Archive for category テーマ

Date: 11月 20th, 2017
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その1)

別項「つきあいの長い音」について考えていると、
好きな音は、いつしか好きだった音になってしまっているのか、と考えてしまう。

10代のころ、BBCモニターとその系列の音が好きだった。
スペンドールのBCII、ハーベスのMonitor HL、
ロジャースのLS3/5A、それにPM510。

BBCモニター系の音とはいえないが、
セレッションのDitton 66、QUADのESL(ESL63は好きにはなれなかった)も好きだった。

JBLのスタジオモニターの存在に憧れながらも、
音を聴いて「あっ、いい音だな……」と呟きたくなるのは、
決ってイギリスの、それもダイアフラムが金属ではないスピーカーばかりだった。

どのスピーカーの音にも、うるおいがあった。
乾き切った音を出すことは決してなかった。

そういう音が好きな人からは、ボロクソにいわれがちでもあった。
音が湿っている、とか、鈍い、とか。
そんな評価を聞くことはけっこうあった。

けれどうるおいのない音に惹かれることはなかった。

Date: 11月 19th, 2017
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その36)

つきあいの長い音──、私にとってそれは、意外にもJBLなのかもしれない。

Date: 11月 19th, 2017
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Casa BRUTUS・その5)

いい音で、好きな音楽を聴きたい──、と思う人は意外に多いのではないか。
けれど、そのほとんどの人たちが、
オーディオを、何かとてもめんどうなことのように思っているのかもしれないし、
とてつもない金額を出さなければいい音で聴けない、と思っているのかもしれない、
住宅環境を考えたら、家で大きな音量は出せない……、
そう思って、最初から関心をもたないようにしているのか。

いい音を聴きたい、とは思っているだろうし、
いい音を聴く快感も知っている人は少なからずいる、とも思う。

けれど家で聴くことを諦めてしまっている──、
私にはそんなふうに見えてしまう。

いい音を聴きたければ、いい音で鳴っている、と巷でいわれているところへ出掛けて聴く。
家ではスマートフォンにイヤフォン(ヘッドフォン)で聴く。

いわば諦めから生じた機能的な音楽の聴き方を選択した。
この捉え方が正しいのかははっきりしないが、
こういう捉え方ができるということは事実である。

Date: 11月 19th, 2017
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ブームだからこそ・その8)

アナログディスクだけでなく、テープも復活している、と報道されることがある。
カセットテープだけでなくオープンリールテープも、人気が出てきている──、とのこと。

2016年、オープンリールデッキの新規開発のニュースがあった。
Horch House Gmbhという会社が、Project R2Rを打ち上げた。

発表から数ヵ月後に、ルボックスとの共同開発になるとの発表とともに、
外観写真も公開された。
このままうまくいくのかと思っていたら、
現在ではProject R2R関連のページはなくなっている。

こまめにチェックしていたわけではないので、途中経過のすべてを見ているわけではない。
ポシャった、ときいている。

開発はスムーズに運んだ、とのこと。
ネックとなったのは、ノイズリダクションに関することだったらしい。

いまではアナログでの実現が難しい……、
デジタル信号処理でよければ……、という提案もあったらしいが、
それではこの時代に、あえてオープンリールデッキを新規開発する意味合いが大きく薄れてしまう。

結果、このプロジェクトは終ってしまった、そうだ。

その7)で、日本ではアナログディスク制作においても、
デジタルによるマスタリングが行われている、と書いた。

いまではアナログだけでできるエンジニアがいなくなった、ということだ。
これはなにも日本だけではないようだ。

その一方で、BALLFINGERという会社は、
Tonbandmaschine M063というオープンリールデッキを発表している。

Date: 11月 19th, 2017
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(ヴァン・ヘイレン)

昨晩、友人宅でヴァン・ヘイレンの、いわゆるハイレゾ音源を聴いた。

ヴァン・ヘイレンのディスクは、LPもCDも一枚も買ったことはない。
とはいえ、聴いたことがないわけでもない。
ヴォン・ヘイレンが、ハードロックなのか、ヘヴィメタル、
どちらのバンドなのかもよくわかっていない私が聴いた感想である。

ヘッドフォンで聴いた。
そのことによってよけいにそう感じたのが、
ひじょうにクリアーで、きちんと録音されている、ということだった。
そのことが意外だったし、きわめて冷静に聴いていることも意外だった。

音が塊として、こちらに迫ってくる──、
ヴァン・ヘイレンの音楽をきちんときいたことがほとんどない私にとって、
ハードロック、ヘヴィメタルと呼ばれる音楽は、そういうものだと認識していた。

なのに、なんと分離のいい音なのだろう。
分離のいいままで、すべての音がひとつの塊として鳴ってくれれば……、と思っていた。

聴かせてくれた友人も、同じに感じていると話してくれた。

ここでも、別項「Jazz Spirit Audio(audio wednesdayでの音量と音・その2)」で書いたこと、
現象なのか心象なのかについて考えさせられるし、
心象としての再現で、私がつよく求めるエネルギーの再現において、
今回のヴァン・ヘイレンは、違うベクトルなのかもしれない。

Date: 11月 18th, 2017
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Casa BRUTUS・余談)

音のいい部屋。A ROOM WITH SOUND」で、私が「おやっ」と思ったのは、
40〜41ページに登場するカスタムオーディオアーティストのデヴォン・ターンブルの部屋である。

レコードラックの上に、オーディオ雑誌が置かれている。
そこにはステレオサウンドが数冊と管球王国も数冊。
それ以上に目に入ってくるのは、無線と実験が並んでいることだった。

写真は部屋のすべてを捉えてはいないから、
無線と実験がどれだけあるのか、数えることはできないが、25冊以上はある。

記事中には、
日本とパリで、ウェスターン・エレクトリックなどの古い機器と出合って、とある。
秋葉原にも通っていた、ともある。

無線と実験は、そのころのものなのか。
おもしろいと素直に思う。
オーディオはほんとうにおもしろい。
オーディオマニアも、実におもしろい。

Date: 11月 17th, 2017
Cate: ディスク/ブック

劇音楽「エグモント」

ベートーヴェンの劇音楽「エグモント」といえば、
ジョージ・セル指揮ウィーンフィルハーモニー(デッカ盤)が真っ先に浮ぶし、
ジョージ・セルといえば、この「エグモント」が最初に浮ぶくらいに、
私の中では「エグモント」とジョージ・セルの結びつきは強すぎるくらいに固い。

このセルの「エグモント」は長島先生が、よく試聴用レコードとして持参されていた。
もちろんLPである。

この「エグモント」は、とあるジャズ喫茶の、いわばリファレンスレコードでもある。

それまで私が聴いてきたセルのレコードは、
ほとんどがクリーヴランド管弦楽団を指揮してのものだった。
セルとウィーンフィルハーモニー、
それに序曲だけは聴いたことのある「エグモント」の全曲盤でもある。

鳴り出してきた音は、
このレコードが、ジャズ喫茶のリファレンスレコードなのだ、ということが納得できるものである。
もっとも最初に聴いた時には、まだそのことは知らなかったけれど、
後にそうだ、と聞いて、納得したものである。

セルの「エグモント」は、なかなかCDにならなかった。
1980年代後半に、音楽之友社が独自にCD化したのが最初だった。

CD化されない名盤を独自に……、という企画を、当時の音楽之友社は行っていた。
解説は、確か黒田先生が書かれていた、と記憶している。

このCDもいまは手元にない。
手離して十年ほど経ってくらいに、無性に聴きたくなった。
けれどCDは入手できなかった。
CD化されていたけれど、すぐに廃盤になったのか、
それとも音楽之友社のCD以降、デッカからは出ていなかったのか、
そこまで調べていないけれど、「えっ、いまもないのか」と思ったことははっきりと憶えている。

音楽之友社のCDは、いま聴くと印象が多少は変るのかもしれないが、
当時の印象は、LPで聴いたほどには強烈なものではなかった。

悪いわけではない……、
けれど、何かが欠けている気がする……、
そんな印象がどうしても拭い去れなかった。

いまはユニバーサルミュージックからCDが出ている。
輸入盤はないみたいだ。

12月のaudio wednesdayで、久しぶりに聴いて(かけて)みたいとおもう。

Date: 11月 17th, 2017
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Casa BRUTUS・その4)

昨年の10月に(その1)を書いている。
Casa BRUTUS 200号に「A ROOM WITH SOUND 音のいい部屋」という記事が載っていることを書いた。

今日書店に行ったら、Casa BRUTUS特別編集ムック
音のいい部屋。A ROOM WITH SOUND」が平積みされていた。

手にとってみると、既視感のある写真がいくつかあったので、
思わず奥付の発行日を確かめてしまった。
つい最近出たムックである。

ほぼ一年前のCasa BRUTUSの記事のタイトル、ほぼそのままのムックである。
ということは「A ROOM WITH SOUND 音のいい部屋」は評判が良かったのだろう。

このムック「音のいい部屋。A ROOM WITH SOUND」の売行きがよければ、
もしかすると来年のいまごろまたムックとして企画されるかもしれない。

それにしても書店に行くと、「音のいい部屋。A ROOM WITH SOUND」だけでなく、
オーディオ関係のムックは意外と出ている。
ということは、いい音で聴きたい、という関心が少しずつ拡がりつつあるのか。

そういえば立川にあるシネコンCINEMA CITYでは、極上爆音上映を行っている。
つい最近、シン・ゴジラの極上爆音上映があった。
行きたいと思っていたら、いい席はほぼすべて予約で埋まっていた。
端っこの席ぐらいしか残っていなかったため、結局行かなかったのだが、
極上爆音上映は人気があるようだ(もちろん上映する映画によるだろうが)。

ここでも、いい音への関心が高まりつつあるのか、と思う。

そう思うけれど、機能的な音楽の聴き方ゆえかとも考える。

Date: 11月 16th, 2017
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の才能と資質(その3)

サプリーム 144号に皆川達夫氏も書かれている。
そこから、ここでのテーマに関係してくるところを引用しておく。
     *
 どう仕様もないぐらい鳴りの悪いスピーカーが、あなたの手にかかるとたちまち音楽的なものに生まれ変ってゆく現場をみて、わたくしのような素人にはそれがひとつの奇蹟のように思えたものでした。それもそんな大騒ぎするのではなく、アンプのツマミをふたつ、みっつさわり、コードを2、3回はめ直すだけで、スピーカーはまるで魔法がかかったように生きかえってゆく。そんなことはわたくしだって何回もやっていたのに、どうして瀬川さんがさわるとちがってしまのうだろうと、どうにも納得がゆかなかったのです。
 そうした表情のわたくしに、あなたは半分いたずらっぽく半分照れながら、「これはあまり大きい声では言えませんが、オーディオの専門家だからといって誰にでも出来るというものではないんですよ」と、心に秘めた自信のほどを冗談めかしに垣間見せてくださったのも、今ではなつかしく、そして悲しい思い出になりました。
     *
オーディオ店のイベントに招かれるオーディオ評論家と呼ばれている人たち。
満足のいく音で鳴っていることは、そんなに多くはない、ときいている。
そういうときに、瀬川先生ならば、皆川達夫氏が書かれているように、
《アンプのツマミをふたつ、みっつさわり、コードを2、3回はめ直す》ことで、
スピーカーの音を生き返らせたはずである。

アンプをFMアコースティックに替える、なんてことは、
オーディオ評論家、オーディオの専門家でなくとも、できることだ。

瀬川先生がいわれている、
《オーディオの専門家だからといって誰にでも出来るというものではない》と。

その意味では、アンプをFMアコースティックにかえるという手を選択した人は、
自分の力量を正確に把握している、ともいえるし、
それはプロフェッショナルとしての最低条件でもある。

アンプを替えずに、スピーカーの音をよくしていくことができないことを自覚しているのだから、
オーディオのプロフェッショナルといえるのかもしれない。

だとしても、オーディオの専門家として、
瀬川先生とは違うところに立っているオーディオの専門家でしかない。

Date: 11月 15th, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(リーダーとマネージャー、それに組織・その1)

前々から感じていたこと。

オーディオ雑誌の編集部には、
編集長という名のマネージャー(管理者)はいても、
編集長たるリーダー(統率者、指揮者)はいない。

こんなことを書くと、
また昔は良かった的なことを書いている、と思う人が絶対いる。

けれど昔は編集部にリーダーがいたのかというと、なんともいえない。

私がステレオサウンドの編集に携わるようになったのは、
62号の途中からである。
それ以前の号に関しては、直接見てきたわけではない。

断言はできないが、なんともいえない、というのが本音である。
ある時期までは原田勲氏はリーダー的だったはずだ。

だが本当のリーダーは編集部にいなかった。
これどういうことか、これ以上書かなくともわかってくれる人は少ないけれどいる(はずだ)。

Date: 11月 15th, 2017
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その17)

1980年代後半は、MC型カートリッジの光悦が、
幻の存在のように扱われはじめた時期である。

1970年代のHI-FI STEREO GUIDEに、光悦は掲載されている。
当時は、会社名は武蔵野音響研究所で、光悦が型番だった。

特別に高価なカートリッジではなかった。
1970年代は32,000円だった。
1981年には50,000円と80,000円とがあった。

その光悦が、いつのころからか、高価なカートリッジとなっていった。
光悦そのものについて、ここで書くつもりはない。

ただそのころ光悦は発電コイルに銀クラッド線を採用していた。
銀メッキではない。

光悦のカートリッジもまたラジオ技術で取り上げられることが多かった。
たいてい五十嵐一郎氏が新製品として紹介記事を書かれていた。

そのころのラジオ技術は手元に一冊もないので記憶に頼るしかないが、
銀クラッドの光悦の、五十嵐一郎氏の評価はなかなか良かったはずだ。

銀線と銀クラッド線は違うのはわかっている。
銀クラッド線のケーブルは聴いたことがない。
銀クラッドの光悦も聴いたことがない。

ただ五十嵐一郎氏の文章を読んでいると、
銀線の音を好まれていたるのかも……、と思ったことが何度もある。

実際のところ、どうだったのだろうか。

Date: 11月 14th, 2017
Cate: 広告

広告の変遷(ナガオカの広告)

広告のキャッチコピーで気に入っているものはいくつかある。
その中のひとつ、1974年ごろのナガオカの広告に「スピーカーの生あくび」というのがある。

モノクロの広告。
3ウェイ・スピーカーのイラストがある。

ウーファーが口、スコーカーか鼻、トゥイーターが左右にひとつずつあり、これが目。
眠そうな目をしたトゥイーターである。

いかにもスピーカーが生あくびしている風のイラストである。

スピーカーが生あくびしているような音は、
オーディオショウに行けば、けっこう聴ける。

Date: 11月 14th, 2017
Cate: 戻っていく感覚, 書く

毎日書くということ(戻っていく感覚・その7)

人間のこころの機能を無視して、人間の機能を単に生理的・物理的な動物のようにとらえる過った態度からは、魅力どころかまともなオーディオ製品すら生まれない。
     *
瀬川先生がステレオサウンド 31号の特集で書かれている文章からの引用だ。
31号は1974年夏号。

31号は、ステレオサウンド時代に読んでいる。
その時(ハタチぐらい)には、ここに出てくる「人間のこころの機能」の重さに気づかなかった。

いまやっと気づく。
「人間のこころの機能」、
このことを無視したところに、オーディオの科学も存在しない。

こうやって毎日書いているから、気づけた「人間のこころの機能」である。

Date: 11月 14th, 2017
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その16)

1980年代の後半になってからだったと記憶しているが、
ラジオ技術にアルミニウム線のことが記事になるようになった。
五十嵐一郎氏が度々書かれていた。

たしかオヤイデが純度の高いアルミの単線を扱うようになったからである。

五十嵐一郎氏の記事、
といってもアルミ線そのものの試聴記事というよりも、
新製品の試聴記事の中で、アルミ線について触れられていたのが主だった、と記憶している。

読みながら、アルミ線の音は、銀線の音にどこか共通するような印象を受けることが、
何度かあった。

ここでの銀線の音というのは、あくまでも私の中だけのものであって、
銀線ほど人によって印象は大きく違っているようだから、
銀線とアルミ線の音に共通するような因子がある感じる人もいれば、
そんなことはないという人もいるだろう。

そのくらい銀線の音の印象は違うのは、
当時銀線と謳われて市場に出廻っていたものは、それこそ千差万別だだったようである。
表面だけ銀という、なかばマガイモノの銀線もあったときいている。

それに銀線の純度もさまざまだったらしい。
もっとも純度が高いから、いい音がするとは思っていないけれど、
銀固有の音は、やはり純度が高いほど出てくるのだろうか。

とにかく五十嵐一郎氏のアルミ線の印象が、
少なくとも私の中では銀線の印象と重なっているところがあり、
そのことが銀線とアルミ線は、色が似ている、ということにつながっていった。

Date: 11月 14th, 2017
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(その32)

接点をこまめにクリーニングするということは、
クリーニングの度にケーブルを外しているわけである。
そのときに、RCAプラグがスポッと簡単に抜けてしまうとか、
スピーカー端子の締めがゆるいとか、
そういうことに気づかずに、ただクリーニングだけに気を取られていた知人は、
接点はクリーニングされていれば、それでいいんだ、と理解していたのかもしれない。

オーディオを通してであっても、
理解とは、人によってこんなにも違うのかと思うことが、少なくない。

知人は接点には気をつかっていると自負していた。
けれどクリーニングだけ、キレイにすることだけで、
しっかりと接触させるということに関しては、気が回らなかったのか、
無関心だったのか、とにかくゆるゆるの接続であった。

そういえば……、と思い出すことがある。
ある人からきかれた。

「昔のリンのLP12って、ターンテーブルの加工精度がひどかったんですか」と。
「そんなことはない」と答えたが、話をきいていくと、
きいてきた人の知人が、そんなことを言っていた、とのこと。

その人はLP12のターンテーブルが揺れながら回転していたから、
どうもそういう結論(加工精度が悪い)になったようだ。

私がLP12を見て、聴いたのは1980年になってからだった。
その数年前からLP12は輸入されていた。
そのころのLP12まで知っているわけではないが、
少なくともLP12は高い加工精度を特徴としていたフローティング型である。

LP12は加工精度が悪いといっていた人が、
自身でLP12を使っていたのか、それともどこかで見ただけなのかははっきりしないが、
おそらくフローティング型ゆえのサスペンションの調整が、
そうとうにひどかったのではないかと思われる。