終のスピーカー(求めるものは……)
岩崎先生のモノだった「Harkness」で、いまは聴いている。
だからこそ忘れてはならないと改めて心に刻むのは、
「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」である。
岩崎先生のモノだった「Harkness」で、いまは聴いている。
だからこそ忘れてはならないと改めて心に刻むのは、
「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」である。
人によって、こうも感じ方が違うものか、ということをインターネットを通じて感じることがある。
オーディオ機器のデザインについても、そう感じている。
いま私の目の前にはJBLの「Harkness」とトーレンスのTD224がある。
毎日眺めている。
どちらもいいデザインだとおもう。
そして、どちらも時代を感じさせてくれる。
いいデザインとは、その時代を感じさせてくれるものではないのだろうか。
facebookやtwitterなどのSNSの普及により、
いろんな意見を目にするようになった。
このあいだも、マランツのModel 7のデザインが素晴らしい、という書き込みをみかけた。
そこにコメントがあり、「時代を感じさせないデザインで、素晴らしい」とあった。
このコメントに同意される方もいた。
そうなのか、と私などは思っていた。
Model 7のデザインもいい。
真空管のコントロールアンプで一台だけ手もとに置いておきたいとなると、
やはりマランツのModel 7を選ぶ。
20代のとき手に入れようとしたこともあった。
そのころに較べると、無理をしてでも……という気持はずいぶん薄れてしまったけれど、
縁があれば欲しい、という気持は抑えられない。
でも、私はmodel 7のデザインは「時代を感じさせない」とは思っていない。
「時代を感じさせてくれる」デザインであり、いいデザインだと思っている。
「時代を感じさせない」は、ほんとうに讚辞の言葉なのだろうか。
オーディオマニアに「オーディオ機器の調整を行っていますか」ときけば、
ほとんど全員が「やっている」と答えることだろう。
でも実際にはカートリッジの例でもわかるように標準針圧に合せることを「調整」と思っている人もいるし、
4350(4355)といったスピーカーシステムに関しても、
同じパワーアンプを二台用意すればレベル調整は必要ない、と思い込んでしまった人もいる。
4350(4355)に関しては、それではレベルが合うことはまずありえないのだが、
そう思い込んでしまった人にとっては、それは動かしていけないことになってしまうのだろうか。
針圧に関しても同じだ。
標準針圧に合せたら、そこから動かしていけない、
そんなふうに思い込んでいる人は確実にいる。
何度もくり返す、
オーディオ機器の「調整」はしっかりした準備がなければ始まらない。
それにしても、なぜ動かさないのだろうか。
4350(4355)のレベル合せにしても、何もスピーカーを動かさなければできない作業ではない。
ツマミをほんの少し動かすだけの、労力としてはたいした作業ではない。
絶妙なバランスを実現するには時間とセンスが求められるが、
レベルを動かすことに必要なのは、本人のやる気だけ、ともいえるし、
思い込みをなくしてしまうことだともいえる。
この「調整」ということに関しては、まだまだ書いていきたいこと、
書かなければならないと感じていることが、書いていると次々と出てくる。
人と話すことによっても、そうなってくる。
「調整」については、この項のいわば本文にあたるところで書き続けていく。
いままでオーディオのなかった部屋にシステム一式を設置することになったとしよう。
スピーカーシステムを置き、ラックの設置、そのラックへのアンプやCDプレーヤー、アナログプレーヤーの設置、
そのあとにケーブルでそれぞれの機器を結線していく。
電源もとる。
ここまでのことはセッティングということになる。
ここをいいかげんにやっていては、次の段階がうまくいかなくなるし、
たまたま偶然が重なってうまくいったとしても、そんなことではオーディオ機器の調整は身につかない。
セッティングは調整をスタートするための、いわば準備である。
だからこそしっかりと準備することが大事であり、
このセッティングには、アナログプレーヤーにおけるカートリッジまわりの調整も含まれる。
バイアンプ(マルチアンプ)駆動のスピーカーシステムであれば、
各帯域のレベルの調整もセッティングの範疇である。
使用するカートリッジの標準針圧が2.5gであれば、まずは2.5gに合せる。
トーンアームの高さも調整する。
カートリッジの傾きもチェックして、傾きが視覚的に確認できれば水平とする。
(ただしこの部分に関しては、さらに次の段階がある)
インサイドフォースキャンセラーがあれば、まずは針圧と同じ値とする、など、
こういった調整をやるわけだが、これは厳密な意味でのオーディオ機器の「調整」とはいえない。
あくまでも「調整」という次の段階のための準備なのである。
4350(4355)を鳴らすとしても、とにかく音を出して帯域のバランスをおおまかに合せる。
これも厳密な意味でのオーディオ機器の「調整」ではなく、やはり準備である。
これらの準備がきちんとできないままに「調整」にうつってしまっては、
いわゆる泥沼に嵌ることになる可能性が高くなるし、
いつまでたっても準備のところにとどまっていることに気がつかないことにもなる。
JBLの4350、4355を自分で一から調整したことがあれば、
こんなふうにユニットのデータをもってこなくても、確実なことがいえるのだが、
すでにレベル調整されていた4355のレベルをいじったことはある程度なので、
結局こんな言い方になってしまった。
なぜこんなことを書いているかというと、
ある人が4350を鳴らしていて、パワーアンプは二台とも同じモノを使っている。
つまりゲインもパワーも同じだから、レベル調整はしていない、ということを耳にしたからだ。
仮に4350の2231A二発からなる低域と、
250Hzより上を受け持つセクションとの出力音圧レベルがまったく同じであったとしても、
それでもレベル調整はするものだという私の考えからすると、
これには「調整」ということが何を意味してるのか、
その意味をどう捉えているのか、
調整という言葉をどう使っていったらいいのか、
そんなことを考えてしまった。
4350はJBLのプロフェッショナル用のスピーカーシステムである。
いいかえればプロフェッショナルが使うこと・鳴らすことを前提としている。
4350と同等のスピーカーシステムを、もしJBLが開発していたら、L500という型番で出していたかもしれない。
仮のモデルとしてL500を考えてみると、
バイアンプ駆動であっても、低域部と250Hz以上を気もつセクションとの出力音圧レベルは揃えるであろう。
せっかくの高能率ユニットからなる中低域以上のレベルを多少落すことになったとしても、
コンシューマー用スピーカーシステムとしての使い勝手を重視して、
同じパワーアンプを二台用意すれば、特にレベル調整の必要なく鳴るようにする。
だが4350はL500ではない。
あくまでもプロフェッショナルが使う(鳴らす)スピーカーシステムであるから、
そういった配慮は要らないのだから。
3Dプリント技術が行き着くところは、レプリケーターなのだろうか。
レプリケーターとはスタートレックに登場する装置の名前である。
スタートレックを、テレビ、映画で一度でもご覧になれば、
転送装置という瞬間的に移動できる装置に気づかれる。
レプリケーターは、この転送装置の発展形でもあり、
分子レベルで実物(オリジナル)とほとんど変らぬコピーを、エネルギーさえあればいくつでもつくり出せる。
しかもサイズの拡大縮小も可能という設定になっているから、
これこそ未来の3Dプリント技術といっていいように思ってしまう。
このレプリケーターがあれば、そしてオリジナルの正確なデータがあれば、
さらにエネルギーの使用に制限がなければ(設定上ディテールの追求することはエネルギーの消費が増える)、
さまざまなオーディオ機器のコピー(レプリカ)が、オリジナルといっていいレベルで存在することになる。
マランツModel 7はいまも高値で取引きされている。
別にModel 7に限らず、過去の銘器と呼ばれたオーディオ機器は決して安くはない。
中にはジャンクとしか呼べないモノもある。
これから先、ますますコンディションのいい、そういったモノを手に入れることは難しくなっていく。
でもレプリケーターが実現されれば、
スタートレックの世界は23世紀、24世紀という設定であるから、
いまから200年後、300年後のほうが、いまよりも程度のいい、
というか新品そのもののModel 7を誰もが手に入れることができるようになる──、
そんなことを夢想したくなる。
荒唐無稽な……、と思われるだろうが、
私も含めて、これを読まれている方が生きているうちは、確かに実現は無理なこと。
そんなことはわかっているし、レプリケーターの原始的なレベルのものすら、
生きているうちには見ることはない、と思っていたところに、
3Dプリント技術が話題になりつつある。
こういうものも3Dプリント技術でアウトプットされているのか、
そんなふうに感じるニュースを読んでいると、レプリケーターの原始的なモノであれば、
もしかすると生きているうちに登場してくるかもしれない。
そうも思うようになってきた。
4350の中低域より上の帯域を構成するユニットの中で、
出力音圧レベルの低いのは、ミッドバスの2202Aということになる。
だからこのセクションの出力音圧レベルは2202Aの出力音圧レベルの同じということになる。
その2202Aの出力音圧レベルだが、実のところはっきりしない。
最初の頃は96dB/W/mとなっていたのが、1978年ごろから99dB/W/mへと変更になっている。
3dBの違いがある。
96dBであれば、2231A二発によるウーファーとほぼ同じ出力音圧レベルということになるのが、
98dBであれば、2231A二発よりも3dB程度高いことになる。
どちらの値が正しいのか。
2202Aは30cmのコーン型ユニットだが、
磁気回路は38cmのウーファーと同等の設計と物量が投入されている。
JBLが発表している”THIELE SMALL LOW FREQUENCY DRIVER PARAMETERS AND DEFINITIONS”によれば、
2202AのMms(Effective moving mass)は50g、2231Aは151gである。
磁束密度はどちらも同じで1.2テスラ。
BL積は2202Aが22、2231Aが21と、わずかだが2202Aの方が高い。
これらのパラメーターで正確な出力音圧レベルがわかるわけではないものの、
2202Aが96dBということはないように、実際に4350Aを聴いた経験からも、
そして4350B、4355を聴いた経験からも99dBの方が鳥瞰的には納得できる値である。
4350B、4355には2202Aのフェライト仕様がついていて、
4355の出力音圧レベルは、290Hz以下が96dB/W/m、290Hz以上が99dB/W/mとなっていることからも、
4350A、4350Bの中低域より上(250Hz以上)は99dB/W/mと考えていい。
この項はオーディオの「調整」について書いていっている。
「調整」といっても、きちんと説明しようとすれば、
かなりの文字の量を必要となるし、それだけ時間もかかる。
それでも「調整」という、この短い言葉に対する認識は、
オーディオマニアであれば、すくなくともある程度のキャリアを積んだオーディオマニアであれば、
共通認識がある、と私はこれまで思ってきた。
音を表現する言葉とは、オーディオに関する言葉であっても、そこは違う──、
そう思ってきていた。
けれど話をしたり話を聞いたりしてきていると、
「調整」という言葉ですら、実のところ共通認識は非常に曖昧で脆さがあることに気づかされた。
それはこの項で、これから書いていくカートリッジの針圧の調整、
なにも針圧の調整だけにとどまらず、カートリッジに関係するすべての調整も含めて、ではあるが、
ここでは話を明確にするために、針圧の調整ということにだけにするが、
カタログに標準針圧:2.5gと書いてあれば、
2.5gぴったりに合せるのが、カートリッジの針圧の調整だと思っている人がいまもいる。
そればかりではなく、たとえばJBLの4350というスピーカーシステムのレベル調整。
4350はバイアンプ駆動を前提としたシステムで、
ウーファーは2231Aを二発並列に接続して、中高域とは独立したアンプで鳴らす。
2231Aの出力音圧レベルは93dB/W/m、
これがダブルで使用されているから、おそらく低域部の出力音圧レベルは96dB/W/mということになる。
4350の中低域より上の帯域に関してはどうだろうか。
4350Aの出力音圧レベルは95.5dB/W/mとカタログには表記されている。
この値は、間違いなく低域部(2231A二発分)の出力音圧レベルであり、
中低域より上の帯域、
ミッドバスの2202A、2440 + 2311 + 2308、
トゥイーターの2405から構成されるセクションの値もそうだということにはならない。
ステレオサウンド 187号の柳沢功力氏のふたつの記事を読まれた方ならば、
これから私が書こうとしていることはおおよそ想像がつくことと思う。
アンプの出力段の回路方式やスピーカーの能率、エンクロージュアの構造、
こういったことが共通するというだけで音がどれだけ判断できるか──、
ほとんど判断できない、ともいえるし、
バックロードホーンならばすべて同じ傾向の音がする、とか、
そういったことはいわば短絡的なことでしかないのだが、
それでもあえていえば、
D130という高能率のフルレンジユニットとバックロードホーンの組合せ、
その組合せからなるスピーカーシステムを、Circlotron回路のパワーアンプで鳴らす、
つまりSUMOのThe Goldで鳴らしてみたい、という私の直感は間違っていなかった、
そのことへの裏付けが、それもいわば他人からみれば、なかばこじつけによる裏付けにみえるだろうが、
本人にしてみれば確かに得られた、という感じなのである。
と同時に、VOXATIVのAmpeggio SignatureとアインシュタインのThe Light In The Dark Limited、
この組合せの音は、ぜひ聴いてみたい、と思うようになっている。
柳沢氏は、
「このような高感度ユニットはそうした違いに極めて敏感で、この音はまさに生きている。ことに声はじつに生々しく、そこに人がいる気配さえ感じとれる。」
とAmpeggio SignatureとThe Light In The Dark Limitedの音について書かれている。
聴きたくなるではないか。
それよりなによりもD130をおさめた「Harkness」をThe Light In The Dark Limitedで鳴らしてみたい。
The Light In The Dark Limited、いまもっとも聴きたいパワーアンプである。
やはり自分の手で「21世紀のThe Gold」をつくるべきなのか。
ローサーのスピーカーシステムも、またバックロードホーンの高能率型だった。
VOXATIVのスピーカーシステムも同じである。
柳沢功力氏の記事を読めば、
なぜユニットがローサーにそっくりなのかがわかる。
そして、VOXATIVの最初のスピーカーシステムのAmpeggio Signatureも、
ローサーと同じようにバックロードホーンである。
とはいえ21世紀に、新進メーカーのデビュー作と登場してきただけあって、
ローサーの単なる復刻でないことは記事からわかる。
詳細についてははっりきしたことはわかっていないものの、
バックロードホーンのエンクロージュアも昔ながらの設計とはそうとうに違っているようだ。
高能率のダブルコーンのフルレンジユニットをバックロードホーンにおさめている。
このスピーカーシステムの試聴に柳沢氏は、
ステレオサウンドのリファレンス機のアキュフェーズA200の他に、三つのアンプを用意されている。
「短時間の試聴のためぼく自身も結論には至っておらず、製品名を公表することで相性の善し悪しをより強く印象づけてしまいそうに思うからだ」
を理由に、アキュフェーズ以外のアンプにはついてはブランド、型番については書かれていない。
けれどどれがどのブランドのどの型番のアンプかは、すぐにわかる。
柳沢氏がアンプ『C』とされているアンプ、
これがアインシュタインのThe Light In The Dark Limitedである。
Circlotron(サークロトン)という、この回路技術を、
ヤマハはプリメインアンプのA-S2000で採用している。
A-S2000の回路図は公表されていないし、いまのところ入手できていないから、
はっりきと断言はできないけれど、A-S2000の回路についての説明文や図から判断するに、
基本的には、そういえるはずである。
とはいえCirclotron(サークロトン)という、この回路技術を表す単語が登場することはなかった。
Circlotronが、いまのオーディオ雑誌に登場することはないだろうな、と思っていたら、
なんとステレオサウンドの187号に載っていた。
柳沢功力氏によるアインシュタインのパワーアンプ、The Light In The Dark Limitedの記事である。
電圧増幅段は真空管で、出力段はソリッドステートという構成。
おそらく出力段の回路はSUMOのThe Goldと基本的には同じ可能性が非常に高い。
これだけでも、私のThe Light In The Dark Limitedに対する注目度は高くなるわけだが、
今回のステレオサウンド 187号は、それだけではなかった。
やはり柳沢氏による記事で、ドイツのVOXATIV(ヴォクサティヴ)という新進メーカーの、
この時代にしては、先祖返りなのではと思いたくなる外観のスピーカーが紹介されている。
詳しくはステレオサウンド 187号を読んでいただくとして、
VOXATIVのスピーカー、Ampeggio Signatureには、
ダブルコーンのフルレンジユニットがついてる。
乳白色のコーン紙のそれは、ローサーそのもののようにも見える。
終のスピーカーは、JBLのD130という高能率で、
ナロウレンジで旧い時代に開発・設計されたユニットを、
音道6フィート(約1.8m)のバックロードホーン・エンクロージュアにおさめたものだから、
古典的なスピーカーの典型ともいえるものである。
こういうスピーカーを鳴らすためのパワーアンプに求められる条件について、
何か普遍的なことがいえるのだろうか。
それとも、そんな要素はまったくなくて、個人個人が鳴らしたいように鳴らすために、
アンプを選べばいいのであって、
高能率だから、といって小出力のアンプである必要はないし、
ハイパワーのアンプで鳴らすことだってあるし、
D級アンプという選択肢もある、と思っている。
これから、あれこれアンプに関しても確かめてみたいことがある。
そんなことのひとつに、いまは手離してしまったSUMOのThe Goldで鳴らしてみたら、
どんな音がするのか、それを想像するだけでも楽しい。
いまThe Goldの中古を探してきてということは、たぶん、やらない。
The Goldの回路図は持っているし、
実際に使っていたアンプだから、内部構造も徹底的に見ているし、
どういう造りだったのかも憶えている。
いつか、自分の手で「21世紀のThe Gold」を完成させたい、という考えも捨てきれずにいる。
The Goldの回路に関しては「SUMOのThe Goldとヤマハのプリメインアンプ」で書いているところだ。
この項の(その5)、(その6)、(その7)で、
真空管アンプ時代にあったWiggins Circlotron Power Amplifierについてふれている。
今日電話をくれた彼は、録音関係の仕事をやっている。
そのことが関係して、業務用機器の最新情報を教えてくれた。
いくつか、知らないメーカーの、興味深い機器の情報があった。
ここに書くのは、それら業務用機器のことではなく、
あるスピーカーメーカーのことである。
キリマンジャロオーディオというメーカーがあるのを教えてくれた。
励磁(フィールド)型のスピーカーを作っている。
それも往年の銘器といわれているスピーカーユニットの励磁型を製造している。
A604というユニットがある。
型番からすぐにわかるようにアルテックの604の励磁型であり、
それも振動板はアルテックの工場設備を受け継いだGAP(Great Plains Audio)から供給を受けている、とのこと。
この手もモノは実際に音を聴くまではなんともいえないのだが、
それでも世界には興味をそそるメーカーがいつの時代も誕生してくる。
20代の私だったら、励磁型ということで、聴きたいという気持は何倍にもなった。
そんな私も50になると、変っていくところに気づかされる。
励磁型の磁気回路をもつスピーカーユニットには、当然のことだが外部電源が付属してくる。
この電源がどういう電源なのかによって音が変化することをすでに知っている。
タンガーバルブによる電源の音も聴いている。
一般的といってよい定電圧電源の音も聴いている。
励磁型の電源として、どういうものが望まれるのかもすべてとはいわないまでも、
ある程度はわかってきている。
そうなると、どうしても電源をいじりたくなる。
電源が内蔵されていて、手を加えるのが困難、面倒臭いのであれば、
純正の電源のまま聴いていこう,と思うのだが、
励磁型ユニットはすべて外部電源であり、
さもいじってくれ、とこちらを誘っているようにおもえてしまう。
20代の私だって、よし、いじってみよう! となる。
でも、いまは、内部を見て,ここをこうしたら、とか思っても、
面倒だな……という気持があることに気づく。
こんなふうに受けとってしまうのは、私がどうしようもないくらいにオーディオマニアだからであって、
多くの人は自分で電源をいじろうとは考えないであろう。
考えない人のほうが、励磁型のユニットを使っていく上ではしあわせかもしれない。
その意味で私にとってはパーマネントマグネットのほうが向いているように、
最近は思うようになっていて、そのことを今日も思い出していたわけだ。
夕刻、思いがけない人から電話があった。
こうやって話すのは何年ぶりになるか。四年は経っている。
彼とのつき合いは長い。
まったく音沙汰がない時も何度かあって、
その度に数年置きに電話が鳴る。
今回もそんな感じだった。
数年ぶりとはいえ、まったくいつもと変らぬ感じで長くなる。
彼がひさしぶりに電話をくれたのは、私のプログ、この項を読んでくれたからだった。
第一声は「おめでとうございます」だった。
彼はスイングジャーナル編集部にいた男だった。
岩崎先生とも瀬川先生とも仕事をしてきている。
そんな彼からの「おめでとうございます」だった。
素直にうれしくおもっていた。
つき合いがながいだけにわだかりがまったくなかったわけではない。
でも、そんなことはたったひとことの「ありがとうございます」で、どうでもよくなる。
オーディオとながい時間をとりくんできた者同士だから、ともいえよう。
労働の対価として報酬を得て、
その報酬を貯めてモノ(オーディオ機器)を買う。
身銭を切る、ともいう。
オーディオは身銭を切って、自分のモノとするからこそ……、という言い方がされる。
手に入れたオーディオ機器をどう調整し鳴らし込んでいくのかだけが「音は人なり」につながっていくのではなく、
そうやって身銭を切って、何を購うのかも「音は人なり」につながっている。
だから、人からもらったオーディオを使って鳴らしていたって……、
と批判する人がいる。
その気持がまったくわからないわけでもない。
けれど、身銭を切る、ということは、狭い意味でのことだけだろうか、といいたい気持もある。
私は今回、憧れのスピーカーシステムと「異相の木」としてのスピーカーシステム、
ふたつの意味合いをもつ「Harkness」を手に入れた。
はっきり書けば、いただいてきた。
その意味では、身銭を切って、自分のモノとしたわけではない。
直接的な身銭はいっさい切っていない。
そうやって手に入れたスピーカーが、どんなモノであろうと、
おまえの音にはならないよ、とか「音は人なり」はどこにいったのか、とか、
あれこれいう人がいることは、あらかじめわかっていた。
いいたい人はいいたいだけいえばいい。
私に届くようにいうのも自由だし、それをやめろ、ともいわない。
でも、そういう、ごく一部の人に対していいたいのは、
「直接的な身銭しか、あなたには見えないのですか」だけである。