Archive for category テーマ

Date: 12月 9th, 2015
Cate: アナログディスク再生

2065年のアナログプレーヤー

マイノリティ・リポートは、フィリップ・K・ディックの短編小説「少数報告(The Minority Report)を、
スティーブン・スピルバーグが監督した作品で、2002年に公開されている。
トム・クルーズが主演だったから、観た人もけっこういると思う。

映画で描かれていたのは2054年の世界だった。
車は自動運転がすでに実用化されているし、道路も立体的になっていた。
広告も紙に印刷されたものから、
ディスプレイに、それもいまそこを歩いている人を対象としたものを表示するようになっていた。

広告の技術でも駅の改札でも、網膜スキャンが常に行われていた。
映画の公開から10年以上が経ち、自動運転が話題になっているし、
スマートフォンの普及、インターネットの広告など、映画で描かれていた世界に近づいている。

今年から映画「マイノリティ・リポート」のテレビドラマがアメリカで放映されている。
日本でもHuluが配信しているので、いまのところ一話と二話が見れる。

舞台は映画の11年後の2065年、いまから50年後である。
この「マイノリティ・リポート」の制作にはMITの研究所が強力しているということだ。

そこで描かれる社会は、MITによる予測といっていいのかもしれない。
ここにアナログプレーヤーが登場する。
50年後のアナログプレーヤーである。

主人公のダッシュ・パーカーと組む刑事のララ・ヴェガの自宅に、アナログプレーヤーはある。
これもおそらくMITが予測したモノなのだろう。

レコードはターンテーブルプラッターに置くスタイルではない。
プラッターはないようだ。
レーベル部分をクランプして、ディスクは垂直状態で回転している。

クランパーは底部から垂直に立っていて、ピックアップも兼ねているようだ。
このアナログプレーヤーが登場するのはわずかなシーンで、
特に技術的な説明はされていない。

なので推測になるが、現在のような機械式のピックアップではなく、
レーザーによるピックアップを採用しているようだ。
クランパーから紅い光がもれているから、おそらくそうであろう。

それから垂直状態のディスクの左右の縁を挟むかのように、アクリル製と思われる板が立っている。
これがどういう役割なのかははっきりとしない。
ディスクをホールドしているのかもしれない、
回転しているディスクのスタビライザー的なものかもしれない。

それとも単なる飾りかもしれない。

今後、このアナログプレーヤーが登場するのかはわからない。
ただいえるのは、MIT、マイノリティ・リポートの制作陣は、
50年後もアナログディスクは聴かれ続けていると予測していることは、はっきりといえる。

Date: 12月 7th, 2015
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(スピーカーの変換効率とは)

今月のaudio sharing例会のテーマは、スピーカーの変換効率についてだった。
世の中には高能率スピーカーと呼ばれるモノがある。

私が高能率スピーカーとして思い浮べるのは、ここで書いているトーキー用スピーカーのことである。
具体的にいえばウェスターン・エレクトリックのスピーカー、シーメンスのスピーカーであり、
これに続いてアルテックやジェンセン、ヴァイタヴォックスなどを思い浮べるわけだ。

なので、つい多くの人もそういうものだと思ってしまっていたことに気づかされた。
高能率スピーカーときいてPA用、楽器用のスピーカーを思い浮べる人もいる。

どちらが多いのかは知らないが、
世代によって、どちらを思い浮べるかは違ってきても不思議はない。
同じ世代であってもトーキー用スピーカーに関心をもつ人とそうでない人とでも違ってくる。
そのことに気づかされた。

それでも私にとって高能率スピーカーとは、やはりトーキー用スピーカーであり、
トーキー用スピーカーを源流とするスピーカーのことである。

優れたトーキー用スピーカーに共通する良さとして挙げられるのは、
音が静かなことだ。

意外に感じられる方もいよう。
このことについては、この項でこれから書いていく。

Date: 12月 7th, 2015
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(その2)

カルロ・マリア・ジュリーニの「展覧会の絵」は、
シカゴ交響楽団といれたドイツ・グラモフォン盤と、
ベルリン・フィルハーモニーとのソニー・クラシカル盤とがある。

ソニー・クラシカル盤は1990年の新譜である。
岡先生がステレオサウンドに連載されていたクラシック・ベストレコードに書かれていたことを思い出す。
     *
 映画館の看板みたいな「展覧会の絵」ばかりきかされる昨今、ジュリーニがBPOから「古城」のようなノスタルジックな抒情をひきだしたのはさすがとおもった。
     *
ブラームスの第二交響曲は、
ロスアンジェルス・フィルハーモニーとの演奏もウィーン・フィルハーモニーとの演奏も聴いている。
「展覧会の絵」はベルリン・フィルハーモニーとの演奏しか聴いていない。
シカゴ交響楽団との演奏はどうだったのだろうか。

ブラームスの第二交響曲における違いと同じ違いを感じるのだろうか。
ロスアンジェルス・フィルハーモニーとシカゴ交響楽団、どちらもアメリカのオーケストラとはいえ、
同じには括れない違いがあるから、ブラームスの第二交響曲のような違い、
というかロスアンジェルス・フィルハーモニーとの演奏に感じた「ウィーン・フィルハーモニーだったら……」、
そんなおもいはないか少ないことだろう。

それでも「古城」のようなノスタルジックな抒情は、
シカゴ交響楽団との「展覧会の絵」には感じられただろうか。
聴いてもいない演奏についてこれ以上語ることはやめておくが、
「ウィーン・フィルハーモニーだったら……」とか「ベルリン・フィルハーモニーだったから」というのは、
ウィーン・フィルハーモニーもベルリン・フィルハーモニーも、
アメリカのオーケストラではなくヨーロッパのオーケストラであることに関係している。

Date: 12月 7th, 2015
Cate: background...

background…(ポール・モーリアとDitton 66・その5)

CDが登場したばかりのころ、CDにはものたりなさを感じるという声が少なからずあった。
アナログディスクでは、ジャケットからディスクを取り出し、さらに内袋からもていねいに、
ディスクの両面に指紋をつけないように縁とレーベルに指をあてながら取り出す。

ターンテーブルにセットするさいにも、スピンドルでレーベルにヒゲを描かないように、
すっと一発で決める。

それからディスクのクリーニング、人によってはカートリッジの針先のクリーニング、
スタビライザーをディスクにのせる人もいるだろう。

ここまでやって、やっとディスクにカートリッジを降ろすわけだ。

こういった一連の儀式が、CDにはない。
ケースからディスクを取り出すにしても、アナログディスクほど神経を使うわけでもないし、
片手でディスクをもてる。

アナログディスクのクリーニングに神経質であった人もCDに対してはそうではない。
トレイにディスクをセットして、プレイボタンを押せば、音は出てくる。

しかもCDはアナログディスク特有のノイズがないため、
いきなり音が鳴ってくる感じも、とっつきにくいという意見もあった。

DEDHAMで音楽を聴くためには、他のスピーカーにはない儀式がある。
DEDHAMのところまで行き、扉を開けなければならない。
あたりまえすぎることだが、左右二本のDEDHAMの扉を開けなければならない。

ただ開けておけばいいものではない。
扉は開いた状態でサブバッフルとなっているわけだから、
いいかげんな開き方ではいいかげんな音になってしまう。
きちんと開き、音を聴く──、
これはアナログディスクにおける儀式と同じ、もしくは近いものである。

CDを聴くにしてもDEDHAMであれば、扉を開ける(それも二本分)という儀式をやらなければならない。
ましてDEDHAMが登場したころはCDはなかった。

つまりDEDHAMで音楽を聴くことは、アナログディスクを再生することである。
アナログディスクの儀式も加わるわけだ。

そういえばアナログプレーヤーにはダストカバーがついている。
これを開けなければディスクはかけられない。

普及型アナログプレーヤーではアクリル製の軽いダストカバーも、
例えばパイオニアのExclusive P3のダストカバーとなると、重くしっかりした造りで、
これもある種の扉をあける感覚に近い。

そうやって聴く音楽が、イージーリスニングであるのだろうか、BGMであるのだろうか。

Date: 12月 6th, 2015
Cate: デザイン

TDK MA-Rというデザイン(その8)

TDKのメタルテープMA-Rのデザインをじっくり見ていると、
オープンリールテープを反転したようにも思えてくる。

オープンリールテープは、アルミ製のリールに巻かれている。
リールには、テープの残量が視覚的に捉えられるようにスリットがいくつか開けられている。
カセットテープにも中央に小窓があって、テープの残量がある程度は視覚的につかめるようになっている。

けれどMA-Rはテープ全体が見えている。
小窓やスリットはない、透明なプラスチックがハーフになっているからだ。

テープを囲うように亜鉛ダイキャストのフレームはデザインされている。
ちょうどオープンリールのハーフを反転させたようなデザインの中で、
精巧なオープンリールテープのミニチュアがまわっているような印象がある。

ミニチュアなのに、
というよりも、ミニチュアだからこそオープンリールテープよりも精巧につくられているような気がする。
だからこそ、MA-Rを手にすると、どこかナグラSNNを思わせる。
少なくとも私は、MA-Rを当時手にしたときにそう感じていた。

SNNは外形寸法W14.7×H2.6×D10.0cm、重量0.574kg(テープ、電池込みの重量である)の、
手のひらにのる超小型のオープンリールデッキである。
1970年代後半SNNは69万円していた。

録音時間は9.5cm/secで27分、4.75cm/secで1時間48分である。
4.75cmといえば、カセットテープのテープ速度(4.8cm/secもしくは4.76cm/sec)と同じである。

当時SNNに憧れていたオーディオマニアは少なからずいたはずだ。
私もそのひとりだった。

69万円も出して、何を録音するのか。
そんなことを冷静に考えると、バカらしい買物ということになるのはわかっていても、
憧れとはそんな冷静に考えることとは無関係のところにあるものだ。

TDKのMA-Rを開発・デザインした東芝のスタッフの人の中に、
ナグラのSNNに憧れていた人がいたのではないのか──、そんなことも思ったりする。

Date: 12月 5th, 2015
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その15)

ステレオサウンド 1977年の別冊「世界のオーディオ」のALTEC号に、
アルテック昔話という、池田圭、伊藤喜多男、住吉舛一の三氏による座談会が載っている。
その中に、当時のウェスターン・エレクトリックがどういうレンタルをやっていたのかが話題になっている。

昭和四年頃の話のようだ。
     *
池田 その頃のウェスタンとの契約が15万円ですよ。貸してやるから15万円出せというわけで、いまのお金にしたら幾らになるんただろう。
伊藤 しかも映画館のサービスが毎月4千円から1万円ですよ。
住吉 だから、ちょっとした所では使えなかった……。
池田 その頃、「フロリダ」というダンスホールがあって、そこでは15Aホーンと555のユニット、それにアーム、プレーヤー、アンプ一式をウェスタンから借りて、毎月3千円はらっていた。あの「フロリダ」はわれわれの情熱をかきたてたね、3千円の電気蓄音機代というものをはらってね。
住吉 3千円あると、ちゃんとした家が建ちましたからね。最初にうんと取られて、その上3千円でしょう。それを15銭で躍らせて経営が成り立ったんだから……。
伊藤 とにかく、555をはじめとするウェスタンのシステムに、みんなおどろき、ほしがった時代ですよ。
     *
現代とは貨幣価値が大きく違った時代のことだからすぐにはピンとこないが、
毎月のサービスにかかる金額でちゃんとした家が建つということは、そうとうな金額である。

いまダンスホールの入場料がいくらなのか知らないが、15銭の時代の毎月三千円のサービスにかかる金額、
レンタル時に必要な十五万円は、とほうもない金額ということになる。

それでも、それだけの金額を払っても経営が成り立つということは、
音の価値が、いまとは違っていたということでもある。

それも貨幣価値のように物価が推移してきたから……、というようなものではなく、
なにか根本的に音の価値が、当時とそれ以降とでは違っているように感じる。

Date: 12月 4th, 2015
Cate: 純度

オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、になること)

オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、ということ)」、
オーディオマニアとしての「純度」(わがまま、でいること)」を三年前に書いた。

オーディオマニアとしての資質で大事なのは、大切にしなければならないことは、「わがまま」だと思っている。
この二本を書いた三年前よりも、強くそう思っている。

もっともっとわがままになろう、と思っている。

オーディオマニアとしてわがままでいること、貫き通すということは、
好き勝手なことをやることではない。
苦手なこと、嫌いなことを避けて通ることでもない。

オーディオを趣味としている人の中に、
「私は文系だから……」、「機械オンチですから……」、こういった言い訳をする人がいる。

文系だからオーディオマニアに向いていない、とか、
機械オンチの人はオーディオを趣味としないほうがいい──、
そんな低次元のことではない。

理系だからオーディオが得意なわけではない(そう思い込んでいる人もいるけれど)。

オーディオマニアとして「純度」をわがままとする私は、
わがままでいるということは、そんな言い訳をしないことだと考えている。

わがままでいるよりも、わがままをやめたほうが楽なはずだ。

Date: 12月 3rd, 2015
Cate: 使いこなし

喫茶茶会記のスピーカーのこと(その8)

取り扱い説明書やカタログに載っていることでいえば、
JBLのホーンに関することもある。

スラントプレートの音響レンズ付きのホーンの場合、バッフルに取りつけることがで前提である。
JBLの4343や4350などのスタジオモニターの音響レンズ付きホーン+ドライバーを、
取り外してエンクロージュアの上に置く人がいる。
そういう人の多くはバッフル板に取りつけていなかったりする。

なぜJBLはスラントプレートの音響レンズ付きのホーンに限り、
バッフルへの取りつけを指示しているのかといえば、
音響レンズの後方が無負荷になるのをさけるためである。

つまりスラントプレートの音響レンズの場合、
音響レンズよりも大きなバッフル板に取りつけ、空気負荷を与える必要がある。

バッフル板に取りつけると、バッフルの材質によって音が変る、表面の処理によっても、
取りつけ方法によっても、ネジを締めるトルクによっても音が変る……、
ならばいっそのことバッフル板がなければ、バッフルのそういった影響から逃れられる──、
そう考えるのもいいし、それでいい音が得られればそれもいい、とは思う。

だが、その前に一度はアルテックやJBLの指定する方法で聴いてみるべきである。
その音を基本として、あれこれ試してみるのは、いい。

アルテックにしてもJBLにしても、無意味なことを取り扱い説明書やカタログに表記しているわけではない。
大事なことだから、守ってほしいことだから、書いているのではないだろうか。

使いこなしとは、人と違うことをやることではないはずだ。
と同時に、使いこなしはどこから始まるのかを、いまいちど考えてほしい。

Date: 12月 3rd, 2015
Cate: 使いこなし

喫茶茶会記のスピーカーのこと(その7)

スピーカーの教科書的な本には、12dB/octのネットワークの場合、
ウーファーは正相接続、トゥイーターは逆相接続(2ウェイの場合)にするように書いてある。

ただこれが、常に正しいとは限らない。
アルテックのネットワークの取り扱い説明書をみると、
ウーファーとホーン+ドライバーの極性に関する指示が書いてある。

ウーファーのボイスコイルの位置とドライバーのボイスコイルの位置が揃っている場合、
つまりアルテックのA7、A5のような構成のときには、
ウーファーは正相、ドライバーは逆相にするように書かれてある。

セクトラルホーンの先端部とウーファーのフレーム面が同一線上の場合も同じく逆相接続。
ただしホーンの縁とウーファーのフレームが同一線上の場合はドライバーも正相接続と指示されている。

ネットワークの取り扱い説明書には図つきでわかりやすく説明されている。
少なくとも、この接続がアルテックが考える基本的な接続といえる。

けれど、このこともいつの間にか忘れられつつあるような……、そんな気がしている。

Date: 12月 3rd, 2015
Cate: 使いこなし

喫茶茶会記のスピーカーのこと(その6)

喫茶茶会記のアルテックのホーン811Bは、セクトラルホーンである。
いわゆる古い世代のホーンである。

ダイキャスト製のふたつの型を上下に配置して真ん中を溶接してつなぎわあせている。
最新のホーン理論によってつくられたホーンをみなれた目からすると、
古くさいだけでなく荒っぽいイメージの残るホーンでもある。

しかもホーンの厚みは厚いとはいえない。薄い方だ。
叩けばホーン鳴きが、カンカンとする。
ある音量をこえると、いかにもなホーン鳴きが誰の耳にもはっきりと聴きとれる。

だから、このホーン鳴きをどうにかしたいと、多くの人が考える。
ホーンにデッドニング材を貼りつけたり、重しを載せたり、などが、
古いオーディオ雑誌の読者訪問記事の写真で見ることができた。

そういった対策を行う前にやってほしいのは、
811B(511Bもそうだが)を、バッフルに取りつけてみることだ。

811Bを正面からみると、開口部の縁はバッフルに取りつけられるように穴がある。
バッフルに取りつけると見た目が……、という人は、
バッフル板のかわりにホーンの縁に隠れるようなサイズの角材を、この縁の部分に取りつけてみてほしい。

ホーンの縁が木によって適度にダンプされることで、カンカンと鳴っていた音はけっこう抑えられる。
もちろんどんな木にするかでも音は変るけれど、まず試してみることが大事だ。
その効果を耳で確認できたら、それからいろんな木材を試してみればいいし、
ホーンの縁と角材との間に、たとえば和紙などをはさんでみる、という手もある。

このことは、ずっと昔はいわば常識ともいえた。
けれど、いまでは忘れ去られているような気もする。

Date: 12月 3rd, 2015
Cate: audio wednesday

audio sharing例会(今後の予定)

2016年1月のaudio sharing例会ではアンプの試聴会を行う。
この試聴会とは別に、モノーラルCDを聴く会、というものも予定している。

私のところにはJBLのホーン2397がある。
コンプレッションドライバー2441もある。
スロートアダプターの2329もある。

2329は、コンプレッションドライバー二発を一本のホーンに取りつけるためのアダプターである。
2441が四発あればステレオで、ということもできるのだが、二本しかないから、
2397に2441をダブルで取りつけられるのは一本だけ、つまりモノーラルになってしまう。

喫茶茶会記のウーファーはアルテックの416-8C、15インチのコーン型である。
上の帯域がダブルなら、とうぜん下の帯域もダブルである。

左右ふたつのエンクロージュアを近接配置して、そのうえに2397+2441×2をのせる。
アルテックとJBLの混合部隊になってしまうが、
ウーファーもドライバーもダブルというシステムを構成できる。

これをネットワークで鳴らすのもいいければ、せっかくだからマルチアンプ(バイアンプ)で鳴らす。
喫茶茶会記のアンプはマッキントッシュの管球式プリメインアンプMC2275。
このMC2275の左右チャンネルを低域と高域にふりわける。

具体的にはCDプレーヤーとMC2275のあいだに、
コンデンサーと抵抗によるパッシヴのハイカットフィルターとローカットフィルターを挿入する。
ハイカットフィルターをMC2275の左チャンネルに、ローカットフィルターを右チャンネルに接続すれば、
左チャンネルは低域用、右チャンネルは高域用アンプとなり、
モノーラルCDしか聴けないが、プリメインアンプ一台でバイアンプが実現できる。

低域・高域のレベルコントロールはバランスコントロールで行える。
やや特殊なシステム構成となるが、おもしろいサウンドが期待できそうな予感もある。

モノーラルCDしか聴けない特殊な試聴会になるが、来年ぜひやってみたいと考えている。
ただ2397と2441(二発)、2329を私の部屋から運ぶ手段をどうするかが、
ちょっと面倒に感じているけれど……。

Date: 12月 3rd, 2015
Cate: audio wednesday

第60回audio sharing例会のお知らせ

2016年1月のaudio sharing例会は、6日(水曜日)です。

次回の例会でちょうど60回。まる五年になる。
だからというわけでもないが、アンプをいくつか集めての試聴会を予定している。

スピーカーは喫茶茶会記のアルテックの2ウェイをメインに、グッドマンのトゥイーターを足したシステム。
今日も例会の終りの一時間は、このスピーカーを鳴らしていた。
前回、少し不備があったネットワークが別のモノに置き換えられていた。
良くなった点もあるし、気になる点もいくつかあるように感じた。

アルテック本来の明るさと、やや異質の明るさを感じたのはネットワークのせいなのかもしれない。
市販品のネットワークなのだが、コイルとコンデンサーの配置を見ると、
ネットワークのパーツ配置の基本は、すでに忘れ去られているのか、と思ってしまう。
同じパーツでも、配置を変えれば、とも思う。
このへんはもう少し詰めていく必要があるけれど、
ホーンの鳴きの処理を含めて、今後、少しずつ音が整えられていくと思う。

どんなアンプが集まるかは、もう少し先になって報告する。
最新のアンプではなく、私と同世代、もしくは上の世代の方にとって懐しいアンプがいくつか集まる予定。

かけるソースはジャズが多くなると思うし、
アンプの入れ替えがスムーズに進んで時間に余裕があれば、
ディスクをお持ちいただければリクエストにも応じられると思う。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 2nd, 2015
Cate: Reference

リファレンス考(その7)

セパレート型のCDプレーヤーがある。
当時、音質が素晴らしいと話題になった機種である。

ステレオサウンドの試聴室でもリファレンスCDプレーヤーのひとつとして使っていた。
私が働いていたころは、ステレオサウンドは10時が出社時間だった。
試聴のある日は、朝一で試聴の準備を始める。
器材のセッティングが終ったら、きちんと鳴るかどうか音を出す。
その確認が終ったら、電源は入れっぱなしにしておく。

試聴はふつうは後一から始まる。
たいてはそれほど遅くならずに終る。

17時くらいに終ったとして、試聴器材に電源が入っている時間は八時間ほど。
このくらいだと問題は生じなかったのだが、
それ以上の試聴で、しかもアンプやスピーカーの試聴であれば、
CDプレーヤーは固定でずっと動作させることになる。

そうすると、そのCDプレーヤーの稼働時間は十時間を超える。
試聴が夜遅くまでかかると、もっと稼働時間は長くなる。
試聴だから、CDプレーヤーはほとんど再生状態にある。

そうすると、音がダレてくることがあるのに気づく。
私だけがそう感じていたのではなく、他の人も感じていた。

そんなときCDプレーヤーの天板はけっこう熱くなっている。
しかたないので一旦電源を切り、温度が少し低くなるのを待って試聴を再開した。

ダレた感じはなくなっていた。
そうなると長時間の稼働にともなう温度上昇による音の変化だと考えられる。

こういう使い方は家庭ではあまりないのかもしれない。
だからそういう使い方では気づかないであろう。

だが試聴室のリファレンスとなると、そうではない。
こういう使い方をすることがあり、
そういう使い方をしても音の変化幅が小さく安定しているモノが望ましい、となる。

Date: 12月 2nd, 2015
Cate: 録音

ショルティの「指環」(その16)

カラヤンとグールドの違いについて、ここで書くよりも、
テーマを新たにした別項で書いていきたいと思っている。

この項で、シェルティ/シカゴ交響楽団によるマーラーの第二交響曲について書いてきた。
その15)との間隔がずいぶん開いてしまったけれど、
ショルティの録音物について書くと言うことは、
オーディオの機能性について書くことでもある──、
この四年間で、ますますそう思うようになってきている。

Date: 12月 2nd, 2015
Cate: ジャーナリズム

附録について(その4)

その1)で、
以前のステレオサウンドにはカレンダーが附録としてついていたことを書いた。
またやってほしい、とも書いた。

あと一週間ほどで発売になるステレオサウンドの最新号には、カレンダーが附録となっているそうだ。

アンプやスピーカー、D/Aコンバーターといった附録よりも、
それにCDの附録よりも、私はこういう附録のほうが好ましいと思っている。