Date: 6月 22nd, 2016
Cate: High Resolution
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Hi-Resについて(その4)

1981年といえばいまから35年前になってしまう。
そのころ出たステレオサウンドは58号、59号、60号、61号である。

58号の掲載の岡先生の「クラシック・ベスト・レコード」に、次のことを書かれている。
     *
 デジタル・マスターのレコードがふえるにしたがって、アナログ録音にくらべてものをいうひとがふえてきた。いちばんよくきかれる声は、高域の帯域制限によって生ずる情報量のすくなさ、ということを指摘する声である。音楽再生における情報量の大小をいう場合、その物理量をはっきり定義した、という例はほとんどなく、大体が聴感でこうかわったという表現を情報量という言葉におきかえられている。線材やパーツをかえると音がかわるということがさかんにいわれていたことがあったとき、この問題を好んで論ずるひとの合言葉みたいに情報量がつかわれていた。つまり、帯域の広さと情報量の多さが相関をもち、それがよりハイ・フィデリティであるという表現である。
 しかし、はたして実際にそのとおりかということになると、客観的データはすこぶるあいまいである。むしろ、録音・再生系の帯域を可聴帯域外までひろげることによって生ずる、超高域の近接IMがビートとなって可聴帯域の音にかかわりあうとか、TIMによる信号の欠落、あるいは非直線性の変調歪などが、聴感上情報量がふえるような感覚できこえるのではないかと考えたくなる。
 一昨年、ビクターの音響研究所がおもしろいデータを発表したことがある。プログラムをさまざまな帯域制限を行ったソースを用いて、数多くのブラインドのヒアリング・テストをした結果では、信号系の上限を15kHz以上の変化はほとんど検知されなかったという。音楽再生でハイ・エンドがよくきこえたとか欠落したとかという場合、むしろ帯域バランスに起因することが多い。中・低域がのびていると、高域はおとなしくきこえるし、低域が貧弱だと高域が目立つということはだれもが体験しているはずである。性能のよいグラフィック・イコライザーをつかって実験してみると、部分的なバランスを2dBぐらいかえてもからっと音のイメージがかわることがある。デジタル・システムはアナログ(テープ)にくらべて、低域の利得とリニアリティが丹前よく、かつ変調歪によって生ずる高域のキャラクターがより自然であるという点で、聴感上、ハイ・エンドがおとなしくなる、といったことになるのではないかと考えられる。高域の利得が目立っておちていると思えないことは、シンバル、トライアングルなどの高音打楽器が、アナログよりも解像力がよく、しかも自然にきこえる例でも明らかであろう。
     *
岡先生は、いまのハイレゾ・ブームに対して、どういわれるだろう……。

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