Archive for category テーマ

Date: 4月 27th, 2016
Cate: background...

background…(その8)

安部公房の「他人の顔」の主人公〈ぼく〉は、
《ぼくは決して、音楽のよき鑑賞者ではないが、たぶんよき利用者ではあるだろう》と独白している。

音楽のよき利用者。
われわれオーディオマニアは、
オーディオ機器の試聴のためのディスクのことを試聴用ディスクと呼ぶ。

好んで聴くレコード(録音物)はすべて試聴用ディスクでもある、とはいえることだが、
それでも試聴用ディスクに向いているといえるディスクがあることは事実である。

ここで考えたいのは、試聴用ディスクの選び方のうまい人がいる。
このうまい人というのは、音楽のよき利用者なのかということだ。

「他人の顔」の主人公〈ぼく〉と同じ意味での「音楽のよき利用者」とはいえないところもあるが、
よき利用者であることに違いはない。

「他人の顔」の主人公〈ぼく〉は、「音楽のよき鑑賞者ではない」が、
試聴用ディスクを選ぶのがうまい人は、
「音楽のよき利用者」であるとともに「音楽のよき鑑賞者」でもあるといえるのだろうか。

Date: 4月 27th, 2016
Cate: 映画

「兼子」という映画

兼子」という映画が、YouTubeで公開されている。

柳兼子。
この名前を知ったのは、いまから40年ほど前のステレオサウンドに載っていた広告だった。
オーディオラボの広告に、柳兼子の名前と写真を初めて見た。

オーディオラボのレコードはほとんどがジャズだった。
一部クラシックもあったけれど、それでも柳兼子氏のレコードは、少し異色に思えた。

機会があれば聴いてみたい、とは思っていたけれど、
それ以上積極的に聴こうとは思わず、ずっとそのままだった。

柳兼子氏がどういう人なのかを知ったのは、ずっと後だった。

「兼子」はレコードがかかっているシーンで始まる。
ここで映っているアナログプレーヤーは、すぐにどのモデルなのかわかるし、
柳兼子氏のレコードがオーディオラボから出ていたということは、
録音を手がけられたのは菅野先生であり、
最初に登場してくるアナログプレーヤーは、菅野先生所有のモノだとわかる。

「兼子」はドキュメンタリー映画である。
多くの人が登場する。

心ある人に観てもらいたい映画である。

Date: 4月 26th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その1)

SNS(Social Networking Service)は、
SES(Social Experiment System)のような気がしてきている。

SNS = SESだとすれば、
そこに参加する者は、実験する側でもあり、実験される側でもある。
意識していようがそうでなくても、だ。

だからSNSはこわい、とはいわない。
むしろ逆だ。

Date: 4月 26th, 2016
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その8)

直列型ネットワークは、文字通りスピーカーユニットを直列に接続する。
つまり2ウェイのスピーカーの場合、
ウーファーとトゥイーターのどちらを上側にするのか、ということになる。

上側(アンプ出力のプラス側)にウーファー、下側にトゥイーターとするのか、
上側にトゥイーター、下側にウーファーとするのか。

もちろん、これもバイワイヤリングと同じように最終的には音を聴いた上で判断する。
でも、ここでもその音を聴くためにはまず音を出さなければ、何も始まらないわけで、
ウーファーかトゥイーターのどちらかを上にしなければならない。

何を優先するのかが問われる、ともいえる。
同時に、バイワイヤリング対応のシングルワイヤリングにおいて、
片側(プラス側)をウーファー、反対側(マイナス側)をトゥイーターといった、
たすき掛けのような接続方法をとる人、
いいかえれば何かを優先するということができない人にとっては、
直列型ネットワークは眼中にない回路となるであろう。

Date: 4月 26th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その9)

ステレオサウンド 72号掲載「エキサイティング・コンポーネントを徹底的に掘り下げる」を読まれた方、
記憶されている方は、GS1がどんなふうに開発されていったのかが写真からわかる。

GS1はオールホーン型という,1980年代では希少ともいえる構成を採用している。
そのため基本的にはエンクロージュアというものを必要としない。
ここが一般的なスピーカーの開発と大きく異っている点のひとつであり、
このことがGS1に最後まで残っている点でもある。

ステレオサウンド 72号で菅野先生が書かれているし、
73号でもそのことは座談会で指摘されている。
     *
柳沢 その実力という点で、ゴールデンサウンド賞には異論はないんですけれども、あえて言うならば、メーカーであのスピーカーを聴かせていただくときに、必ずサランネットをはずして聴かせるんですよね。
「ネットをつけて聴かせてくれ」って言ったら、「嫌です」と言うわけです。「なぜ」と言ったら、「ネットをつけると極端に特性が落ちるんで、お聴かせしたくない」と。
 それは、あのスピーカー全体でやろうとしている考え方に二面性みたいなものがあって、特性的、音質的によりピュアなものを追求したいということと、それから妙にウッドを使って、インテリア風デザインも美しくしたいという、その変に矛盾があって、それはぼくは製品としては、もう一つ完成しきれてないところではないかと思うんです。
 少なくとも あの低音ホーンの恰好でむき出しにして使うというのは、相当、異様なスピーカーと受けとれるんですよね。その辺はもう一歩まとまりを良くして欲しいところなんです。
     *
この柳沢氏の指摘を、井上先生が表現をかえて発言されている。
それも引用しておく。
     *
井上 柳沢さんの言ったことの裏返しなんですが、もともと、ホーンだけの裸の恰好が最初のスタートで、それにジャケットをはめて製品化しようとしたプロセスに問題があるのだと思う。だから、商品にするのは、もともと難しいものなんですよ。シンプルな恰好から始めたわけですから。そこのつらさだと思います。
     *
GS1はウーファー用とトゥイーター用のふたつのブロックからなる。
トゥイーター用ブロックの上にはガラス板がある。
エンクロージュアの天板にあたるところがガラス板というわけだ。

このガラス板は簡単に取り外せる。
このガラスがなくなるとトゥイーターホーンの外側が見えるわけで、
見た目の印象はあまりよくない。
けれど音を出してみると、たったガラス板一枚を取り除いただけなのに……、といいたくなるほどの変化がある。
もちろんいい方向への変化であり、
この音の変化は井上先生の発言を裏付けている、ともいえる。

Date: 4月 25th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その8)

オンキョーはGS1を鳴らすためのパワーアンプとして、GrandIntegra M510を開発した、といっていい。
ただGrandIntegra M510とペアとなるコントロールアンプは出なかった。

オンキョーの型番のつけ方からすると、GrandIntegra P310がそうなる。
GrandIntegra P310を出さなかったからといって、
オンキョーという会社がGS1というスピーカーの扱いを冷遇していたとはいえない。

広告に関しても、あれだけの予算を割いている。
開発費に関してもそうだといえる。

ステレオサウンド創刊20周年別冊「魅力のオーディオブランド101」で、
オンキョーの取締役社長である五代武氏が語られている。
     *
柳沢 GS1をつくられましたけど、あれはオンキョーが燃えたのか、五代さんが燃えたのか。
五代 あれは、私が、断固継続させたのです。GS1研究には経費がかかりましたし、社内ではいろいろ言っていたようです。私は断固、GS1の研究開発予算は削るな、ということを言いました。私はGS1で、全体のレベルをもう一段あげようと考えていたんです。あれは、私のわがまま。創業者だからできたんでしょう。
     *
「魅力のオーディオブランド101」では、菅野先生と柳沢氏がオンキョーの試聴室に出向かれている。
オンキョーの試聴室は二つ。

ひとつはGS1のための部屋であり、つまりは由井啓之氏の研究室である。
もうひとつはオンキョーの商品開発部の試聴室で、
こちらでは開発中のプロトタイプのScepter 5001を聴かれている。

このふたつの試聴機器のリストも載っていて、興味深い。
GS1の方は、アナログプレーヤーがマイクロのSZ1TVS+SZ1M、トーンアームが SMEの3012R Pro、
カートリッジはIkeda 9、コントロールアンプはアキュフェーズのC280、
パワーアンプはGrandIntegra M510、CDプレーヤーもオンキョーのIntegra C700。

Scepter 5001の方はすべてオンキョーの製品で揃えられている。
Integra C700、Integra P308、integra M508である。

試聴ディスクはGS1の方は試聴機器からもわかるようにアナログディスク中心であり、
Septer 5001はCDのみである。

同じ会社内のことであっても、ずいぶんと違う。
そういう違いを、当時のオンキョーは、許していたということになる。
《社内ではいろいろ言っていたようです》も、なんとなく伝わってくる。

オンキョーは、少なくとも外からみるかぎり、GS1の開発に力を抜くことなくやっていた、と感じた。
ステレオサウンドでの評価も高かったし、
ステレオサウンドの扱いも多かった。それは他のメーカーが羨ましく思うほど誌面に登場していた。

けれどGS1は、さほど売れなかった。
売れなかった理由は、日本での評価が低かったわけでもないし、
オンキョーのサポートが積極的でなかったわけでもない。

結局のところ、売れなかった理由はGS1そのものにあったし、
その聴かせ方にもあった、といえる。

だから、この項を書いているのだ。

Date: 4月 24th, 2016
Cate: オーディオマニア

どちらなのか(その2)

オーディオという趣味は、音楽に導かれている、といえる。
音楽の後につづいての行為と考えれば、
その行為が、極道なのか修道なのかが見えてくるのではないだろうか。

Date: 4月 23rd, 2016
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(性能の重複だったのか)

1980年代の中頃からの、598と呼ばれる国産スピーカーシステムは、
性能の重複化であったように捉えることができる。

Date: 4月 23rd, 2016
Cate: ヘッドフォン

優れたコントロールアンプは優れたヘッドフォンアンプなのか(その4)

アナログディスク全盛時代、カートリッジを複数個もつ人は特に珍しいことではなく、
オーディオマニアであればそれが当然のことでもあった。

私がオーディオにこれほどのめり込むきっかけとなった「五味オーディオ教室」には、こう書いてあった。
     *
 ある程度のメーカー品であれば、カートリッジひとつ替えてみたところでレコード鑑賞にさほど違いがあるわけはない、とウソぶく者が時おりいる。
 レコード音楽を鑑賞するのは本当はナマやさしいことではないので、名曲を自宅でたっぷり鑑賞しようとなんらかの再生装置を家庭に持ち込んだが最後、ハイ・フィデリティなる名のドロ沼に嵌まり込むのを一応、覚悟せねばならぬ。
 一朝一夕にこのドロ沼から這い出せるものでないし、ドロ沼に沈むのもまた奇妙に快感が伴うのだからまさに地獄だ。スピーカーを替えアンプを替え、しかも一度よいものと替えた限り、旧来のは無用の長物と化し、他人に遣るか物置にでもぶち込むより能がない。
 ある楽器の一つの音階がよりよくきこえるというだけで、吾人は狂喜し、満悦し、有頂天となってきた。そういう体験を経ずにレコードを語れる者は幸いなるかなだ。
 そもそも女房がおれば外に女を囲う必要はない、そういう不経済は性に合わぬと申せるご仁なら知らず、女房の有無にかかわりなく美女を見初めれば食指の動くのが男心である。十ヘルツから三万ヘルツまでゆがみなく鳴るカートリッジが発売されたと聞けば、少々、無理をしてでも、やっぱり一度は使ってみたい。オーディオの専門書でみると、ピアノのもっとも高い音で四千ヘルツ、これに倍音が伴うが、それでも一万五千ヘルツぐらいまでだろう。楽器でもっとも高音を出すのはピッコロやヴァイオリンではなく、じつはこのピアノなので、ピッコロやオーボエ、ヴァイオリンの場合はただ倍音が二万四千ヘルツくらいまでのびる。
 一番高い鍵を敲かねばならぬピアノ曲が果たして幾つあるだろう。そこばかり敲いている曲でも一万五千ヘルツのレンジがあれば鑑賞するには十分なわけで、かつ、人間の耳というのがせいぜい一万四、五千ヘルツ程度の音しか聴きとれないとなれば、三万ヘルツまでフラットに鳴る部分品がどうして必要か——と、したり顔に反駁した男がいたが、なにごとも理論的に割切れると思い込む一人である。
 世の中には男と女しかいない、その男と女が寝室でやることはしょせんきまっているのだから、汝は相手が女でさえあれば誰でもよいのか? そう私は言ってやった。女も畢竟楽器の一つという譬え通り、扱い方によってさまざまなネ色を出す。その微妙なネ色の違いを引き出したくてつぎつぎと別な女性を男は求める。同じことだ。たしかに四千ヘルツのピアノの音がAのカートリッジとBのとでは違うのだから、どうしようもない。
     *
この文章についていた見出しは「よい部品を求めるのは、女体遍歴に通ず」だった。
「なにごとも理論的に割切れると思い込む」人は、
カートリッジを複数個もつことは、無駄なことでしかなかったはず。
いまならカートリッジはヘッドフォン、イヤフォンに置き換えることができる。

カートリッジにしても、ヘッドフォン、イヤフォンも場所はそれほどとらない。
これがアンプ、さらにはスピーカーシステムとなると、場所もとる。
それでもアンプもスピーカーも複数所有している人はいるし、
所有したいと思っている人はもっと多いだろう。

オーディオに関心のない人からすれば、いいモノをひとつ選んで他は処分すればいいのに……、となる。
確かにアンプにしてもスピーカーにしても複数所有することは機能の重複である。
そんなことはオーディオマニアはわかっている。

それでも複数所有するのは、性能の重複ではないからだ。
重複するのは何なのか。
ここのところを、はっきりと家族に理解してもらうのは大事なことだ。

Date: 4月 22nd, 2016
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その7)

バイワイヤリング対応のスピーカーシステムを一組のスピーカーケーブルで鳴らす場合、
どう結線するか。

下側のスピーカー端子(ウーファー用)にケーブルを接ぎ、
上の帯域の端子へはジャンパー線を介すか、
スピーカーケーブルの末端を通常よりも長く剥き、
ジャンパー線の代りも果すようにすることもできる。

これとは反対にスピーカーケーブルを上の帯域側の端子に接ぎ、
ウーファーへはジャンパーという方法がある。

おおまかにはこのふたつだが、
変則的なやり方として、
スピーカーケーブルのプラス側を上の帯域に、
マイナス側をウーファー側に(もしくはその反対)という接続もある。

音を聴いた上で、どの方法がいいのかは判断するわけだが、
その音を出すにはまず接続しなければならない。

上の四つのどれかの方法でスピーカーケーブルを接がないことには、
肝心の音がスピーカーから鳴ってこないのだから。

ここでどれで接ぐのか。
すこし大げさにいえば、その人の音の聴き方の一面がうかがえる。
トゥイーター側(上の帯域側)に接ぐ人もいれば、
片方をトゥイーター、もう片方をウーファーという、
私にいわせればどっちつかずのやり方の人もいるし、
ためらうことなくウーファー側に接ぐ人もいる。

何を優先しての結線なのか。
同じことは、実は直列型のネットワークでも問われる。

Date: 4月 21st, 2016
Cate: バッハ, マタイ受難曲

リヒターのマタイ受難曲(その1)

カール・リヒターのマタイ受難曲は、日本では古くから評価が高い。
特に旧盤(1958年)の評価は群を抜いていたといえる時期もある。

この旧盤のドラマティックともいいたくなる表現の緊迫感からすると、
新盤(1979年)のマタイ受難曲は、どこかなまぬるく感じもした。

だから20代はリヒターのマタイ受難曲は旧盤だけがあれば、それでいい、
新盤は必要なのだろうか……、とさえ思っていた。

それがいつのころからか新盤のほうに手が伸びるようになってきた。
旧盤の演奏をやりすぎ、といわないけれど、そんな印象につながるようなものを感じていた。

なぜそう感じるように変ってきたのか。
その理由というか、きっかけがよく思い出せずにいる。
きっかけらしいきっかけはなかったのか。
何かあったけど、忘れてしまったのか。

ひさしくどちらも聴いていない。

Date: 4月 21st, 2016
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(その4)

ポータブルCDプレーヤーを持っていたこともある。
最初のポータブル機(ソニーのD50)ではなく、
各社からいくつも登場して、電車の中でもよくみかけるようになったころに購入した。

ポータブルCDプレーヤーであれば、
ウォークマンとは違い、CDを買ってくれば(持っていれば)すぐに聴ける。
録音済みテープを自分で制作する手間はいらない。

でも持ち歩くことはほとんどしなかった。
そうなると自然に使う頻度も極端に減ってくる。

2002年にiPodを買った。
カセットテープに録音するよりは簡単に曲をiPodに収録できる。
CDをMacでリッピングしておけば、カセットテープの収録時間を気にすることなく、
どんどん増やしていける。

iPodはポータブルCDプレーヤーよりも小さい。
ポータブルCDプレーヤーはジーンズのポケットには入らないが、iPodはすんなり入る。

ウォークマン、ポータブルCDプレーヤー、iPod。
これらの中ではiPodが持ち歩いた時間が長い。

iPodを手に入れたときは、ウォークマンを譲ってもらったときと同じようによく使っていた。
けれど、自然と使わなくなっていった。

それでも割と持ち歩いていたのは、友人に聴かせたいCDがあるからだった。
そのころアルゼンチンのハーモニカ奏者ウーゴ・ディアスのCDがビクターから発売になった。

ウーゴ・ディアスを知る人は、私のまわりにはほとんどいなかった。
その人たちにiPodでウーゴ・ディアスを、なかば強引に聴かせていった。
聴けば、ほぼみんな驚いていた。

外出先や移動中に自分で聴くためというよりも、
こうやってその時々で、自分でいいと思ったCDを入れていて、友人・知人に聴かせていた。

言葉でウーゴ・ディアスについて語るのも楽しいことだが、
その場で聴いてもらうことには及ばない。

特にハーモニカという楽器に対するイメージは、
日本の場合は小学校の音楽の授業によって形成されているところがある。
それをウーゴ・ディアスの「音」は、いとも簡単に破壊してくれる。

だからみな「すごい!」と驚く。

Date: 4月 21st, 2016
Cate: audio wednesday

第64回audio sharing例会のお知らせ(muscle audio Boot Camp vol.2)

5月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。

自分のシステムをチューニングするとき、ほとんどの場合、かけるディスクは一枚である。
CDであってもアナログディスクであっても、かけかえることはほとんどしない。

CDの場合であれば、何かを変更するときはストップボタンは押さずにポーズボタンを押す。
つまりCDはCDプレーヤーの中で回転し続けているわけだ。
アンプのボリュウムも最初に設定したところから動かさない。

一度絞って、元の位置に戻せば同じことじゃないか、
CDにしても何枚かのディスクをかけかえることに不都合はないじゃないか、
そう考える人もいるだろうが、
細かなチューニングになればなるほど、変動要素はできるかぎり減らしたいし、コントロールしたい。

1980年代のステレオサウンドを読み返してもらえれば、なぜそうするのかは載っている。
CDであればストップボタンを押してしまうと、ディスクの回転は止る。
プレイボタンを押しても、すぐにサーボ回路が安定するとは限らない。

それに一度ディスクを取り出してしまうと、
前とまったく同じ状態でディスクがホールドされるとは限らない。

アンプのボリュウムも絞ってしまうと、完全に同じ位置に設定できるとは思わない方がいい。
だいたい同じ位置にはできても、わずかにズレてしまう。
聴感上の音量の変化は判断材料として重要である。
その差はわずかであることが多いからこそ、ボリュウムもそのままにしておく。

他にも注意する点はいくつかある。
そういう注意を払いながら、音を聴いていく。

これを次回のmuscle audio Boot Campで再現しようとは考えていない。
同じディスクの同じところを、しつこく聴くわけだからだ。
やっている本人は楽しくても、隣で聴いている人には苦痛になるだろうし、
しんどいことだと思う。

なのでチューニングをやりながらの音出しであっても、数枚のディスクをかけていくだろうし、
音量に関してもまったくいじらない、ということはやらない予定でいる。
ただし要望があれば、変更の可能性もある。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 4月 20th, 2016
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その6)

ステレオサウンド47号「続・五味オーディオ巡礼」を何度も読み返していた高校一年だった私は、
スピーカー内蔵ネットワーク方式で、マルチアンプのよさを出すには……、
反対にマルチアンプ・システムでネットワーク方式のよさも出すには……、
そういうことを考えていた。

多くの人が考えるように、
トゥイーター用のローカットフィルターとウーファー用のハイカットフィルターの干渉を、
どれだけ抑えられるか、について考えていた。

1980年ごろになると国産スピーカーの中に、
ネットワークをエンクロージュア内で分離させているモノが登場してきた。

エンクロージュアの裏側にある入力端子、
この端子の裏側で2ウェイならば二組、3ウェイならば三組のケーブルが、
それぞれのユニットのネットワーク(フィルター)までのびている、というようにだ。

国産のスピーカーシステムで、バイワイヤリングを最初に採用したモデルはどれなのだろうか。
私が見て聴いた範囲では、
ダイヤトーンのフロアー型システムDS5000(JBL・4343と同じ寸法の4ウェイ・システム)だった。

そのころはまだバイワイヤリングという言葉はなかった。
バイワイヤリング方式そのものは、東芝が実用新案をとっていたと、ずいぶんあとになって知った。

エンクロージュア内部でネットワークをそれぞれの帯域ごとに分離させているのであれば、
それをエンクロージュアの外側までのばしていったのが、いわゆるバイワイヤリングの考えである。

バイワイヤリング対応のスピーカーを、
シングルワイヤリングからバイワイヤリングにすれば、ほとんどの場合、音の分離は向上する。
バイワイヤリングでこれだけの効果が得られるのならば、
3ウェイではバイ(二組)ではなく三組に、4ウェイでは四組のスピーカーケーブルで、
アンプと接続できるようにすれば、バイワイヤリングよりもさらに音の分離はよくなる……、
誰もがそう考えるであろう。

私もそう考えた。
JBLの4343のネットワークを回路定数はそのままで、
各帯域ごとに(つまり四つに)分離して、スピーカーケーブルも四組使う、
そんな接続で鳴らしたら……、
4ウェイのマルチアンプ(四組のパワーアンプ使用)とまではいかなくとも、
バイアンプ(二組のパワーアンプ使用)と同等か、
うまくすればもっといい音が得られるのではないか。

そんな都合のいいことを想像していた時期がある。

けれどステレオサウンドの試聴室で、さまざまなバイワイヤリング対応のスピーカーを、
シングルワイヤリングとバイワイヤリングでの音の違いを体験していくうちに、
バイワイヤリングが、シングルワイヤリングよりもすべての面で優れているわけでないことにも気づく。

そのころになって、ようやく直列型ネットワークのことを思い出すにいたる。

Date: 4月 18th, 2016
Cate: オーディオマニア

どちらなのか(その1)

極道という言葉がある。
辞書には、いい意味のことは書いてない。
日常的に、この言葉が使われるのも、いい意味ではない。

極道(ごくどう)とは、悪事や酒色・ばくちにふけること。品行・素行のおさまらないさま。
人をののしっていう語、とある。

極には、きわめる、きわまる、このうえない、という意味をもつ。
だから極意、極地という言葉がある。

その意味でいえば、道を極めるのが極道ということになり、
この極道を否定的な意味ではなく肯定的な意味としてとらえる人もいる。

オーディオだけに限らずマニアと呼ばれる人は、
そういう意味での極道者と自認している人も少ないはずだ。

何かを極めよう、ということは、そういうことであろう、と思ってきたけれど、
このごろになって極めようとしてきたのだろうか、とも思うようになってきた。

修道という言葉がある。
道を修める、と書く。

極めると修める。
オーディオでやってきたことはどちらなのか、
いまやっていることは、これからやろうとしていることはどちらなのか。