Archive for category テーマ

Date: 5月 16th, 2016
Cate: 対称性

対称性(その6)

私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代後半、
B&Oは優れたデザインのオーディオ機器という評価を確立していた。

そのころのB&Oの広告、紹介記事には、
B&Oのオーディオ機器がニューヨーク近代美術館に永久所蔵されたことが載っていた。

ニューヨーク近代美術館がどういうところなのか、
まったく知識をもっていなかった中学生の私だったけれど、
それがすごいことであるのは、なんとなく感じていた。

それだけでなくB&Oのデザインの美しさがわかるようになることが、
デザインを理解することにつながっていくはずだ、
いつの日かB&Oのオーディオ機器を……、とも思っていた。

瀬川先生の著書「続コンポーネントステレオのすすめ」221ページの写真。
B&OのBeogram 4002とEMTの927Dstの写真が、そこにはある。

B&Oのオーディオ機器はニューヨーク近代美術館に永久所蔵されたけれど、
EMTのアナログプレーヤーが、ニューヨーク近代美術館に永久所蔵される可能性はほとんどない、といっていい。

このふたつのアナログプレーヤーを見ていると、
EMTの方が古くからある会社のように思えてくる。
だが実際にはB&Oの創立は1925年で、EMTは1940年である。

シュアーが同じく1925年、タンノイが1926年、エレクトロボイスとジェンセンが1927年、
デッカが1929年、ヴァイタヴォックスが1931年、ワーフェデールが1932年、
QUADが1935年、アルテックが1936年。

製品から受けるイメージからすると、
B&Oよりも古いと思いがちのメーカーが、B&Oよりも後の創立であることがほとんどだ。

B&Oよりも古いところといえば、セレッション(1924年)、オルトフォン(1918年)、
フィリップス(1891年)、トーレンス(1883年)といったところだ。

日本ではB&Oと同じ1925年に、ラックスの前身である錦水堂ラジオ部ができている。

B&Oより古い会社の方が少ない。

Date: 5月 15th, 2016
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その1)

クレバーなオーディオマニアを自称する人は、
狭い部屋に大型スピーカーを押し込んで鳴らしている人を揶揄する、
プロフェッショナル用機器を家庭で使う人のことも揶揄する、
ホーンは拡声器でしかない、と揶揄する……、
もっと書いていけるけど、このへんにしておく。

こういうクレバーなオーディオマニアを自称する人からすれば、
たとえばアルテックのA7を六畳間で鳴らしている人は、どう映るであろうか。

ナロウレンジの劇場用スピーカーで、エンクロージュアの仕上げもホーンの仕上げも粗いところが残っている。
家庭で使うことなど全く考慮していないスピーカーであるけれど、
日本にはあえて、この劇場用スピーカーを家庭に持ち込んだ人は、けっこういる。

クレバーなオーディオマニアを自称する人は、そういう人のことを、
古い、の一言で切って捨てるであろう。

クレバーなオーディオマニアを自称する人は、A7を六畳間で鳴らしてみた経験を、
同じといえる経験を持っているのだろうか。

ある、と言える人でも、どこまで真剣に取り組んだのだろうか。

音楽出版からCDジャーナル別冊として1996年、「オーディオ名機読本」が出た。
この本の中に、アルテックのA7について書かれた文章がある。
篠田寛一氏が書かれている。
     *
 また、こんなこともあった。
 米国・アルテック本社の人間を連れて何人かのユーザーを訪問した時のことである。その中にA7を使っている学生さんがいた。木造アパートなのであまり大きな音は出せないが、卒業して故郷に持って帰るまでエージングも兼ねて聴いてるのだという。それでもA7ならではのエネルギー感は楽しめるという彼の部屋に入って驚いた。6畳ほどのスペースにレコードプレーヤーをはじめアンプ、それに机や本箱などがところ狭しと置いてある中にA7が鎮座しているのだ。立錐の余地もないとはこのこと。それにしても、一体どこで寝るのだろう。その答えは、天井とA7との間にある1m弱のスペースにあった。棚のように見える間隙を覆っていたカーテンを開けると、何とそこにベッドが置いてあるではないか。ちょうど、2段ベッドの下段にA7を置き、その上段で寝るというパターンである。ベッドに横になって聴いていると体じゅうに適度な振動が伝わってきてなかなか心地よいと笑いながら話してくれた。
 これにはアルテックの人間も唖然とした様子、最初のうちは声も出なかったようだ、業務用のA7を家庭で聴くことすら信じられないうえこの特異なリスニング環境だから声が出ないのも無理はないが、しばらくたってひと言「ファンタスティック」といっていた。もし、クレージーなんて言ったら叱りつけてよろうと思ったが、自社の製品をこれほどまでに熱烈に愛用してくれるユーザーに心から感激した様子だった。
     *
クレバーなオーディオマニアを自称する人は、この人のことをなんというであろうか。
こういう経験をしてきたのだろうか、同じような経験をしてきたのだろうか。

こういう経験をしてこなかったこと、
考えもしてこなかった自分のことを、どう思うのだろうか。

このA7のユーザーがいた、
この人だけではない、他にも同じ人たちがいた時代が、日本にはあった。
熱い時代があったのは、確かなことだ。

Date: 5月 14th, 2016
Cate: High Fidelity

手本のような音を目指すのか(続・感服できる音こそ)

感心できる音、
感激できる音、
感動できる音、

それから感謝できる音、
感服できる音。

これを書きながら、
「音は人なり」なのだから、
そこでの、感心できる音、感激できる音、感動できる音、
さらには感謝できる音、感服できる音にしても、
その「音」は己ということであり、己自身に感心したり感激したり、できるというのか。

そんなことも、実は考えながら書いていた。

もちろん「音は人なり」であっても、聴くのは音楽であり、
音楽に感心したり、感動したり、ときには感謝したり、するのだから、
矛盾はないだろう、ともいえる。

でも、これはどこまでも消極的である。
そういうのなら、感心を損なわない音、感動を損なわない音……、
こんなふうに書かなければならない。

こんなことを考えながらも、あえて、
感心できる音、
感激できる音、
感動できる音、
感謝できる音、
感服できる音。
と書いたわけだ。

Date: 5月 14th, 2016
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(あるラジオを聞いていて)

数日前、ラジオでアナログディスクについて語られていたのが、偶然耳に入ってきた。
途中からだったし、短い時間だった。周囲の雑音も多いところだったから、
どこまで正確に聴きとれていただろうか、と思うところはあるけれど、
概ね、こんなことが話されていた。

在日ファンクのヴォーカル、浜野謙太という人が言っていたことだ。

CDはドメスティックな感じがして、家庭でひとりで聴く感じ。
アナログディスクはみんなに聴かせたい、みんなと聴く感じのするもの。

アナログディスク再生とCD再生。
そこには違いがある。
その違いをどう感じて、どう表現するか。

1982年にCDが登場して以来、
そういう文章、発言をどれだけ目にして耳にしてきただろうか。

それらをすべて読んできたとはいわないけれど、
かなりの数、見聞きしてきた。

それでも、今回の浜野謙太氏の発言は初めてだった。

CDは冷たい、アナログディスクはあたたかい──、
そんな表現だったら、取り上げたりはしない。

CDは、という括りには、リッピングしたデータも含まれているとは思う。
ヘッドフォン、イヤフォンで音楽を頻繁に聴く人は、この時代、多い。
この人たちをイメージしての、CDはひとりで聴く、という発言につながったのかも……、
そう考えもしたが、続くアナログディスクは……、の発言をきくとそうでもないという気がする。

私にとっては、アナログディスクもCDも、リッピングしたデータであっても、
その他のメディアであっても、家庭でひとりで聴くものであり、
その上でのCDとアナログディスクの違いがある。

多くのオーディオマニアは私と同じだと思う。
けれど在日ファンクの浜野謙太氏は、そうではない。

浜野謙太氏の捉え方は少数といえるのだろうか。
意外と多いのかもしれない。
どちらなのかは,いまのところわからない。

ただテクニクスのSL1200の人気、
SL1200のニューモデルの登場、
限定モデルがすぐに予約完売してしまったことなどが、
ここにつながっていくような気がしている。

そして、いまのアナログディスクブーム、そうなのかもしれない……、
そんな気もしてくる。

このことについては、もう少し考えていきたい。
とにかく浜野謙太氏の発言は、私にはとても意外だった。

Date: 5月 13th, 2016
Cate: audio wednesday

第65回audio sharing例会のお知らせ(LNP2になぜこだわるのか)

6月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。

人によって評価のわかれるアンプである。
マークレビンソンのコントロールアンプLNP2は、1970年代後半、オーディオ界のスターといえた。
LNP2を評価しない人であっても、当時LNP2にまったく関心のなかった人はすくないと思う。

私は若い頃、このコントロールアンプが欲しくてたまらなかった。
手が出せそうになったころには、興味を失いつつあった。

LNP2からJC2へと興味が移っていったことも関係している。
JC2はアメリカから中古を取り寄せてもらった。

私のアンプ遍歴はマークレビンソンから離れていく。
ジェームズ・ボンジョルノのアンプへと変っていった。

LNP2は私の中では、すっかり過去のアンプになってしまった。
そのLNP2に、40をすぎたころから、興味を持ち始めてしまった。

ブランドのMark Levinsonではなく、個人としてのMark Levinsonがどういう人物なのか、
あれこれ知っている。
スターはスターでもトリックスターかも、と思う面もある。

カタカナで表記すれば同じスターでも、スター(star)とトリックスター(trickster)なのだけれども、
そんなことをつい思う。

トリックスターには詐欺師、ペテン師、手品師の意味がある。
もちろん、この意味で使っている。

でももう一つある。
神話や民話に登場し、人間に知恵や道具をもたらす一方、社会の秩序をかき乱すいたずら者。道化などとともに、文化を活性化させたり、社会関係を再確認させたりする役割を果たす。(大辞林より)

《社会関係を再確認させたりする役割を果たす》
いまになってLNP2がどういう存在だったのか、
いまにおいてはどういう存在なのかを考えることは、オーディオの《社会関係を再確認》することにもつながり、
その役割を果たしているかも、と思いもする。

でも本当のところは、LNP2の世界から完全に抜け出せていないだけかもしれない。
片足の足首から下が、まだ嵌っているのだろう。

今回はLNP2を、audio sharing例会の常連のKさんが貸し出してくださるので、
マークレビンソン製モジュールとバウエン製モジュールのLNP2の音を聴く会を行う。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 5月 12th, 2016
Cate: High Fidelity

手本のような音を目指すのか(感服できる音こそ)

このブログを始めたころに、こんなことを書いている。
     *
20代のころ、音の表現として、
感心できる音、
感激できる音、
感動できる音、があると思ってきた。

30代のころ、感動の先にもうひとつあると思ってきた。
40になって、気づいた。
感謝できる音、があることに。

感心と感激は、快感の域、
感動、感謝が幸福の域、と言い切る。
     *
いま思うのは、感服できる音、である。

Date: 5月 11th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ブームだからこそ・その1)

私がDE ROSAのロードバイクを買ったのは、1995年5月だった。
20年以上前で、そのころといまとでは、はっきりとブームだといえる。

街に出れば、必ずロードバイクを見かける。
けっこうな数を見かけるし、けっこうな値段のモノを見かけるようになった。
自転車店の数もほんとうに増えた。
自転車関係の雑誌、ムックも増えている。

けっこうなことだと思いたい。
でも、街を走っている人の中には、明らかにバイクのサイズが合っていない人がいる。
20年ほど前もそういう人はいたけれど、いまの方が多く感じられる。

昔からいわれていた、初心者が来ると、
売れ残っているフレームを、サイズが合ってなくとも売りつける店がある、と。
そうかもしれないと思うし、そればかりでもないとも思う。

ロードバイクはそれ単体で見れば、ある程度のサイズの大きさがあったほうが、見栄えがいい。
ホイールサイズとの関係もあるのだから、そのことは解消が難しい。
そのためだろうか、自転車の見栄えを気にして、サイズが合っていなくともあえて購入する人もいるときく。
自転車店の人がよしたほうがいいとアドバイスしても、らしい。

飾って眺めておくだけの自転車(床の間自転車という)なら、そのほうがいいが、
自転車は公道を走るモノだ。
自転車しか走っていなくても、危険はある。
まして実際は歩行者もいるし、車も走っている。

そこをサイズの合っていない、つまり乗りにくさのあるロードバイクで走る……。

こればかりではない。
時速20km以下のゆっくりしたペースで走っているのに、
ドロップハンドルの一番深いところを握っている人も増えてきている。

ブレーキブラケットのほうが安全で快適なスピードなのに、と思う。

電車に乗れば輪行している人が増えた。
以前はほとんど見かけなかったことも関係しているのだろうが、
輪行バッグには前輪、後輪と外して、という人ばかりだった。

でもいまは前輪だけ外して、後輪は装着したままという人が多い。
後輪の脱着が苦手(できない)人が多いのか。

先日見かけた人は、エアロ仕様のロードバイクだった。
ハンドルもドロップハンドルではなく、タイムトライアル仕様である。

こんな仕様では、街では乗りにくいだろうにと思う。
このバイクに乗っていた人は、明らかにロードバイク初心者だった。

おぼつかなく、危なっかしい乗り方だった。
その人のバイクの値段は、かなりする。

街中では乗りにくくても、かっこいいバイクが欲しかったのかもしれない。
なのにペダルがビンディング式ではなく、一般的な自転車のペダルだった。

このバイクを売った店は、どこなんだろう……。

ブームは悪いことではない。
オーディオがブームだったから、「五味オーディオ教室」は出版された、といっていい。
オーディオがブームだったから、私は「五味オーディオ教室」と出逢えた。

ブームだから、そうでないころからすれば、売ることが楽なのかもしれない。
それだからこそ売る側の姿勢は、ブームでないころよりも問われている。

売る側とは、販売店だけではない、メーカー、輸入元も、オーディオ雑誌の出版社もだ。

いまオーディオテクニカのAT-ART1000について厳しいことを書いているのは、
アナログブームと言われていて、そういうことも含めて、だからだ。

Date: 5月 11th, 2016
Cate: フィッティング

フィッティング(その3)

スピーカーで音楽を聴く場合、それはステレオフォニックな再生である。
左チャンネルのスピーカーから発せられた音は、聴き手の左耳でだけ聴いているわけではない。
右耳にも左チャンネルのスピーカーの音は届いている。

右チャンネルの音に関しても同じである。
右耳だけでなく左耳でも受けとめている。

これがヘッドフォン(イヤフォン)となると、
左チャンネルのダイアフラムから発せられた音は左耳だけが聴いている(受けとめている)。
右チャンネルのダイアフラムの音は右耳だけである。

スピーカーでの再生とヘッドフォン(イヤフォン)での再生との大きな違いは、
まずここにあるわけだ。

このことは音のフィッティングに大きく関係してくるし、
補聴器のフィッティング技術に関心をもつわけだ。

Date: 5月 11th, 2016
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(余談)

5月のmuscle audio Boot Campで、直列型ネットワークの音を聴かれた方が、
自分のシステムを、6dB直列型ネットワークにしたい、ということになった。

その方は熱心なジャズの聴き手。
JBLのD130、LE85+2345、075というシステムである。
現在使用されているネットワークはもちろんJBL製で、N1200とN7000である。

2345はカットオフ周波数800Hzのラジアルホーンだ。
LE85のクロスオーバー周波数は500Hz以上となっている。

N1200は型番からわかるように1200Hzのクロスオーバーである。
今回、これも変更してみたい、ということである。
800Hzの6dB直列型にしたい、という要望だ。

2ウェイであるならば、今回muscle audio Boot Campで使用したネットワークで、
そのままいけるわけだが、3ウェイである。

3ウェイの6dB直列型にするという手もあるし、
D130とLE85を直列型ネットワークでまとめあげ、
この2ウェイに対して075を、コンデンサーで低域をカットするという手で追加するという案もある。

JBLの純正ネットワークとつねに比較することができるだけに、
この依頼はひじょうに楽しみである。

結果については、何ヵ月後かに書く予定だ。

Date: 5月 11th, 2016
Cate: 複雑な幼稚性

SNSが顕にする「複雑な幼稚性」(その1)

インターネットを始めたのが1997年。
そのころからなんとなく感じていたのが、「複雑な幼稚性」である。

インターネットのサービスも、そのころとはずいぶん変化してきている。
SNSが登場し普及してくるようになって、「複雑な幼稚性」はより顕になってきた、と感じている。

ことにオーディオに関してだけでも、そうだ。
むしろ、オーディオだからこそ、なのかもしれない、と思ってしまう。

Date: 5月 11th, 2016
Cate: pure audio

ピュアオーディオという表現(SNSをみていて感じたこと)

大衆文学・通俗文学への対義語として、純文学というわけだが、
このことから少し離れて「純文学」を捉えてみるとともに、
そこからピュアオーディオを考えてみると……、と思うことがある。

文学作品が本になる。
これを手にとって、われわれは読む。
そんなふうに純文学に接する。

純文学の本には、挿し絵もない。
ページをめくっていっても、文字だけが印刷されている。
当然だが、その文字はすべて活字である。

手にする本に、作者の肉体を感じさせる要素はない。
手書の文字が印刷されていれば、作者の肉体のようなものを感じとれようが、
活字にはそんなことを感じさせる要素はない。

つまり印刷物で接する純文学には、肉体という、いわば夾雑物がない、
だからこその「純」文学といえるのではないか。
こんな捉え方もできなくはないはずだ。

こんなことを考えるのは、そこに肉体を感じさせるのか感じさせないのか。
私のオーディオは、そこから始まったともいえるからである。

「五味オーディオ教室」は、まさにこのことから始まる。
     *
 電気で音をとらえ、ふたたび電気を音にして鳴らすなら、厳密には肉体の介在する余地はない。ステージが消えて当然である。しかしそういう電気エネルギーを、スピーカーの紙の振動で音にして聴き馴れたわれわれは、音に肉体の復活を錯覚できる。少なくともステージ上の演奏者を虚像としてではなく、実像として想像できる。これがレコードで音楽を聴くという行為だろう。かんたんにいうなら、そして会場の雰囲気を音そのものと同時に再現しやすい装置ほど、それは、いい再生装置ということになる。
     *
たしかにそのとおりであって、オーディオいう再生系のどこにも、
演奏者の肉体の介在する余地はない。にもかかわらず、「音に肉体の復活」を錯覚できるのもまた事実である。

この「肉体の復活」は、夾雑物ととらえることもできよう。
そう捉えるか、「肉体の復活」を錯覚したいのかは、聴き手による。

私のオーディオは「五味オーディオ教室」から始まっているから、
「肉体の復活」をとるわけだが、そんなものは夾雑物だから……、と考える人もいる。

演奏行為は肉体による運動である。
ゆえにその肉体を音から感じとりたい、と思う人、
音だけを感じとりたい人とがいる。

音楽には打ち込み系と呼ばれるジャンルがある。
もちろん打ち込み系であっても、人がなんらかの操作をした結果であるのだから、
肉体運動がないわけではない。
それでもアクースティック楽器を演奏しての行為と比較すれば、かなり稀薄である。
しかも打ち込み系ではライン録りでもある。

楽器が演奏される空間が介在しない。
アクースティックな響きは、ここには存在しない。

つまり、この種の音楽は、いわば夾雑物がない(ほとんどない)音楽という捉え方もできる。
肉体を拒否するということは、肉体が存在する空間もまた拒否するということ。

これこそが「ピュア」オーディオである──。

私にとってのオーディオは、肉体の介在を求めるオーディオだから、
夾雑物を排除した「ピュア」オーディオではないわけだが、
だからといって、「ピュア」オーディオの世界、それを指向(嗜好)する人のことを否定はしたくない。

SNSをみていて、感じたことである。

Date: 5月 10th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(AT-ART1000・その4)

ステレオサウンドにいたときに感じていたのは、
そして私が先生と呼ぶオーディオ評論家の方たちから聞いていたのは、
優れたスピーカーのエンジニアが必ずしも優れたスピーカーの鳴らし手ではない、ということだった。

なにも、このことはスピーカーだけにかぎらない。
スピーカーと同じトランスデューサーであるカートリッジに関しても、そうだ。

Phile-webの記事を読むかぎり、AT-ART1000の開発担当者のひとりである小泉洋介氏は、
カートリッジの使い手としてはどうなんだろう……、とどうしても思ってしまう。

まったく面識のない人のことを、
たったこれだけの記事でカートリッジを使いこなしの技倆がない、とはいわない。
けれど、小泉洋介氏が考えているカートリッジの使いこなしと、
私が考えているカートリッジの使いこなしとでは、ずいぶん違うものであることは、確実にいえる。

私のカートリッジの使いこなし(アナログプレーヤーの使いこなし)は、
ステレオサウンドの試聴室で鍛えられた、といっていい。
特に井上先生の試聴で、それまでのカートリッジの調整がいかに徹底したものでなかったことを知った。

もちろん、それまでもきちんと調整はできていた。
針圧だけでなく、オーバーハング、インサイドフォース・キャンセラー、ラテラルバランスの調整など、
問題なくできていた。

鍛えられた、というのは、そこから先のことである。
そこのところを、私はカートリッジの使いこなしだと考えている。

そこから先の使いこなしに関しては、耳と指先だけの世界でもある。

Date: 5月 10th, 2016
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(AT-ART1000・その3)

オーディオテクニカのAT-ART1000の《2~2.5gの間で最適な針圧を個体ごとに割り出して明記》とは、
製造されたばかり、新品の状態での測定による値である。

いくらかはエージングをすませての測定だろうが、ほとんど使い込まれていないことには変りない。
この測定の条件も針圧とともに明記されているのだろうか。

カートリッジは使い込むモノである。
使っていくうちにこなれてくる面ももつ。
新品時に最適だった針圧が100時間ほど使用したあとでも最適なのだろうか。

カートリッジの使用頻度も違ってくる。
毎日最低でもレコード一枚をかける人と、
気が向いたときにAT-ART1000でかけるという人とでは、こなれ方も違ってくる。

それに日本は四季がある。
穏やかな日もあれば、暑い日、寒い日があり、
さらっとした日もあれば、ひどくじめじめした日もある。

気温も湿度も一年のうちに大きく変化する。
使い手によっては、AT-ART1000の測定された環境(気温、湿度)と違う環境で使われる。

一年中、リスニングルームのエアコンは切ることなく、
屋内温度、湿度を常に一定にしている人は、確かにいる。

その人でさえ、AT-ART1000の測定された環境と同じ温度、湿度に設定しているとは限らない。
私の知っている人の中でJBLのスピーカーを鳴らしていた人は、
カリフォルニアの気候に近づけたいというこで、常に除湿器フル稼動で20%くらいを保っていた。

温度にしても寒がりな人、暑がりな人がいて、
真夏、薄着では寒いと感じるほど冷房を効かせる人も知っている。

そういう人もいれば湿度が低いのは喉にも肌にも悪いといって加湿器を使う人もいるし、
冷房も暖房も効かせ方はほどほどにという人もいる。

もっとこまごまと書いていってもいいが、このへんにしておく。
いいたいのはカートリッジを取り巻く環境はさまざまだし、使われ方もそうだし、
カートリッジそのものも含めて変動していく、ということだ。

Date: 5月 10th, 2016
Cate: 香・薫・馨

陰翳なき音色(ゲーテ格言集より)

ゲーテ格言集に、こう書いてある。

「明瞭さとは明暗の適当な配置である。」ハーマン。傾聴!
(ハーマンは「北方の魔術師」と言われた思想家。)

暗なき音色は、明瞭ではないわけだ。

Date: 5月 9th, 2016
Cate: マッスルオーディオ

muscle audio Boot Camp(その9)

4月のaudio sharing例会では、まず喫茶茶会記で使用しているネットワークを使った。
12dB/oct.の800Hzのクロスオーバー周波数のものである。市販品だ。

アンプはマッキントッシュのMA2275のあとに、
First WattのコントロールアンプB1、パワーアンプSIT2に交換するなどの試聴の手順は、
(その1)に書いたとおりだ。

12dBの並列型ネットワークから6dB並列型ネットワークに変更。
このときの音の変化も大きく、
聴いていた人から「明るくなった」という声があった。

6dB直列型ネットワークは、どんな音を聴かせてくれたのか。
まず声がいい。これはみんなが感じていたことで、
5月のaudio sharing例会でも12dB並列型から6dB直列型にかえて、
声がよくなった、という感想が聴けた。

4月のaudio sharing例会では下がアルテックに上がJBLというシステム。
このシステムにも関わらず、聴いていて、ほんとうにJBLが鳴っているのか? と思っていた。

アルテックのA7やA5は、”The Voice of the Theatre System”の愛称で呼ばれる。
上がJBLなのに、これも”The Voice of the Theatre System”ではないか、とさえ思っていた。

短い時間での調整だから、下のアルテックと上のJBLがまったく違和感なく鳴ってくれるとは、
鳴らす前から考えてはいなかった。

12dB並列型から6dB並列型にネットワークをかえても、
少しは改善されてはいたが、この点に関しては気になってくる。
けれど6dB直列型では、ここが大きく変ってきた。

もちろん上はJBLだから、純正アルテックの”The Voice of the Theatre System”の音とはいわないが、
下のアルテックと上のJBLの馴染みが、いい感じで鳴ってくれるのだ。

たとえ同じブランドのユニットであっても、
ウーファーは紙の振動板でコーン型、
上はホーン型でアルミニウムの振動板で、形状はドーム型なのだから、
理屈で考えれば、ふたつのユニットがすんなりつながってくれるはずがない、といえる。

それでも時には、マルチウェイがひとつのユニットかのように鳴ることがあるのもわかっている。
6dB直列型ネットワークにすると、
ふたつのユニットのつながりが、有機的になったかのようにさえ感じられる。

音を出す前から、直列型ネットワークの良さは各ユニットのつながりにあると予想はしていた。
実際には私の予想以上のつながりの良さだった。