Archive for category テーマ

Date: 11月 4th, 2017
Cate: 新製品

新製品(Martin Logan・その2)

CLSが登場した頃の東京には、
CLSに惚れ込んだ人が店主のオーディオ店があった。

Aさんはそのオーディオ店に行き、音を聴いている。
私はステレオサウンドで働いていたから、試聴室で聴いている。

音を聴くとがっかりする。
Aさんもそうだった、ときいた。

それでもAさんはCLSを買っている。
自分のモノとして鳴らせば……、というおもいがあったからだ。

私も、きちんと鳴らせば、きっといい音が出てくるはずだ、とおもっていた。
それでもステレオサウンドの試聴室で、一度として満足な音では鳴ってくれなかった。

諦めきれなかった。
絶対にいい音で鳴るはず、そんな思い込みさえ持っていた。

とにかくCLSは低音が、ない。

傅信幸氏が「オーディオ名機読本」に、CLSの音について書かれている。
     *
良質で駆動能力の高いアンプで駆動してやると、おそろしく音の透明度が高く、晴れやかで、虫眼鏡で覗いたように音の細部を鮮明に提示する。ローレベルへの深い深い音の表現力にかけては絶品で、ヴォーカルの息遣いなどぞくぞくとさせられるリアルさである。
 左右のCLSの間には、広く深いサウンドステージが展開される。その音場の見透しのよさは清々しく、まるでCLSの周囲の空気がきれいになった感じさえする。そうしたサウンドステージに、楽器がリアルに浮かび上がる。
 大音量で体ごと振動する聴き方をしたいというのは無理だ。オーケストラを堂々と咆哮させ、往年の4ビートのジャズをねっちこい音でバリバリと鳴らすのには向かない。
 しかし、弦楽四重奏やバロックアンサンブル、ギターによる小品を聴くと、その音の粒立ちの良さ、軽々と漂う響きのしなやかさに、うっとりさせられる。
     *
残念ながら、こういう音で鳴っているCLSは聴いたことがない。
弦楽四重奏は弦楽三重奏かといいたくなるような鳴り方だ。
バロック音楽でも通奏低音はどこに? といいたくなる。

低音がいない音だと、
ヴォーカルの息遣いにぞくぞくとさせられることもない。

ステレオサウンドの試聴室だから、アンプは駆動能力の高いモノで鳴らしている。
しかも一度だけではない。
もちろん《大音量で体ごと振動する聴き方》は求めていない。

CLSにはうるおいがなかった。
これも低音がないためなのだろうか。

このうるおいのなさが、私にヴォーカルの息遣いを生々しく感じさせてくれない。
買う一歩手前だったから、CLSを諦めるのに時間がかかった。
そのくらい思い入れをもっていた。

Date: 11月 4th, 2017
Cate: 新製品

新製品(Martin Logan・その1)

昨晩(11月3日)も、友人のAさん(オーディオマニア)と飲んでいた。
知り合って12年。ふたりとも1963年生れ。
彼も私も4343に憧れていた。

音楽の好みは違う。
音の好みも同じところもあれば違うところもある。
にも関らず、思い入れをもってきたスピーカーには、いくつか同じモノがあったりする。

昨晩もそんな話をしていた。
1980年代中頃にマーティンローガンのCLSが日本に入ってきた。

いまマーティンローガンの輸入元はないから、
忘れられつつあるブランドと、日本ではなりつつあるのかもしれない。

けれどCLSを、あの時代に接した者は、そう簡単に忘れることはできない。

CLSはフルレンジのコンデンサー型スピーカーである。
湾曲した黒のパンチングメタルが二枚。
これが固定電極であり、その間に振動膜(フィルム)があるわけだが、
これが他のコンデンサー型スピーカーとは異り、透明だった。

フィルム単体で見れば、ほんのり色がついているのがわかるとのことだが、
スピーカーシステムとして二枚のパンチングメタルに挟まれた状態では、透明である。

後の壁がスピーカーを通して見ることができる。
こんなスピーカーは、それまでなかった。

当時20代前半だった私は、CLSに一目惚れだった。
Aさんもそうだった(ときいている)。

そうだろう、そうだろう、と思う。
話は続く。
CLSの音の話になっていく。

Date: 11月 4th, 2017
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(終のリスニングルームなのだろうか・その11)

話は少しそれるが、今日、ヘッドフォン祭に行ってきた。
行ってきたといっても16時40分ごろに着いて、ぐるっと一周して見てきただけ。

中野サンプラザの6偕、11階、13階、14階、15階を使って展示なだけに、
かなりの数のヘッドフォン、イヤフォン、ヘッドフォンアンプなどが並んでいる。

しかも来場者もヘッドフォン、イヤフォンをしていたりするわけだから、
一周するだけで、どれだけの数のヘッドフォン、イヤフォンを見たのだろうか。

音は聴いていない。
見ただけであるからこそ、ひときわ印象にのこったヘッドフォンがあった。
AKGのK1000である。

AKGのブースにあったわけではない。
すでに製造中止になってかなり経っているのだから。

あるヘッドフォンアンプメーカーのブースに、K1000があった。
K1000が登場した1990年に見た時の印象よりも、
今回の印象のほうがずっと強い。

いまどきのヘッドフォンの中に、ぽつんといたK1000は1990年当時よりも美しく見えた。

Date: 11月 3rd, 2017
Cate: audio wednesday

第83回audio wednesdayのお知らせ

12月のaudio wednesdayは、6日。

音出しを予定しています。
テーマはまだ決めていません。
トゥイーターは今回もJBLの075を持参します。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 11月 3rd, 2017
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(その9)

「世界のオーディオ」オンキョー号の「誌上シンポジウム システムスピーカー使いこなし」では、
173の組合せ例の中から、18例の試聴が行われている。
記事には、ネットワーク特性のグラフと、
システムトータルの周波数特性グラフが載っている。

これらのグラフは、おそらくレイアウトブックに掲載されていたものだろう。
レイアウトブックは、1,500円(価格1,000円、送料500円)を、
現金書留でオンキョーの宣伝課に送付すれば手に入れることができた。

システムナンバー100220のネットワーク特性をみると、
たしかにウーファーは900Hzのカットオフ、
トゥイーターは5kHzのカットオフであることが確認できるし、
クロスオーバー周波数は1.75kHzあたりになっていることもわかる。

周波数特性をみると、1.75kHzあたりの音圧はやや低下気味ではあっても、
深く落ち込んでいるわけではない。

「誌上シンポジウム システムスピーカー使いこなし」の冒頭で、
瀬川先生の次のようなことを発言されている。
     *
 ある時期、自作というのは難しいものでした。メーカーのユニット技術がだんだん上がるにつれて、ユニットどうしをうまく組み合わせるためには、いままでの古い教科書に出ていたようなネットワークやアッテネーターでは、うまくいかないということがいわれ始めた。いわれ始めたにもかかわらず、ではどうしたらいいのかというと、そこに何の手がかりもなかったわけです。ところが、この全システムを見ると、ネットワークなどもいままでの常識から全然外れたような、メーカーサイドで製品としてやっていたことを、ユニットでアマチュアに公開してしまったみたいな、ある意味ではメーカーがスピーカーシステム作りの手の内を半ば見せてしまったような面白さもあると思います。
     *
システムナンバー100221は、
100220にスーパートゥイーターとしてTW3001を加えた3ウェイの組合せ例である。
ここでのネットワークは、ウーファーにはN900CLと100220と同じだが、
ミッドレンジはドライバーとホーンは同じにもかかわらず、N3400CBに変更されている。

N3400CBは、バンドパスフィルターで、
ローカットは3400Hz、ハイカットは17kHzとなっている。
このネットワークはTW3001用の出力ももち、
コンデンサーがひとつ直列に挿入されるようになっている。

TW3001が加わり3ウェイとしてまとめるためなのだろう、
ミッドレンジのカットオフ周波数が5kHzから3.4kHzへと低くなっている。
そのことにより、ウーファーとのクロスオーバー周波数は1.5kHzあたりとやや低くなっている。

そのことにより周波数特性のグラフにも変化がある。
高域のレンジがのびているだけでなく、
ウーファーとミッドレンジのクロスオーあたりにも変化がみられる。

Date: 11月 3rd, 2017
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(その8)

1978年には、ステレオサウンドから「世界のオーディオ」のオンキョー号が出ている。
セプター・システム・スピーカー登場の翌年ということもあって、
オンキョー号では、セプター・システム・スピーカーにかなりのページを割いている。

井上先生、菅野先生の対談「オンキョー製品の魅力をさぐる」でも、
セプター・システム・スピーカーは取り上げられているし、
高森恭氏による「ドキュメント 新製品誕生」では23ページ、
岡原勝、黒田恭一、瀬川冬樹、三氏による試聴が行われている
「誌上シンポジウム システムスピーカー使いこなし」では、31ページが割かれている。

「ドキュメント 新製品誕生」から、引用しておこう。
     *
 こんなふうに、ユニットの設計がすすんでいる一方で、このシステム・スピーカーのアピールを、どんな形で展開すればよいかが議論されていた。
 昭和51年の正月休みが明けたある日、スピーカー設計グループの1人が、変ったものをもちこんできた。メルクリンの6・5mmゲージSL模型である。正月休みにつくり上げたということで、ひとしきりその話題に鼻が咲いたあげく、熱しやすいのはマニアの常とかで、みんなで模型屋まで出かけていくことになった。SLの模型といっても、このクラスになるともはや子供の玩具の域を越えてしまって、おとなが熱中しはじめるものである。各型式の機関車、客車、貨車、食堂車などの車輌の他に、レ昼はもとより、山あり、鉄橋あり、信号、ポイント切りかえ、車庫、操作場等々、実にさまざまのアクセサリーが用意されており、これらを部屋中にレイアウトして、大のおとなが無邪気な歓声をあげる、というしろものである。それらをどう組み合わせて、どう並べるかというレイアウト例を図示した、豪華なレイアウトブックも発売されていた。
 この日、その模型屋が確実に何人かの上得意を獲得したのは確かで、その中に鶴本氏が含まれていたことは間違いのない事実であった。昼間は会社でスピーカーに、夜は自宅でメルクリンにと、2つの情熱(?)を燃え上がらせて氏の胸のうちで、次第にこれが一つに結びついていくのに時間はかからなかった。組み合わせ例、レイアウトブック──システム・スピーカーの決め手はこれだ!
 いろいろてスピーカーを自由に組み合わせるとしても、クロスオーバー周波数を固定したままでユニットだけを交換してみても、決していい結果は得られない。ホーンのカットオフやユニットの特性が変われば、それに応じてネットワークの特性を変えてゆかねばならない。従って、それぞれの組み合わせに対して、最適の値をもったネットワークを用意すると共に、それらの使い方の指針となるレイアウトブックが必要である。
 それには可能なすべての組み合わせについてヒアリングしなければならない。
     *
オンキョーのセプター・システム・スピーカーは、六桁の数字がシステムナンバー(型番)となっている。
オンキョーの表記では、
最初の数字がバスレンジユニット、二番目がミッドレンジユニット、三番目がミッドレンジホーン、
四番目がハイレンジユニット、五番目がハイレンジホーン、
六番目がスーパーハイレンジユニットを示していて、
それぞれのユニット、ホーンには1から始まる番号が割り当てられていて、
0はその帯域のユニットはなし、ということになっている。

例えばシステムナンバー100220の場合、
最初の1は、38cmウーファーのW3801、四番目の2はD3520A(ドライバー)、
五番目の2はH2014P(ホーン)とAL80(音響レンズ)からなる2ウェイシステムである。

つまりエンクロージュアとネットワークは、六桁のシステムナンバーには含まれていない。
レイアウトブックによると、100220用のネットワークとして、
N900CLとN5000CHが推奨されている。

ネットワークの型番は最初のNはNetworkの略であり、
続く数字がカットオフ周波数を表わしている。

つまりN900CLは、カットオフ周波数900Hzのローパスフィルターであり、
N5000CHはカットオフ周波数5000Hzのハイパスフィルターである。

入力ミスではなく、900Hzと5000Hzである。

Date: 11月 3rd, 2017
Cate: 組合せ

スピーカーシステムという組合せ(その7)

1977年にオンキョーからセプター・システム・スピーカーが発表された。
セプター・スピーカー・システムてはなく、
システム・スピーカーであることから推測できるように、
スピーカーユニット、ネットワーク、エンクロージュアの組合せである。

セプター・システム・スピーカーは、
ウーファーが3、フルレンジが3、コンプレッションドライバーが3、ホーンが4、
音響レンズが2、スロートアダプターが3、トゥイーターが2、ネットワークが43、
エンクロージュアが2から構成されている。

これだけのユニットとネットワークとエンクロージュアの組合せ総数は315になる。
そのなかから常識的にうまくいかない例を除いたのが、173例。
これらが推薦組合せとなっている。
最低組合せ価格45,900円から最高組合せ価格329,000円となっていた。

173例まで絞り込んであるとはいえ、かなりの数である。
セプター・システム・スピーカーには、
だからレイアウトブックとグレードアップチャートが用意されていた。

何かに似ていると思われた方もいる思う。
セプター・システム・スピーカーは、鉄道模型のメルクリンが発想のきっかけとなっている。

Date: 11月 2nd, 2017
Cate: Jazz Spirit

Jazz Spirit Audio(audio wednesdayでの音量と音・その2)

昨晩のaudio wednesdayは、飲み会だった。
喫茶茶会記で音を出すのは楽しい。
それと同じくらいに、喫茶茶会記を離れて、
美味しいものを食べながら飲んで、あれこれ話すというのも、実に楽しかった。

そこで、最近頻繁に鳴らしている「THE DIALOGUE」のドラムスの音は、
現実のドラムスよりも大きくないか、ときかれた。

私は決して大きくない、と思っている、と答えながら考えていたのは、
現実のドラムスよりも……、ということは、
現象の比較である、ということだった。

いわゆるナマのドラムスと再生音のドラムスの音量の違いとは、そういうことである。
物理現象としての比較である。

私はもっと音量を上げたい、と思っている。
それは比較ということでは同じであっても、心象の比較として、
もっと音量を求めるからだ。

昨晩も少し話したが、ほんとうに求めているのは音量の大きさではなく、
エネルギーの再現である。

心象の比較として私が最優先しているのは、エネルギーである。

Date: 11月 1st, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その19)

長岡鉄男氏の信者と長岡教の信者とを、完全に同じと捉えるのは危険である。

日本にも世界にも、演奏家の名前のあとに協会とつく組織はいくつもある。
フルトヴェングラー協会とかワルター協会とか、である。

ずっと以前ある人がいっていた、
日本では協会がいつのまにか教会になってしまうところがあるから、
ぼくはそれがいやだから、どこの協会にも入らないんだ、と。

そういう傾向は、日本のクラシックの聴き手においては特に強いのかもしれない。
そんな感じがしていたから、その人の言葉に頷いていた。

教会は建造物でもあるが、
協会とともに教会は、ひとつのシステムでもある。

長岡教も、システムといえる。
長岡鉄男氏というオーディオ評論家を中心(教祖)とする組織(システム)である。

ただ、そのシステムが、長岡鉄男氏が自らすすんで組織したものか、
それとも周りの、長岡鉄男氏の信者たちが集まってつくりあげたものなのかは、
くわしいことは私は知らない。どちらなのだろうか。

長岡鉄男氏は、1987年に「方舟」と名付けられたリスニングルームを建てられている。
この方舟は、長岡教の信者にとっては、いわば「教会」として機能していたはずだ。

Date: 11月 1st, 2017
Cate: 録音

録音は未来/recoding = studio product(菅野沖彦・保柳健 対談より・その2)

「体験的に話そう──録音の再生のあいだ」での菅野先生の発言は、
レコード演奏という行為は、再生側だけの行為でなく、
録音側においても同じであることがうかがえる。
     *
菅野 録音するというのも、まず、自分の気に入った楽器で、気に入った演奏家でないと、全くのらないわけです。まあ、録音というのは、ある程度メカニックな仕事ですから、のらなくても、それは仕事が全然できないという意味ではないのですが、わがつまかもしれていが、我慢できないのです。
保柳 あなたの場合、録音するということがプレイするというような……。
菅野 それなんですよ。甚だ失礼ないい方をしますとね、演奏家を録音するというのと違うんですね。誤解されやすいいい方になってしまうのですが、録音機と再生機を使って自分で演じちゃうようなところがあるのです。
保柳 やはりね。どうもそんな感じがしていたのです。菅野さんは、おそらく、そういう録音をして作ったレコードにたいへんな愛着を持っているのではないですか。
菅野 それはね、実際にそこで演奏しているのは演奏家なのですけれど、自分の作ったレコードは、あたかも自分で演奏しているような、つまり演奏家以上に、私の作ったレコードに愛着を持っているんではないかと思われるくらいなんです。
     *
ステレオサウンド 47号に掲載されているから、いまから39年前のことであり、
菅野先生もまだレコード演奏家論を発表されていなかった。

「体験的に話そう──録音の再生のあいだ」という対談は、
当時読んだときよりも、いま読み返した方が、何倍もおもしろく興味深い。

保柳健氏については、47号掲載の略歴を引用しておく。
     *
 文化放送ディレクターとして出発。各種番組に手をそめ、後に独立。わが国で初めての放送音楽プロダクション:を創設。音楽中心に、ルポからドラマまで幅広い番組制作を行う。現在はフリーのプロデューサーであり、ライターである。氏と同年代で、常になんらかの係り合いを持ってきた人たちに、菅野沖彦氏、レコード・プロデューサー高和元彦氏、オーディオ評論の若林駿介氏などがいる。保柳師の言葉をかりれば、「われわれはどういうわけか、現場から離れられない」。と、いう昭和ひとけた生まれである。
     *
「体験的に話そう──録音の再生のあいだ」がおもしろいのは、
保柳氏だから、ということが大きい。

録音という仕事を長年されながらも、
菅野先生と保柳氏は、立ち位置の違いがはっきりとあることが、
「体験的に話そう──録音の再生のあいだ」を読んでいくとわかるし、
その違い(コントラスト)があるからこそ、
菅野先生の録音へのアプローチが、はっきりと浮び上ってくる。

Date: 11月 1st, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その18)

話はそれてしまうが、信者ということで思い出したことがある。
2001年だったか、audio sharingを公開して一年ほど経ったころにメールがあった。

メールには、なぜ高城重躬氏の文章を公開しないのか、とあった。
その理由を返信した。
すぐさま返信があった。

怒りのメールであった。
けしからん、とあった。

メールの主は、audio sharingをオーディオ協会がやっているものと勘違いされていた。
そして、高城重躬氏はHi-Fiの神様なのだから……、とつづられていた。

高城重躬氏の信者だったのだろう。
そう思ったけれど、高城教の信者、とは思わなかった。

高城重躬氏の信者ということでは、五味先生も一時期そうだった、といえる。
     *
 あれは、昭和三十一年だったから今から十七年前になるが、当時、ハイ・ファイに関しては何事にもあれ、高城重躬氏を私は神様のように信奉し、高城先生のおっしゃることなら無条件に信じていた。理由はかんたんである。高城邸で鳴っていたでかいコンクリートホーンのそれにまさる音を、私は聴いたことがなかったからだ。経済的に余裕が有てるようになって、これまでにも述べたように、私も高城邸のような音で聴きたいとおもい(出来るなら高城邸以上のをと、欲ばり)同じようなコンクリートホーンを造った。設計は高城先生にお願いした(リスニング・ルームの防音装置に関しても)。
(「オーディオ愛好家の五条件」より)
     *
五味先生と高城重躬氏の関係のその後のことについては、ここでは書かない。

Date: 11月 1st, 2017
Cate: 再生音, 快感か幸福か

必要とされる音(その10)

ヴァイタヴォックスについて書いてきていて、やっと気づくことがあった。

瀬川先生がステレオサウンド 47号に書かれていることだ。
47号(1978年夏)だから、40年ほど前のことの真意が、やっとわかったような気がした。
     *
コーナー型オールホーン唯一の、懐古趣味ではなく大切に残したい製品。
     *
短い文章だ。
ほんとうにそうだ、と首肯きながら読める。

Date: 11月 1st, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その17)

facebookで、五味康祐氏の信者を自認している人がいる、というコメントがあった。
それはそうだろう、と思う。

私は(その16)で、
五味教なんてものはないし、五味教の信者とも思っていない、と書いた。

五味先生の信者を自認している人は、どういう人なのかは知らない。
けれど、五味教の信者を自認しているわけではないはず、と思う。

五味先生の信者なのか、五味教の信者なのか、
五味先生に関心のない人にとっては、どちらも同じじゃないか、となるかもしれないが、
「教」がつくかつかないかは、無視できない違いである。

長岡鉄男氏の熱心な読者のすべてが、長岡教の信者なわけではないはずだ。
熱心な読者もいれば、長岡鉄男氏の信者の人もいるだろうし、
長岡教の信者もいる。

私にしても、傍からみれば、五味先生の信者じゃないか、と思われているかもしれない。
五味先生の書かれていることを、一から十まですべて盲目的に信じるのが信者であろう。
別項「耳の記憶の集積こそが……」で書いているように、
くり返しくり返し読むことで(その音を聴くことは叶わないから)、
五味先生の耳の記憶を継承しようとしている。

Date: 10月 31st, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その11)

「コンポーネントの世界」からはあとひとつだけ、
岡先生の発言を引用しておく。
     *
 いやそうではなく、ぼくの場合は欲が深いというか、なんでも聴いてやれという主義でずっときたからですよ。そういう考え方は、いい音楽なんてレコード以外では聴けなかったころからレコードを聴いていたために、ひとりでに身についてしまったんでしょうね。だからこのレコードに他のレコードと違うところがあるとすれば、それはなんだろう。そのよさはどこにあるんだろう。どんなレコードからだって、ぼくはそういうものを発見したいのです。いいかえると、自分が一歩退いたかたちで、受け身のかたちで、レコードを聴いているんです。瀬川さんはそうてはなく、ずっとアクティヴなレコードに対する考え方をもっていると思いますね。
     *
レコードの聴き手として、岡先生と瀬川先生は、その姿勢に違いがある。
瀬川先生は、菅野先生がレコード演奏、レコード演奏家という表現を使われる以前から、
レコードを演奏する、という表現を使われていた。

「コンポーネントの世界」でも、
菅野先生のレコード演奏家論に通じる発言もされている。

一歩退いて受け身のかたちでレコードを聴かれる岡先生、
ずっとアクティヴなレコードに対する考え方をもって、レコードを聴かれる瀬川先生。

スペンドールのBCIIIの、岡先生と瀬川先生の評価は、
そのことを抜きにしてしまっては、オーディオ評論のおもしろさがわかってこないし、
BCIIIという、一度も聴いたことのないスピーカーのことを、
こうやって書いている理由も、そこである。

Date: 10月 31st, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その10)

「コンポーネントの世界」の座談会での試聴には、下記のスピーカーが登場している。

ボザーク B410 Moorish
アルテック A7-500
タンノイ Rectangular GRF
JBL 4320
ダイヤトーン 2S305
QUAD ESL
タンノイ IIILZ
アコースティックリサーチ AR3a
ビクター SX7
ヤマハ NS690
ダイヤトーン DS303
KEF Model 104
ブラウン L810
JBL L26
フェログラフ S1

「コンポーネントの世界」から引用したいところはいくつもあるが、
すべてを引用していると、脱線しかねないし、
瀬川先生の著作集「良い音とは、良いスピーカーとは?」といまも入手可能だし、
そこで全文読めるので、最少限にしておきたい。
     *
瀬川 ぼくのさっきの居直りといういいかたを、岡さんにそう受けとられたのだったら、こんどはほんとうに居直っちゃう。つまりぼくは、こまかく分析してみると岡さんと同じなのですよ。岡さんがぼくと何年も付き合ってくださっているのに、ぼくをいちばん誤解している面だと思うのは、たとえばスピーカーで意見が対立したときに、岡さんはいつも、いちばんこれが自然に再生できる、というような言葉で反論なさるでしょう。ぼくだって、ぼくの好きなスピーカーがいちばん自然だと思っているんです。すごく挑発的ないいかたをすると、ARの音なんて、レコード制作者の意図した音とまったく違うとさえ思っているわけ。
 そこの違いを、ぼくのほうからいいますと、ぼくはまったく瀬川さんと反対のことを考えているわけなのですね。つまりあなたがKEFで鳴っている音をいい音だという、KEFで鳴っている音をいい音だという、ぼくはそれは間違いだと思っている。
瀬川 そうでしょう。ぼくだってやはり同じことを思っているわけ。だからそこうずっとつきつめてゆくと、さっきの頭の中のイコライザー論になってしまう……。
(中略)
瀬川 そこでいまいい議論になったと思うのですが、じつはぼくも岡さんが思っていらっしゃるほど、そういう聴き方をしているのではないのです。いろいろなスピーカーで、チェンバロの音やファゴットの音の出方を聴いていて、ぼくはARのときにすごくいらいらしました。もちろんフェログラフはよくなかったけれど、他のわるいスピーカーはもちろん、ARのときになにかいらいらしたんです。それがKEFにかえたときに、ああ、ぼくにはこれがちょうどいいバランスで出ているなと思ったんですね。だからぼくだって、けっしてうわずみだけを聴いているわけではない。ぼくにとっては、ARのバランスだとどうもだめなのです。
 ぼくはARの場合、同じピッチで鳴っているファゴットとチェロとコントラバスのセパレーションが、とにかくわかるのですね。
瀬川 だから、岡さんの耳のイコライザーAR向きにできているのですよ。ところがぼくのイコライザーはARではぜんぜん動かなくなるのです。ARだと、もやもやもやっと聴こえてしまうわけ。
     *
これはほんの一例であって、
岡先生と瀬川先生のオーディオ機器の評価、
特にスピーカーシステムにおいては、こうなることは珍しいわけではない。