Date: 2月 27th, 2016
Cate: 音楽性
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「音楽性」とは(映画性というだろうか・その8)

映画は映画館で観ることを前提としている。
映画館のスクリーンは、テレビのサイズよりも大きい。
それもかなり大きい。
いまでこそテレビの大型化は当り前になっているが、
昔のテレビはいまよりもずっと小さなサイズで、映画館のスクリーンはずっと大きかった。

映画館は暗かった。暗い中での大きなスクリーン。
これだけでも茶の間で見るテレビと映画は違う。

さらに音が違う。
昔のテレビのスピーカーは小口径のフルレンジが一発だけだった。

このスピーカー(音)の違いは、テレビとスクリーンのサイズの違い以上の違いともいえる。

これらの違いが生み出すものを、観客は映画と認識するのだろうか。
これだったら映画にする必要を感じない、とか、テレビで充分の作品だ、といったことが言われる。

どの作品とはいわないが、映画館で観ていて、これだったらテレビでもいいかも……、と思うし、
映画館で見損ねた作品をテレビでみて、やはり映画館で観たかった、と思うことは、誰しも経験していることのはず。

いったいどういうところで、そう判断しているのか。
大作だから、ということは関係ない。
スケールの大きさもそうではない。
そうでない作品であっても、映画だ、と感じる作品は多い。
大作であっても、テレビで充分、というものも少なくないから。

結局、精度だと思う。
精度の高いものを、映画だ、と感じるし、
精度の低い、十分でないものはテレビ的と感じるのではないか。

そのことにスクリーンの大きさ、映画館という暗い場所、
テレビとは圧倒的に違う音が密接に関係している、と考えている。

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