Archive for category テーマ

Date: 12月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その43・余談)

輸入盤よりも音がよいと感じた国内盤LPは、私にもあった。
挑発するディスク」でとりあげたカザルスのベートーヴェンの交響曲第七番がそうだ。

カザルスのベートーヴェンを最初に聴いたのは、ステレオサウンドの試聴室。
そのLPはCBSソニーのもので、日本でのカッティング、日本でのプレスである。
ジャケット裏には、ノイマンのカッターヘッドSX74でカッティングしたことが書かれてあったように記憶している。
カザルスの演奏についての解説は宇野功芳氏だった。

そこにはこんなふうなことが書いてあった。
カザルスの演奏によるベートーヴェンは触れれば切れる、と。

宇野功芳氏の書かれるものについては意見がわかれよう。
私はどちらかというとあまり読まないようにしている。
けれど、このカザルスのベートーヴェンの演奏については、素直に同意する。
まさに、触れれば切れる、そういう印象なのだったから。

カザルスのベートーヴェンのレコードは、当時日本盤しか入手できなかった。
数年後、西ドイツ盤が入手できた。
いわゆるオリジナル盤はアメリカ盤なのだろうが、とにかく輸入盤で聴ける、と、
西ドイツ盤を手に入れたときはうれしかった。
さっそく聴いてみた。

たしかに鳴ってきた音は五味先生の言われるとおり、
「高音域のつや、かがやき、気品、低音部の自然なやわらかさ」においてCBSソニー盤よりも優っていた。
けれど、私がカザルスのベートーヴェンを最初に聴いたときに打ちのめされたものが、かわりに稀薄になっていた。
宇野氏のいう、触れれば切れてしまう感じが薄い。

音色の美しさは西ドイツ盤に軍配をあげる。そのくらいの差異があった。
けれど聴きたいのはカザルスのベートーヴェンだ。
ほかの指揮者のほかのオーケストラのベートーヴェンであれば、西ドイツ盤の音をすなおによころんで選択した。

おそらくCBSソニーのカザルスのLPは、送られてきたマスターテープのコピーをそのまま、
いわゆる音づくりなどいっせいせずにカッティングした、そんな印象を抱かせるような音である。
とにかくマスターテープのコピーにできるだけ忠実であろうとしたことが、
カザルスのベートーヴェンに関しては、ある部分とはいえ、うまい具合に働いていたのではないだろうか。

いまカザルスのベートーヴェンはCDで入手できる。
七番だけでなく八番もおさめられている。
この八番も私は、カザルスの演奏で聴くのが好きである。

だがCDには不満がある。それは七番の第三楽章と第四楽章のあいだにわずかな時間とはいえ空白がある。
スタジオ録音であればまったく気にならない、この空白が、
ライヴ録音のカザルスのベートーヴェンでは致命的に近いまずさではないか、といいたくなる。
第三楽章と第四楽章はつづけて演奏するように指示されているはず。
それにライヴ録音だから演奏会場のバックグラウンドノイズも収録されていて、
そのノイズがいったん途切れてしまう。これでは感興がそがれてしまう。

この点でも、CBSソニーのLPは、カザルスの熱気、オーケストラの熱気、それに聴衆の熱気を伝えてくれる。

Date: 12月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その44)

これについては、少し長くなるけれど五味先生の文章を引用しよう。
     *
たとえば、ソニーが最近さかんに宣伝しているレコードがある。ノイマン社の最新型カッティング・マシンとカッティング・ヘッド、およびこれらを駆動かつ制御するトランジスター・アンプのトータルシステムによるもので、これによって「カッティング時の“音作り”を不要とし、マスター・テープそのままの音をディスクに忠実に再現する」と言っている。私のところにもそんなレコードが宣伝用に送られてきたが、さて鳴らしてみると、さっぱり音はよくないのだ。ソニーともあろうものが、こんなアホウなレコードをなぜ宣伝につかうのか、ふしぎでならなかった。
 そこで、同じノイマンのカッティング・マシンを購入している某社へ行って、私自身、レコードを録音してみたことがある。私はシロウトである。しかしシロウトでも技術者に介添えしてもらえば、カッティングぐらいはできる。ソニーの宣伝文句ではないが、〝音作り〟は今や不要なのだから。そしてカッティングと同時に刻々その音を再生し、モニター・スピーカーで聴けるようにマシンはできているが、これで聴くと「マスター・テープそのままの音」では断じてなかった。こんなものを「そのまま」とはよほどソニーの技術者の耳は鈍感なのか、と思ったくらいだ。
 さてそうしてカッティングしたレコード(私の場合はラッカー盤)をわが家へ持ち帰って聴いてみたが、おどろいた。さっぱりよくない。ソニーの宣伝用レコードと等質の、いやらしい音だった。念のために知人のジム・ランシングのパラゴンで聴いてみたが、やはりよくない。別の知人のアルテックA7でも鳴らしたが、よくない。
 ことわるまでもなく、市販のレコードは、カッターで直接カットしたラッカー盤を原盤とし、これをメッキし、再度プレスしたものである。私のラッカー盤は、これらの二工程を経ていないから、理論的には、よりマスター・テープに忠実といえるだろう。それがどうして悪い音なのか?
     *
頭の中だけで考えるならば、
マスターテープに記録されている信号をできるだけいじらずそのままにストレートに音溝として刻むことが、
いい音を得ることの唯一の方法のように思えなくもない。
だが、現実にはどうもそうではないことを、
私はオーディオをはじめると同時に、「五味オーディオ教室」で読んでいた。

実は、五味先生のいわれていることを同じことを菅野先生からなんどか聞いたことがある。
ステレオサウンドにいたころの話だから、1980年代のころだ。
マスターテープで聴くよりもレコードにして聴いた方が音はいいんだよ、と言われていた。
このことは1980年代のステレオサウンドの「ベストオーディオファイル」の中でも語られていたと記憶している。

俄には信じられない人もいよう。
あらためて言うまでもなく菅野先生は長年レコードの現場におられた。
その菅野先生の言葉だからこその重みがある。

Date: 12月 18th, 2011
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(その43)

ハーフ・スピード・カッティングのほうが通常スピードのカッティングよりも、
マスターテープにより忠実に音溝を刻んでいけるように、頭の中ではそう思える。
おそらく間違っていないはず。
それでも……、という気持がつねにあるのは、「五味オーディオ教室」を読んできたこと、
そのことが私のオーディオの出発点になっているからでもある。

「五味オーディオ教室」のなかに、国内盤と輸入盤の音の異なることについての章がある。
輸入盤と日本プレスのLPとでは
「高音域のつや、かがやき、気品、低音部の自然なやわらかさ」に歴然たる差異がある、と書かれている。
瀬川先生も「虚構世界の狩人」のなかの「ふりかえってみると、ぼくは輸入盤ばかり買ってきた」に、
まったく同じことを書かれている。

だから極力輸入盤ばかりを買うようにしていた。
どうしても入手できない盤にかぎり、国内盤を買うことはあったが、それでも輸入盤をあきらずにさがしていて、
見つけたら購入するようにしていた。

それでも、五味先生は輸入盤と国内盤の音の差異について語られているところで、
まれに「国内プレスのほうがあちら盤より、聴いて音のよい場合が現実にある」とも書かれている。

マスターテープは本来1本しか存在しない。
国内録音の場合は日本にマスターテープがあるけれど、
海外のレコード会社による録音の場合、
イギリス、ドイツ、フランス、アメリカなどのレコード会社にマスターテープは保管されていて、
日本のレコード会社に送られてくるのは、そのマスターテープのコピーであるのは周知の事実である。
そうやって送られてくるマスターテープのコピーには、ずさんなものもあるらしい。

それでも国内盤のほうが音のよいことがあることについて、
五味先生は書かれている──、
「マスター・テープのもつ周波数特性の秀逸性などだけでは、私たちの再生装置はつねにいい音を出すとは限らぬ」と。

なぜそういうことが起りうるのかは、「五味オーディオ教室」のなかに、やはり書かれている。

Date: 12月 17th, 2011
Cate: audio wednesday

公開対談について(その6)

オーディオ彷徨」というfacebookページで、
何を公開しているのかはアクセスしてもらえばわかることなので書かない。
facebookページは、facebookのアカウントがなくても見ることはできる。

facebookページの「オーディオ彷徨」のための作業をやっている。
手にする本はスイングジャーナルのバックナンバーがほとんどだ。
それも1970年代のものが、その大半である。
1977年3月に岩崎先生は亡くなっているから、facebookページ「オーディオ彷徨」にとって必要となるのは、
それ以前のスイングジャーナルということになり、バックナンバーによってはすでに40年前の本となっている。
上質紙でないページはすでに変色している。
ノリが硬化してしまってときにはページがごっそり抜け落ちてしまう号もある。
古い本特有の匂いもある。
そんなスイングジャーナルを手にとると、正直「古いな」と感じてしまう。

でもそう感じているのは作業に取りかかる前までのことで、
入力作業を少しでもやっていくと、
そのスイングジャーナルが30数年前、40年前のバックナンバーとは、もう思っていない。
それは、おもしろいからだ。

当時のスイングジャーナルにはほぼ毎号座談会が載っている。
オーディオ評論家による座談会もあれば、
メーカーの技術者を呼んで、オーディオ評論家との座談会もある。

座談会の中には、オーディオ機器の型番が出てくる。
そういう型番は、当時は新製品であってもいまからすると古いモノになってしまっているから、
時代を、そういうときは感じさせるもののの、それはごく一部であり、内容のおもしろさとは直接関係のないことだ。

何度も書いているように私がオーディオに関心をもったのは1976年だから、
それ以前のスイングジャーナルの記事はまったく読んでいなかったし、
1976年以降のスイングジャーナルに関しても、
ジャズの雑誌という認識だったので、ほとんど読んだことはなかった。

だからfacebookページ「オーディオ彷徨」で公開している座談会のほぼすべては初めて読むものばかり、である。

Date: 12月 17th, 2011
Cate: audio wednesday

公開対談について(その5)

「過去は変えられない」──。
確かに過ぎ去った「こと」は変えることはできない。
どんなに後悔していてもすでに起ったことに対して手を出すことはできない。
もうすでに起ってしまった「こと」なのだから。

でも、だからといって、過去を振り返る必要がないわけでもないはずだ。
過去は変えられないが、過去の意味あいは変っていくものだし、またある意味変えることもできる。

起ってしまったことはどうしようもならない、だからさっさと忘れて先に進もう。
悪い思い出に対して、よく語られる、このこと。
前向きな考えかた・発言のように受け取られているようだが、これはほんとうに前向きなんであろうか。

さっさと忘れてしまっていいものだろうか。

「昔は良かった」──。
それは良かった過去を思い出して、そこから先に進もうとしていないだけ、という見方ができる。
たしかに、そういう面があるのは否定しない。
でも、早く忘れてしまいたい悪い過去も、できるだけ憶えていたい良かった過去も、
どちらもその人にとっては大きな出来事だったはず。
だとしたら、どちらの過去もそんなに簡単に忘れたり振り払ったりして、いいものだろうか、と思う。

大事なのは、忘れたり振り払ったりして先に進むことなのだろうか。
そうやって先に進むことは、ほんとうに先へ進むことなのだろうか。

大事なのは、悪かった過去も良かった過去もきちんと解釈することのはずだ。
それも1回解釈すればそれで済むこともあれば、また時を経てさらに解釈し直すことも要求される。
生きていればそれだけ過去は溜まっていく。
そうやって溜まっていった過去という「こと」を解釈していくことは時間の無駄だと思う人はそれでいい。

私は解釈しなおすことで「こと」の意味あいが変ってくると考えているし、
つまりはそれは私にとって過去が変ることにもつながっていく。
もちろんすべての過去の意味あいが変ってくるのか、それとも変らない過去の意味あいもあるのか、
それはわからないからこそ、しつこく解釈していくしかない、といまは思っている。

Date: 12月 16th, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その31)

そんなMC2300を見ながら、
そういえば瀬川先生がステレオサウンド 43号に書かれたことを思い出してもいた。
     *
300W×2というパワー自体はいまやそう珍しくないが、製品を前にしてその偉容に打たれ、鳴らしてみると、その底力のある充実したサウンドは、並の300W級が色あせるほどの凄みを感じさせる。歪感が皆無とはいえないが、なにしろ物凄いアンプだという実感に、こまかいことはどうでもよくなってくる。
     *
いまこうやって書き写してみても、たしかにMC2300はそういうアンプだと思い出される。
瀬川先生はMC2300の音を「サウンド」と表現されている。
これもわかる。
「こまかいことはどうでもよくなってくる」も、よくわかる。

MC2300も初期のものと後期のものとでは細部の変更・改良が加えられていてようだが、
それでも1980年の終りごろに後継機のMC2500が出るまで、
マッキントッシュ・パワーアンプの旗艦として存在していた。
MC2300とMC2500の外観上の違いはツマミがMC2300の3つから4つに増えたことぐらいで、
あとはMC3500から続いているイメージのままだ。
MC2500は数年後にパネルがシルバーからブラックにかわり、それにともない細部も改良されている。
さらにMC2600となり、出力は300W、500W、600Wと、シャーシは同じでも増えていっている。

このMC2300、MC2500、MC2500(ブラックパネル)、MC2600への変化は、
電気モノから電子モノへの移り変りのように、私は感じている。
この変化は、ノイズの粒子感、質量感、実体感といったこととも関係している、はずである。

Date: 12月 16th, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その30)

マッキントッシュのMC2300が登場したのは、たしか1973年ごろのはず。
私がオーディオに興味をもった1976年には、すでに新しいタイプのパワーアンプではなかった。

管球式のパワーアンプ、MC3500のイメージをそのまま受け継いだかたちのシャーシとパネル・フェイスで、
MC3500はモノーラル仕様で出力350W、MC2300はステレオ仕様で300Wの出力をもつ。
MC2300が新製品として登場したころは300Wという出力は珍しかったのであろうが、
1976年ごろになると300Wクラスの出力をもつパワーアンプは各社から出ていた。

正直、MC2300を欲しいと思ったことはない。
当時はまだ音を聴いたことはなかったけれども、写真から伝わってくるMC2300の雰囲気は、
私が求めているものとは方向性が違っている、と語っていた。
こんなことを書いておきながら、矛盾することを書いてしまえば、MC2300は好きなパワーアンプのひとつである。

MC2300にスマートさは感じられない。いわば武骨なパワーアンプと思う。
そこが欲しい、と思わない理由でもあり、好きな理由でもある。

MC2300を聴いたのは、ステレオサウンドで働くようになってから。
ステレオサウンドの試聴室で聴いたことはない。
編集部の先輩だったNさんのところで聴いたのが、最初だった。

Nさんのところには数回行っている。
いつも仕事の後だった。だから夜遅い時間ばかりで、とうぜんボリュウム全開とはいかない。
ひっそりと鳴らす(あくまでもMC2300としては、ではあるが)と、空冷用のファンはまわらない。
静かなものである。
Nさんのところで他のアンプと聴きくらべたわけではないから、MC2300を聴いたといっても、
あくまでもそれはMC2300を含めてのNさんの音であって、
MC2300の音(というよりもイメージ)は、Nさんの音と重なってしまうところが大きい。

NさんのところではMC2300の下に板が敷いてあった。
米松合板だったと記憶している。

いまでこそアンプの下になんらかのベースを敷くのは、いわばチューニングのための基本のようになりつつあるが、
このころはそんなことはなくて、訊ねてみると、
MC2300の梱包用資材のひとつだということがわかった。

MC2300の重量は約60kg。そのため底部には米松合板がボルトでMC2300に固定された状態で運搬される。
Nさんはそれをつけたまま設置していたわけである。

この米松合板を見たとき、ダンボール箱と発泡スチロールで運ばれてくる他のアンプとは、
明らかに違う何かを感じたのか、音とともに、これが記憶に残っている。

Date: 12月 15th, 2011
Cate: 「オーディオ」考

「オーディオ」考(その4)

エディソンのフォノグラフにしても、ベルリナーのグラモフォンにしても、
最初からくり仕掛けの器械だったのが、
ベルリナーのグラモフォンに絞られたことにより発展していく。
そしてアクースティック蓄音器は、ビクトローラのクレデンザ、
HMVの202、203という名器を生み出すまでになっていった。

クレデンザにしてもHMV・203にしても、もう、からくり仕掛けの器械ではなくなっている。
蓄音器の仕組みはおそらく広く理解されていたであろうし、
クレデンザにしても203にしても、それに、他のアクースティック蓄音器は、
このころにはすでに家具として認識されていたのではなかろうか。
音を奏でる家具としての存在が、アクースティック蓄音器であり、
だからこそクレデンザや203の意匠だと私は思っている。

クレデンザも203もアクースティック蓄音器である。
電気をいっさい使わない。
1896年にベルリナーがゼンマイ式のモーターを採用するまで、
フォノグラフもグラモフォンもレコードを聴くためには、
誰かかが一定の速度を保つようにたいへん気を使いながらハンドルを回していなければならなかった。

クレデンザが登場したのは1925年で、この年、アルフレッド・コルトーが電気録音を行っている。
さらにパナトロープ(電気蓄音器)も発売された。

それまで電気を使わずに機械的にカッティングされていたレコードの溝が、
マイクロフォンと真空管によるアンプ、それにカッターヘッドによって刻まれ、
サウンドボックスとラッパ(ホーン)だけによる再生が、
ピックアップ、真空管アンプ、スピーカーという構成へとなっていく。

アクースティック蓄音器から電気蓄音器(電蓄)へとなっていったわけだが、
この点が、最初から電気を必要としたテレビとは異り、
オーディオを家電製品と呼ぶことへの異和感へとつながっているのかもしれない。

Date: 12月 15th, 2011
Cate: audio wednesday

公開対談について(その4)

「昔は良かった」──、
これを口にするとき、その良かった昔を自分は体験してきている、と自慢したい人もいるかもしれないが、
私は「昔は良かった」を口にするとき、
とくに、そのときの相手がその良かった昔を体験していない人に対してであるならば、
「昔は良かった……、だから今を良くしたい」という気持をこめているつもりだ。

そのためにはどう昔は良かったのかを、きちんと解釈する必要がある。
それをやらずに「昔は良かった」というつもりはないし、
また解釈もせずに「昔は良かった」なんていうのは後向きの発言でしかない、という人に対して反撥もある。

私が体験してきた昔は1976年以降でしかない。
それ以前のオーディオに関しては人に聞いたり本を読んだりして知っているだけである。
それであっても、「昔は良かった」と断言できる。

1976年からは、ずっとオーディオの変化を見てきている。
なぜそうなったのかについて、いちどきちんと書いていきたいと思っている。

私がaudio sharingをつくった理由のひとつが「昔は良かった」からであり、
それをなんとか今の時代にも、あの時私が感じていた良さ、そしていま振り返って感じている良さを、
少しでも、今感じてほしい、と思ったから、ということがある。

今年になりfacebookを始めた。
最初は放ったらかしたままにしていたが夏から利用し始めた。
facebookの機能であるページとグループを利用して、
オーディオ彷徨」というページと「audio sharing」という非公開のグループをつくった。

先日の町田さんとの公開対談のとき、この「オーディオ彷徨」のことが話に出た。

Date: 12月 14th, 2011
Cate: 書く

毎日書くということ(日本語の入力)

先週の木曜日、帰宅してメールをチェックしようとしたらネットに接続できなくなるというトラブルがあった。
このトラブルを解消するとともに、インターネットの契約を変更した。
そして、ようやく今夜から快適に接続できるようになった。

つまり8日から昨日(13日)のブログは、iPhoneから更新していた。
書くのを一週間ほど休むことも、少しだけ思ったけれど、3G回線とはいえ接続できる環境があり、
iPhoneのアプリとしてWordPressがある以上、一週間の辛抱だからと、毎日書くことにした。

とはいえ、Mac OS Xに親指シフトキーボードの組合せが、私にとってのブログ書きのためのツールであり、
iPhoneからの更新となると、親指シフトキーボードが欠けてしまう。
iPhoneでいきなり書き始めることも考えたが、結局、Macと親指シフトキーボードで書く。
それを見ながらiPhoneで入力することにした。

iPhoneでの日本語入力はフリック入力を使った。
指をスライドさせて文字を選んでいく。

キーボードはいうまでもなくキートップを指先で叩いていく。
押す行為である。
それに対してフリップ入力で、すでに親指シフトキーボードで入力した文章を見ていたら、
また違う言い回しに変えたくなった箇所がいくつか出てきた。
フリップ入力と親指シフトキーボード入力とでは、誇張抜きに10倍以上の時間の違いがあるのに、
そんなふうに書き換えていくところが出てくるものだから、さらに時間がかかった。

それでも指をスライドして文字を入力していく動作は、キーボード入力とはまだ違う感触があり、
その感触が、キーボード入力とは違う表現に結びついていっていたのかも、と思う。

これから先も親指シフトキーボードでブログを書いていく。
でも、時にはあえてフリック入力でのブログ書きもやっていくのも、いいかもしれない、といまは思っている。

Date: 12月 13th, 2011
Cate: 「オーディオ」考

「オーディオ」考(その3)

1週間前の12月6日は「音の日」だった。
1877年のこの日、トマス・アルヴァ・エディソンがフォノグラフ(phonograph)を完成させ、実験を行っている。
このときエディソンが「メリーさんのヒツジ」を歌ったことはよく知られている。
エディソン以前はどうだったかといえば、
レコードとレコードをつくり再生する仕組みの発明はなされていて、
それらいくつかの発明の中でもフランスのシャルル・クロによるパルレオフォン(parléophone)は、
歴史のいたずら(というよりパリの科学アカデミーの怠慢ゆえに)によって放っておかれ、
伝えられている日付が事実なら、このパルレオフォンこそが世界最初の蓄音器になっていたであろう。

とはいうものの、一般的認識としては、オーディオはエディソンの蓄音器、フォノグラフから始まっている。

エディソンのフォノグラフは、これ一台で録音・再生ができていた。
だから「メリーさんのヒツジ」をエディソンが歌った直後に、
フォノグラフからエディソンの声による「メリーさんのヒツジ」が聴こえてきたわけだ。
この事実が、実験に立ち合った人の何人かを、
発狂しそうなくらい驚かせたことに、深く関係している、と思う。

1877年当時の人たちにとってフォノグラフは、1877年までに存在していた他の器械とは違う、
理解しにくい、得体のしれない、からくり仕掛けの物体として映ったのかもしれない。
そうだとしたら、オーディオは最初はからくり仕掛けの器械だった──。

シリンダー状(錫箔管)だったエディソンのフォノグラフは、
その後ドイツ生れのエミール・ベルリナーの発明(1887年)、
グラモフォン(gramophon)にとって代わられることになる。
いうまでもなくベルリナーのグラモフォンは、現在のレコードの原型といえるディスク(円盤)状のもので、
エディソンのフォノグラフが形状的に持っていた、
複製をつくるのができない短所(欠点)を解消している。

原盤をつくり、あとはそのコピーを大量生産する、という目的にはディスク(円盤)は最適の形状といえるものの、
外周と内周とで線速度の違いから音質の差が生じる。
エディソンのフォノグラフでは、この問題はおこらない。
それに不確かな記憶で申しわけないが、ベルリナーのグラモフォンは再生だけだった、と思う。

ここから、エディソンのフォノグラフではひとつだった録音と再生が分かれてくことになる。

Date: 12月 12th, 2011
Cate: 「オーディオ」考

「オーディオ」考(その2)

巨大掲示板の2ちゃんねるの存在を知ったとき、
オーディオに関する項目がどこにあるのかを探して、ショックに近いものを感じた。

2ちゃんねるにはいくつもの大きなカテゴリーがあって、そのなかがさらに細かく分かれていて、
その先もまた細かく分かれていている。
大きなカテゴリーには、文化、学問・理系、学問・文系、趣味、音楽……など、いくつもある。
オーディオがどこに含まれるのか──。
家電製品のカテゴリーに「ピュアAU」というのがあり、
これが2ちゃんねる内のオーディオの掲示板であり、
2ちゃんねる内での位置づけである。

私はてっきり趣味か音楽のところかな、と勝手に思い込んでいただけに、
家電製品のところにあったことは、
つまりオーディオにこれといった関心を持たない人にとってのオーディオの位置づけがそうである、
そのことの反映と受けとらなくてはならないのだろうか……、
それがショックとまではいかなくとも、
それに近いものであったのは確かだった。

それまで、じつをいうと、オーディオはオーディオだ、ぐらいの認識だった。
電気を必要とするから電化製品といわれればたしかにそうではあるけれども、
だからといって家電製品とは思っていなかった。

電化製品も家電製品もほとんど同じようなものとして、このふたつの言葉は使われているにしても、
それでも家電製品と呼ばれるオーディオと
電化製品と呼ばれるオーディオとでは、
印象的に少し違ってこよう。
家電製品ということになってしまうと、
オーディオは洗濯機や掃除機、冷蔵庫と同じ括りになる。
テレビも家電製品だからオーディオも家電製品ということなのだろうか、
もしくは日本でオーディオ機器を作っていたメーカーのいくつかは家電製品も製造していたからなのか。

2ちゃんねるの、このカテゴリー分けは、いったいどうやって決まったのだろうか。
2ちゃんねるのカテゴリー分けで、オーディオが家電製品に含まれていようと、
オーディオを趣味とする者、さらには趣味以上のものとして取り組んでいる者が、
そう思っていなければそれですむことではあるというものの、
それでも、ここで考えていきたいのは、
オーディオとはいったいなんだったのか、なんなのか、である。

Date: 12月 11th, 2011
Cate: audio wednesday

公開対談について(その3)

なにもサンスイばかりが積極的にショールームを活用していたのではない。
サンスイ以外のオーディオメーカーも、それぞれにやっていた。
サンスイの「チャレンジオーディオ」が私のいちばん行きたかった「場所」だった、ということだ。

とにかく活気はあった。
それはオーディオブームだったから、ともいえるし、
当時のオーディオブームが異状なのであって、
むしろいまの、この状況──オーディオ好きの人だけが残っている──が、
正常な在り方、だという人もいる。
もっともだ、と首肯く人がいるだろうが、私はそうは思っていない。

オーディオブームに否定的な、こんなことを言う人の理屈はこうだ。
ブームがあったからオーディオに関心・興味をもった人たちは根っからのオーディオマニアではない、
単にブームにのっかっただけである──、そういうことだ。

とにかくブームは全面悪的な受けとめ方だ。
たしかにブームには弊害がある。
けれどブームがもたらすものも、また大きい。

それはなにもオーディオの受けとり手側だけでなく、
オーディオの送り手側にもいえることだ。

もしオーディオブームがなかったら、
もしくは私がオーディオに関心・興味をもつ1976年以前に完全に終熄していたら、
オーディオにいずれ関心・興味を持つことになったであろうが、数年先に、なったかもしれない。
それが5年先になっていたら、
私は瀬川先生に会うことはできなかったし、
五味先生のオーディオ巡礼の再開を、ステレオサウンド掲載時にわくわくしながら読むことはできなかった。

そして「出発点」も大きく変っていたはずだ。

私の出発点である「五味オーディオ教室」は、オーディオブームだからこそ出版された本だと思うからだ。
この本と出合ったからこそ、いまがある。
この「五味オーディオ教室」がなかったら、ずいぶん違ったオーディオマニアになっていた可能性もる。

Date: 12月 9th, 2011
Cate: audio wednesday

公開対談について(その2)

「昔は良かった」──、
そんなのは後向きの考えで、何も生み出さない、
そんなふうに一刀両断される方がいる。果してそうだろうか。

「昔は良かった」を口にした人が、どういうものの見方・考え方をしているかによっても、
それに「昔は良かった」を受けとめる人によっても、
「昔は良かった」の意味あいは変化してくる。

オーディオに関していえば、「昔は良かった」は事実である。
だからといって、すべてが良かったわけではない。
そして昔といってもどのくらい前のことかは人によって違ってこよう。

まだオーディオをやり始めたばかりの人にとっての昔は数年前のこととなるし、
アクースティック蓄音器の時代から、という人にとっては、
電気をいっさい使わない、その時代が昔となるかもしれない。

最初に買ったレコードがCDだという人に
とっては、アナログディスク全盛時代が昔となり、
トランジスターしか知らない人にとっては、真空管しかなかった時代が昔かもしれない。

そして同じひとりの人間の中にも、いくつもの「昔」があって当然だ。
私にとっての大事な「昔」は、やはり私がオーディオに興味をもち始めた1976年以降の数年間になる。

1970年代は、まだオーディオブームが続いていた。
だから書店に行けばさまざまなオーディオ雑誌、オーディオ書籍がいくつもあった。
それだけではない、業界に活気があった、といま思っている。

その頃、私が住んでいたのは九州の片田舎。
そんなところでも書店ではオーディオの本があれこれ選べたし、
バスで約1時間ゆられて熊本市まで出ればオーディオ専門店があり、
何度か書いているようにオーディオ評論家によるイベントが行なわれていた。
それは瀬川先生だけでなく、他の方々も来られた。
長岡鉄男氏も熊本のオーディオ店に来られたことがあった。
菅野先生も一度、瀬川先生と一緒に来られたこともあった。
せは「オーディオ・ティーチイン」という定期的なイベントのために何度も来られた。

地方においても、こんな感じだった。
それでも、オーディオ雑誌をみて強く憧れていたのは、東京だった。

東京に住んでいれば、毎月、瀬川先生のイベントに行ける、
西新宿のサンスイのショールームに行けば、瀬川先生によって鳴らされる4343が聴ける。
他にも行きたいと思っていたのはいくつかあるけれど、
とにかくサンスイのショールームで毎月第二金曜日の夜開かれる「チャレンジオーディオ」にいきたかった。

Date: 12月 8th, 2011
Cate: audio wednesday

公開対談について(その1)

2010年の1月30日のブログ「夢の中で……」に書いたことが、
じつは公開対談をやろう、ということにつながっている。

「夢の中で……」を読まれた方のなかには、
私を「おかしなやつだ」と思われた人もいよう。
夢の中で長島先生に言われたことが、昨年はずっと頭の中にあった。
公開対談は、だから2010年の夏ごろに始められないかな、と、そんなつもりでいた。

場所は、ときどき店主との対話を楽しむためと、
そこに来られる方たち(彼らもまた店主との対話を楽しみにして来られているように思える)と話すこともある、
そういう場所として、四谷三丁目に喫茶茶会記がある。

喫茶茶会記の店主・福地さんは、
私が2003年にはじめたaudio sharingのメーリングリストに
最初から参加してくれた、私よりも10ほど若い人。
そのころは会社勤めだった彼は、
しばらくしたら会社を辞め、音の隠れ家というオーディオ店の一角に喫茶茶会記を開いた。
喫茶茶会記が、福地さんがどういう店を、どういう場を目ざしているかは、
私がここで説明するより喫茶茶会記のサイトを読んだほうがいいし、
それよりも実際に行かれたほうが、はっきりする。

最初の頃は喫茶のスペースしかなかったが音の隠れ家が閉店したため、
そこも喫茶茶会記のスペースとなり、いろいろなイベントが開かれるようになっていっている。

一昨年ぐらいから、ときどき「なにかやりませんか」と言われていた。
いわれはじめのころは「なにか、といわれても……」、そんなふうに受けとめていた。
それでもオーディオのイベントが定期的にやれればいいなぁ、でもどこか他人事のようにも考えていた。

そんなやりとりが数回続いたあとに、長島先生が夢に出て来られた……。