Archive for category テーマ

Date: 12月 26th, 2013
Cate: 程々の音

程々の音(その12)

エンクロージュアの組み立てには、接着剤を使用することが多い。
この接着剤に何を使うのか、
そしてどの程度の量を使うのか、
さらには接着面、たとえば底板と側板、側板とフロントバッフル、天板と側板など、
いくつもの接着面があるわけで、それぞれの接着面に応じて接着剤の量を同じにするのか、
それとも変えていくのか。
そして、その塗り方……。

接着剤ひとつをとってみても、そこには多くの違いが作り手の違いによって生じる。

さらには接着剤が乾燥するまでの時間、
それぞれの板に対して、どの程度の圧をかけるのか、もしくはほとんどかけないのか。

ひとつひとつ書いていけばキリがないほど、多くのパラメータがあって、
ひとつひとつは小さな影響であっても、エンクロージュアはそれらの集合体でもあるから、
作り手の組み立て技術は、同じく裁断された板を使用しても、当然音の差となってあらわれる。

しかもこれらの完全なる管理は、非常に困難であり、
だからこそメーカーの熟練した職人であっても、
まったく同じ音のするエンクロージュアを作るのは、ほぼ無理だということになる。

四角い箱ですらそうであるのだから、
コーナー型でホーン付のエンクロージュアともなると、
作り手の技術の差はさらに大きく音となって出てくることになる。

Date: 12月 25th, 2013
Cate: audio wednesday

第36回audio sharing例会のお知らせ

1月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。
元日にやることもないだろうとは思い、ほかの日に変えようかと考えましたが、
喫茶茶会記が年中無休ということですので、
毎月第一水曜日ということを変えることなく、
もしかすると誰も来られないかもしれないけれど、正月早々1日に行います。

テーマは、だからというわけでもありませんが、考えていません。

時間はこれまでと同じ、夜7時の予定です。
場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 25th, 2013
Cate: 書く

毎日書くということ(理由のひとつ)

今日もブログを書いた。
明日も書く、次の日も書く。
大晦日も元日も書いているはず。

毎日書く、その理由はいくつかある。
そのひとつは、「五味オーディオ教室」を手にして夢中になって読みながらおもっていたことを、
思い出すため、忘れないためだ。

13歳の、まわりにオーディオをやっている人がひとりもいなかった若造が、
そのころみていたオーディオの夢というのは、稚拙な夢ともいえなくもない。

稚拙な夢ではあっても、そこには、あどけない夢があった。
その、あどけない夢を忘れたくないだけで、もしかすると毎日書いているのかもしれない。

あどけない夢は、誰にもあったはず。
いまも憶えている人もいる、忘れてしまった人もいる。

憶えている人は、大人に成り切れなかった、というわけではあるまい。
忘れてしまった人は……、あえて書くまい。

私は、あどけない夢をくたばるまで忘れたくない。

Date: 12月 25th, 2013
Cate: 程々の音

程々の音(その11)

コーネッタは、コーナー型、フロントローディングホーン付という構造のため、
記事を読んだ人が作ろうと思い立っても、そう簡単に作れる代物ではない。
だからステレオサウンドでは、キットとして販売していた。

1978年ごろのステレオサウンド別冊 HI-FI STEREO GUIDEのキットのページに、
このコーネッタも載っている。

ブランドはSSLで、型番はSSL-1。
SSLはStereo Sound Laboratoryの略である。

コーネッタ(SSL1)はスペックは次の通り。
板厚18mmの樺桜合板。
適合ユニットはHPD295A、Monitor295HPD、IIILZ。
外形寸法はW85.0×H105.0×D55.0cm、重量は50kg。
価格は95000円(一本)。

キットだから購入者が組み立てることになる。
板の裁断はされているから、組み立ては簡単、──なわけではない。

これは井上先生からきいたことでもあるし、
ステレオサウンドにも書かれている事でもあるから記憶されている方もおられるだろう。

エンクロージュアというものは、
メーカーの熟練の職人でも、まったく同じ音のするモノを作る事は非常に難しい。

Date: 12月 25th, 2013
Cate: 程々の音

程々の音(その10)

松波濤氏がどういう人なのかについても、実は書きたいのだが、
まだ書くわけにはいかない事情がある(いずれ書く事になろう)。

ステレオサウンドがつくり上げたコーネッタは、
コーナー型でフロントローディングホーン付という、
タンノイ・アメリカのコーネッタとはエンクロージュアの形も型式も違うものとなっている。

それでもいい、と私はおもう。
アメリカ・タンノイのコーネッタを再現することが、ステレオサウンドの企画の意図ではなく、
あくまでもタンノイの10インチ同軸型ユニットを良く鳴らしたい、
ということがベースにあっての記事なのだから。

タンノイ・アメリカのコーネッタにしろ、
ステレオサウンドのコーネッタにしろ、
実際にその音を聴いている人はそう多くはない、と思う。

私も一度だけあるところで聴いているだけで、
それをもってコーネッタの音、とはいえない理由もある。

コーネッタの記事は井上先生によるものだ。
井上先生にコーネッタについて、もちろんきいている。

「いい音だった」とうれしそうに語られた。

Date: 12月 25th, 2013
Cate: 程々の音

程々の音(その9)

タンノイ・コーネッタについて、少し触れておきたい。

この項でのタンノイ・コーネッタとは、以前簡単にふれているように、
ステレオサウンドが企画したエンクロージュアと、
タンノイの10インチ同軸型ユニットの組合せのことである。

コーネッタ(Cornetta)は、
タンノイ・アメリカの実際のスピーカーシステムで、
10インチ同軸型ユニットをバックローディングホーン型エンクロージュアにおさめたもの。

コーネッタという名前からコーナー型を想像しまいそうになるが、
レクタンギュラー型である。

ステレオサウンドのコーネッタに関する記事は、
37号から39号にわたって載っている。
1975年冬から1976年夏にかけてのことである。

いまでこそ、「TANNOY Cornetta」で検索すれば、
コーネッタがどういうスピーカーシステムであったのかはすぐにわかる。
けれど、1976年ごろはそうはいかなかった。

タンノイにコーネッタと呼ばれるシステムがある。
いったいどんなスピーカーシステムなのだろうか、
どんな音がするスピーカーなのか……。

そんなおもいをいだいた松波濤氏という人の手紙から、
コーネッタの企画は始まっている。

Date: 12月 24th, 2013
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その9)

現代に生きる人は忙しい、などといわれている。
その忙しい人にとっては、
ワーグナーの楽劇もツール・ド・フランスも長すぎる、ということになるであろう。

長すぎるから……、
通しで聴く(観る)など、そんな時間はとれない……、
そんな時間があったら、他のことをする……、
そういう忙しい人にとっては、ワーグナーの楽劇を、自分のものとすることはできない。

ワーグナの楽劇の長さも、ツール・ド・フランスの長さも、
人によっては長すぎると感じてしまう、その長さも、
ワーグナーの楽劇、ツール・ド・フランスならではの個性のうちだといえよう。

だから、長さとじっくり、最初から最後まで通してつき合う必要があるし、
それを聴き手に要求している。

そういう作品をハイライト盤で何度聴こうと、
多くの人のハイライト盤で聴こうとも、
ワーグナーの楽劇を聴き得た、ということにはならない。

こんなことを書いている私だが、
「パルジファル」を通しで頻繁に聴いているわけではない。
いままで何度聴いただろうか。
数えたことはないけれど、そう多くはない。

それでも「パルジファル」を聴くときは、
最初から最後まで通して聴いてきた。

Date: 12月 24th, 2013
Cate: 程々の音

程々の音(その8)

「五味オーディオ教室」からの引用だ。
     *
 かつてヴァイオリニストのW氏のお宅を訪れたとき、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタを聴かせてもらったことがある。そのあと、オーケストラを聴いてみたいと私は言い、メンデルスゾーンの第四交響曲が鳴り出したが、まことにどうもうまい具合に鳴る。わが家で聴くオートグラフそっくりである。タンノイIIILZは何人か私の知人が持っているし、聴いてきたが、これほどナイーブに鳴ったのを知らない。「オリジナルですか?」とたずねた。そうだという。友人のは皆、和製のエンクロージァにおさめたもので、箱の寸法など寸分違いはないのに、キャビネットがオリジナルと国産とではこうまで音は変わるものか。
(中略)
 でも本当に、わが耳を疑うほどよい響きで鳴った。W氏にアンプは何かとたずねるとラックスのSQ38Fだという。「タンノイIIILZとラックス38Fは、オーディオ誌のヒアリング・テストでも折紙つきでした。〝黄金の組合わせ〟でしょう」と傍から誰かが言った。〝黄金の組合わせ〟とはうまいこと言うもので、こういうキャッチフレーズには眉唾モノが多く、めったに私は信じないことにしているが、この場合だけは別だ。なんとこころよい響きであろう。
 家庭でレコードを楽しむのに、この程度以上の何が必要だろう、と私は思った。友人宅のIIILZでは、たとえばボリュームをあげると欠陥があらわれるが、Wさんのところのはそれがない。カートリッジはエンパイアの九九九VEだそうで、〈三位一体〉とでも称すべきか、じつに調和のとれた過不足のないよい音である。
 畢竟するに、これはラックスSQ38Fがよく出来ているからだろうと私は思い、「ラックスもいいアンプを作るもんですな」と言ったら「認識不足です」とW氏に嗤われた。そうかもしれない。しかしIIILZと38Fさえ組合わせればかならずこううまくゆくとは限らないだろうことを、私は知っている。つまりはW氏の音楽的教養とその生活が創造した美音というべきだろう。W氏は、はじめはクォードの管球アンプで聴いていたそうである。いくらか値の安い国産エンクロージァのIIILZでも聴かれたそうだ。そのほかにも、手ごろなスピーカーにつないで試した結果、この組合わせに落着いた、と。
 私事ながら、私はタンノイ・オートグラフを鳴らすのにじつに十年を要した。それでもまだ満足はしていない。そういうオートグラフに共通の不満がIIILZにもあるのは確かである。しかし、それなら他に何があるかと自問し、パラゴン、パトリシアン、アルテックA7、クリプッシ・ホーンなど聴き比べ(ずいぶんさまざまなアンプにつないで私はそれらのエンクロージァを試聴している)結局、オートグラフを手離す気にはならず今日まで来ている。それだけのよさのあることを痛感しているからだが、そんな長所はほぼW家のIIILZとラックス38Fの組合わせにも鳴っていた。
     *
ヴァイオリニストのW氏とは、
ステレオサウンド 19号に載っている「五味オーディオ巡礼」に登場された鷲見健彰氏のこと。

この五味先生の文章を読んでいたからこそ、
「コンポーネントステレオの世界 ’77」でのコーネッタが置いてある部屋、
そこでのアンプ(ラックスのSQ38Fではないけれど、管球式ということで共通している)との組合せ、
これらのことが、コーネッタというスピーカーがなんであるのか、
ほとんど知らないままでも、とても良さそうな組合せに思えた。

この組合せにも、
五味先生が書かれているところの「長所」が鳴っているはずだ、と。

Date: 12月 23rd, 2013
Cate: 程々の音

程々の音(その7)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’79」に載っていた
タンノイ・コーネッタの部屋は印象に残っていた。

あまりモノがない六畳という広さ。
このころ15歳の私にとって、最も身近なリスニングルームに思えたからだ。

高校を卒業して進学。
それも親元を離れて、ということになれば、
こういう部屋でひとり暮らしを始めるんだろうな。

本とレコード、
それにオーディオ。
あとは最低限の家具。

これだけあれば不満はない。
若いときであれば、これだけで暮らしていけるというものだ。

コーネッタ、いいな、と思い眺めていた。

これがもし他のスピーカーシステムだったら、
たとえば国産のブックシェルフ型とか、アメリカのブックシェルフだったら。
ブックシェルフではなく、フロアー型システムだったら、
印象は大きく変っていて、30年以上も経った今、
こうやって思い出して書いたりはしなかったはずだ。

タンノイの、このサイズの同軸型ユニットは、
私にとって最上級機の15インチのユニットと同じくらいに存在感をもっている。
これも五味先生の「五味オーディオ教室」を読んでいたからである。

Date: 12月 22nd, 2013
Cate:

音について(その3)

スピーカーの振動板が前に動いたときに、
振動板の前面にある空気を押し出しているのであれば、
振動板の動くスピードが速ければ速いほど、
押し出される空気のスピードも増す事になる。

それがもし音だとすれば、
音速が周波数や振動板の振幅に関係なく、同じであることと矛盾することになる。

こんな簡単なこと、基本的なことが、
オーディオに関心を持ちはじめたころ、すぐには理解できなかった。

どうしても振動板が前に動く、
空気が押し出される、
それが音になる、と捉えてしまっていた。

振動板の動きがどうして音となるのか。
それは水面に、何か小さな物が落ちたときに生じる波紋を思い出せばいい。

波紋が周囲に広がっていく。
けれど中心にあった水が波紋とともに周囲に移動しているわけではない。
あくまでも波紋が周囲に広がっていく(伝わっていく)。

音も同じである。
これにすぐには気づけなかった。
まわりにオーディオ、音に詳しい人がいれば、
疑問をぶつけることもできたのだが、当時の私のまわりには誰もいなかった。

だから自分で考えて気づくしかなかった。

Date: 12月 22nd, 2013
Cate:

音について(その2)

音速は、空気中では秒速約340mである。
温度によって多少変化するけれど、空気中であるかぎり340mからそう大きくは違ってこないし、
20Hzの低音も20kHzの高音も、音速は同じであって、
高音のほうが音速が速い、ということはない。

こんなことは音の、ごく基本的なことである。

けれど、いまから30数年前、
つまりオーディオに興味を持ちはじめたころの私は、
ある疑問に悩んでいた。

スピーカーは振動板を前後(ピストニックモーション)させて、
空気の疎密波をつくりだす。
このことは20Hzの音を出しているとき、
振動板は一秒あたり20回ピストニックモーションする。
20kHzでは20000回のピストニックモーションである。

ということは高音になればなるほど、振動板の振動回数は増えていく。
つまりは振動板の動くスピードが増していくことになる。

これだけではない。
ウーファーの場合、大口径ウーファーと小口径ウーファーとでは、
低音に関して同じ音圧を得るには、小口径ウーファーは振幅が大きくなる。

20Hzで、同じ音圧を得ようとしたら、小口径ウーファーは大口径ウーファーよりも、
大振幅で動くことを求められるから、そのストロークが長くなった分だけ、
振動板の移動距離は長くなっている。
つまり大口径ウーファーよりも小口径ウーファーは、
振動板が速く動く必要がある。

振動板がどんなに速く動こうとも、音速は変わらない。
ようするに、振動板は振動板の前面にある空気を動かしているわけではないからだ。
あくまでも振動板をピストニックモーションさせることで、疎密波を作り出しているだけである。

Date: 12月 21st, 2013
Cate:

音について(その1)

自分が何がわかっていて、何がわかっていないのか、
それを正しく知ることの難しさだけでなく、
同じ趣味をもつ人と話していて、目の前の人が何がわかっていて、何がわかっていないのか、
これを正しく知ることはもっと難しいことなのかもしれない。

それでも会話は成り立つ。
成り立っているようではあるけれど、どこかで食違いが発生したりすることだってあろう。
そんなつもりで話したのではないのに、
別の解釈で受けとめられ、それがいいほうへの理解へと変っていったり、
そのことがこちらへの刺戟(気づき)ともなったりするのだから、
会話はおもしろい。

とはいえ、話していると、私にとって常識であり、
オーディオマニアにとっては多くの人にとっても、そのことは常識である、
そう思っていたことが、意外にもそうではなかった、ということが何度かある。

これはもう話してみるからわかることである。
話してみないことにはわからない。
オーディオマニアすべての人にとっての常識なんてものは、世の中には存在しないのかもしれない。

ここでは、音について書いていこう、と考えている。

何人かの人と話していて、あっ、と気がついたことに音の性質に関することがあったからだ。

Date: 12月 21st, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その24)

10代、20代の若いオーディオマニアならば、自分のルール(制約)をもっていなくとも、
それに関しては何も言わない。

若いときには、むしろルールなど設けずに、
積極的にあれこれ試した方がいいことだってあるからだ。

菅野先生が以前よくいわれていたことに「若さはバカさ」がある。
ある程度の年齢になってみると、
「若さはバカさ」の意味が実感できるようになる。

「若さはバカさ」である。
へんに小さくまとまるよりも、「若さはバカさ」を発揮した方がいい。
そうやっていれば、自分の裡にルールが形作られてくる。

「若さはバカさ」ができる年齢とはいつまでなのだろうか。
20代でなくなったら、「若さはバカさ」といえなくなるのだろうか。

30も後半になると、「若さもバカさ」でもないだろう、
まして40すぎたら、もう若くもないし……、という気持になるかもしれない。

けれど、常に自分よりも年上のオーディオマニアは誰かしらいてくれる。
そういう人がいてくれるあいだは、その人からみれば、
30になろうと40になろうと、50をすぎても、若いということになるのだから、
「若さはバカさ」をどこかに保ったままでもいいのかもしれない、とも思う。

ただ自分よりも年上の人よりも徐々に年下の人が多くなってくる。
そのころから、若い人たちに対して「若さはバカさ」なんだから、というようになるのかもしれないし、
そういう年齢になったときに、自分だけのルールを持っていなかったら、
もう「若さはバカさ」ではすまされない──、そんな気がする。

Date: 12月 20th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その23)

ルールを持たない者は、
どんなスピーカーシステムでもマルチアンプにしてしまうのではないだろうか。

内蔵ネットワークよりもマルチアンプ。
そうすることによる音の変化は、確かに大きい。
良くなったといえるところも、いくつもある。

マルチアンプの可能性を、私は少しも否定はしない。
けれどすべてのスピーカーシステムをマルチアンプにしましょう、
マルチアンプにすれば音が良くなります、
こんなことは私は絶対にいわないし、このことには疑問もある。

マルチアンプにするにふさわしいスピーカーシステムとそうでないスピーカーシステムは、
確実にある。
それをどう見極めるか。
それは、その人次第である。

私がマルチアンプ化しないと考えているスピーカーシステムを、
積極的にマルチアンプで鳴らしたい、と考える人もいることだろう。
それはそれでいい、と思っている。

それが、その人なりのルールに従ってのことであれば、
私が口出しすることではないからだ。

だが、傍から見ていると、そうではない人がはっきりといる。
そういう人が、マルチアンプをすすめている文章を書いてたりすることがある。

Date: 12月 20th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その22)

10数年まえのこと。
ある知人が、ウェブサイトを作っていた。
ウェブサイトには、まず紙の本と違いページ数という制約がない。
当時はまだアナログ回線が主だったから、
あまり大きなサイズの画像をは表示するのに時間を要するということはあったけれど、
それすらもいずれは時間が解決することであったし、事実そうなっていった。
それに時間がかかるといっても、表示できないわけではない。

紙の本とはいくつもの点で異るところはある。
けれど紙の本での制約はあまりなかった、ということもできる。

だからこそウェブサイトをつくっていくうえでは、ルール(制約)を自分で決めておく必要がある。
私は最初にそう考えて、audio sharingをつくっていった。

知人はどうもルールは決めていなかったようだ。
彼のつくるサイトは、見るたびに混沌としていき、
お世辞にも美しいサイトとはいえなかった。

なんでもできるから自由である──、とはいえない。
それは自由ではなく、好き勝手にやっているだけでしかない。
知人は、そのことに結局気づくことはなかったようだ。

このことはウェブサイトについてだけいえることではない。
紙の本でもまったく同じことがいえる。

オーディオにおいても、そうだ。