Archive for category テーマ

Date: 5月 31st, 2015
Cate: 再生音

続・再生音とは……(生演奏とのすり替え実験・その5)

ビクターの実験、高城重躬氏の取組み。
このふたつに共通しているのは録音の場としての空間と、
再生の場としての空間がまったく同じである、ということ。
そして、そこに楽器が存在していることにある。

別項「オーディオマニアとして(その12)」でも書いたように、
高城氏の取組みがある成果を得ることができたのは、
そこに常にスタインウェイのグランドピアノが置かれていたことは無視できない。
同じようにビクターの実験では、そこに楽器があったことは、音にどう影響していたのだろうか。

高城氏のリスニングルームの容積に対するスタインウェイのピアノの占める比率と、
1600人が入るコンサートホールの容積に対する、
ステージ上の50人の奏者が手にしている楽器の閉める比率は、ぐんと小さくなる。

とはいえ、レコードの再生音を鳴らしていたスピーカーは、
楽器のある同じステージに設置されていたのだから、まったく音の影響がなかったとは考えにくい。

このことの音への影響がどの程度なのかを、
同じようにすり替え実験で行うことは難しい。

とにかく録音・再生の空間が同じであれば、
生演奏と録音されたものの再生の区別は難しいといえるわけだが、
ここでひとつの疑問がわく。

ビクターの実験ではレコードが使われた。
生演奏のオーケストラは服部克久指揮日本フィルハーモニー。

詳細は不明だが、ここでかけられたレコードも服部克久指揮日本フィルハーモニーの演奏と思われる。
もしもである、曲目は同じでも、レコードがカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニーの演奏だったら、
カラヤンでなくともいい、別の指揮者で別のオーケストラによる演奏だったら、
生演奏とのすり替え実験は成功したのか成功しなかったのか、という疑問である。

Date: 5月 31st, 2015
Cate: アナログディスク再生

建造物としてのアナログプレーヤー(その3)

1970年代、イギリスにゲイル(Gale)というメーカーが登場した。
輸入元はテレオンだった(スピーカーだけはオンライフが以前輸入していた)。

現在ゲイルは輸入されていないが、会社は存在している。
ウェブサイトを見ると、あの頃の意気込みはまったく感じられない、
別の会社になったかのようである。

当時のゲイルの製品はスピーカーシステムとターンテーブルが輸入されていた。

スピーカーシステムはGS401。
日本では、というよりもステレオサウンドではGS401Aが取り上げられていた。
GS401Aは横に長いプロポーションのブックシェルフ型だが、
しゃれたパイプ製の専用スタンドが用意されていた。

両サイドがクロームメッキされ、
フロントバッフルを囲むように黒のサランネットがエンクロージュアを一周している。
カラー写真でみると、黒とシルバー(というよりも輝く白ともいえる)のコントラストが、
とにかく印象に残るデザインだった。

GS401には通常の木製エンクロージュアのCタイプも用意されていた。
こちらは同じ内容ながら縦置きのブックシェルフ型。

GS401Aは、ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’78」で、
亀井良雄氏による素敵な写真で確認できる。

最初スピーカーシステムが紹介され、しばらくしてターンテーブルのGT2101が登場した。
GS401A以上に、モダンな印象をあたえるターンテーブルだった。

GT2101は音の良いターンテーブルだったのかどうかはなんともいえない。
私が当時見たのは、さほど大きくないモノクロの写真だけ。
実物をぜひとも見たかったターンテーブルである。

Date: 5月 31st, 2015
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その6)

ラックスは他のメーカーが真空管アンプの開発・製造をやめた時代にも、
真空管アンプの新製品を発表していた。

プリメインアンプのSQ38はロングセラーモデルとして、
ラックスの顏ともいえる存在でもある。

SQ38は三極管を使ったプリメインアンプとして登場した。
最初のモデルは6RA8が使われていた。
1968年に登場したSQ38Fから50CA10に変更になり、それ以降使われていた。

SQ38は世界初の三極管使用のプリメインアンプということだった。
確かに6RA8も50CA10も三極管といえばそうなのだが、
構造をみればわかるようにスクリーングリッドが存在し、内部で三極管接続した多極管である。

50CA10と同じようにラックスとNECが共同開発した8045Gがある。
ラックスのパワーアンプにMB3045に使われている。
この8045Gも三極管を謳っているが、内部で三極管接続している。

それぞれの真空管の特性はたしかに三極管といえるわけだが、
内部構造は多極管であり、構造からくる機械的共振は三極管のそれではなく多極管のそれである。

Date: 5月 30th, 2015
Cate: アナログディスク再生

建造物としてのアナログプレーヤー(その2)

別項でラックスのPD121について書いた。
そこに、アナログプレーヤーにおける主役は、やはりレコードだと思う、と書いた。

PD121のように、無駄がなくシンプルな表情をみせてくれるアナログプレーヤーにふれると、
そのことを強く思うとともに、最近登場したアナログプレーヤーのいくつかは、
そのことを忘れてしまったのか、それとも気づいてさえいないのか、
アナログプレーヤーこそ(我こそ)が主役とでも言わんばかりの形相をしている。

そんなアナログプレーヤーでも音が良ければ気にしない人もいれば、
どうしても使う気になれないという、つまり私と同じ人もいる。

アナログプレーヤーは他のオーディオ機器と違い、
それ単体でデザインが完結するモノではない。
ターンテーブルプラッターの上にレコードがのせられ、回転する姿が美しくあるべきだ。

Date: 5月 30th, 2015
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(JBL 2397+2441・その5)

岩崎先生の2397の使い方(置き方)に惹かれる理由を考えていた。
2397が浮いている感じにしたいと思うのは、なぜなのか。

2397は扇状のホーンであり、短いスロートアダプターがつき、コンプレッションドライバーがある。
これらが形成するカタチを正面、それもやや下側から眺めていると、
U.S.S. ENTERPRISE NCC-1701を思わせることに気づく。

U.S.S. ENTERPRISE NCC-1701は円盤部と推進部から成る。
円盤部にはメインブリッジのほか居住区、医療室などの施設があり、
三つの円筒状から構成される推進部とが、いわゆる首といえる部分によってドッキングしている。

円盤部は正面から見れば浮いているかのようでもある。
この感じに2397を浮かして設置すると似ているのだ。

Date: 5月 30th, 2015
Cate: 再生音

続・再生音とは……(生演奏とのすり替え実験・その4)

ステレオサウンド 31号から34号にかけて、岡原勝氏と瀬川先生による記事が載っている。

31号のタイトルは「音は耳に聴こえるから音……」
32号は「みんなほんとうのステレオを聴いているのだろうか?」
33号は「スピーカーは置き方次第でなぜこんなに音がかわるのだろう……」
34号は「壁がひとつふえると音圧はほんとうに6dBあがるのだろうか?」
となっている。

34号の最後に、生演奏とのすり替え実験のことが話題になっている。
ここで語られている生演奏とのすり替え実験は、ビクターのそれであり、
岡原氏も瀬川先生も、だまされた経験がある、と語られていることは(その1)でも書いた通り。
すこし長くなるが引用しておこう。
     *
瀬川 いつまでたっても、ナマと再生音という問題が誤解を交えながらも常に討論されているということは、裏返してみると、いつの時代でもスピーカーから出る音に、もう少しどこかが進歩すると、もう少しナマそっくりの音が出るだろう……と錯覚させるだけのリアリティがあるということでしょうね。
岡原 スピーカーというのは、かなり昔から、そういう意味でのリアリティはありましたね。いわゆる、ナマと再生音のスリ替えが可能だというのは、音楽が実際に演奏されている場にいけば、相当耳の良い人でも、ナマと再生音を聴きわけることができないためです。
瀬川 わたくしもだまされた経験があります。実際オーケストラがステージで演奏していて、そのオーケストラがいつの間にか身振りだけになってしまい、録音されていた音に切り替えられてスピーカーから再生されているという実験があった。先生もあのビクターの実験ではだまされた組ですか?
岡原 ええ、見事にだまされました。似たような実験で、わたしは他人をだましたけれど、あの時は自分もだまされたな(笑)。
瀬川 ある条件を整えれば、ナマと錯覚させるほどの音をスピーカーから出せるわけですね。だからこそ、もう少し頑張ればナマと同じ音が出せる……という期待がなくならないのでしょうか。
岡原 それが大間違いなんだ。ナマと再生音がソックリだ、あるいはスリ替えることが可能なのは、ある限定条件の中でなのです。だから現在のように録音再生機器が良くなくても、ナマと再生音のスリ替えは可能だったのです。
 それはなせかというと、〝空間〟が音を支配しているからです。要するに、聴衆はスピーカーの音を聴いているんじゃなくて、スリ替え実験がおこなわれた場所(ホール)の音を聴いているわけです。再生された音がそのホールの音に似るように、ナマと同じようにどこでも音がディストリビュートしていて、ナマと再生音が大体同じレベル(音量)であれば、ある程度の再生装置(スピーカー)でも、ナマと再生音は聴きわけのつかないものですよ。
瀬川 ナマと再生音のスリ替えを公開するというような場合には、限定されたかなり広いホールを使っていますから、聴衆の大部分はホールの音としてスピーカーの音を聴いてしまうのでしょうね。実験としてはほぼ百パーセント成功するのがわかっているのだろうけれど……。
 しかし、一般的な(わたくしたちの暮しているような)部屋の場合でも、その部屋の中でピアノを弾き、それを録音してその場で再生して、ナマと聴きわけのつかないような音を出している人もいますね。この場合はひとつの限定された条件を煮詰めて、その方向に部屋作りつけのスピーカーを追い込んでいくわけで、そのような条件の部屋と装置で普通のレコードを再生した場合はどんなことになるのでしょうか。
岡原 一般的な場合とは少し違ってくるでしょうが、そういうアプローチの方法もあっていいと思います。
     *
瀬川先生が語られている、一般的な部屋でのピアノ録音・再生のくだりは、
いうまでもなく高城重躬氏のことだ。

Date: 5月 29th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その10・しつこく余談)

PD121と3009 SeriesII Improvedの組合せ。
その見事さは認めても使えるカートリッジの範囲が狭いのが……、と多くの人が思うことだろう。
私もそう思う。

そう思いながらも、PD121と3009 SeriesII Improvedの組合せを使うことは、
そういうことなのだ、と自分を納得させてしまうことになるだろう、自分で使うとなったら。

それでもオルトフォンのSPUだけは使いたい、という気持を完全に捨てきれるかというと、
ちょっと無理である。
とはいえ3009 SeriesII ImprovedにSPUはまず無理である。
ならば、いっそのことトーンアーム自体を交換するということにしたらいののではないか。

幸いなことにPD121のトーンアームベースはバヨネット方式だから簡単に交換が可能である。
カートリッジを交換してゼロバランスを取り直して、針圧、インサイドフォースキャンセラー、
それからラテラルバランス、高さ調整などをする手間を考えれば、
PD121におけるトーンアーム交換の方が楽なのではないか。

PD121が現役だったころには、オルトフォンのRS212があった。
このトーンアームとSPUの組合せ。
これをトーンアームベースごと交換する。

SPU専用ということであればRMG212なのだが、
RMG212はアームレストをどうするかがやっかいだ。

なんでも使えそうな、いいかえれば中途半端なトーンアームを選ぶよりは、
そういうつき合い方もあっていいと思う。

Date: 5月 29th, 2015
Cate: background...

background…(その5)

別項で書いた映画「セッション」。
映画本篇が始まる前に、これから公開される映画の予告編がスクリーンに映し出される。

無駄な時間だ、これが嫌で映画館に行きたくない、という人がいるらしい。
予告編を見るのを楽しみにしている私は、予告編の本数が少なかったり、
本篇を観たくなるような予告編がないと物足りなさをおぼえながら、本篇を観ることになる。

映画「セッション」では、6月20日公開の「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の予告編があった。

この予告編で使われていたのが、ヴェルディのレクイエムだった。
ヴェルディがもしタイムマシンで現代にいきなり連れてこられて、
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の予告編を見せられたら、
なんというのだろうか、と想像しながら予告編を見ていた。

映画本篇でも使われているのかはわからないが、
予告編ではヴェルディのレクイエムは、なかなか効果的であった。

映画「セッション」を観終って、しばらくして考えていた。
ここでも書いているが、「ヴェルディのレクイエムが使われている」と思っていることについて考えていた。

この項の(その4)でも、
「ポール・モーリアのLPを試聴用ディスクとして使っていた」と書いた。

ヴェルディのレクイエムもポール・モーリアの「恋はみず色」も音楽である。
その音楽に対して「使う」という表現をするということは、
そこではヴェルディの音楽もポール・モーリアの音楽も、いわば道具になってしまっている。
そういえるのではないか。

だから「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の予告編を見て、
ヴェルディのレクイエムが効果的と感じたのではないのか。

Date: 5月 28th, 2015
Cate: 音の良さ

音の良さとは(その4)

このブログを書き始めたころ、「木村伊兵衛か土門拳か」というタイトルで書いている。

週刊文春に載っていた福田和也氏の 「ハマってしまったアナタに ──木村伊兵衛か土門拳か──」から引用した。
もう一度引用しておく。
     *
土門は被写体に真っ向勝負を挑み、理想の構図、ピントを求めて大きなカメラを何百回とシャッターを切りつづけた。学生時代に絵描きを志した土門にとって、写真は映画同様、自己の世界観を存分に投影しうる、人間主体の芸術でした。
 ところが、土門がその存在を終生意識し続けた木村伊兵衛にとって、写真はもっと不如意なものでした。カメラを使いこなすことは、カメラという機械のメカニズムを受け容れ、自らを合わせていくこと。写真は人間主体の芸術ではなく、むしろその主体性の限界を示してくれる存在で、その限界から先はカメラに結果を委ねるしかない。(中略)
 一眼レフであり、コンパクトであれ、木村のようにその性能に意思を委ねるもよし、土門のようにすべてのパラメーターと格闘して意思の実現を目指すもよし。いずれにせよ、写真は自己認識に関わる豊饒な遊び。だから愉しいのです。
     *
この項の(その3)で書いた、
「オーディオは自己表現だから」ということで、
オーディオを完全な支配下におきたいという人は、
木村伊兵衛か土門拳か、でいえば、後者ということになる。

けれど写真と音は似ているともいえるし、まったく違うともいえる。
同一には語れない。
それでも、彼はオーディオにおいて土門拳であろうとしたのか。

人は人であり、干渉しようとは思わない。
と書きながらも、オーディオにおいて土門拳であろうとするのは、やはり傲慢であると私はいいたい。

その傲慢さが「オーディオは自己表現だから」に顕れているのではないか。
福田和也氏は写真を「自己認識に関わる豊饒な遊び」とされている。

自己表現とは書かれていない。
自己認識に関わる豊饒な遊びという視点での「木村伊兵衛か土門拳か」である。

「木村伊兵衛にとって、写真はもっと不如意なもの」とある。
音もそうである。
写真以上に音は不如意なもの(現象)であるから、
オーディオを使いこなすことは、
オーディオという機械のメカニズムを受け容れ、自らを合わせていくことが求められている。
私はそう考えている。

だからここで、使いこなしといっても、
オーディオを自己の支配下におき完全にコントロールしたい人は、
私とはまったく違うということになるわけだ。

音の良さということに関してもだ。

Date: 5月 28th, 2015
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(その10・さらに余談)

ラックスのPD121。
この素敵なターンテーブルに似合うトーンアームは、やはりSMEの3009ということになる。
多くの人がそう感じていると思うし、
ラックスもSMEの3009 SeriesII Improvedを推奨アームとしていた。

PD121のトーンアームベースは六種類用意されていた。
TB-S、TB-G、TB-GS、TB-GM、TB-O、TB-Uであり、
標準品として付属してくるのはTB-S、つまりSME用である。

1975年にステレオサウンドから出た「世界のオーディオ」ラックス号に、
ラックス製品に関する質問と回答というページがある。

そこにPD121、PD131とマッチするトーンアームは何か、という質問に対して、
次のような回答が載っている。
     *
 性能的にいえば、良く出来たアームであれば、別段どれが相性が良く、どれが悪いということはありません。しかし、デザイン的にいえば、元来シンプルなデザインの本機だけに、アームのデザインによっては全体を生かしも、また、殺しもします。アーム1本で全体の表情が全く違ったものになります。そういった意味からすればSME300/S2 Improvedが最適で、販売時点ではSME用のアームベースを付属してお手元にお届けするようになっています。
     *
メーカー推奨の組合せのもつ良さ。
オーディオの組合せは自由なだけに、
PD121と3009 SeriesII Improvedの組合せのもつ良さも知ってほしいと思うし、
忘れてほしくないとも思う。

アナログプレーヤーにおける主役は、やはりレコードだと思う。
そのことをPD121と3009 SeriesII Improvedの組合せを思い出させてくれる。

Date: 5月 27th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その6)

つきあいの長い音の中に、瀬川先生にとってマークレビンソンは含まれないような気がする。

Date: 5月 27th, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その5)

つきあいの長い音──、瀬川先生のそれはEMTでありJBL、そしてKEF(LS5/1A)である。

Date: 5月 27th, 2015
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その5)

三極管と五極管の電気特性の違いは、はっきりとある。
五極管を三極管接続にすることで、その電気特性の違いをまったくなくすことはできないにしても、
ある程度は近づけられる。

けれど三極管と五極管の違いは、電気特性だけではない。
三極管、五極管という言葉が表わしているように、真空管の内部構造の違いがある。
三極管よりも五極管の方がエレメント(電極)の数が少なく、構造もその分シンプルといえる。
このことは電気特性に関係するだけでなく、機械的共振の違いにも関係してくる。

真空管パワーアンプの初段管を指で弾くと、
入力信号はゼロであってもスピーカーから音は出る。
初段管のすぐ近くで、あっ、とか、わっ、といった大きな声を出せばそれを拾ってしまう。

真空管は構造上、この性質をなくすことはできない。
ならば内部構造がシンプル、つまりエレメントの数が少ない方が、
その影響は少なくなるという考え方もできる。

この機械的共振の影響は、三極管接続にしてもなくすことはできないし、
この機械的共振を含めて五極管の特質として捉えるのであれば、
五極管は三極管接続にせず、五極管接続、もしくはUL接続としたほうが、
わたしにとってはすっきりした使い方ということになる。

くり返すが三極管接続を否定はしない。
お好きな人はやればいい。
けれど、私は三極管接続は選ばないだけである。

Date: 5月 27th, 2015
Cate: 老い

老いとオーディオ(音がわかるということ・その5)

その4)で引用した瀬川先生のカートリッジについての文章を読んで気づいたのは、
「人は大事なことから忘れていく」が意味することだった。

なぜ「人は大事なことから忘れていく」のか、と考えていた。
大事なことなのに忘れてしまうメカニズムはなんなのか。

確かに「人は大事なことから忘れていく」。
けれど人は案外、大事なことに気づいていない、ともいえる。

大事なことに気づいていないからこそ、
《そういう音だけのカートリッジが、世間では案外、良いカートリッジ、みたいに言われている》のだろう。

Date: 5月 27th, 2015
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その35)

スピーカーシステムのLCネットワークにおける直列型と並列型。
それぞれのメリット、デメリットについて書くためには、
自分で直列型ネットワークと並列型ネットワークを、同じ部品でつくり、比較試聴するしかない。

その経験は私にはない。
だから想像でいうわけだが、
直列型ネットワークのほうが、システム全体のまとまりという点では並列型よりも優れているのではないのか。

確証があるわけではない。
けれど、いくつかの直列型ネットワークを採用したシステムを聴いて感じること、
そして並列型ネットワークでバイワイアリングにして感じること、
このふたつを考え合わせると、
互いのユニットが干渉し影響しあうことは、
設計が適切であればそれぞれのユニットが有機的に結合するということにもなっていく。

このことは(その30)に書いた長島先生の意見と、
つまりは同じことである。

有機的に結合した状態。
マルチウェイのスピーカーシステムで、それぞれのユニットがバラバラに鳴るのではなく、
すべてのユニットがまるでひとつのユニットであるかのように鳴るに欠かせない条件といえる。

並列型ネットワークでは、マルチアンプ・システムほどではないにしても、
2ウェイならばバイワイアリング、3ウェイならばトライワイアリングとすることで、
パワーアンプの出力端子にまでは独立させることで干渉を軽減化できる。

それによる音の変化は大きい。
けれどすべての方式にはメリット・デメリットがあるわけだから、
必ずしもすべての面で良くなるとは、どんな方式であってもいえない。

何を重視するのかによって、LCネットワークの設計も、直列型と並列型、
どちらを選択するのかが決ってくるところもあるはずだ。