plain sounding, high thinking(その3)
plain soundingを、どう言葉で表現するかは、うまくできていない。
いまいえることは、つい先日別項「夏の終りに(その4)」に書いた薬物ドーピング的アクセサリーを拒否した音は、
はっきりとplain soundingといえる。
plain soundingを、どう言葉で表現するかは、うまくできていない。
いまいえることは、つい先日別項「夏の終りに(その4)」に書いた薬物ドーピング的アクセサリーを拒否した音は、
はっきりとplain soundingといえる。
ハイルドライバーのオリジネーターといえるESSは、
1980年にフラッグシップモデルTransar Iを出した。
ステレオサウンド 57号の新製品紹介に登場している。
岡先生が記事を書かれている。
60号の特集にも登場している、この大型システムは3ウェイ+サブウーファーをとる。
サブウーファーは30cm口径のコーン型で、90Hz以下を受け持っている。
90Hz以上の帯域はすべてハイルドライバー(AMT)が受け持つ。
Transar I登場以前のESSのスピーカーシステムのクロスオーバー周波数は、
850Hzがもっとも低かった。
ハイルドライバーのサイズの小さなシステムでは、1.2kHz、1.5kHz、2.4kHzとなっている。
つまりTransar Iは、従来のハイルドライバーの受持帯域を3オクターヴ以上、低域側に拡大している。
1kHz以上、7kHz以上を受け持つハイルドライバーは従来の構造のままだが、
90Hzから1kHzを受け持つハイルドライバーの構造は、言葉だけでは説明しにくい。
57号の岡先生の記事によれば、中低域用ハイルドライバーの高さは実測で86cmとなっている。
かなり大型で、記事では5連ハイルドライバーとなっている。
詳細を知りたい方はステレオサウンド 57号か、インターネットで検索してほしい。
ハイルドライバーを使ったスピーカーシステムをあれこれ考えていた私は、
いったいどこまでハイルドライバー(AMT)に受け持たせられるのか、
インターネットで各社のAMTの資料をダウンロードしては特性を比較していた。
現在、大型のAMTを単売しているのは、ドイツのムンドルフである。
高さ12インチの製品までラインナップされている。
ここまで大きければ、かなり下までカバーしていると期待したものの、
実測データを見ると、がっかりしてしまう。
ESSのハイルドライバーがあのサイズで850Hzまで使えるのに……、と思ってしまうほどに、
ムンドルフのAMTはサイズの割には……、といいたくなる。
無線と実験が創刊されたのは、1924年(大正13年)である。
無線と実験と誌名からわかるように、創刊時はオーディオの雑誌ではなかった。
私が読みはじめたのは1976年か’77年ごろからで、
そのころはすっかりオーディオの技術系、自作系の雑誌であった。
無線と実験と同じ類の誌名をもつものにラジオ技術がある。
こちらは1947年(昭和22年)の創刊である。
ラジオ技術も私が読みはじめたころはオーディオの技術系、自作系の雑誌だった。
無線と実験とラジオ技術は、オーディオ雑誌の、この分野のライバル誌でもあった。
ラジオ技術は1980年代にはいり、オーディオ・ヴィジュアルの方に力を入れるようになって、
面白い記事がなくなったわけではないが、全体的には無線と実験の方をおもしろく感じていた時期もある。
無線と実験はいまも書店で買えるが、
ラジオ技術は書店売りをやめてしまった。
ラジオ技術という会社名もなくなってしまった。
通信販売のみであり、ラジオ技術は廃刊してしまったと思っている人もいないわけではない。
いまは無線と実験よりもラジオ技術の方が面白い。
ラジオ技術の内容を禄に読みもしないで、馬鹿にする人も知っているが、
どうしてどうして、面白い記事が載っているものである。
もちろんすべての記事がそうだとはいわないけれど、
ラジオ技術は応援したくなる良さを見せてくれることがある。
無線と実験はラジオ技術とは違い、安定路線とでもいおうか、
ラジオ技術を読みもしないで馬鹿にするような人でも、
無線と実験に対してはそうでなかったりする記事づくりである。
ムラは少ない、ともいえる。
けれど、その分、面白いと感じることが少なくなってもいたところに、
2015年1月号から始まったハイルドライバーの自作記事は、
ひさびさに、いい意味で無線と実験らしい記事だと思わせた。
「五味オーディオ教室」の次に読んだのは、
「オーディオ巡礼」におさめられている「英国デッカ社の《デコラ》」だった。
*
英国デッカ社に《デコラ》というコンソール型のステレオ電蓄がある。
今の若い人はデンチクとは呼ぶまいが、他の呼称をわたくしは知らないから電蓄としておく。数年前、ロンドンのデッカ本社を訪ねた時に、応接室で、はじめてこの《デコラ》を聴いた。忘れもしない、バックハウスとウィーンフィルによるベートーヴェン『ピアノ協奏曲第四番』だった。
周知のとおり、あの第二楽章は、いきなり弦楽器群がフォルテで主題を呈示する。そのユニゾンがわたくしは好きで、希望して掛けてもらったわけだが鳴り出しておどろいた。オーケストラのメンバーが、壁一面に浮かびあがったからだ。
応接室は、五十畳くらいな広さで、正面の壁の中央に《デコラ》が据えてあった。日本の建物とちがって天井は高い。それにしてもコンソール型のステレオ電蓄から出る音が、壁面にオケのフルメンバーを彷彿させるあんな見事な音の魔術を私は曾て経験したことがない。蓄音機が鳴っているのではなくて、無数の楽器群に相当するスピーカーが、壁に嵌めこまれ、壁全体が音を出しているみたいだった。わたくしは茫然とし、これがステレオというものか、プレゼンスとはこれかとおもった。
弦のユニゾンは、冒頭で、約十五秒間ほど鳴って、あとに独奏のピアノが答える。ここは楽譜にモルト・カンタービレと指定してあり、弱音ペダルを押しっぱなしだが、その音色の、ふかぶかと美しかったことよ。聴いていてからだが震えた。
私事になるが、わたくしは、《デコラ》が聴きたくてロンドンへ渡った。それまでのわたくしの関心は西独にあった。シーメンスかテレフンケン工場を見学すること、出来ればテレフンケンへステレオ装置をオーダーすることであった。工場は見学できたがオーダーの希望は果せなかった。そのかわり、「テレフンケンがベンツならサーバ(SABA)はロールスロイス」と噂に高いSABAの最高ステレオ(コンソール型)を買った。おかげで、パリに着いたときは無一文で、Y紙の特派員に金を借りてロンドンへ飛んだのである。
《デコラ》が英グラモフォン誌に新発売の広告を出したのは、一九五九年四月号だったとおもう。カタログには「将来FM放送がステレオになった時、ステレオで受信することが可能である」と書かれてあったので、是非とも購入したいと銀座の日本楽器に頼んでみたが手に入らなかったのだ。それで渡欧したとき(一九六三年秋)《デコラ》を試聴することも目的の一つだった。
(SABAなんぞ買うんではなかった……)
デッカ本社の応接室で、あの時ほどわたくしは(金が欲しい!)と思ったことはない。
ところで《デコラ》には、楕円型のウーファー(8×12インチ)のほかに1.5インチの小型スピーカー十二個がそれぞれ向きを変えておさめてある。EMIのスピーカーらしい。方向を変えてあるのは指向性を考えたからだろう。クロスオーバーは何サイクルか分らないが、周波数特性は三〇から三〇、〇〇〇サイクルとなっている。アンプは出力各チャンネル十二ワット、歪率一%、レスポンス四〇〜二五、〇〇〇サイクルでプラスマイナス一dB。けっして特に優秀なアンプとは言えない。カートリッジもデッカのMI型を使用してあり、レンジが四〇〜一六、〇〇〇サイクルでプラスマイナス一dBだという。
ターンテーブルはガラードの三〇一型で、現在なら、この程度の部品はオーディオ専門店にごろごろしている。しかも壁面にオーケストラ・メンバーが居並ぶ臨場感で音を出す装置にお目にかかったことはない。
これはどういうことか。
*
これを読んで、ますます聴きたくなった。
デッカのデコラは、いったいどんな音を聴かせてくれるのか。
想いは募るばかりだった。
五味先生は、デッカがデコラを発表したことは、渡英の前からご存知で、
《一九五九年春に、英国デッカが〝デコラ〟を発売した。英グラモフォン誌でこの広告を見て、わたくしは買わねばなるまいと思った》
と「わがタンノイの歴史(「西方の音」所収)」で書かれている。
日本楽器に取り寄せてくれるよう依頼されている。
けれど日本楽器はなかなか輸入してくれない。カートリッジやアンプなどと違って、
一台の完成品として電蓄の輸入は、当時はそうとうに難しいことだったようだ。
《三年余がむなしく過ぎた》と「わがタンノイの歴史」に書かれている。
もし当時の輸入に関する状況が違っていたら、
1959年には五味先生のところにデコラが到着していたことだろう。
結局そうはならなかった。
日本に最初に入ってきたデコラは、S氏のところに到着している。
「わがタンノイの歴史」を読んで、(その1)に書いたS氏の方法は、
デコラだったからこそ……、ということに思い到った。
ステレオサウンドは、1990年代後半になって新雑誌をいくつか創刊している。
オーディオ関係では管球王国、
料理関係でワイン王国、料理王国である。
誌名に王国がついている。
王国がついているのを見て、
私はステレオサウンド 50号の原田勲氏の編集後記を思い出していた。
*
一人の熱心なオーディオ愛好家としての私が、読みたくて渇望したオーディオ誌。その夢を「ステレオサウンド」に托して、自ら本誌を創刊したのは十三年前だった。輝けるオーディオの国に王子を誕生させる心意気で私は創刊号に取組んだ。連日の徹夜で夢中になって造ったのを、つい昨日のように思い出す。
*
王子のところには傍点がふってある。
ステレオサウンドの創刊から約三十年後に、王国とつく雑誌を複数創刊している。
原田勲氏自身、50号の編集後記に王子と書いたことは忘れてしまって、
管球王国とかワイン王国とつけたのかもしれない。
それともはっきりと憶えていたうえでの「王国」なのか。
王国ということは、王様ということか。
王子が王様になったということなのか。
1966年当時、王子はステレオサウンドというオーディオの本そのものだったはずだ。
それが時が流れ、王様になったということなのか。
それとも別の何かが王様なのか。
王様は城に住む。
どういう城を築きあげたのか。
その城の元、国はどういう繁栄を遂げたのだろうか。
争心あれば壮心なし、という言葉がある。
五十年前の王子には壮心があった、と私は思っている。
会社を大きくし、他の出版社と競争していくことで壮心を失ってしまった……のか。
だとしたら、壮心を失った王子は、どんな王様になったのだろうか。
その王様が治める国は……。
JBLのD130、ガラードの301、デンオンのDL103、
これらには型番の数字に共通点がある。
1と3と0から成る。
他にもまだある。
KEFのModel 103、フォステクスのFE103、エラックのCL310、ボザークのB310、BOSEの301MM。
三桁ではなく四桁になってしまうが、SMEの3012にも、1と3と0が使われている。
だから何なのか、と問われれば、
ただ共通点のある型番のオーディオ機器を並べただけ、というしかない。
でも傑作、佳作といわれるオーディオ機器のいくつかにには、1と3と0が使われる。
「五味オーディオ教室」に、デッカのデコラのことが出ている。
デッカにデコラという電蓄があったことは、オーディオに興味を持つと同時に知っていた。
とはいえ、いまならインターネットですぐに検索てきることでも、
当時はそうはいかなかった。
デコラがどういう電蓄なのかを知るのには、そこそこの時間を必要とした。
デコラのことは16箇条目に書かれている。
大見出しは「専門家の言うとおりに器械を改良しても、音はよくならない。」
*
音づくりは、優秀な部品を組合わせればできるというほど単純ではない
よく、金にあかせてオーディオ誌上などで最高と推称されるパーツを揃え、カッコいい応接間に飾りつけて、ステレオはもうわかったような顔をしている成金趣味がいる。そんな輩を見ると、私は横っ面をハリ倒したくなる。貴様に、音の何がわかるのかと思う。
こんなのは本でいえば、豪奢な全集ものを揃え、いわゆるツン読で、読みもしないたぐいだ。全集は欠けたっていいのである。中の一冊を読んで何を感じるか、それがその人の生き方にどう関わりを持ったか、それを私はきいてみたい。
オーディオでも、その人の血のかよった音を、私は聴きたい。部品の良否なんて、本来、問うところではない。どんな装置だっていいのである。あなたの収入と、あなたのおかれた環境で選ばれた、あなたの愛好するソリストの音楽を、あなたの部屋で聴きたまえ。
私はキカイの専門家ではないし、音楽家でもない。私自身、迷える羊だ。その体験で、ある程度、音の改良にサゼッションはできるだろう。しかし、アンプの特性がどうの、混変調歪がどうのと専門的な診断は私にはできないが、そういう専門家のもっともらしい見解に従って改良をやり、じつは音のよくなったためしは私の場合、あまりなかった。
音づくりというものは、測定器の上で優秀な部品さえ組合わせればすむような単純なものではないらしい。メーカーは、私たちが、または街のエンジニアが、もっともらしい理屈で割り切るようなところで音を作ってはいない。英国デッカでMIII型のカートリッジが完成していたころでさえ、そのコンソール型のステレオ装置〈デコラ〉にはMI型カートリッジしかついていなかったのがいい証拠である。
ショルティが話題の〝ワルキューレ〟を録音したとき、それを試聴している宣伝写真がレコード雑誌に載っていたが、そのときの装置は〈デコラ〉だった。〝ワルキューレ〟を指揮した当人が〈デコラ〉の音で満足している、これは本当だと思う。
先年、バイロイト音楽祭が大阪で催されたときのことだ。私は二度聴きに行ったが、前奏曲の鳴り出したとき、ナマのその音は(スケールではない、音質だ)〈デコラ〉の音だったのにおどろいた。わが家のタンノイでもパラゴンの音でもなく、じつに〈デコラ〉の弦の音だったことに。
満足しなくてはならないのは、音のまとまり
くり返して言うが、ステレオ感やスケールそのものは、〈デコラ〉もわが家のマッキントッシュで鳴らすオーグラフにかなわない。クォードで鳴らしたときの音質に及ばない。しかし、三十畳のわがリスニング・ルームで味わう臨場感なんぞ、フェスティバル・ホールの広さに較べれば箱庭みたいなものだろう。どれほど超大型のコンクリート・ホーンを羅列したって、家庭でコンサート・ホールのスケールのあの広がりはひき出せるものではない。
——なら、私たちは何に満足すればいいのか。
音のまとまりだと、私は思う。ハーモニィである。低音が伸びているとか、ハイが抜けているなどと言ったところで、実演のスケールにはかないっこない。音量は、比較になるまい。ましてレンジは。
しだかって、メーカーが腐心するのはしょせん音質と調和だろう。その音づくりだ。私がFMを楽しんだテレフンケンS8型も、コンソールだが、キャビネットの底に、下向けに右へウーファー一つをはめ、左に小さな孔九つと大穴ひとつだけが開けてあった。それでコンクリート・ホーン(ジムランのウーファー二個使用)などクソ喰えという低音が鳴った。キャビネットの共振を利用した低音にきまっているが、そういう共振を響かせるようテレフンケン技術陣はアンプをつくり、スピーカーの配置を考えたわけだ。しかも、スピーカーへのソケットに、またコードに、配線図にはない豆粒ほどのチョークやコンデンサーが幾つかつけてあった。音づくりとはそんなものだろうと思う。
〈デコラ〉も同様に違いない。〈デコラ〉は高さ約一メートル、幅一・五メートル。それが、五十畳の応接室の正面に据えてある。壁の面積に較べれば、小さなものである。その小さなキャビネットから出る音が、まるで壁全体にオーケストラメンバーがならんだようにきこえるから不思議だ。フォルテになると、忽然とフルメンバーが現われる。マジックとしか言いようがない。
考えればしかし、測定上では原音そのままを再生するはずのない、そういう意味ではすでに答の出てしまっているアンプやらスピーカーを組み合わせ、あるいは組み替え、カートリッジをあれこれ変えて、何とか臨場感、迫力を出そうと苦心する私たちの努力も、つまりは音づくりはほかなるまい。時に無惨な失敗に終わることはあっても、一応、各パーツの限界まで愛好家は音をひき出していると思う。武士はあい身たがいと言うが、お互い、そういう努力が明日はよりよい音を私たちにもたらしてくれると信じようではないか。
*
デコラは聴いてみたい、というよりも聴かなければならない、と読んで思っていた。
でもデコラのことを知るにつれて、聴くのがなかなか難しいことがわかってくる。
デコラがどういう恰好のモノなのかを知ったのは、なんだったろうか。
はっきりと思い出せない。
デコラのカラー写真を見たのは、ステレオサウンド別冊Sound Connoisseur(サウンドコニサー)だったはず。
デコラについての情報は、昔はそのくらい少少なかった。
昨年末に書いた”plain sounding, high thinking”の(その1)。
忘れていたわけではない。
憶えている。
憶えているからこそ、今年のaudio sharing例会はできるだけ音を出していこうとしている。
1月、3月、4月,5月、6月、8月と音を鳴らしてきた。
9月も音を鳴らす。
これまで口に出しはしなかったけれど、
“plain sounding, high thinking”はつねに頭のどこかにあった。
いまもある。
audio sharing例会に来て下さった方は、
“plain sounding, high thinking”のことはまったく考えていなかったと思う。
喫茶茶会記のスペースで出していた音は”plain sounding”といえたであろうか。
来て下さった方は、これを読んで
“plain sounding”といえばそうだったかも……、と思ってくれるのか、
えっ、あれが”plain sounding”? と思われているのか。
“plain sounding, high thinking”を謳ってはいないけれど、
まったく意識していないわけではない。
「五味オーディオ教室」のまえがきには、
《音を知り、音を創り、音を聴くための必要最少限の心得四十箇条を立て》とある。
40箇条目は、
「重要なのは、レコードを何枚持っているかではなく、何を持っているかである。」
と大見出しがつけられている。
*
ロクでもないレコードを何百枚も持つのは、よほどの暇人だ
私にかぎらず、何百枚かのレコードを所持する人は多いと思うが、市販されたおびただしい同一曲の演奏や、指揮者の中から、ベストレコードを一組——それを自分自身で選ぶとなると、容易ではない。
再生装置によっては、微妙な音色の違いでA盤よりB盤が——少々演奏に不満はあっても——捨て難いといった例は、しばしば見受けられることである。そのレコードを購入するにあたって(もしくは曲そのものをつよく印象づけられた意味で)、レコードとわかち難くむすびついた思い出があれば、その一枚は秘蔵されねばならないだろうし、時には、再生装置が変わることで選択の異なってしまうケースもある。
言ってみれば、どのレコードを、誰の演奏で買うかは、何を買わないかに他ならないわけだが、こう玉石混淆でレコードの発売数が多くなると、コレクションに何枚所蔵しているかより、何枚しか持っていないかを問うほうが、その人の音楽的教養・趣味性の高さを証することになる。つまりロクでもないレコードを何百枚も持つ手合いは、よほどの暇人か、阿呆ということになる。(再生装置でもこれは言えるので、カートリッジを使い分けるのは別として、グレード・アップ以前のアンプや、スピーカーまで仰々しく部屋に並べている連中——鳴らしもしないのに——に、まず音のわかった人がいたためしはない。選択は、かくて教養そのものを語ってゆく——)
私の知人の優れた音楽愛好家は、くり返しくり返し、選びぬかれた秘蔵盤を聴かれているが、いちど詳細に見せてもらったら、驚くほど枚数は少なかった。百曲に満たなかった。そのくせ、月々シュワンのカタログで新譜を取り寄せる量はけっして少なくない。容赦なく、凡庸なのは捨てられるわけである。
昨今では、もう、あらかた名曲は出つくしていて、ブルックナーあたりを最後に、レコード会社のほうもプレスする曲がなく困っているらしいから、〝幻想〟や〝新世界〟がこれでもか、これでもかと指揮者・オーケストラを変えて出る仕儀となるが、ベートーヴェンのも例外ではなくて、試みに〝皇帝〟を総目録でしらべたら昭和五十一年八月現在で五十二枚出ていた。
〝幻想〟〝新世界〟〝皇帝〟あたりはポピュラーなわりにはつまらぬ曲で、むしろ洟たれ小僧向きだ。私自身がかつて、洟たれ小僧時代にこれらの曲にうつつをぬかしたから分るのだが、百曲のコレクションにこんなものはまずはいらない。それでも〝皇帝〟のカデンツァを、たとえばグレン・グールドはどんなふうに弾いているか、グールドに興味のある私などは、ちょっと聴いてみたい気もして、新譜が出れば、まあ一枚取ってみる。そして捨てる。バッハを弾いたグールドの素晴らしさには及ぶべくもないし、モーツァルトの、たとえば〝トルコ行進曲〟の目をみはる清新さにほどとおいからだ。
感動を失わないためには、あまり数多く聴かないこと
こうして、新譜を取り寄せては聴きくらべ捨てていって、百曲残ればたいしたものだろう。残る百曲の中には、当然、〝平均律クラヴィーア曲集〟や〝トリスタンとイゾルデ〟もはいるだろうから、実数は百枚を越えるが、かりに一日かならず一枚を聴くとしようか、ほぼ四カ月目にふたたびその盤にめぐりあう勘定で、多忙な日常を余儀なくされるわれわれの生活で毎日欠かさず一枚、ほぼ一時間を、レコード鑑賞についやすのはよほどの人だろうと思う。それが二百枚ともなれば、だから、半年に一度出会うか出会わぬか——つまり年に二度ぐらいしか聴けぬ勘定になる。
曲の中には、もちろん、年に一度聴けば足りるものはある。反面、毎日聴いて倦まぬ曲もある。それらを含めて五百枚以上持っているのは、平均すれば二年に一度程度しか聴けぬわけで、誰のでもない自分のレコードでありながら、二年目にしか聴けぬような枚数を誇って何になるだろう。コレクションを自慢する輩は、クラシックたるとジャズ、フォークたるを問わず、阿呆だというゆえんである。
昔、まだ若く貧しいころに、私はほしいレコードを入手すると、日に何度もくり返し鳴らさずにいられなかった。私はその曲を聴きたくてレコードを買った。——今、感動を失わぬため、めったにそれを聴かぬようレコードを集めているのに気がつくのだ。そして、コレクションにはそういうもう一つの意義があったことに。
いわゆる名曲にも、前に言ったように、年に一度か二度聴けば充分というのがある。それ以上の回数では白けてしまう。かと思うと十日に一度聴いて、聴くたびに感動の失われぬことに思い当る作品があり、真の名曲とは後者と、私はきめていたが、感動? と、しょせんは記憶力との兼ね合いによるので、こちらの記憶が耄碌すればその分だけ感動はまた新鮮な道理とわかった。
要するにいかなる名曲といえどもおぼえこんでしまえば、感性に沁みこめば、当初のころの感激なぞそう湧くものではない。感激を新たにするのには、忘却の期間が必要で、音楽のもつ啓示を保つにはだから聴かずにいることのほうが大切になってくる。レコード音楽を鑑賞して三十年余、ようやくここに想い到ったわけだが、考えればこれは奇妙な咄ではないか?
いいレコードは、結局いつ聴いてもいい
そこでS氏の方法を私も模倣したことがあった。S氏は戦前からずいぶんすぐれたレコードを聴き込んでこられた人で、その造詣の深さは私のおよぶところではない。LPの出はじめたころは、月々、二十枚前後の新譜をアメリカから取り寄せ、今でも気に入りそうな新譜はあらかた手に入れて聴かれているらしいから、購入されたレコードは総計すれば莫大な数になる。
でも現在そうたくさんなレコードは残っていないのはどんどん放逐されるからで、こちらが貧乏なころは放逐されたそんな何十枚かを狂喜して頂戴したものである。さてS氏の方法だが、任意に、サイコロをふった数字にしたがいケースにおさめたレコードを出して聴かれる。所蔵のすべてを順次そうして聴いているうち、気に入らぬものはどしどし排除されるわけだが、新譜のとき一応鑑賞にそれは耐えるものとして、残されたものばかりで、そうつまらぬ盤があるはずはないのだが、一クール(?)おわるころには追放分がどっと出るそうだ。
レコードは、聴くこちらのコンディションでよし悪しが左右されることがある。私など、S氏のこの方法を模倣して排除した分も、そのまま残しておき、後日、聴きなおした。結局そうして未練ののこった盤はまたのこしておいた。二年ほど経って、あらためてこの方法で聴いてゆくと、やっぱり前に追放しようとした分は保存に値しないのを思い知るのがほとんどだったから、演奏への鑑賞能力、また曲への好みといったものは、聴くこちらのコンディションでそう左右されはしないこと、いいものは結局いつ聴いてもいいのをあらためて痛感したしだいだが、いずれにせよ、こうしてS氏は厳選のすえ残ったものを愛聴されている。その数はおどろくほど少ないのである。
私の場合、曲種はS氏ほど多彩でないし、好き嫌いがはげしいから相当かたよっているとは思うが、それでも、こんど数えてみたら九十曲ないのにはわれながら愕いた。レコードの場合、再生装置がグレード・アップされると、こんないい音ではいっていたか、またこんな面白い曲だったかと認識を新たにすることがしばしばある。現代音楽ほどこの傾向は顕著なようで、グレード・アップによって所蔵するレコードのすべてが、極言すれば新生命をふき込まれる。このへんがオーディオ・マニアの醍醐味——じつにこたえられんところであろうが、このごろでは、アンプ、スピーカーに一応見切りをつけ、久しく新品と取り替えていないから、再生音の改良にともなう新発見もなく、それだけ、飽きの来た盤も多い。追放分がふえる理由もこの辺にあるらしい。
だいたい近ごろでは、聴きたいような新譜はまるで出ないのだから、減る一方なのも当然とは思うが、それにしても、秘蔵しておきたい盤がこうも減ってゆくのは、年を喰ってこちらの感受性がにぶくなったせいではあるまいかと、ふと考え、うろたえる思いもある。
名盤は、聴き込んでみずからつくるもの
もちろん、S氏が二人いても同じレコードが残されるとは限らないだろう。人にはそれぞれ異なる人生があり、生き方とわかち難く結びついた各人各様の忘れがたいレコードがあるべきだ。同じレコードでさえ、当然、違う鳴り方をすることにもなる。再生装置でもこれは言える。部屋の残響、スピーカーを据えた位置の違いによって音は変わる。どうかすれば別物にきこえるのは可聴空間の反響の差だと、専門家は言うが、なに、人生そのものが違うせいだと私は思っている。
何を残し何を捨てるかは、その意味では彼の生き方の答になるだろう。それでも、自らに省みて言えば、貧乏なころ街の技術屋さんに作ってもらったアンプでグッドマンの12インチを鳴らした時分——現在わが家で鳴っているのとは比較にならぬそれは歪を伴った音だったが——そういう装置で鳴らしていい演奏と判断したものは、今聴いても、素晴らしい。人間の聴覚は、歪を超越して演奏の核心を案外的確に聴き分けるものなのにあらためて感心するくらいだ。
だから、少々、低音がこもりがちだからといって、他人の装置にケチをつけるのは僭越だと思うようにもなった。当然、彼のコレクションを一概に軽視するのも。
だが一方、S氏の、きびしい上にもきびしいレコードの愛蔵ぶりを見ていると、何か、陶冶されている感じがある。単にいいレコードだから残っているのではなくて、くり返し聴くことでその盤はいっそう名品になってゆき、えらび抜かれた名品の真価をあらわしてゆくように。
レコードは、いかに名演名録音だろうと、ケースにほうりこんでおくだけではただの(凡庸な)一枚とかわらない。くり返し聴き込んではじめて、光彩を放つ。たとえ枚数はわずかであろうと、それがレコード音楽鑑賞の精華というものだろう。S氏に比べれば、私などまだ怠け者で聴き込みが足りない。それでも九十曲に減ったのだ。諸君はどうだろうか。購入するだけでなく、聴き込むことで名盤にしたレコードを何枚持っているだろうか?
*
S氏がどういう人なのかも知らなかった。
S氏がどういう装置で聴いているのかもわからなかった。
世の中にはすごい人がいるものだと思っていた。
五味先生がS氏の方法を模倣されたように、
私もそのころの年齢になったら模倣してみよう、とも思っていた。
S氏のことはしばらくわからなかった。
「五味オーディオ教室」を読んで何年か経ったころに、ようやくS氏が誰なのかを知った。
そしてデッカ・デコラで聴かれていることも知った。
昨日のタワーレコードのSACD新譜のニュースは、
ジュリーニのマーラーの第九ばかりが、嬉しかったわけではない。
キリル・コンドラシンのシェエラザードもSACDになる。
ジュリーニのマーラーの第九とは違う嬉しさが、こちらにはある。
そして、やっぱりやろうと決めたことがある。
いつになるかはまだ決めていないが、
瀬川先生が試聴用に使われていたディスクを集めての試聴会をやりたい。
ステレオサウンドの特集には、試聴レコードが必ず載っていた。
ステレオサウンドを読みはじめた中学生だったころ、
この試聴レコードも、今後買うレコードの目安にもなっていた。
バルバラの「孤独のスケッチ」もそうやって買って聴いたレコードである。
アン・バートンも同じだ。
クラシックでは、もっと多くなる。
コンドラシンのシェエラザード、コリン・デイヴィスのストラヴィンスキーの火の鳥と春の祭典、
ロス=アンヘレスによるラヴェルのシェエラザードもそうだ。
瀬川先生の自宅の音を聴くことができなかった者としては、
瀬川先生がよく聴かれていたレコードをたどることで、
その音をイメージしていくしかない。
けっこうな数のディスクがCDになっている。
SACDになるディスクもある。
これらのディスクを集めての試聴会。
ディスクだけならば、そう苦労はしないが、
やるならば瀬川先生の愛用スピーカーを、どうしても用意したい。
JBLの4343か4341。
スペンドールのBCII、セレッションのDitton 66、QUADのESL、
ロジャースのPM510などのどれかを用意できれば、すぐにもでもやりたい。
ハイルドライバーの動作原理は、40年前のスピーカーの技術書に記述があった。
ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 3でも、
トゥイーターの基礎知識として、ハイルドライバーについての記述があった。
ピストニックモーションではないハイルドライバーの動作原理は、
すぐに理解できていたかといえば、そうでもなかった。
それに当時ハイルドライバーのユニットを搭載していたシステムは、
ESS一社のみだった。しかもこの会社、JBL、アルテック、タンノイなどの著名ブランドと違い、
地方のオーディオ店に置いてなかった。
だから存在はしていたし知ってはいるけど……、というところにずっと留まっていた。
ESSもいつのころからか輸入されなくなってもいた。
ハイルドライバーについて語ることがあっても、昔話のように語っていた。
結局、私が聴くことができたハイルドライバー搭載のシステムは、
エラックのCL310が最初である。1990年代も終りに近いころだった。
知人宅で聴いた。
鳴った瞬間、驚いた。
この瞬間から、ハイルドライバーは昔話ではなくなった。
ハイルドライバーは固有名詞のようで、
エラックのトゥイーターはAMT(Air Motion Transformer)と呼ばれている。
ESSの時代から、Air Motion Transformerであり、ESSの型番はamtから始まっていた。
ただ日本ではハイルドライバーと呼ばれていたわけだ。
同じAMTでも、ESSのハイルドライバー、
つまり1970年代に技術書に載っていた構造と、エラックのAMTの構造は違うところもある。
現在AMTのユニットを採用するメーカーは増えてきている。
そうだろうな、と思う。
AMTのもつポテンシャルは高い。まだまだ良くなっていくと思うし、
現状のAMTにはやや気になる点がないわけではない。
AMTのユニット使ってスピーカーシステムを自作するならば……、
どのユニットを使おうかと、情報収集していた時期もあるし。
マッキントッシュのXRT20のトゥイーターコラムをAMTで構成したら……、
そんなことも夢想したりもした。
2015年、無線と実験を手に取って、驚いた記事があった。
ハイルドライバーの自作記事だった。
それもハイルドライバーを入手してのスピーカーの自作記事ではなく、
ハイルドライバーそのものの自作記事だった。
40年前、私がオーディオに興味を持ち始めたころ、
スピーカーの振動板といえば、まず紙だった。
コーン型ユニットのほぼすべては紙の振動板だった。
ドーム型はソフトドームとハードドームがあったが、
硬い振動板(つまり金属)は、大半がアルミニウムだった。
ヤマハのNS1000Mがすでに登場して、ベリリウムもあったけれど、
金属振動板=アルミニウムだった。
コンプレッションドライバーの振動板も、チタンが登場するのはもう少し後。
こちらもエレクトロボイスやJBLの一部のドライバーに採用されていたフェノール系以外は、
アルミニウムが圧倒的に占めていた。
その数年後、平面振動板が国内各社から登場したころから、
振動板の材質はヴァラエティ豊かな時代へと突入していく。
ソニーの平面振動板のスピーカーシステムが、APMと型番につけていたことからもうかがえるように、
各社ピストニックモーションの追求ということでは一致していた。
APMとはaccurate pistonic motionの略である。
そのため振動板に求められるのは高剛性であること、内部音速の速さがまずあり、
物質固有音を出しにくいということで適度な内部損失も諸条件としてあった。
いわばこれらは剛の追求といえる。
さまざまな材質が振動板に採用され、処理方法も工夫され、振動板の構造も変っていった。
40年前の紙とアルミニウムが大半を占めていた時代からすれば、
剛の追求は、かなりの成果を収めているといえる。
ピストニックモーションの追求が間違っている、とまではいわないが、
ドイツからマンガー、ジャーマンフィジックスのベンディングウェーヴのスピーカーユニットの登場、
これらのユニットが聴かせる音の素晴らしさを体験してから、
剛の追求ばかりでなく柔の追求も、スピーカーの開発にあってしかるべきだと考えるようになった。
柔の追求ということで、各種のスピーカーユニットの原理をもう一度みることで、
ハイルドライバーの存在に気づく。
今日は新月。
天気は不安定との予報。
暑く不快な日にマーラーだけを聴く。
映画シン・ゴジラの公開。
シンは新なのか、それとも真なのか。
GodzillaとGustav Mahler、
ゴジラの咆哮、マーラーの咆哮。
シン・ゴジラならばシン・マーラーか。
品行方正なマーラーは響かせない。
場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
マーラーのCD、ご持参ください。
岩崎先生は、なぜそこまで……、私などはおもってしまうのだが、
私とまったく別の人ならば、オーディオ評論家といえば自由業、
いわば虚業であるわけだから、以来のあった仕事は何でも受けるだけだろう、
依頼をことわったり、キャンセルしたりすればお金にはならない、
理由はなんて、そんなところにあるだろうに……、と。
でも、それだけで、ここまでされるだろうか、と思う。
少し長い目で見ればきちんと治療・療養したあとに精を出せばいい、ということになるだろうが、
そんなことは百も承知での、座談会への出席だったはずだ。
長島先生は、
《後から考えれば、自らの死期を悟り、生ある束の間を惜しんで思いのままの全部を語り尽くしたかったに違いない》
と書かれている。
そうだったのだと思う。
こういう岩崎千明が、瀬川冬樹をライバルとしていたわけだ。
以前も書いているが、このふたりは互いに認めあった真のライバル同士である。
そのことに気づいて、もう一度ステレオサウンド 50号、巻頭座談会の瀬川先生の発言を読む。
《ユーザーにもういちど「ステレオサウンド」を熱っぽく読んでもらうためには》
ここには、岩崎千明という存在がなくなってしまったことを、暗に語られているようにも思えてくる。
50号の巻頭座談会には,岩崎先生はいないのだ。
瀬川先生の発言には、まだ理由があると考える。
ステレオサウンドは季刊誌だから年に四冊しか出ない。
50号の前の49号はSTATE OF THE ART賞、
50号は創刊50号記念の特集、その次に出る51号はベストバイが予定されていた。
つまり49、50、51号と試聴を行わない特集が続いている(続く)わけだ。
一年に四冊しかでないステレオサウンドなのに。
このことに対する危惧も、「熱っぽく読んでもらうためには」に込められている、と私は読む。
岩崎先生の、
「オーディオはもう駄目だね。救いようがないよ。ボクにも責任はあるんだけどさ、誰かがちょっとぐらいがんばったってどうなるもんでもないぐらい駄目だ」
が私にとって、すごく意外に感じられたのには、いくつか理由があって、
そのひとつがステレオサウンド 43号に載った瀬川先生の文章だ。
*
亡くなられる数ヵ月まえ、スイングジャーナル社の主催で、新宿のサンスイのショールームで、菅野氏と三人で、公開座談会に出席したのが、岩崎さんとオーディオについて語り合った最後だった。すでに闘病生活中で、そのときさえ病院から抜け出してこられたのだった。そのときの内容はSJ誌にすでに載っているが、活字にならなかったことで深い感銘を受けた言葉がいくつもあった。岩崎さんは、いまとても高い境地を悟りつつあるのだということが伺われて、一種言いようのない感動におそわれた。たとえば──「僕はトゥイーターは要らない主義だったけれど、アンプのSN比が格段に良くなってくると、いままでよりも小さな音量でも、音質の細かいところが良く聴こえるようになるんですね。そして音量を絞っていったら、トゥイーターの必要性もその良さもわかってきたんですよ」
岩崎さんが音楽を聴くときの音量の大きいことが伝説のようになっているが、私は、岩崎さんの聴こうとしていたものの片鱗を覗いたような気がして、あっと思った。
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「亡くなられる数ヵ月まえ」は、
おそらく池上比沙之氏に六本木でばったり岩崎先生と会われた日よりも後ではないだろうか。
オーディオはもう駄目、救いようがない、と言っていた人が、
入院先の病院から抜けだして公開座談会に出席されている。
同じページに長島先生が書かれている。
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岩崎千明さんについて忘れることができない思い出がある。岩崎さんが最後の入院をされる直前のこと、今から考えると岩崎さんの病状は悪化の一途をたどっておられたのだが、それをひた隠しに隠してある雑誌のふたつの座談会に出席されたことがある。ところが最初の座談会の進行と共に岩崎さんの病状もどんどん悪化し、終りごろには動くことさえできない状態になってしまっていた。もちろん出席者一同も心配し、入院するよう説得するのだが、岩崎さんは頑としてきかない。そして、次の座談会にも出席すると言ってきかない。結局は一同の説得に負けて入院なさったのだが、その時の様子は正に鬼気せまるものがあった。後から考えれば、自らの死期を悟り、生ある束の間を惜しんで思いのままの全部を語り尽くしたかったに違いない。生命を賭ける、とは良く言われる言葉だが、岩崎さんの場合、文字通り本当に生命と引替えに音楽とオーディオを愛したのだ。惜しい人を亡くしてしまった。
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岩崎先生が、オーディオはもう駄目、救いようがない、といわれていたことが、
だからすぐには結びつかなかった。