Archive for category テーマ

Date: 1月 29th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その22)

瀬川先生は
《レンジが広がれば雑音まで一緒に聴こえてくるからだというような単純な理由だけなのだろうか》
と書かれている。

SICAの10cm口径のダブルコーンのフルレンジがうまく鳴った音を聴いて、
50年前では考えられないほどのローノイズでの再生が、簡単にできるようになっても、
フルレンジ一発の音は、独自の美しさで音楽を鳴らす。

結局は、いまの技術ではレンジを広げるために、
スピーカーユニットの数を増やしていくことで、
雑音まで再生されるのではなく、何らかの雑音を発生させている──、
と考える方が理に適っている、と思う。

その雑音とは、一種類ではない。
電気的な雑音、機械構造的な雑音、音響的な雑音、
さらにいえば時間的な雑音、
それらいくつもの雑音が少しずつ発生してしまうから、
ひとつひとつの雑音はたいしたことはないのかもしれないが、
複雑に影響しあっているような気さえする。

ひとつひとつの雑音が音に与える影響は微々たるものであっても、
それらの雑音が相加・相乗作用によって、
音に与える影響の質、そしてその量が著しく変化するということかもしれない。

以前にも書いているが、有吉佐和子氏の「複合汚染」だ。
実際のところはどうなのかはわからない。
そう想像しているだけである。

けれど、少なくとも音楽の美しさに対しての影響は誰の耳にも明らかなはずだ。

Date: 1月 27th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その21)

ステレオサウンド 5号は1967年12月に発売されている。
ダイレクトドライヴのアナログプレーヤーは、まだ登場していなかったし、
このころのアナログプレーヤーは、ゴロやハムに悩まされるモノが、
けっこうあった、ときいている。

いまデジタルをプログラムソースとして聴けば、
そんなゴロやハムはまったく出ないし、スクラッチノイズもない。

50年後のいま、ボザークのB4000のスコーカー(B80)だけを、
フルレンジとして鳴らしたら、どういう印象を受けるか。

おそらく瀬川先生が50年前にうけられた印象と同じだろう。
《清々しく美しかった》はずだ。

(その20)で引用した文章に続いて、瀬川先生はこう書かれている。
     *
 しかしその一方に、音楽から全く離れたオーディオというものが存在することも認めないわけにはゆかない。それは機械をいじるという楽しみである。たとえば3ウェイ、4ウェイの大型スピーカーをマルチ・アンプでドライブするような再生装置は、まさにいじる楽しみの極地であろう。わたくし自身ここに溺れた時期があるだけに、こういう形のオーディオの楽しみかたを否定する気には少しもなれない。精巧なメカニズムを自在にコントロールする行為には、一種の麻薬的快感すら潜んでいる。
 音色を、特性を、自由にコントロールできる装置は、たしかに楽しい。だが、そういう装置ほど、実は〈音楽〉をだんだんに遠ざける作用を持つのではないかと、わたくしは考えはじめた。これは、音質の良し悪しとは関係がない。たとえば、レコードを聞いているいま、トゥイーターのレベルをもう少し上げてみようとか、トーンコントロールをいじってみたいとか、いや、単にアンプのボリュームをさえ、調節しようという意識がほんの僅かでも働いたとき、音楽はもうわれわれの手をすり抜けて、どこか遠くへ逃げてしまう。装置をいじり再生音の変化を聴き分けようと意識したとき、身はすでに音楽を聴いてはいない。人間の耳とはそういうものだということに、やっとこのごろ気がつくようになった。しかもなお、わたくし自身はもっと良い音で音楽を聴いてみたいと装置をいじり、いじった結果を耳で確かめようとくりかえしている。五味康祐氏はこれをマニアの業だと述べていたが、言葉を換えればそれは、オーディオマニアとしての自分とレコードファンとしての自分との、自己分裂の戦いともいえるだろう。
     *
4ウェイのマルチアンプドライヴは《いじる楽しみの極地》だ。

その《いじる楽しみの極地》の出発点が、フルレンジであるということの意味。
それを忘れなければ、《レコードファンとしての自分》を見失うことはないはずた。

Date: 1月 27th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その20)

フルレンジの音で確認できる──、
そう書いていて思い出したのは、ステレオサウンド 5号に載っている瀬川先生の文章だ。

「スピーカーシステムの選び方 まとめ方」の冒頭に書かれていることだ。
     *
 N−氏の広壮なリスニングルームでの体験からお話しよう。
 その日わたくしたちは、ボザークB−4000“Symphony No.1”をマルチアンプでドライブしているN氏の装置を囲んで、位相を変えたりレベル合わせをし直したり、カートリッジを交換したりして、他愛のない議論に興じていた。そのうち、誰かが、ボザークの中音だけをフルレンジで鳴らしてみないかと発案した。ご承知かもしれないが、“Symphony No.1”の中音というのはB−800という8インチ(20センチ型)のシングルコーン・スピーカーで、元来はフル・レインジ用として設計されたユニットである。
 その音が鳴ったとき、わたくしは思わずあっと息を飲んだ。突然、リスニングルームの中から一切の雑音が消えてしまったかのように、それは実にひっそりと控えめで、しかし充足した響きであった。まるで部屋の空気が一変したような、清々しい音であった。わたくしたちは一瞬驚いて顔を見合わせ、そこではじめて、音の悪夢から目ざめたように、ローラ・ボベスコとジャック・ジャンティのヘンデルのソナタに、しばし聴き入ったのであった。
 考えようによっては、それは、大型のウーファーから再生されながら耳にはそれと感じられないモーターのごく低い回転音やハムの類が、また、トゥイーターから再生されていたスクラッチやテープ・ヒスなどの雑音がそれぞれ消えて、だから静かな音になったのだと、説明がつかないことはないだろう。また、もしも音域のもっと広いオーケストラや現代音楽のレコードをかけたとしたら、シングルコーンでは我慢ができない音だと反論されるかもしれない。しかし、そのときの音は、そんなもっともらしい説明では納得のゆかないほど、清々しく美しかった。
 この美しさはなんだろうとわたくしは考える。2ウェイ、3ウェイとスピーカーシステムの構成を大きくしたとき、なんとなく騒々しい感じがつきまとう気がするのは、レンジが広がれば雑音まで一緒に聴こえてくるからだというような単純な理由だけなのだろうか。シングルコーン一発のあの音が、初々しいとでも言いたいほど素朴で飾り気のないあの音が、音楽がありありとそこにあるという実在感のようなものがなぜ多くの大型スピーカーシステムからは消えてしまうのだろうか。あの素朴さをなんとか損わずに、音のレンジやスケールを拡大できないものだろうか……。これが、いまのわたくしの大型スピーカーに対する基本的な姿勢である。
     *
ボザークのスピーカーの持主のN氏とは、おそらくトリオの会長であった中野英男氏であろう。
トリオは昔ボザークの輸入元でもあった。

Date: 1月 26th, 2018
Cate: アナログディスク再生

DAM45(DSD 11.2MHz)

DAM45について書いたのは二年前。
今日の川崎先生のブログ「最高の音響を楽しんでください」は、
このDAM45が、ユニバーサルミュージックからDSD、
それも11.2MHzで配信が始まったことを知らせてくれる内容だった。

9タイトルが発売(配信)されている。
その9タイトルの中に、グラシェラ・スサーナが含まれている。

とにかく嬉しい。
まだDSD 11.2MHzの再生環境をもっていなから、
聴くことはすぐにはできないが、それでも嬉しいことにかわりはない。

9タイトルの詳細、
配信にいたるまでの経緯などは下記のリンク先を参照のこと。

DAMオリジナル録音DSD11.2配信9タイトル一覧

Date: 1月 26th, 2018
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(秋葉原で感じたこと・その3)

トロフィーとはなにかの賞を受けた時に記念として贈られるモノだ。
名誉ある賞もあれば、地域のスポーツ大会の賞ということもある。

どちらにしても、賞を主宰している側から贈られるのがトロフィーである。

自分で、自分に贈るのがトロフィーであるわけがない。
よく頑張った自分! といって、自分にトロフィーを──、と考えるのだろうか。

「功成り名遂げた人に相応しいオーディオ」、
自分で自分に贈るトロフィーとしては、向いていると思えるところもある。

オーディオはコンポーネントである。
スピーカーシステム、コントロールアンプ、パワーアンプ、
それにプレーヤーが必要になり、
さらにケーブル、ラックなども要る。

デジタル信号処理のプロセッサーもつけ加えれば、
システムのヴァリエーションも、ほぼ無限にあるといっていい。

つまり「人と違うの僕」用のトロフィーが組める。
世界にひとつしかないトロフィーができあがる。

そういう視点でオーディオを商売にしているのであれば、
共感はまったくできないが、なかなかうまい商売だな、と思わないわけではない。

つまり、その店は、オーディオ店ではないのだ。
トロフィー屋なのだ。

功成り名遂げた人が、自分に自分で贈るトロフィーを、
あれこれセレクトして、世界にひとつだけのシステム(トロフィー)をつくってくれる。
しかも、他の人よりも、もっと高価なシステム(トロフィー)を提案してくれる。

「人と違うの僕」は、「人よりも高いの僕」へところんでしまう。

Date: 1月 25th, 2018
Cate: 快感か幸福か
1 msg

快感か幸福か(秋葉原で感じたこと・その2)

その1)に、facebookにコメントがあった。

そのコメントにも、固有名詞はなかった。
私も(その1)でも固有名詞は出してないから、
コメントにあった人と私が書いた人とが同一人物なのか──。

いま秋葉原にオーディオ店はそれほど多くないし、
それほど高額なシステムを売っているところとなると、限定されてしまう。
同じ人であろう。

コメントには、
「功成り名遂げた人に相応しいオーディオ」といういいかたを、
非常に高額なシステムを売る人はしていたそうだ。

やっぱりそうだろうな、と思った。
そういう在り方のオーディオもありなんだなぁ……、と思う。

けれど「五味オーディオ教室」から始まった私のオーディオ、
そしてオーディオ観とはまったく別のことだ。

コメントには続きがある。
その高額なシステムを聴いていた人は幸せそうだった、と。
客を幸せにできるのだから、男冥利につきる仕事なんだろうと、思う、とあった。

聴いていた人は幸せそうだった、ようだ。
今回鳴っていた一億円近いステムまでいかなくとも、
数千万円のシステムであっても、その店の客として聴いている人にとっては、
トロフィーのようなものであり、
もっといえばトロフィーオーディオであり、
それはほんとうに幸せなのか、それとも快感をそう思っているだけなのか。

Date: 1月 25th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオは男の趣味であるからこそ(その14)

エンクロージュアが鏡面仕上げになっているスピーカーシステムが、
正直苦手である。

鏡面仕上げが゛そのスピーカーシステムから出てくる音に寄与していることはわかっていても、
それでも苦手と感じてしまうのは、
そのスピーカーシステムを自分のモノとしたときのことを考えるからだ。

ひとりきりで音楽を聴ける空間(聖域)に、そのスピーカーを置く。
音は素晴らしい。
けれど、目をあけた瞬間に、エンクロージュアに惚けて聴いている自分の顔が映る。
こんな顔をして聴いていたのか、と思ってしまうからだ。

ひとりきりで音楽を聴くのは、
瀬川先生と同じで「音楽に感動して涙をながしているところを家族にみられてたまるか」である。

瀬川先生がどうだったのかはわからないが、
私はその姿を自分でもみたくないからである。

余韻に浸るためにも、みたくない。

もっとも人それぞれだから、音楽を聴いているときですら、ポーズをつけている人を知っている。
こういう人は、ひとりきりで聴くときもそうなのだろうか。
そうだとしたら、こういう人は鏡面仕上げのスピーカーに映る自分の顔にうっとりできる人なのだろう。

Date: 1月 24th, 2018
Cate: 快感か幸福か

快感か幸福か(秋葉原で感じたこと・その1)

先週末秋葉原に行っていた。
せっかく来たのだから、ということで、とあるオーディオ店に行った。

そのオーディオ店の上の階は、そうとうに高価なオーディオ機器ばかりが置いてある。
その時、鳴っていたシステムの総額は、ケーブルも含めて9,800万円を超えていた。

ほぼ一億円である。
スピーカーシステムだけで、四千万円を超えていた。

店主とおぼしき人が、ソファの中央でひとり聴いていた。
他に客はいなかった。

私など客とは思われていない。
それはそれでかまわない。
そんなシステムを買えるだけの財力はないのだから、
店主とおぼしき人の、こちらのふところ具合を見る目は、確かな商売人といえよう。

鳴っていた音について書くのは控える。
書きたいのは、一億円近いシステムの音ではなく、
その音を聴いていた店主とおぼしき人の表情である。

鳴っていたディスクは、店主とおぼしき人の愛聴盤なのか。
それもはっきりしない。
その人がどういう人なのかも、はっきりと知らない。

ただ、その人の表情をみていて、彼が感じていたのは快感だったのか。
そんなことを考えていた。

よく知らない人だから、その人が幸福そうに音楽を聴いている表情がどんなものかも知らない。
知らないけれど、そうは見えなかった。

Date: 1月 23rd, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その19)

聴感上のS/N比の向上が、聴感上のfレンジの向上に結びついているということは、
つまりは聴感上のS/N比の劣化が聴感上のfレンジを狭くしている、ということである。

このことは以前も書いているが、大事なことであるだけに忘れないでほしい。

どうせトゥイーターをつけるんだから、聴感上のfレンジが狭くなっていても、
別にかまわない、と考えないでほしい。

聴感上のfレンジがどの程度なのかによって、
トゥイーターの追加も、どのあたりクロスさせるか、そのへんのパラメーターも変ってくる。
当然だが、トータルのパフォーマンスも違ってくる。

聴感上のS/N比を劣化させないための方法は、
なにもCR方法だけではない。他にもいくつもある。

ひとつひとつは地味なこと、といっていい。
具体的なことは、あえて書かない。
聴感上のS/N比ということが、どういうことなのかがはっきりとわかってくれば、
どういうことをやればいいのかはおのずとはっきりしてくる。

CR方法をやる前は、トゥイーターをつけるにしても、
クロスオーバー周波数は3.5kHzあたりかな、
もし少し上まで使ったとしても6kHzが上限かな……、そんなふうに感じていた。

けれどCR方法で聴感上のfレンジがのびたSICAの音を聴いていると、
いわゆるトゥイーターをコンデンサーひとつだけで接ぐ、もっとも簡単なやり方で、
しかもトゥイーターのカットオフ周波数はぐんと上に持ってきても、
うまくいきそうというか、こっちの方がよさそうに思えてきた。

先週末、秋葉原に行き、コンデンサーを購入。
トゥイーターも先方にすでに届いている。
来週あたりには、トゥイーターをつけることになる。

土曜日には、ウーファーもつけたら……、という話が出た。
そうなるかもしれない……、と思いながら、
瀬川先生が4ウェイの自作システムを、フルレンジからスタートさせる、のは、
そういう意図があったのか、と気づいたことがある。

マルチアンプシステムで、4ウェイのシステムともなれば、
しかもユニットも混成ということになると、ひどくバランスを逸した音になることがある。
バランスを見失ってしまうことがある。

そんなとき、フルレンジからスタートしているわけだから、
いつでもフルレンジ単体の音を確認できる。

Date: 1月 22nd, 2018
Cate: ディスク/ブック

「かくかくしかじか」

かくかくしかじか」というマンガがある。
東村アキコの作品だ。

「かくかくしかじか」」の二話目の最後のページ、
     *
今の私には
分かります。

今さらもう
遅いよね

怒らないでね
先生
     *
というセリフ(独白)がある。
ここで直感した。

「先生」はもう亡くなっているんだ、と。

恩師と呼べる人をもち、
返事がないのはわかっていても、問いかけている人ならば、
すぐに気づくことだ。

三話目の最後のページにも、ある。
     *
そうだよ

最初から
お人好しだったんだよ
先生は

そうじゃなきゃ
バカなんだよ

大バカだよ

ねえ
先生
    *
作者の東村アキコ氏の気持がわかる人は、
恩師がいた人だ。

Date: 1月 21st, 2018
Cate: 「オーディオ」考

指先オーディオ(その1)

アナログでもっぽら信号処理をしていた時代から、
ツマミを動かすことで、さまざまなことができるようになってきた。

そこにデジタルが登場して、さらに範囲は拡がり、より細かな調整が可能になってきている。

なんらかのプロセッサーが目の前に一台あれば、
以前では簡単に変更できなかったパラメータをもいとも簡単にいじれるようになっている。

技術の進歩が、ツマミを動かすだけでなんでもできるようにしてくれる。
けっこうなことである。

けれど懸念もある。
その懸念が、指先オーディオである。

指先だけでかなりのことが可能になってきた。
便利な時代になってきた、とは思っている。

なのに指先オーディオなんて、ついいいたくなるのは、
何かを見失ってしまった人を知っているからだ。

彼は昔からパラメトリックイコライザー、グラフィックイコライザーが好きだった。
そのころは彼もまだ若かった。
それらのイコライザーに積極的であっても、指先オーディオではなかった。

けれどデジタル信号処理による、プロ用機器ではさまざまなプロセッサーが出てくるようになった。
それらを手にしたころから、彼は指先オーディオへと突き進んでいった。

歳をとったということもあるのだろう。
体を動かすよりも、指先だけで済むのだから(必ずしもそうではないが)、
そういうプロセッサーへの依存は強くなっていくのか。

高度なことをやっていると思い込んでしまっている彼は、
何も生み出せなくなってしまった──、
私はそう感じている。

彼ひとりではない、とも感じている。
指先オーディオは拡がりつつある、と感じている。

Date: 1月 17th, 2018
Cate: ユニバーサルウーファー

電子制御の夢(ウーファーの場合・その1)

MFB(Motional Feedback)なしにカッティングできないくらいに、
アナログディスクをつくるうえでは不可欠の技術である。

再生側においては、MFBはおもにスピーカーに使われる。
フィリップスの小型スピーカー、RH541、RH545のウーファーにはMFBがかけられていたし、
ドイツのBackes & Müller(B&M)は全帯域にかけている。
それからインフィニティのIRSのウーファータワーもそうだ。

日本では、無線と実験やラジオ技術では、
私がオーディオに興味をもちはじめる前の時代、
かなりMFBの記事が載っていた、ときいている。

スピーカーの場合のMFBは、
振動系の運動に比例した信号を、駆動するアンプの入力にフィードバックすることで、
振動系の制御を積極的に行う技術である。

MFBを適切にかけることで、スピーカーの特性を改善できるわけだが、
それだけに振動系の動きをどう検出するか、
振動系の速度なのか、振幅なのか、加速度なのかも重要となる。

以前はMFBをかけることを前提として、ボイスコイルをふたつもつユニットもあった。
ひとつは通常のボイスコイルで、追加されたボイスコイルは検出用である。
この方式だと、ボイスコイルの振幅速度に比例した電圧が得られる。

けれど、これでは振動系の制御とはいえない。
振動系の駆動部分の制御といえよう。

振動系の動きをどう正確に検出するか。
MFBという技術があると知った時に、あれこれ考えた。
考えれば考えるほど、いかに難しい、ということになる。

そんなこともあって、MFBそのものに関心をもたなくなった。

Date: 1月 17th, 2018
Cate: 楽しみ方

オーディオの楽しみ方(つくる・その18)

「かっこいい音だな」というのは、
実のところは「かっこいい録音だな」である。

それはわかったうえで、「かっこいい音だな」を嬉しく受け止めていた。

そのディスクにおさめられているのがかっこいい録音であっても、
それが必ずしもかっこいい音で鳴ってくれるわけではない。

いい音で鳴ってくれたとしても、かっこいい音だな、と思わせるかどうかは、
微妙なところで違ってくることでもある。

かっこいい録音がかっこいい音で鳴ってくれるくれるための条件とは……、
なかなか難しく、いまのところ、これとこれとこの条件を満たせば……的なことはいえない。

とにかくSICAのフルレンジユニットは、CR方法と、もうひとつのことで、
文字通り見違えるほどよくなった。

振動板の質が良くなったようにも聴こえるし、
別項でも書いているように、聴感上のS/N比の向上が、
聴感上のfレンジの向上に結びついている。

今回やったことを施す前の音は、トゥイーターが欲しくなる感じだった。
今回の音はトゥイーターが不要とまではいわないが、これはこれでいいな、と思えるし、
この状態まで最低でももってきたうえで、トゥイーターを追加すべき、だとも思う。

高域がのびいていない、もう少し繊細な音が欲しい、とか、そういう理由で、
すぐにでもトゥイーターを付ける人はけっこう多い。

つい先日も、あるサイトで小口径フルレンジにトゥイーターを追加した記事があった。
個人サイトではない。
タイミングのいい記事というか、とにかく読んだ。

40年前に読んだ記事かと思うほどに、何ら進歩を感じない内容だった。
こんな記事は、これまで何本も見てきた。

その記事は初心者向けに書かれているのだろう。
編集者からの要望通りの内容なのだろう。

そのへんのことはわかったうえで、
その記事を読まされる初心者は恵まれていない、といおう。
あまりにも安易すぎるのだ。
昔のままの安易さが、そのまま残っている。

Date: 1月 17th, 2018
Cate: Noise Control/Noise Design

聴感上のS/N比と聴感上のfレンジ(その7)

喫茶茶会記のスピーカーで、トゥイーターだけはCR方法がこれまでは試せなかった。
グッドマンのトゥイーターはハウジング内にハイパスフィルターが内蔵されていて、
それをパスすることができないからだ。

10月のaudio wednesdayから、トゥイーターはJBLの075にしている。
だからトゥイーターにもCR方法を実践できようになったし、もちろんやっている。

その効果は、来ている人がみなつけたほうがいい、という。
もちろんスコーカーのアルテックのドライバーにも取り付けてある。
これですべてのユニットに対して施してある。

そして別項で書いているSICAの10cmのダブルコーンのフルレンジユニットにもやっている。
ここでの効果は、喫茶茶会記のスピーカーユニットにひとつずつ試した時よりも大きかった。

フルレンジということもあろう、
それからスピーカーユニットとアンプとのあいだにネットワークがないことも、
深く関係しているのかもしれない。

CR方法については、(その1)で書いている。
私がこれまで試したところでいえば、
抵抗はDALEの無誘導巻線抵抗にかぎる。
この抵抗は、秋葉原の海神無線で入手できる。

DALEの無誘導巻線抵抗は、カーボン抵抗や金属皮膜抵抗に比べると高価だ。
といっても一本数百円である。

それからコンデンサーのリード線をユニットのアース側にもってきたほうが結果はいい。

既製品のスピーカーでは試しにくいモノもあろうが、
自作スピーカーであれば、試してみることはそんなに面倒でもないはずだ。
フルレンジユニットであれば、もっと簡単に行える。

ただしいずれも場合も、スピーカーユニットの端子に直接最短距離で取り付けるべきだ。

聴感上のS/N比の向上というと、機械的な雑共振を抑えることと受け止められるし、
たしかに機械的雑共振をどう抑えるかは、ひじょうに重要なこきとであるが、
同時に電気的な共振を抑えることも、聴感上のS/N比の向上には効く。

CR方法が実際にどう作用しているのかはっきりとしたことはいまのところいえないが、
少なくとも聴感上のS/N比は向上するし、聴感上のfレンジも上のほうにのびていく。

Date: 1月 16th, 2018
Cate: 「オーディオ」考

「虚」の純粋培養器としてのオーディオ(人が集まるところでは……)

不特定多数の人が集まるところでは、気持よく帰れることの方が稀だとおもう。
特にオーディオ関係の、そういう場では、げんなりしたり、イヤな気持になったり、
そういうことは必ずつき物だと思っていた方がいい。

昨年のインターナショナルオーディオショウでは、
別項「2017年ショウ雑感(会場で見かけた輩)」で書いている人がいたわけだ。

こういう人の他にも、音を聴きに来ているのか、自慢話を披露したくて来ているのか、
何が目的なのかわからない人もいる。

同好の士が集まる場だからといって、気持よく帰れるわけではい。
先日の「菅野録音の神髄」でも、残念なことに、そういう人たちがいた。

そういう人たちの方が圧倒的に少数であっても、
そういう人たちは目障り、耳障りであるために目立つ。

そういう人たち(そういう大人)に幻滅したくない、という人もいよう。
それで「菅野録音の神髄」に来なかった人もいる。

その人の気持がわからないわけではない。
それでも、やはり来るべきだった、といおう。

今年の最初に「オーディオマニアの覚悟(その7)」を書いた。
そこには、こう書いた。

オーディオマニアとして自分を、そして自分の音を大切にすることは、
己を、己の音を甘やかすことではなく、厳しくあることだ。

そうでなければ、繊細な音は、絶対に出せない、と断言できる。

繊細な音を、どうも勘違いしている人が少なからずいる。
キャリアのながい人でも、そういう人がいる。

繊細な音を出すには、音の強さが絶対的に不可欠であることがわかっていない人が、けっこういる。

音のもろさを、繊細な音と勘違いしてはいけない。
力のない、貧弱な音は、はかなげで繊細そうに聴こえても、
あくまでもそう感じてしまうだけであり、そういう音に対して感じてしまう繊細さは、
単にもろくくずれやすい類の音でしかない。

そんな音を、繊細な音と勘違いして愛でたければ、愛でていればいい。
一生勘違いしたままの音を愛でていればいい。

それでいいのであれば、幻滅したくない、イヤな気持になりたくない、
傷つきたくないということで、そういう場に出かけなければいい。それで済む話だ。

あとは本人次第だ。