Archive for 8月, 2009

Date: 8月 18th, 2009
Cate: the Reviewの入力

the Review (in the past) を入力していて……(その25)

PAM2と同じコンストラクションのコントロールアンプは、クレルからも、そのあと登場していない。
PAM2のプリント基板は、正方形に近かったと思う。
これ一枚に片チャンネル分のフォノイコライザーとラインアンプを構成する部品が取り付けてられている。
おそらく基板の左側、リアパネルからフロントパネルに向かって、フォノイコライザーアンプが、
そして基板右側、今度はフロントパネルからリアパネルに向かって、ラインアンプ、というふうになっているはずだ。

フォノ入力の信号は、基板上でUの字のような経路を通る。
ライン入力の信号は、リアパネル端子からフロントパネルの入力セレクターのスイッチまでくるわけだから、
やはりUの字のような経路を通っている。

これが、KRSシリーズのコントロールアンプ、PAM3になると、フロントパネル右側から左に向かって、
一直線に信号は向かう。もちろん入出力端子へ接続では折れ曲がるものの、
信号経路の、大きく表わすと直線といっていい。

こういう違いのためか、それとも、パーツ配置への考え方が変化したのか、
プリント基板を見た印象が、PAM2と、それ以降のコントロールアンプでは、
おもにコンデンサー、抵抗などの受動素子の配列に、違いがあるように感じられる。

Date: 8月 17th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×九 補足)

ML6の場合、アンプ本体の上側を左チャンネル、下側を右チャンネルとして、
外部電源の左チャンネル用を上の口のコンセントから、右チャンネル用を下の口からとるのが、ひとつ。
そしてアンプはそのままで、電源の取り方を左右で逆にする。右チャンネルを上、左チャンネルを下へ、と。

次はアンプの上側を右チャンネルに、下側を左チャンネルで、電源の取り方も、上記のように2通りあるわけで、
合計で4通りの組合せができ、それぞれに微妙に音は異なるわけだから、
部屋の状況、スピーカーなど状況に応じて、柔軟に使いわけた方がいい。

つけ加えれば、電源コードに手を加えるのであれば、前に書いたように、
ひとつのACプラグに左右両チャンネル、2本の電源コードをまとめれば、5通りの音が得られる。

グラフィックイコライザーをどんなに駆使して、微調整をくり返しても、
周波数特性のコントロールだけでは、補整できない音のキャラクターの微妙な違いには、
こういう地味な工夫が、意外と効果的だったりすることもある。

Date: 8月 16th, 2009
Cate: 基本

「基本」(その5)

ヤルヴィのベートーヴェンを聴いたあとに、
フルトヴェングラー、バーンスタイン、ジュリーニのベートーヴェンを聴く。

ヤルヴィの演奏をきいた耳で聴くと、聴きなれていたディスクに、再発見がある。
己の、聴き手としての未熟さに気づかされるわけだが、それもまたいい。
未熟さに気づかずに、これから先ずっと聴いていってたとしたら、
なにかとりかえしのつかないことをしでかした気持になるというものだろう。

だから、ヤルヴィのベートーヴェンは、ちょっとしたひとつの事件だった。

そして、私にとっての基本は、正三角形の頂点で聴くことだけではない。
わずか数人だが、信じている人がいる。
その人の言うことならば、とにかく、すべて信じることにしている。
黒田先生がそうだし、川崎先生も、私にとってはそうだ。

このことが、私にとっての、いちばんの基本である。
すべての人を疑ってかかるのも、その人なりの生き方だろうし、
私が信じている人を信じないのも、人それぞれだろう。

信じられる人がいるということは大事なことだし、
信じられる人がいないということは、哀しいことではないか。

Date: 8月 16th, 2009
Cate: 基本

「基本」(その4)

パーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェンは、9月に「第九」が発売になり、全集が完成する。

黒田先生の、サライの記事を読むまで、まったくヤルヴィへの関心はなかった。
ベートーヴェンを録音していることも、知らなかった。
今回、サライを読んでなかったら、聴く機会はずっと後になっただろうし、
最悪、聴かずじまいだったかもしれない。

レコード店で、実際手にしてみて、SACDだということに驚いた。
六番、二番のカップリングのディスクだけでなく、他のディスクもSACDである。

RCAレーベルとはいえ、SACDに対して、そっけない態度をとっているソニーに吸収されているのに、
よくぞ出してくれた、とうれしくなる。

しかもベーレンライター版を使っての、演奏でもある。
これらのことが関係しているのか、1980年代の後半に、
フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラによるベートーヴェンを聴いたときの新鮮さを、
もちろん性格の違う新鮮さであるが、ふたたび感じられた。

黒田先生も書かれているように「ベートーヴェンを再発見できる」。

Date: 8月 16th, 2009
Cate: 基本

「基本」(その3)

微調整のあと、もういちどパーヴォ・ヤルヴィのベートーヴェンの「田園」交響曲の第4楽章をかける。
微調整の時にかけていたディスクの音の変化から、こんな感じで鳴ってくれるだろうと予測の範疇を超え、
アグレッシヴで、力に富んだ鳴り方に、黒田先生の言葉をまた引用すれば、
「描写音楽の迫力にあらためて圧倒されないではいられない」。

ただ精緻さにおいては、以前のセッティングにくらべて、やや後退したものの、どちらをとるかといえば、
しばらくは、このセッティングのまま、細部を追い込んでいこうと思う。

不思議なことに、他のディスクでは、正三角形のセッティングのほうが精緻さでもまさる。
優秀録音と云われるものほど、いかに緻密な録音を行なっているかが、はっきりと示される。

もちろん、あらゆる条件において、正三角形のセッティングが最良の結果を得られるわけではない。
それでも、スピーカーのセッティングに迷ってしまったら、いちど試してみる価値はある。

Date: 8月 16th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×八 補足)

人が作り出すものである以上、どれほど厳格に品質管理されていようと、若干のバラツキまでは排除できない。

技術がこれから先飛躍的に向上し、アンプに代表される電子機器のバラツキが完全になくなったとしても、
スピーカーがこれまでの形態の延長線上にあるかぎり、バラツキがなくなるとは思えない。

そしてそのスピーカーが設置される部屋が、完全に左右条件が同じであること、
左右チャンネルの音がまったく同じであることは、まずあり得ない話である。
だから現実と折り合いをうまく見つけ出すのも、大事なポイントとなってくる。

マークレビンソンのML6を2段重ねで使う際、
たいていは上のML6を左チャンネル、下の方を右チャンネルとしがちだが、
なにもこれはこだわることはなく、左チャンネルを下のML6にしてもいい。

ML6の場合、外部電源も左右チャンネルで独立しているため、
左右チャンネルのどちらを、電源コンセントの上の口からとるかということを含めると、4通りの接続が試せる。

Date: 8月 16th, 2009
Cate: 基本

「基本」(その2)

とは言うものの、それほど大がかりなことをやったわけではなく、スピーカーのセッティングを、
ステレオ再生の基本、というより約束事である正三角形の頂点で聴く、ということを実践しただけである。

左右のスピーカーの間隔を一辺とする正三角形のそれぞれの頂点を、
左右のスピーカーとリスニングポイントとする。
スピーカーの振りも、正三角形だから、ちょうど60度にする。

いままでのセッティングでは、スピーカーとリスニングポイントの距離よりも、
スピーカーの間隔が多少広く、二等辺三角形になっていた。

左右のスピーカーの間隔を、約20cmほど縮め、後に数cm移動する。
そしてスピーカーの振りを、きっちり60度にする。
あとは音を聴きながら、微調整したわけだが、別項で、「使いこなしに定石はない」と書いているし、
たしかにそうなのだが、それでも基本(約束事)をまず最初に実践してみるべきであると、
いまさらながら思ってしまった。

Date: 8月 15th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×七 補足)

そんなことを気にしはじめると、マークレビンソンのML6やディネッセンのJC80のように、
左右チャンネルでシャーシーから独立しているアンプを2段重ねで使うのは、論外ということになってくる。

何度か試したことがあるが、やはり左右に2台並べて置いた音を聴くと、2段重ねでは使いたくない。
セパレーションを良くし、音場感情報の再現に有利なはずのモノーラル構成が、
使い方の注意がすこし足りないと、活かしきれないことになる。

同一条件にする(近づける)ために、井上先生は、こんなことを言われた。
「ボリュウムは、左右の条件をできるだけ同じにするには、2連タイプではだめ。
4連タイプの中央の2連のみを使うこと」

つまり2連ボリュウムだと、機械的な条件が、前側と後ろ側とでは異なるためで、
4連ボリュウムの中央2つを使い、前と後の2つを使わなければ、
完全とはいえないまでも、2連タイプよりは、ずっと左右の条件が近づくわけだ。

そういうふうに、電気的、機械的、電磁的、振動的にも、
左右チャンネルの条件をできるだけ等しくしていくことが、
音場感情報の精確な再現につながっていくわけだが、
その一方で、どれだけ注意を払い、意を尽くしても、
左右チャンネルを完全に等しくすることは無理だということも、井上先生は言われていた。

Date: 8月 15th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×六 補足)

以前、こんなことがあった。
井上先生が、パワーアンプの電源を、コンセントの下からとってみろ」といわれた。
いわれるままにコンセントの下の口に差し換えて、音を出す。
「どうだ?」ときかれる。
たしかに、微妙だが、音が違うのがわかる。

上に戻した音を、もういちど聴く。2回ほどくり返すと、音の違いがはっきりしてきた。

コンセントの構造上、たいていの場合、室内配線は上の口のほうにつながっており、
下の口へは真鍮製のバーを通って供給されるわけだが、
このわずか数センチの真鍮の存在によるキャラクターがついてくる。

モノーラルアンプで、同一コンセントから電源をとったにしても、完全には同一条件にはならないわけだ。
もっともコンセントの構造が、
上下の口に対して同条件である──上下の口を結ぶバーの中央に配線がつながる構造──ならば、いいのだが。

だから以前QUADのESLを使っていたときは、ひとつのACプラグに2本の電源コードをつないでいた。

Date: 8月 15th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続×五 補足)

音場感情報を精確に再生するには、左右チャンネルをできる限り同条件にすることが大事だ、
と井上先生はいわれていた。

とくに外来からのノイズが増えていく状況においては、スピーカーケーブルの這わせ方を、
左右でまったく違う経路を通るようにしただけでも、音場感はいともたやすくくずれてしまう。
だから、私がいたころ、ステレオサウンドの試聴室で、
スピーカーケーブルはつねに左右チャンネルをぴったりくっつけて這わせていた。

左右のスピーカーケーブルを離しておいたほうが、セパレーションが確保できていいという人もいるが、
実際に音を聴いてみれば、どちらが音場感情報の再現に優れているかはすぐにわかることだ。

もちろんモノーラルパワーアンプは、2台とも同一コンセントから電源をとるのはもちろんだし、
コンデンサースピーカーの電源もそうだ。

ただここで問題になるのは、通常コンセントは2口あり、
どちらの口に挿し込むかによっても微妙に音は違ってくる。

Date: 8月 14th, 2009
Cate: 基本

「基本」(その1)

春ごろから、ひとつ考えていたことがあっても、「このままでいいかなぁ」という気持もあって、
手つかずのままのことがあった。

数日前、CDを2枚買ってきた。
パーヴォ・ヤルヴィが、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンを指揮したベートーヴェンで、
3番と8番のカップリングと、6番と2番のカップリングの2枚である。

6番「田園」と2番のほうは、サライの7月16日号の、黒田先生の連載「聴く」で紹介されている。
「細部まで精緻でいて、しかもアグレッシヴ(攻撃的とさえいえる積極性)といいたくなるほど、
音楽を前進させようとする力に富んでいる」と書かれている。

聴いてみると、たしかに精緻で、3番、8番では、「音楽を前進させようとする力」感じた。
でも、黒田先生が圧倒された、「田園」交響曲の「嵐」のところが、じつはうまく鳴らなかった。
精緻さは際立っていたけれど、アグレッシヴとはお世辞にも言えない。

だから、やる気になった。

Date: 8月 13th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続々続々補足)

真空管パワーアンプ(もしくはプリメインアンプ)で、
重量物であるトランスをシャーシー中央に集めたコンストラクションは、MC2301以前にもある。

2008年はじめにエソテリックから登場したA100がまさにそうで、こちらはステレオ構成なので、
シャーシー中央に、電源トランスは1個、出力トランスは2個、計3個のトランスを配置している。
基本的な考え方は、MC2301とA100は同じである。

おそらくマッキントッシュからこれから出てくるであろうパワーアンプは、
MC2301と同じコンストラクションとなる可能性が高いと考えられるし、
ステレオ構成で、3つのトランスということになると、A100と相似のコンストラクションになるであろう。

ただトランス3個を、一直線に配置する場合、どういう順番で並べるかで、違いが出てくる。
A100は、フロントパネルのすぐ裏に電源トランス、そして出力トランス2個は、
ひとつのシールドケースにまとめて収められている。
つまり電源トランス、出力トランス、出力トランスという配置である。
これとは別に、出力トランス、電源トランス、出力トランスという配置も、ある。

Date: 8月 13th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続続々補足)

マッキントッシュにとって新しいコンストラクションの採用が、
MC2301の正式な登場まで、1年近く必要だった理由のひとつではなかろうかと思う。

トランジスター化されて以降、フロントパネルの裏側に、電源トランス、オートフォーマーは配置されていた。
ステレオサウンドで働くようになって、はじめてMC2255を持ち上げたとき、
こんなにもフロントパネル側が重いのか、と、重量のアンバランスさに驚いたほどで、
ひとりで抱えるには、フロントパネルを自分のほうに向けて抱え込むようにしないと無理で、
もし逆さまに持ち上げてしまうと、ひっくり返しそうになる。

井上先生が、かなり以前から指摘されているように、電源トランスの配置によって、
アンプ全体の重量バランスは大きく左右され、
重量バランスのとれているアンプだと、音場感情報もよく出るとともに、音像の輪郭が自然な感じとなるのに対して、
重量的にアンバランスなアンプでは、音像の輪郭がエッジが張った感じになり、
そのおかげで聴き応えのある音になるとともに、音場感の情報量は、減衰傾向にある。

アンプの音は、重量バランスだけで決るのではないし、
マッキントッシュは、あえてこの重量のアンバランスさをうまく利用していたのではないかとも、思える。

MC2301のコンストラクションは、重量バランスの変化による音の変化とともに、
アンプの主要パーツの配置が従来とは大きく変ったために、とうぜん内部配線処理も変更を受ける。
アースの処理の仕方も変わったであろう。

それまでの伝統的なノウハウだけでは対処できない面も生まれてきたため、
新たなノウハウを得るための時間が必要だったのではなかろうか。

Date: 8月 12th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続々補足)

マッキントッシュのパワーアンプは、トランジスター化されても、オートフォーマーを採用している。
いまだにオートフォーマーのことを出力トランスを書く人がいるけれど、
このオートフォーマーも、出力トランス同様、重量物であり、
マッキントッシュのトランジスターパワーアンプは、フロントパネル裏に、
オートフォーマーと電源トランスを配置している。
だから、重量的なアンバランスは、トランジスター化されても受け継がれてきてたわけだ。

マッキントッシュの歴代のパワーアンプのなかで、比較的重量バランスがとれているのは、MC3500だろう。
内部写真を見ると、対角線上にトランスを配置している。
それでもシャーシー四隅のうち、二隅にはあまり重量がかかっていないだろうから、
まだまだ検討の余地は残っている。

その点、MC2301は、シャーシー中央に重量物をまとめて配置しているから、実際に持ち上げてみることなく、
その重量バランスの良さは、すぐにわかる。
いままでのマッキントッシュのアンプにはないコンストラクションであり、
とうぜん、このことは内部配線にも関係してくる。

真空管アンプで300Wという出力の大きさと、新しいコンストラクション。
これまでのマッキントッシュのパワーアンプにはなかった面をきっと聴かせてくれるであろう、
と期待はふくらむばかりだ。

Date: 8月 12th, 2009
Cate: MC2301, McIntosh, ショウ雑感

2008年ショウ雑感(その2・続補足)

MC2301に、これほど注目している理由のひとつとしてあげたいのは、重量バランスのよさである。

真空管のパワーアンプの場合、電源トランス、出力トランスという重量物が、モノーラル構成だと最低でも2つ、
ステレオ構成だと最低でも3つ必要となり、トランス同士の相互干渉を防ぐとともに、
いかにシャーシー上に、重量的なアンバランスが生じないように配置するのは、
内部配線との絡みもあって、そう簡単には解決できない問題である。

それに真空管アンプの場合、トランスの配置が、見た目の問題にも大きく関わってくるから、
よけいにやっかいともいえる。

マッキントッシュの真空管アンプをみてみると、トランス類はたいていシャーシーの片側にまとめられている。
MC275もそうだし、モノーラル機のMC75もそうだ。さらに古いMC30でも片側によっている。
これはなにもマッキントッシュの真空管アンプだけのことではない。
マランツの♯2や♯9でも、どちらかに片寄っていて、実際に抱え上げると、
かなりの重量的なアンバランスさを感じとれる。