続・再生音とは……(生演奏とのすり替え実験・その4)
ステレオサウンド 31号から34号にかけて、岡原勝氏と瀬川先生による記事が載っている。
31号のタイトルは「音は耳に聴こえるから音……」
32号は「みんなほんとうのステレオを聴いているのだろうか?」
33号は「スピーカーは置き方次第でなぜこんなに音がかわるのだろう……」
34号は「壁がひとつふえると音圧はほんとうに6dBあがるのだろうか?」
となっている。
34号の最後に、生演奏とのすり替え実験のことが話題になっている。
ここで語られている生演奏とのすり替え実験は、ビクターのそれであり、
岡原氏も瀬川先生も、だまされた経験がある、と語られていることは(その1)でも書いた通り。
すこし長くなるが引用しておこう。
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瀬川 いつまでたっても、ナマと再生音という問題が誤解を交えながらも常に討論されているということは、裏返してみると、いつの時代でもスピーカーから出る音に、もう少しどこかが進歩すると、もう少しナマそっくりの音が出るだろう……と錯覚させるだけのリアリティがあるということでしょうね。
岡原 スピーカーというのは、かなり昔から、そういう意味でのリアリティはありましたね。いわゆる、ナマと再生音のスリ替えが可能だというのは、音楽が実際に演奏されている場にいけば、相当耳の良い人でも、ナマと再生音を聴きわけることができないためです。
瀬川 わたくしもだまされた経験があります。実際オーケストラがステージで演奏していて、そのオーケストラがいつの間にか身振りだけになってしまい、録音されていた音に切り替えられてスピーカーから再生されているという実験があった。先生もあのビクターの実験ではだまされた組ですか?
岡原 ええ、見事にだまされました。似たような実験で、わたしは他人をだましたけれど、あの時は自分もだまされたな(笑)。
瀬川 ある条件を整えれば、ナマと錯覚させるほどの音をスピーカーから出せるわけですね。だからこそ、もう少し頑張ればナマと同じ音が出せる……という期待がなくならないのでしょうか。
岡原 それが大間違いなんだ。ナマと再生音がソックリだ、あるいはスリ替えることが可能なのは、ある限定条件の中でなのです。だから現在のように録音再生機器が良くなくても、ナマと再生音のスリ替えは可能だったのです。
それはなせかというと、〝空間〟が音を支配しているからです。要するに、聴衆はスピーカーの音を聴いているんじゃなくて、スリ替え実験がおこなわれた場所(ホール)の音を聴いているわけです。再生された音がそのホールの音に似るように、ナマと同じようにどこでも音がディストリビュートしていて、ナマと再生音が大体同じレベル(音量)であれば、ある程度の再生装置(スピーカー)でも、ナマと再生音は聴きわけのつかないものですよ。
瀬川 ナマと再生音のスリ替えを公開するというような場合には、限定されたかなり広いホールを使っていますから、聴衆の大部分はホールの音としてスピーカーの音を聴いてしまうのでしょうね。実験としてはほぼ百パーセント成功するのがわかっているのだろうけれど……。
しかし、一般的な(わたくしたちの暮しているような)部屋の場合でも、その部屋の中でピアノを弾き、それを録音してその場で再生して、ナマと聴きわけのつかないような音を出している人もいますね。この場合はひとつの限定された条件を煮詰めて、その方向に部屋作りつけのスピーカーを追い込んでいくわけで、そのような条件の部屋と装置で普通のレコードを再生した場合はどんなことになるのでしょうか。
岡原 一般的な場合とは少し違ってくるでしょうが、そういうアプローチの方法もあっていいと思います。
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瀬川先生が語られている、一般的な部屋でのピアノ録音・再生のくだりは、
いうまでもなく高城重躬氏のことだ。