公開対談について(その5)
「過去は変えられない」──。
確かに過ぎ去った「こと」は変えることはできない。
どんなに後悔していてもすでに起ったことに対して手を出すことはできない。
もうすでに起ってしまった「こと」なのだから。
でも、だからといって、過去を振り返る必要がないわけでもないはずだ。
過去は変えられないが、過去の意味あいは変っていくものだし、またある意味変えることもできる。
起ってしまったことはどうしようもならない、だからさっさと忘れて先に進もう。
悪い思い出に対して、よく語られる、このこと。
前向きな考えかた・発言のように受け取られているようだが、これはほんとうに前向きなんであろうか。
さっさと忘れてしまっていいものだろうか。
「昔は良かった」──。
それは良かった過去を思い出して、そこから先に進もうとしていないだけ、という見方ができる。
たしかに、そういう面があるのは否定しない。
でも、早く忘れてしまいたい悪い過去も、できるだけ憶えていたい良かった過去も、
どちらもその人にとっては大きな出来事だったはず。
だとしたら、どちらの過去もそんなに簡単に忘れたり振り払ったりして、いいものだろうか、と思う。
大事なのは、忘れたり振り払ったりして先に進むことなのだろうか。
そうやって先に進むことは、ほんとうに先へ進むことなのだろうか。
大事なのは、悪かった過去も良かった過去もきちんと解釈することのはずだ。
それも1回解釈すればそれで済むこともあれば、また時を経てさらに解釈し直すことも要求される。
生きていればそれだけ過去は溜まっていく。
そうやって溜まっていった過去という「こと」を解釈していくことは時間の無駄だと思う人はそれでいい。
私は解釈しなおすことで「こと」の意味あいが変ってくると考えているし、
つまりはそれは私にとって過去が変ることにもつながっていく。
もちろんすべての過去の意味あいが変ってくるのか、それとも変らない過去の意味あいもあるのか、
それはわからないからこそ、しつこく解釈していくしかない、といまは思っている。