなものだろう、と勝手に、オーディオの限界を頭の中でつくりだすことはなかったわけだ。
「五味オーディオ教室」を読めば読むほど、想像はふくらんでいく。
繰り返すことで、膨張の度合いは加速していく。
ある意味、もっとも純粋に想像をふくらませることができた、貴重な時期だったように、いまは思っている。