公開対談について(その3)
なにもサンスイばかりが積極的にショールームを活用していたのではない。
サンスイ以外のオーディオメーカーも、それぞれにやっていた。
サンスイの「チャレンジオーディオ」が私のいちばん行きたかった「場所」だった、ということだ。
とにかく活気はあった。
それはオーディオブームだったから、ともいえるし、
当時のオーディオブームが異状なのであって、
むしろいまの、この状況──オーディオ好きの人だけが残っている──が、
正常な在り方、だという人もいる。
もっともだ、と首肯く人がいるだろうが、私はそうは思っていない。
オーディオブームに否定的な、こんなことを言う人の理屈はこうだ。
ブームがあったからオーディオに関心・興味をもった人たちは根っからのオーディオマニアではない、
単にブームにのっかっただけである──、そういうことだ。
とにかくブームは全面悪的な受けとめ方だ。
たしかにブームには弊害がある。
けれどブームがもたらすものも、また大きい。
それはなにもオーディオの受けとり手側だけでなく、
オーディオの送り手側にもいえることだ。
もしオーディオブームがなかったら、
もしくは私がオーディオに関心・興味をもつ1976年以前に完全に終熄していたら、
オーディオにいずれ関心・興味を持つことになったであろうが、数年先に、なったかもしれない。
それが5年先になっていたら、
私は瀬川先生に会うことはできなかったし、
五味先生のオーディオ巡礼の再開を、ステレオサウンド掲載時にわくわくしながら読むことはできなかった。
そして「出発点」も大きく変っていたはずだ。
私の出発点である「五味オーディオ教室」は、オーディオブームだからこそ出版された本だと思うからだ。
この本と出合ったからこそ、いまがある。
この「五味オーディオ教室」がなかったら、ずいぶん違ったオーディオマニアになっていた可能性もる。