日本の歌、日本語の歌(その4)
話すことと歌うこと。
同じ言語であっても、そのときの脳の部位が違うのだとしたら、
同じ日本語であっても、話しをきいているときと、歌を聴いているときとでは、
反応している脳の部位にも違いがあるのではないか。
同じなのかもしれないし、違うのかもしれない。
はっきりしたことは知らない。
けれど可能性としては考えられることであるし、
人によっても、もしかすると違うのかもしれない、とも思えてくる。
私のように日本語を話せない人による日本語の歌をに対して、
日本語としての瑕疵を感じない人もいれば、そこがすごく気になってしまうという人もいるからである。
すごく気になってしまうという人も、それが日本語だからなのかもしれない。
たとえばフランス語を解しないアメリカ人がフランス語の歌をうたったのを聴いたとする。
この場合でも、彼はフランス語としての瑕疵が気になってしまうのか。
もちろんここでの聴き手は、フランス語を解さない人である。