毎日書くということ(続々・最近考えていること)
《創刊以来、「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」との想いはただの一度も変ったことがありません。そして、これからもこの想いはけっして変ることがありません。》
《「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」。これが創刊以来続く、ステレオサウンド誌の理念です。》
最初の文章は、ステレオサウンド編集長による2013年新年の挨拶からの引用、
二番目の文章は、ステレオサウンド・メディアガイドからの、
やはりステレオサウンド編集長の文章からの引用である。
このふたつを読み、2011年春号以降のステレオサウンドに目を通していると、
この点において、大きなズレのようなものを強く感じてしまう。
現編集長の染谷氏が、創刊以来変らぬと思っているものと、
私が変らないでほしいと思っているものとの、大きなズレというか、認識の違いとでもいおうか。
そういうものが浮び上ってくる。
私にとって、ずっと以前のステレオサウンドが、他のオーディオ雑誌とはっきりと違っていたのは、
オーディオの面白さ、オーディオの素晴らしさを伝えようとしていた点にある。
もちろん個々の製品の素晴らしさも伝えようとしていたけれど、
それ以上にオーディオの素晴らしさを、私はステレオサウンドから読みとっていた。
けれどいまのステレオサウンドには、そういうところがまったくといっていいほどなくなっている。
これから先、もっとなくなっていくような気が、染谷編集長の文章を読んでいると、強くなっていく。
結局のところ、染谷編集長は「オーディオの素晴らしさ」ではなく、
「オーディオ製品の素晴らしさ」を伝えていくことにご熱心のようだ。
オーディオ機器ではなく、オーディオ製品とある。
ここにも、染谷編集長のオーディオへの認識が顕れているような気さえする。
「オーディオの素晴らしさ」を伝えられないオーディオ雑誌しかないないこと。
これがオーディオに興味を持つ人がずっと以前よりも減ってきたことへつながっている。
そう思えてならない。