Date: 7月 3rd, 2013
Cate: 終のスピーカー
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終のスピーカー(その12)

労働の対価として報酬を得て、
その報酬を貯めてモノ(オーディオ機器)を買う。
身銭を切る、ともいう。

オーディオは身銭を切って、自分のモノとするからこそ……、という言い方がされる。
手に入れたオーディオ機器をどう調整し鳴らし込んでいくのかだけが「音は人なり」につながっていくのではなく、
そうやって身銭を切って、何を購うのかも「音は人なり」につながっている。

だから、人からもらったオーディオを使って鳴らしていたって……、
と批判する人がいる。

その気持がまったくわからないわけでもない。
けれど、身銭を切る、ということは、狭い意味でのことだけだろうか、といいたい気持もある。

私は今回、憧れのスピーカーシステムと「異相の木」としてのスピーカーシステム、
ふたつの意味合いをもつ「Harkness」を手に入れた。
はっきり書けば、いただいてきた。

その意味では、身銭を切って、自分のモノとしたわけではない。
直接的な身銭はいっさい切っていない。

そうやって手に入れたスピーカーが、どんなモノであろうと、
おまえの音にはならないよ、とか「音は人なり」はどこにいったのか、とか、
あれこれいう人がいることは、あらかじめわかっていた。

いいたい人はいいたいだけいえばいい。
私に届くようにいうのも自由だし、それをやめろ、ともいわない。

でも、そういう、ごく一部の人に対していいたいのは、
「直接的な身銭しか、あなたには見えないのですか」だけである。

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