Archive for category テーマ

Date: 5月 10th, 2015
Cate: ステレオサウンド, 五味康祐

五味康祐氏とステレオサウンド(「音楽談義」をきいて・その4)

「音楽談義」をきいていると、どうしてもいろんなことを思い考えてしまう。

「人は大事なことから忘れてしまう。」

これは2002年7月4日、
菅野先生と川崎先生の対談の中での、川崎先生の発言である。

残念なことに、ほんとうに人は大事なことから忘れしまう。
最近のステレオサウンドを見ていても、そう思ってしまう。

そう書いている私だって大事なことから忘れてしまっているのかもしれない。
そう思うから、毎日ブログを書いているのかもしれない。
大事なことをわすれないために、である。

別項でも書いているのだが、
ステレオサウンドの現編集長は、創刊以来続く、とか、創刊以来変らぬ、がお好きなようである。

でも大事なことから忘れてしまっているからこそ、創刊以来変らぬ、といえるのだろう。
大事なことを忘れずにいようとしていたら、そんなことはとてもいえない。

「音楽談義」は、他のオーディオ雑誌に掲載されたわけではない。
ステレオサウンド 2号に載ったものだ。

「音楽談義」そのものも忘れてしまっているのだろうか。
そんなふうに思えてしまう。

Date: 5月 9th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(続Devialetのケース)

デジタル技術が高度になればなるほど、サポートは、輸入元にとって無視出来ない問題となってくるはず。

いま家電量販店のスマートフォン売場をみていると、
設定サービスの料金表が大きく、目につくように貼り出されているところがほとんどということに気づく。

アドレス帳移行、メール設定、twitter設定、Gmail設定、パソコン同期設定、OSのヴァージョンアップ……、
まだまだこまかくいろいろとある。
それぞれに当然だけれど、価格が設定されている。
大半が1000円で、その上が1500円くらいである。
すべての設定をまかせてしまうと、けっこうな金額になってしまう。

それでもいろんな家電量販店がこれらのサービス(といえるのか)をやっているのは、
それだけの需要があり儲けとなるからなのだろう。

こんなのを見ていると、
これからのオーディオも似たようにものになっていくのであろうか、と想像してしまう。

パソコンとの接続サービス、OSのヴァージョンアップ・サービス、
アプリケーションのヴァージョンアップなどをはじめ、
あらゆることでこまかく料金が設定されていくのだろうか。

そんな輸入元も出てくるであろう。
そうはなってほしくない、と思っている。
けれど、これからますますパソコン、タブレットなどとの連携が深まっていくデジタルオーディオ機器、
それも自社開発ではなく海外製品の輸入であった場合、
輸入元の負担は製品によって違ってくるとはいえ、たいへんになっていくのは間違いない。

それでも輸入元なのだから、すべてをしっかりサポートしなければならない、というのは、
無理を押し通すようなものではないのか。

輸入元が、大手の家電メーカーのように全国にセービスセンターをもてる規模であるならば、
要求もできようが、実際にはそうではないし、
大手の家電メーカーですらサービスセンターを閉鎖して縮小している。

これはオーディオ販売店との密接な協力関係を築いていくしかないのではないか。
特約店の数を絞ってでも、きちんとサポート出来る販売店スタッフを増やしていく。
輸入元がたんなる輸入代理店ではなく輸入商社であるためには、
オーディオ販売店をふくめたシステムをつくっていくことではないのか。

Date: 5月 9th, 2015
Cate: ステレオサウンド, 五味康祐

五味康祐氏とステレオサウンド(「音楽談義」をきいて・その3)

「音楽談義」には小林秀雄氏と五味先生の「対談」(あえて対談としたい)だけでなく、
五曲のSP盤復刻による音楽もふくまれている。

R.シュトラウス指揮ベルリン・フィルハーモニーによるモーツァルトの交響曲第40番の第一楽章の一部、
エルマンによるフンメルのワルツ イ長調、
ハイフェッツ、チョツィノフによるサラサーテのチゴイネルワイゼン、
クライスラー、ブレッヒ指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団とによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、
フーベルマンとシュルツェによるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ピアノ伴奏、第三楽章縮小版)、
フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニーによるワーグナー「ジークフリートの葬送行進曲」、
これらが聴ける。

最初にかかるのはモーツァルトのト短調である。
「音楽談義」を最初に聴いた1987年では確信がもてなかったことがある。
あまり気にもしていなかったということもある。
けれど、ステレオサウンド 100号の特集「究極のオーディオを語る」、
ここで岡先生の文章を読んで、やっと気がついた。

《僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである。》
小林秀雄氏の「モオツァルト」である。

このとき小林秀雄氏が聴いていたレコードが、
リヒャルト・シュトラウスがベルリン・フィルハーモニーを振ったものである。

岡先生は、なぜかという理由について、こう書かれている。
     *
「道頓堀を歩いていたら、突然『ト短調のシンフォニー』の終楽章の出だしのテーマが頭の中で鳴った……」という、あの有名な書出しで、彼の聴いたレコードはリヒャルト・シュトラウスがベルリンフィルを振ったものらしいことがわかる。なぜかといえば、昭和22年に入手出来たこの曲のレコードはシュトラウス盤とワルター盤で、ワルターとベルリンシュターツカペレによる日本コロムビア盤は出だしの1小節めで始まるヴァイオリンのテーマが全然聴こえない。2小節めから、まずチェロとコントラバスが2分音符を、1拍遅れて第2ヴァイオリンとヴィオラが3連4分音符を奏するが、2小節目後半でいきなりヴァイオリンが聴こえてくる。
 もし、小林がワルターの演奏で聴いていたら、『ト短調シンフォニー』終楽章の出だしのテーマの冒頭は聴くこともできなかったし、頭の中で鳴ることもなかっただろう。
     *
小林秀雄氏は「終楽章の出だしのテーマ」とは書かれていない。
「有名なテエマ」とだけあるが、新潮文庫の「モオツァルト・無情という事」を開けば、
終楽章であることがすぐにわかる。

小林秀雄氏の頭の中で鳴っていたのは、シュトラウスの演奏だったのか……、
とステレオサウンド 100号を気づかされた。

だからちょっと残念なのは、「音楽談義」では終楽章はおさめられていないことだ。

Date: 5月 9th, 2015
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(Devialetのケース)

フランスのDevialet(デビアレ)の輸入元は現在ステラだが、六月いっぱいで契約終了となる。

このニュースを見て、驚く人もいれば、私のように「またか、やっぱりな」と思う人もいよう。
なぜ「またか、やっぱりな」と思った理由についてはまだ書かないけれど、
デビアレは注目していたブランドだけに次の輸入元が早く決ってほしい、と思う一方で、
もしかするとなかなか決らないのではないか……、そうも思っている。

オーディオにデジタル技術が採り入れられるようになってきて、
輸入元の仕事は、アナログ技術だけだった時代よりも大変になってきていると想像できる。

まだCDプレーヤーだけだった時代はよかった。
いまはオーディオ機器以外との接続を要求するモノが登場してきている。
そのため輸入元の負担は確実に増えているはずである。

これまではその製品についてのサービスだけで済んでいたのが、
どういう機器とどういう接続なのか、
その機器のOSの種類、ヴァージョンなど、ユーザーによってひどく違ってくる要素が入りこんでいる。

しかもそれらを使う人の技倆も、またひとそれぞれであるから、
最新の機器を使っているから技倆が高いとはいえない。

しかも使っている人の性格もまた人それぞれである。
こんなことをこまかく書いていったらキリがない。

とにかくパソコンやタブレット、スマートフォン、および周辺機器との接続が求められるオーディオ機器の場合、
そのサポートは大変なことは明白である。
しかも以前のオーディオ機器はハードウェアだけだった。
いまは違う、ソフトウェアの問題もそこに絡んでくる。

オーディオ機器もソフトウェアのヴァージョンアップが当り前になりつつある。
そういう時代に、手のかかるブランド(オーディオ機器)を取り扱うところがすぐにあらわれるだろうか。
そう思ってしまうのだ。

早く次の輸入元が決ってほしい、と思いつつも、
もしかすると……、という不安もまたある。

Date: 5月 8th, 2015
Cate: 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(正確な音との違い・その3)

小林秀雄講演【第六巻】 音楽について」についてくる小冊子の最後に但し書きがある。
     *
この小冊子に活字で所載した小林秀雄氏の談話要旨は、あくまでも誌の談話内容を聴き取るうえでの参考資料です。生前、氏は、自らの講演・対談・講義・スピーチ、それらの活字化を求められた際には必ず速記に全面加筆を施し、自らの加筆を経ない速記の公表は厳しく禁じていました。今回ここに所載した要旨は、編集部の手による文字化に留まるもので氏の加筆を経ておりません。したがって、この要旨を論文、エッセイ等に引用することはご遠慮下さるようお願いいたします。
     *
こう書いてあっては、引用もしづらい。
それに「小林秀雄講演【第六巻】 音楽について」は、いまも入手できるものだから、
読みたい方は買えば読めるのだから、ここでは簡単にどの箇所なのかについて簡単にふれるだけにする。

ステレオサウンドの「音楽談義」では「温泉場のショパン」とつけられている箇所、
「小林秀雄講演【第六巻】 音楽について」では二枚目のCDの11トラックである。
ステレオサウンド 2号、「直観を磨くもの」では、
ラジオからショパンのマズルカが流れてきたときのことを語られている箇所である。

ここのところに、関心をもった人は小林秀雄氏の語られているものをきいてほしい、と思う。
私はここをきいていて、「目に遠く、心に近い」を思い出していた。

Date: 5月 8th, 2015
Cate: 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(正確な音との違い・その2)

正しい音と正確な音の違い。
「音楽談義」をきいていて思い出したことがある。

インドネシアのことわざらしいのだが、「目に遠く、心に近い」、これを思い出していた。
オーディオではさしづめ「耳に遠く、心に近い」となる。

正しい音と正確な音──、
「耳に遠く、心に近い」音と「耳に近く、心に遠い」音となるのではないのか。

Date: 5月 7th, 2015
Cate: ステレオサウンド, 五味康祐

五味康祐氏とステレオサウンド(「音楽談義」をきいて・その2)

「音楽談義」は1967年春、鎌倉で行われた。
当時のことだからオープンリールのポータブルデッキでの録音だと思う。
当然モノーラルである。
それを編集してカセットテープ二巻におさめたのが「音楽談義」である。

そのことからわかるように、音は良くない。悪いといってもいい。
かなり聞き取りづらいところもある。
それでも聞いていると、話の面白さに引き込まれて、
まったく気にならないといえばウソになるけれど、がまんならないというほどではない。

この「音楽談義」から小林秀雄氏の発言だけを抜粋して、
「音楽談義」で語られているレコードを収録したものが、
いまも新潮社から発売されている「小林秀雄講演【第六巻】 音楽について」だ。

こちらはCD二枚組であり、収録されている音楽は「音楽談義」に収録されている数よりも多い。
けれどここでは小林秀雄氏の発言の抜粋であり、「音楽談義」そのものを聞くことができるわけではない。

このことを勘違いされていて、
「音楽談義」そのものが「小林秀雄講演【第六巻】」で聞けると思っている人がいる。

「音楽談義」には、ステレオサウンド 2号に掲載された「音楽談義」をおさめた冊子ついている。
その冒頭には、
このカセットブックの開設資料として、ステレオサウンド誌2号(昭和42年5月1日発行)に掲載されたものを、著作権者の許可を得て全文掲載いたします。
なお、両氏の加筆訂正を経て文字化された誌面と肉声のテープ内容とでは、表現等で多少の違いがありますことを予めお断りしておきます。
と書いてある。

小林秀雄氏は、話したものに対してかなり加筆訂正をされるときいている。
だからステレオサウンド 2号を読んでいるから「音楽談義」は聞く必要がないわけではないし、
「音楽談義」を聞いたからステレオサウンド 2号掲載の「音楽談義」を読まなくていいわけでもない。

ステレオサウンド 2号に掲載された「音楽談義」は、
新潮文庫「直観を磨くもの―小林秀雄対話集―」で全文が読める。

Date: 5月 7th, 2015
Cate: モニタースピーカー

モニタースピーカー論(その4)

もちろんモニタースピーカーでも録音された音を聴く。
その意味では家庭用スピーカーと同じではないか、と思われるかもしれないが、
ここにも違いがある。

マスターテープの音とLPなりCDになった音との違いもあるが、
それ以上に違いがあるのは、
家庭で聴くのは、いわばまとめられた音楽である、ということである。

そのまとめ方のうまいへた(つまり録音の良し悪しに関係してくる)はあるけれど、
2チャンネル・ステレオで再生するための音源として仕上げられている(まとめられている)。

そのまとめられているものを制作するのがスタジオであり、
そこで使われるのがモニタースピーカーである。

完全なワンポイントマイクロフォンによる録音ならば、
このことはいえないけれど、マルチマイクロフォン、さらにマルチトラックでの録音となると、
いわばバラバラに収録したものを編集・構成して、ひとつの音楽をまとめる。

つまりモニタースピーカーに要求される性能とは、
その作業のために必要な十分な性能ということになる。

Date: 5月 6th, 2015
Cate: モニタースピーカー

モニタースピーカー論(その3)

もし私が録音の仕事をすることになり、
モニタースピーカーとしてセレッションのDitton66しかない、といわれたら、
録音する音楽にもよるが、文句を言わずにDitton66を使うであろう。

コンシューマー用スピーカーとして、
というよりも家庭用スピーカーとしてといいかえたようがいいけれど、
Ditton66は好ましいスピーカーであり、充分な性能を持っている。

それでもDitton66の銘板に”Studio Monitor”とあることには、少々違和感をおぼえる。
“Studio Monitor”のStudioとは録音スタジオを示す。
レコード会社の録音スタジオ、放送局の録音スタジオということになる。
そこでスピーカーで聴くのは、ほとんどすべて音楽といえよう。

家庭できくのもほとんどが音楽である。
ならば性能が優秀なスピーカーシステムであれば、
モニタースピーカーとしてすべて使えることになるわけではないのか。

なのに、なぜモニタースピーカーという括りがあるのか。

たしかにスタジオでも家庭でも音楽であることに相違ないが、
微妙に違う点もまたある。

まずスタジオではマイクロフォンが拾った音をそのままスピーカーから聴くこともある。
すべてが録音された音楽を聴く家庭とは、ここが大きく違う。

マイクロフォンから直に音が来る──、
そういう音を体験してみると、いかに録音された音と違うのかがわかる。
つまりスタジオモニター、モニタースピーカーとは、
マイクロフォンから直に来る音を聴くためのスピーカーでもあるということだ。

Date: 5月 6th, 2015
Cate: 正しいもの

「正しい音とはなにか?」(正確な音との違い・その1)

正しい音と正確な音の違い。
同じではないか、といわれそうだが、私はこのふたつは似ているようにみえて違うと考えている。
とはいえ、正しい音と正確な音の違いについて、明快で簡潔に述べることができるかといえば、
いまのところまだ無理といわざるをえない。

ここで思い出すのが、ふたりのピアニストのことである。
ひとりはアルフレッド・コルトー、もうひとりはアレクシス・ワイセンベルグ。
コルトーは代りとなる人の名前がすぐに思い浮ばないが、
ワイセンベルグに特に彼である必要性はそれほどなく、他の同じタイプのピアニストであれば、
代りのピアニストでもかまわない。

たまたまワイセンベルグの名前を出したのは、記憶にあっただけである。
それは菅野先生が、ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」マッキントッシュ号での発言である。

マランツの管球式アンプとマッキントッシュの管球式アンプ、
それもモノーラル時代のそれらを集めて、
スピーカーもアナログプレーヤーも同時代のJBLのハークネスとトーレンスのTD124、
記事のタイトルは《マランツ対マッキントッシュ》、
さらにサブタイトルとして
《〈タイムトンネル〉もし20年前に「ステレオサウンド」誌があったら……、》とついている。

そこに《コルトーのミスタッチは気にならないけど、
ワイセンベルグのミスタッチは気になるみたいなところがある。》という発言をされている。

なぜそう感じるのか。
確かにコルトーのミスタッチは気にならない。
気になるという人もいるとは思うけれど、私は気にならないし、
このマッキントッシュ号の取材に参加された岡先生、菅野先生、瀬川先生のお三方も、
座談会を読む限りは、そうだと思われる。

ワイセンベルグのミスタッチは、なぜ気になるのか。
それはコルトーの演奏は「正しい演奏」であり、
ワイセンベルグの演奏は「正確な演奏」ということにつきるような気がする。

クラシックを聴かない人からは、よけいにわからないといわれそうだし、
説明不足なのは承知していても、
正しい音と正確な音の違いもまたそうだ、と思う。

Date: 5月 5th, 2015
Cate: 書く

毎日書くということ(続々・最近考えていること)

《創刊以来、「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」との想いはただの一度も変ったことがありません。そして、これからもこの想いはけっして変ることがありません。》

《「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」。これが創刊以来続く、ステレオサウンド誌の理念です。》

最初の文章は、ステレオサウンド編集長による2013年新年の挨拶からの引用、
二番目の文章は、ステレオサウンド・メディアガイドからの、
やはりステレオサウンド編集長の文章からの引用である。

このふたつを読み、2011年春号以降のステレオサウンドに目を通していると、
この点において、大きなズレのようなものを強く感じてしまう。

現編集長の染谷氏が、創刊以来変らぬと思っているものと、
私が変らないでほしいと思っているものとの、大きなズレというか、認識の違いとでもいおうか。
そういうものが浮び上ってくる。

私にとって、ずっと以前のステレオサウンドが、他のオーディオ雑誌とはっきりと違っていたのは、
オーディオの面白さ、オーディオの素晴らしさを伝えようとしていた点にある。
もちろん個々の製品の素晴らしさも伝えようとしていたけれど、
それ以上にオーディオの素晴らしさを、私はステレオサウンドから読みとっていた。

けれどいまのステレオサウンドには、そういうところがまったくといっていいほどなくなっている。
これから先、もっとなくなっていくような気が、染谷編集長の文章を読んでいると、強くなっていく。

結局のところ、染谷編集長は「オーディオの素晴らしさ」ではなく、
「オーディオ製品の素晴らしさ」を伝えていくことにご熱心のようだ。
オーディオ機器ではなく、オーディオ製品とある。
ここにも、染谷編集長のオーディオへの認識が顕れているような気さえする。

「オーディオの素晴らしさ」を伝えられないオーディオ雑誌しかないないこと。
これがオーディオに興味を持つ人がずっと以前よりも減ってきたことへつながっている。
そう思えてならない。

Date: 5月 4th, 2015
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(続々エイブルのこと)

これから先、輸入元、メーカーが修理を受け付けてくれない状況になったら、
エイブルに修理を依頼することだけは、はっきりといえる。

誤解されないように書いておくが、エイブルの修理が完璧というわけではない。
ここでの完璧とは、オリジナル至上主義者が求める完璧である。
とにかくオリジナルと同じ部品で修理してなければ、それだけでクレームの対象とする人は、
他のところに依頼した方がいいだろう、もしくは自分で修理すべきだ。

エイブルのサイト、ブログにも、
部品の代用品がないものは直せない、とはっきりと書いてある。
エイブルは信頼できる修理を行うために、いいかげんな修理は請けない、と私は受け取っている。
とにかくエイブルに修理に出そうと思ったなら、エイブルのサイトをきちんと読んでほしい。

それにモノによってはいくつかの制約が生じることもある。
それに評判がいいようで、修理の依頼がかなりあり、いまでは修理に着手するまでに時間がかかることもある。
だから、修理に出したからすぐに直って戻ってくることを望む人は、他のところがいいだろう。

けれど、他のところと書いているけれど、信頼できる修理を行ってくれるところで、
修理に出した、すぐに直ってくる、なんていうところがあるだろうか。
たまたま空いていてすぐに直してくれることだってある。

けれど確かな技術をもつところであれば、個人ユーザーからの依頼だけでなくオーディオ店からの依頼もある。
いまオーディオ店がどこに修理を依頼しているのか。
それを調べてみれば、どこに出したらいいのかは定まってくる。

だから私はエイブルをすすめている。

Date: 5月 4th, 2015
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(続エイブルのこと)

実を言うと私自身はエイブルに修理を依頼したことはない。
だからエイブルだったら間違いない、と断言することはできない。

けれどエイブルに修理を依頼したことのある知人の話、
エイブルに修理に出したことのある人を知っている人からの話はいくつか聞いている。
みな満足している、ということだった。

修理の技術だけではなく、実際のやりとり、修理費用なども納得のいくものだったと聞いている。
いまのところエイブルに関して、悪い話は聞いていない。

これだけだったら、ここでエイブルの名前を出して書こうとは思わなかった。
けれどエイブルのサイトで現住所を見て、書こうという気になった。

エイブルは最初は所沢だった、と聞いている。
近辺によく似た名前のオーディオ店があるけれど関係はない、とのこと。
その後、エイブルは天草に移転している。

エイブルのトップページには「工房環境の良さから天草に店舗を移し」とある。
これでエイブルは信用できる、と思った。
オーディオとは直接関係のないことで、そう思えるほど天草(熊本県)は実にいいところだ。

私が熊本県出身ということも関係している。
それだけでなく、天草には小学二年の夏休み、長いこと滞在していた。
ひどい喘息だった私は、同じように酷い喘息持ちだった友人と、その夏、天草の喘息学級に参加した。

友人の父親の運転する車に乗って、天草五橋を渡ったときのことは、いまもはっきりと憶えている。
私にとって天草の海が初めて見た海だった。
それまで写真やテレビ、映画などで見ていた海は、こんなにもきれいなのかと子供心に思っていた。
そのためか、私にとっての海は天草の海がつねに基準としてあり、
その後行った福岡の海にはがっかりしたし、東京の海には最初から期待していなかったものの、
それでもこんなに違うのかと思っていた。

環境の良さを求めてどこを選ぶのか。
エイブルは天草を選んでいる。
これは大事なことである、少なくとも私にとっては。

Date: 5月 4th, 2015
Cate: ロングラン(ロングライフ)

どこに修理を依頼したらいいのか(エイブルのこと)

別項「輸入商社なのか輸入代理店なのか」でも書いてるように、
オーディオ機器の修理の問題に悩んだことのない人は少ないだろう。

愛着のあるオーディオ機器を長く使っている人ほど、
修理をどこに依頼したらいいのか、悩んでいるはずだ。

輸入オーディオ機器で正規代理店での修理に不安がある場合。
本来こんなことはあってはならないはずなのに、
現在ではいくつかの輸入元の修理は問題があるように聞いている。

修理に出して直らないのは問題外なのだが、
中途半端な修理がされ、使っているうちに症状が悪くなることもある。

それに輸入オーディオ機器は日本に輸入元がなくなってしまったブランドもいくつもある。
基本的には元の輸入元に修理に出すわけだが、
輸入をやめて数年ならいいが、けっこうな年月経っていれば受けつけてくれなくなる。

国産オーディオ機器も同じようなものだ。
どんなに古いモノでも修理をしてくれるメーカーもあるが、数は少ない。
どんなメーカーでも製造中止になって数年で受けつけてくれないと思っていた方がいい。

ただそんな場合でも、メールではなく電話で丁寧に頼むことで、
可能な限りという条件つきではあるが、修理をしてくれるメーカーもある。
そういうメーカーでも、モノによって受けつけてくれないことがある。
それはしかたのないことだ。

それに輸入品も国産品も、すでにメーカーがなくなってしまっている場合もある。

こんなふうに、メーカー、輸入元が修理を受けつけてくれない、
もしくはその修理技術に不安がある。
そうなると、自分で修理できる人・場合以外は、修理専門業者に依頼することになる。

ずっと昔はそういう業者も少なかったし情報も乏しかった。
いまは業者の数も増え、インターネットの普及で情報も集めやすい。

とはいえ、どこの業者を選んだらいいのか、と悩むことになる。
ここに出してうまく直らなかったら、別の業者に……。
とんなことをくりかえしていたら、きちんと修理できたモノでも直らなくなる可能性も生じる。
最初から信頼できるところに依頼したい、とほとんどの人が思っているはず。

スピーカーならば、昨年、岩崎先生が愛用されていたエレクトロボイスのエアリーズを依頼したところ、
オーディオラボオガワがある。
このことに関しては「オリジナルとは(あるスピーカーの補修)」に書いている。

ではアンプはどうしたらいいのか、どこに出したらいいのか、とたずねられたら、
エイブルをすすめている。

Date: 5月 3rd, 2015
Cate: 使いこなし

スピーカー・セッティングの定石(その1)

スピーカーの使いこなしに定石はない。
瀬川先生が何度もくり返されていることである。
そうだ、と思う。

定石といえることがあるとすれば、ガタツキなくしっかりと設置することぐらいで、
その他に関しては定石はない、と思って取り組んだ方がいい結果がえられるのではないだろうか。

スピーカーは左右の壁、後の壁からも十分に距離をとって設置した方がいい。
そう言う人が多い。
けれどこれだって定石とはいえない。
部屋とスピーカーシステムとの関係性で、
それにその環境下で音楽を聴く人によって、壁に近づけた方がいい結果が得られることもある。

だからとにかく思いつく限りあれこれ試してみるしかない。

たとえばスピーカーの下の置き台。
私がオーディオを始めたころは、いまのようにオーディオ専用スタンド(置き台)はないに等しかった。
だからブックシェルフ型スピーカーの置き台はコンクリートブロックが一般的だった。
ホームセンターで売っているコンクリートブロックである。

大きな穴があって、密度の高いコンクリートでもないから、重量はさほと重くはない。
そのためか、いつのころからかコンクリートブロックは音の悪い置き台というふうに見られるようになった。

でも、このコンクリートブロック。
ほんとうにそんなに音が悪いと断定できるのか。

私もコンクリートブロックを最初は使っていた。
わざわざ買いにいかなくとも家にあったということもある。

いま思うとそんなに悪くなかったような気がする。
それでも東京で暮らすようになってから自分で使うことはなかった。
見た目が部屋にそのまま置くようなモノではない、ということもあってだ。

そうやっていつしか私の頭の中からは、
スピーカーの置き台としてのコンクリートブロックの存在は消えかかろうとしていた。
けれど10年ほど前に、ある方のところで、
「結局コンクリートブロックがいちばん良かった」という話を聞いた。

そこで鳴っていた音を聴けば、納得せざるを得ない。