Archive for category テーマ

Date: 12月 22nd, 2014
Cate: Reference

リファレンス考(その6)

いまは元麻布に移っているが、私がいたころは六本木五丁目、
外苑東通りに面したビルに、ステレオサウンド編集部はあった。
試聴室は三階にあった。

ビルの窓から身を乗り出せば東京タワーが正面に見えた、
まわりは夜ともなればネオンがまぶしい繁華街である、
目にこそ見えないけれど、オーディオ機器を取り巻く環境としては、かなり悪かった。

こういう環境では、思わぬ症状が発生することがある。
そのひとつに、アンプがバズって、満足な音出しが出来なくなる機種があった。

もう製造中止になった機種だが、
そのメーカーのアンプはいまではそんなことはないから、どのメーカーとは書かないが、
海外製のアンプの一部は、
国産メーカーのアンプよりも、以前のステレオサウンドの試聴室のような悪条件には弱いところがあった。

おそらく、海外にある、そのメーカーの試聴室では出なかったトラブルが出ることがあった。

オーディオ機器を取り巻く環境は常に一定ではない。
雑多なノイズがそれぞれ変動している。

それらの影響をまったく受けないのが理想だが、そんなモノはない。
できるだけ影響を受けないことが、リファレンス機器には要求される。

Date: 12月 22nd, 2014
Cate: コペルニクス的

オーディオにおける天動説(その2)

ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4は、「魅力のフルレンジスピーカーその選び方使い方」で、
巻末には佐伯多門氏による「フルレンジスピーカーの基礎知識」が載っている。

この記事中に、出力音圧周波数特性と電気インピータンス特性、
このふたつのグラフを上下に並べている図がある。

電気インピータンス特性のグラフでは、
インピーダンスがもっとも高い値を示すところに低音共振周波数(f0)と書いてあり、
そこからの垂線が出力音圧周波数のグラフと交わるところには、低域限界周波数とある。
同じような図と説明は、他のスピーカーの技術書にも載っている。

HIGH-TECHNIC SERIES 4では、このグラフの隣のページには、
六つのフルレンジユニットの周波数特性のグラフががある。
ダイヤトーンのP610、パイオニアのPE8、フィリップスのEL7024/01、
JBLのLE8T、ラウザーのPM6、グッドマンのAXIOM80である。
HIGH-TECHNIC SERIES 4では、この他に37機種の実測データも載っている。

これらのグラフと、出力音圧周波数特性のグラフに書き込まれている解説を読んで気がついたことがあった。
グラフの説明では、低域限界周波数から下の帯域では、低音減衰(-12dB/oct)とある。
だがHIGH-TECHNIC SERIES 4に登場するフルレンジユニットの中には、そうでない機種がある。

AXIOM80、PM6がそうだし、JBLのD130もそうである。他にもいくつかある。
これらは古典的な高能率のフルレンジユニットである。いわば古い時代のユニットでもある。

HIGH-TECHNIC SERIES 4を読んだ当時(1979年)、16歳だった私は違いがあることに気づいても、
それがどういうことを意味しているのか、深いところまではわからなかった。

Date: 12月 21st, 2014
Cate: Reference

リファレンス考(その5)

ステレオサウンドの試聴室に持ち込まれるスピーカーシステムのタイプは実に様々である。
大きさも小型のモノからフロアー型の、それもかなり大型のモノもある。
パワーアンプの出力と関係してくる出力音圧レベルもかなり低いものから100dBをこえるものもある。

その差は20dBほどである。
20dBの違いは、出力に換算すると100倍の違いになる。

つまりリファレンスのパワーアンプとして、出力は極端に高くなくてもいいけれど、
ある程度の出力でなければならない。
それに高能率のスピーカーシステムを鳴らす時には出力はさほど必要としないけれど、
かわりに残留ノイズの低さが求められる。

しかも1980年代にはいり、スピーカーシステムのインピーダンスは低くなる傾向があった。
標準としての8Ωがあり、やや低い6Ωというのも登場してきた。4Ωも増えてきた。
そしてアポジーのリボン型スピーカーシステムのように、さらに低いインピーダンスも出てきた状況では、
低い負荷インピーダンスであっても、ある程度は駆動できることも条件となってくる。

これらの条件を満たして、魅力的な音を出すアンプであっても、
その魅力的な音が個性として強すぎる傾向のアンプは、リファレンスとしては適さない。

これまであげた条件を満たした優れたパワーアンプがあったとして、
その価格が一千万円近い、もしくはこえるようなアンプであれば、リファレンスとして適さない、ということになる。

私がいたころは持ち込まれるスピーカーシステムの価格は、低価格のモノもけっこうあった。
59800円のスピーカーシステムが隆盛だったころでもある。
こういう価格帯のスピーカーシステムを、いくらいい音がするからといって、
途方もない価格のパワーアンプで鳴らすことに、どういう意味があるだろうか。

実験という試聴であれば、そういう価格的なアンバランスも試してみるのもおもしろいが、
新製品紹介記事で、そんなアンプで鳴らして音が素晴らしかった、
と書いてあっても、読み手の参考になるだろうか。

Date: 12月 21st, 2014
Cate:

日本の歌、日本語の歌(その4)

話すことと歌うこと。
同じ言語であっても、そのときの脳の部位が違うのだとしたら、
同じ日本語であっても、話しをきいているときと、歌を聴いているときとでは、
反応している脳の部位にも違いがあるのではないか。

同じなのかもしれないし、違うのかもしれない。
はっきりしたことは知らない。
けれど可能性としては考えられることであるし、
人によっても、もしかすると違うのかもしれない、とも思えてくる。

私のように日本語を話せない人による日本語の歌をに対して、
日本語としての瑕疵を感じない人もいれば、そこがすごく気になってしまうという人もいるからである。

すごく気になってしまうという人も、それが日本語だからなのかもしれない。
たとえばフランス語を解しないアメリカ人がフランス語の歌をうたったのを聴いたとする。

この場合でも、彼はフランス語としての瑕疵が気になってしまうのか。
もちろんここでの聴き手は、フランス語を解さない人である。

Date: 12月 21st, 2014
Cate: 夢物語

オーディオ 夢モノがたり(その9)

いまカートリッジの発電方式としてリボン型に関心をもっているのは、
糸電話に関する記事を、10年ほど前に読んだからである。

糸電話は多くの人が小学校の理科の授業で実際につくり実験している。
それ以来糸電話のことはすっかり忘れていた。

けれど、ある日、あれこれ検索していて、リンク先もあれこれクリックしていっていたら、
糸電話の限界に挑戦している人のページにたどりついた。
そこには小学校での理科の授業とはまるで違う距離への挑戦だった。

数10mの長さでも糸電話は会話ができる。
さらに100mにのばしても会話はできる、とある。
もっと距離をのばせるのか。

もちろん糸の種類によって距離は変ってくるだろうし、
それだけ長い糸を用意できるかも問題になるし、
いちばんの問題は糸をピンと張れる場所をどうするか、である。

以前見た記憶では1kmまで会話ができる、とあったはず。
これを書くために検索してみたら、500mでも会話ができた、という記事があった。
1kmも記憶違いではない、と思う。

糸電話の構造は身の回りにあるものでまかなえる。
そんな簡単なモノなのに、伝達できる帯域幅は広くはないけれど、
えっ、と驚くような距離でも会話が可能なことを考えるに、
カートリッジの発電方式にうまく応用できないのか、と。

そういえば、と思い出したのが、ナガオカのリボン型カートリッジであった。

Date: 12月 21st, 2014
Cate: コペルニクス的

オーディオにおける天動説(その1)

いまでは、どんな人でも太陽が地球の周りをまわっているのではなく、
太陽の周りを地球がまわっていることは知っている。

知っているといっても、知識としてであって、
体感として、ではないともいえる。

だからずっとずっと昔の人は天が動いていると思っていた。
そこにコペルニクスが、太陽を中心とした地動説を唱えた。

オーディオにも天動説、地動説といえることがあるのだろうか、と思う。
たとえば電気は高い電位から低い電位へと流れる、とまず教わる。
けれど次に電子の流れは、実際には反対だと教わる。

電子の流れを捉えることができなかった時代は、高い方から低い方へ流れるものという,
いわば思い込みからそう決めてしまっていた。

その後、電子の流れは実は反対方向だったことが判明する。

このことを学校で教わった時、これも天動説・地動説のようなことなのか、と思った。

他にもあるような気がしている。
まだ気がついていないだけのことがあるのかもしれない。

Date: 12月 20th, 2014
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(BRUTUSとGroove)

入門書、入門ということについて書いている。
偶然なのだが、マガジンハウスが出版しているBRUTUSの最新号の特集は、
読書入門。だった。

「読書入門」ではなく、「読書入門。」である。
BRUTUSを読む読者が、読書初心者、入門者であるはずはないわけで、
そういう読者に、あえて「読書入門。」をしている。
どういう構成と内容になっているのかは、実際に本を手に取って確認していただきたい。

Grooveという雑誌がある。
いまGroove別冊として「アナログレコードのある生活」という本が出ている。

この本を、編集部はアナログディスク再生の入門書として企画したのかどうかはわからないが、
この本は入門書としての役割を満たしていると感じた。

入門書について考えさせられる二冊である。

Date: 12月 20th, 2014
Cate: ジャーナリズム

「言うべきこと」を書く

一年で1000本を書くことを目標としていても、今年は一年と二週間かかってしまった。
これが5001本目である。

ブログを書き始めた時に、10000本書くことを決めていた。
六年と三ヵ月ちょっとで、やっと中間点である。
すこし時間がかかりすぎと反省している。

1000本目を書いた後、「言いたいこと」を書く、とタイトルにつけた。
3000本目を書いた後は、「言いたいこと」を書く(さらにはっきりと)、というタイトルをつけた。

「言いたいこと」はもちろんはっきりと書いていく。
それだけではなく、「言うべきこと」を書いていく。

Date: 12月 20th, 2014
Cate: ジャーナリズム, デザイン

TDK MA-Rというデザイン(ステレオ時代という本とその記事・その2)

TDL MA-Rで、Googleで検索すると、かなりのページがヒットする。
私が書いた「TDK MA-Rというデザイン」も2ページ目で表示される。

ステレオ時代のVol.3掲載のTDK MA-R開発ストーリーを担当した編集者は、
MA-Rのことについて、インターネットを使って調べたりしなかったのか、と思う。
一時間もあれば、Googleで検索してヒットしたページを見ていったとして、
検索結果の2ページ目に表示される私のブログを見て、そこにある川崎先生のブログへのリンクをクリックすれば、
MA-Rについての、いままで知られてなかったことにたどりつく。

ほとんど労力を必要としないことではないか。
キーボードをほんの少し叩き、マウスを動かしてクリックしていくだけのことである。
それすらもせずに、ただインタヴューしたことだけを記事にしたのが、
今回のTDK MA-R開発ストーリーではないのか。

川崎先生がMA-Rについて書かれたブログが、つい最近のことであったら、まだわかる。
ステレオ時代のVol.3はつい最近書店に並んだ本である。
担当編集者がMA-Rのことを調べる気があったなら、
川崎先生のブログを見つけられなかったということは考えにくい。

いい記事をつくろうという気がないのか、とも思ってしまう。
なぜ、いい記事にしようとしないのか。
その理由を考えてしまう。

結局のところ、商業誌であることを優先してしまっているからだ、ということになってしまう。

Date: 12月 20th, 2014
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(続・明白なことでさえ……)

間違いが書かれているブログのURLは、メールを送ってくれた人に問い合せればすぐにわかることだろう。
でも、URLを知ったら、読みに行く。
読んでしまったら、さらにあれこれ書きたくなるであろうから、あえて訊かなかった。

ThaedraとAmpzillaがGASの純正ペアであるが、
人によってはThaedraと組み合わせた音よりも、Thoebeと組み合わせた音のほうが気に入ることだってある。
それは理解できる。
けれど、それをもってして、
ThaedraではなくThoebeがAmpzillaとペアとなるべく開発されたコントロールアンプだ、
と言い切っていいわけではない。

あくまでも、自分にとっては純正のコントロールアンプとなるThaedraよりも、
Thoebeの方が望ましい結果が得られた──、
そんなふうに書かれれば、メールをくれた若い人を惑わすこともなかった。

おそらく、Thaedraではなく Thoebeが、と書いた人は思い込みが強いのかもしれない。
親しい人と話している分には、まあいいだろう、と思うけれど、
誰もが見れるブログで、思い込みが激しいまま間違ったことを書いてしまうと……、
ということを、その人はまったく考えないのだろうか。

同じ間違い・デタラメであっても、若い人が書くのと年配の人が書くのとでは、少し違ってくる。
ブログを書いている人の中には、自分のシステムの写真を公開している人も多い。

GASのアンプのことで間違ったことを書いた人も、そうかもしれない。
ときに、そういう写真が、この人はベテランなんだ、と読み手に錯覚を起こさせてしまうこともある。

書き手としての責任は、アマチュアであろうと存在する。
今回のことのように明白なことでさえ、間違ったことを思い込みで書いてしまうことを、
書いた本人は、なんとも思っていないのかもしれない。

Date: 12月 20th, 2014
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(明白なことでさえ……)

先日、見知らぬ方からのメールがあった。
GASのアンプに関する質問というか、確認のような内容だった。

その方は、私のブログを読み、ジェームズ・ボンジョルノに興味を持ち、
GAS、SUMOのアンプにも興味を持たれたようだ。
はっきりと書かれてなかったけれど、若い方のようだった。

おそらくインターネットで、GAS、SUMOのことを検索されたのだろう。
それであるブログを見つけられたらしい。
そのブログには、GASのアンプの組合せについて書かれてあったらしい。

そのブログのURLは記載されていなかったので、私自身は、そのブログを見ていないが、
メールには、パワーアンプAmpzillaとペアとなるコントロールアンプはThaedra(テァドラ)ではなく、
Thoebe(セーベ) だと書かれていて、これについての確認だった。

もちろん、そんなことはなく、ペアとなるのはThaedraとAmpzillaであり、
ThoebeはSon of Ampzillaとペアになるコントロールアンプである。
GASにはThoebeの下にThalia(サリア)があり、このコントロールアンプはGrandsonとペアになる。

1970年代にオーディオをやってきた人にとっては当り前なことでも、
若い人にとっては、いまとなってはなかなか確認することが難しいようである。

それにしても……、と思う。
なぜ、ThoebeをAmpzillaとペアになるなるコントロールアンプと書く人がいるか、と。
これもいただいたメールにははっきりと書かれていなかったから、私の想像でしかないが、
そのブログを書いていた人は年輩の方のようだ。

そういう人があきらかな間違いを書き、それを読む人がいる。
幸い、そのブログを読んだ若い人は疑問をもち、私にメールを送った。
けれど、間違いが書かれたブログを読んだ人のすべてが私にメールを送るはずもない。

読んだ人の中には、すぐに間違いに気づく人もいれば、そのまま鵜呑みにする人もいる。
こうやってデタラメが、すこしずつ拡散していくことだってある。

Date: 12月 19th, 2014
Cate: ジャーナリズム, デザイン

TDK MA-Rというデザイン(ステレオ時代という本とその記事・その1)

ステレオ時代という本がある。
今、最新号のVol.3が書店に並んでいる。

ステレオ時代の存在は知っていたけれど、手にとろうとは思っていなかった。
どういう内容の本なのかわかっているからだけど、
表紙に、TDK MA-R開発ストーリー、とある。
だから手にとった。

Vol.1とVol.2を読んでいたから、記事についてはおおよその想像はついていた。
想像した通りの内容だった。

そして、やっぱり、と思った。

TDK MA-R開発ストーリーの記事中には、東芝のこと、オーレックスのことがまったく語られてなかったからだ。
すべてTDKによる開発である、と記事は伝えていた。

けれど、そうではないことは「TDK MA-Rというデザイン」でふれた。
川崎先生のブログへのリンクもしている。

川崎先生の「K7の最高機種デザインはAurexデザインだった」は、9月13日に公開されている。

Date: 12月 18th, 2014
Cate:

日本の歌、日本語の歌(その3)

大脳の言語中枢がなんらかの原因で損傷を受け、言語障碍になっても、
歌は歌えるという話を、かなり以前にきいたことがある。

話すことがそうとうに困難な人であっても、歌となると言葉が出てくるから、
リハビリテーションにとりいれられている、とも聞いた。

となると話す時は言語中枢が必要となるわけだが、
歌では必ずしもそうではない、ということになるのか。

話し言葉も歌詞も、同じ言葉であるとつい捉えがちであるが、
うまく話せない人が、歌ならば歌えるという事実は、
このふたつの言葉は表面的には同じようにみえても、深いところではかなり違うことなのかもしれない。

グラシェラ・スサーナのコンサートに数年前に行った。
相変らず日本語は、お世辞にも流暢とはいえなかった。
上達していたとはいえなかったし、いま以上に上達することはないようにも感じた。

けれど、歌となると完璧な日本語とはいえないまでも、
話し言葉としての日本語とははっきりとレベルが違う。

なぜ、そうなるのか、がずっと不思議だった。
別にグラシェラ・スサーナだけに限らない。
昔は、外国人の歌手に日本語の歌をうたわせる企画が多かった。
ミルバも歌っていた。

なぜ、この企画が通ったのか。
それは日本語は話せなくとも、日本語の歌はうたえるから、だったのではないのか。

Date: 12月 18th, 2014
Cate:

日本の歌、日本語の歌(その2)

ホセ・カレーラスによる「川の流れのように」は心に沁みた。

美空ひばりによる「川の流れのように」はもちろん聴いていた。
何度も聴いていた。
いい歌だということはわかっていた。

けれど、こんなにもいい歌だったのか、と思い知らされた。
ホセ・カレーラスの日本語も決して流暢ではない。
そういう意味では、瑕疵のある歌唱ということになるだろう。

この瑕疵がどうしても気になってしまう人、そうでもない人がいる。
私にとっては、ささいなことであり、瑕疵とも感じていない。

なにかの機会に、ホセ・カレーラスの”AROUND THE WORLD”を人にすすめた。
「川の流れのように」が素晴らしいから、とすすめた。

たいていは「美空ひばりを聴いたこと、あります?」と返ってくる。
ある、と答えると、「なぜ、わざわざ外国人の日本語で聴く必要があるのか」といったことが返ってくる。

もし、美空ひばり以外の日本人歌手による「川の流れのように」をすすめたら、
違うやりとりになっているだろう。

ホセ・カレーラスの「川の流れのように」でそういうやりとりになってしまうのは、
ホセ・カレーラスが日本語を話さないからであり、
日本語に限らず、歌は、その歌詞の言語を理解していなければ、ほんとうのところでの歌唱とはなりえない、
そういう認識が聴き手側にあるからではないのだろうか。

Date: 12月 18th, 2014
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その34)

スピーカーシステムに内蔵されているLCネットワークには、直列型と並列型とがある。
市販されているスピーカーシステムのほとんどは並列型のネットワークである。

スピーカーに関する技術書をみても、並列型のことしか書かれていないものもある。
昔の書籍には直列型のことも書いてあった。

けれど直列型と並列型の優劣について書かれていたものを、私は見たことがない。
それに直列型ではバイワイアリングはできない。
並列型だからこそ、バイワイアリングは可能になる。

けれど直列型のネットワークがなかったわけではない。
昔もいまも、ごくわずかだが直列型のネットワークを採用しているモノがある。

私が把握している数よりも、もっと多いかもしれないが、
直列型のネットワークを採用しているかどうかは、カタログや資料に謳っていないかぎりは、
内部を見て判断するしかないので、はっきりとはつかみきれていない。

学生だったころ、スピーカーの技術書を読みはじめたころは、
ネットワークは並列型が優れているように思っていた。
直列型ではスピーカーユニットが、文字通り直列に接続されているからであった。

ウーファー、スコーカー、トゥイーターそれぞれが他のユニットに干渉しないということを優先すれば、
直列型よりも並列型が有利のように思える。

マルチアンプがそうであるのだから、
マルチアンプをひとつの理想として捉えれば、
ネットワークは並列型がいい、直列型はなんだか劣るように思ってしまった。