オーディオ評論家は読者の代表なのか(その13)

これは断言しておくが、
いまのステレオサウンド編集部は、ステレオサウンドをオーディオの雑誌と捉えている。
というよりも、オーディオ評論の本とは捉えていないはずだ。

でも、それは致し方ない、とも一応の理解を示しておく。
私もステレオサウンド編集部にいたころは、そのことに気づかなかった。

なぜ気づかなかったのか。
理由はいくつかあると思っているが、
もっとも大きな理由は、オーディオマニアにとってステレオサウンド編集部は、
とても楽しい職場であることが挙げられる。

もちろん大変なことも少なくないけれど、
オーディオマニアにとって、あれだけ楽しい職場というのは、
他のオーディオ関係の雑誌編集部を含めても、ないといえよう。

このことが、ステレオサウンドは、以前オーディオ評論の本であったこと、
いまはオーディオの雑誌であるということに気づかせないのではないか。

そうはいってもステレオサウンドが、真にオーディオ評論の本であった時代はそう長くはない。
おそらくいまの編集部の人たちはみな、
ステレオサウンドがオーディオ評論の本であった時代を同時代に体験していないはずだ。

そういう人たちに向って、いまのステレオサウンドは……、ということは、
酷なことである、というよりも、理解できないことなのかもしれない。

ステレオサウンド編集部が私のブログを読んでいたとしても、
私がステレオサウンドに対して書いていることは、
「何をいっているだ、こいつは」ぐらいにしか受けとめられていないであろう。

編集部だけではない、
ステレオサウンドがオーディオ評論の本であったことを感じてなかった読者もまた、
「何をいっているだ、こいつは」と感じていることだろう。

ならば書くだけ無駄なのか、といえば、決してそうではない。
私と同じように、
ステレオサウンドが以前はオーディオ評論の本であったことを感じていた人はいるからだ。

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