「基本」(その5)
ヤルヴィのベートーヴェンを聴いたあとに、
フルトヴェングラー、バーンスタイン、ジュリーニのベートーヴェンを聴く。
ヤルヴィの演奏をきいた耳で聴くと、聴きなれていたディスクに、再発見がある。
己の、聴き手としての未熟さに気づかされるわけだが、それもまたいい。
未熟さに気づかずに、これから先ずっと聴いていってたとしたら、
なにかとりかえしのつかないことをしでかした気持になるというものだろう。
だから、ヤルヴィのベートーヴェンは、ちょっとしたひとつの事件だった。
そして、私にとっての基本は、正三角形の頂点で聴くことだけではない。
わずか数人だが、信じている人がいる。
その人の言うことならば、とにかく、すべて信じることにしている。
黒田先生がそうだし、川崎先生も、私にとってはそうだ。
このことが、私にとっての、いちばんの基本である。
すべての人を疑ってかかるのも、その人なりの生き方だろうし、
私が信じている人を信じないのも、人それぞれだろう。
信じられる人がいるということは大事なことだし、
信じられる人がいないということは、哀しいことではないか。