Archive for category テーマ

Date: 4月 21st, 2018
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その6)

この項のカテゴリーは「戻っていく感覚」である。

カテゴリーについては、はっきりと最初から決って書き始めることもあれば、
書いている途中でカテゴリーを決めることもあるし、
書き終ってから、ということもある。

そうやって決めるわけだが、スパッと決められるときもあれば、
どれにしようと迷うこともある。
新しいカテゴリーは、これ以上増やしたくない、とも思っているから、
できるだけこれまでのカテゴリーからあてはまりそうなものを選びもする。

この項のカテゴリーは、あえて選ぶならば、これかな、ぐらいの気持だった。
でも書いていくうちに、「戻っていく感覚」にしておいてよかった、と感じはじめている。

その感は強くなっていくとともに、
五味先生の「五味オーディオ巡礼」の一回目を思い出す。
ステレオサウンド 15号に掲載されている。

野口晴哉氏と岡鹿之介氏が登場されている。
「ふるさとの音」とつけられている。
「音のふるさと」とも書かれている。

最初に好きになった音は、そうなのか。
好きだった音は、そうなのか。
そんなことを反芻している。

Date: 4月 20th, 2018
Cate: 使いこなし

丁寧な使いこなし(その4)

オーディオの使いこなしにおいて、
もっとも頭を悩ませるのは、スピーカーのセッティング位置ではないだろうか。

部屋の大きさとスピーカーの大きさによっては、
ほぼこの位置にしか置けない、という場合もある。
そういう場合は、その位置でやっていくわけだが、
部屋のどこでもスピーカーを置ける、という場合もある。

そうなると、いったいどこが、そのスピーカーにとってのベストポジションなのか。
それを探り出すためにはどうすればいいのか。

フロアー型で、しかも床に直接、何も介さずに置いている場合であれば、
スピーカーを移動して音を聴いて、どこがベストなのかを探っていけばいい。

けれど、フロアー型でもスピーカーと床とのあいだにいろんなアクセサリーが挟まっていたり、
なんらかのブロックやベースの上に置かれていることだってある。
そうなるとスピーカーの移動は、とたんに難しく、面倒になってくる。

いま、いい感じで鳴っている。
スピーカーをとくに動かす必要はないようにも感じている。
それでもオーディオマニアはならば、もっといい位置があるのではないだろうか……、
そう思ってしまう。

そんなことまったく思わないという人は、少なくともオーディオマニアではない。

そう思っても、スピーカーを実際に動かすのは、大変なことだ。
ひとりでやるのは、特に大変である。

だからといってオーディオ仲間数人に来てもらって、というのも、
そう何度も何度も来てもらうわけにはいかないし、
ひとりでじっくりとやっていきたい、と思う人だっている。

20代のころ、スピーカーのセッティング位置をどうすれば探り出せるのか。
平台車にスピーカーを乗せて、部屋のあちこちに移動してみるということを考えたことがある。
そうやって音を聴いて、よさそうに思えた位置にスピーカーを置いて、
じっくりとセッティングを見直し、チューニングしていく。

これといった問題はない──、思いついた時にそう考えていた。
けれど実際はそうではなかったことに、すぐに気づいた。

Date: 4月 19th, 2018
Cate: 「本」

雑誌の楽しみ方(書店の楽しみ・その2)

2月に、渋谷の山下書店にのことを書いた。
田舎で馴れ親しんだ書店らしい書店だと感じていた。

ステレオサウンドは、私がいたころは六本木にあった。
青山ブックセンターも六本木にあった。

ステレオサウンドで働くことで、青山ブックセンターを知った、といってもいい。
これが東京の書店なのか、と、
三省堂や紀伊國屋書店に初めて入ったときとは、また違う感想をもったものだった。

山下書店と青山ブックセンターは、ずいぶん違う。
あのころ青山ブックセンターは深夜まで営業していた。
山下書店の渋谷店も、一時期まで24時間営業だった。

あるときから青山ブックセンターのコピーのような書店が、東京に増えてきた。
そのすべてとはいわないが、スカした書店が増えてきた。
スカした書店は、スカした品揃えで、スカした客が集まる。

優れた本でも、スカした書店で、スカした品揃えのように並べられると、
スカした客の手に渡る。

こうしたスカした書店は、エロ本は当然のことながら、置いてない。
エロ本がないからスカした書店なわけではない(念のため)。

スカした客が集まる書店では、
いったい誰が買うんだろう……、という本もある。
私が何度か目にした範囲では、スカした客が手にしていた。

話は飛躍するが、こうしたスカした人たちが、
デザインのパクリを平然とやっているように見えるのだ。

渋谷の山下書店は、4月26日で閉店する。
このあたりは渋谷の再開発に含まれるのだろうか。

渋谷から山下書店がなくなる。
こういう書店は減っていくだけなのか。

Date: 4月 19th, 2018
Cate: オーディオマニア

ドン・ジョヴァンニとマントヴァ侯爵(その2)

ドン・ジョヴァンニとマントヴァ侯爵。

真にドン・ジョヴァンニといえる人を、私は知らない。
マントヴァ侯爵といえる人ならば、よく知っている。

その人は、女性との出逢いは受動的ではなく、つねに能動的でありたい、といっていた。
自分の好みにぴったりとあう人を見つけるために、その人はさまざまな努力をしていた。
その人は、自慢気にその努力について、その成果について話してくれた。

つい「成果」と書いてしまったが、
その人の口調は「成果」と思わせるものだったからでもある。

その人の好みは、こまかい。
うるさ型である。

好みがはっきりしすぎているし、
ダメなタイプも、またそうである。

その人はけっこうモテていた。
けれど、その人はけっしてドン・ジョヴァンニではなかった。

だから地獄に堕ちることはなかった。
何度目かの奥さんとシアワセに暮らしているようである。

黒田先生はステレオサウンド 47号掲載の「さらに聴きとるものとの対話を」、
ここでは「腹ぺこ」というタイトルがついている文章で、
マントヴァ侯爵の方法は、
《条件さえととのえば、そんなにむずかしいことではない》とされている。

その人をみていると、たしかにそうだな、と思う。

ドン・ジョヴァンニの方法は、
《この場合、生き方というべきだろう》とされたうえで、容易ではない、と。

ドン・ジョヴァンニは空腹でありえたのだろう、
マントヴァ侯爵は、空腹だったことはないのだろう、
その人もそうなのかもしれない。

Date: 4月 18th, 2018
Cate: 世代

世代とオーディオ(その表現・その1)

「菅野録音の神髄」のためにステレオサウンド 47号を、開いている。
47号の特集はベストバイで、
瀬川先生が「オーディオ・コンポーネントにおけるベストバイの意味あいをさぐる」を書かれている。

こんなことを書かれている。
     *
 これもまた古い話だが、たしか昭和30年代のはじめ頃、イリノイ工大でデザインを講義するアメリカの工業デザイン界の権威、ジェイ・ダブリン教授を、日本の工業デザイン教育のために通産省が招へいしたことがあった。そのセミナーの模様は、当時の「工芸ニュース」誌に詳細に掲載されたが、その中で私自身最も印象深かった言葉がある。
 ダブリン教授の公開セミナーには、専門の工業デザイナーや学生その他関係者がおおぜい参加して、デザインの実習としてスケッチやモデルを提出した。それら生徒──といっても日本では多くはすでに専門家で通用する人たち──の作品を評したダブリン教授の言葉の中に
「日本にはグッドデザインはあるが、エクセレント・デザインがない」
 というひと言があった。
 20年を経たこんにちでも、この言葉はそのままくりかえす必要がありそうだ。いまや「グッド」デザインは日本じゅうに溢れている。だが「エクセレント」デザイン──単に外観のそればかりでなく、「エクセレントな」品物──は、日本製品の中には非常に少ない。この問題は、アメリカを始めとする欧米諸国の、ことに工業製品を分析する際に、忘れてはならない重要な鍵ではないか。
     *
 ひと頃、アメリカのあるカメラ雑誌を購読していたことがある。毎年一回、その雑誌の特集号で、市販されているカメラとレンズの総合テストリポートの載るのがおもしろかったからだ。そのレンズの評価には、日本ではみられない明快な四段階採点方の一覧表がついている。四段階の評価とは 1. Excellent 2. Very Good 3. Good 4. Acceptable で、この評価のしかたは、何も右のレンズテストに限らず、何かをテストするとき、あるいは何かもののグレイドをあらわすとき、アメリカ人が好んで用いる採点法だ。
 私自身の自戒をこめて言うのだが、ほかの分野はひとまず置くとしてまず諸兄に最も手近なオーディオ誌、レコード誌を開いてごらん頂きたい(もちろん日本の)。その中でもとくに、談話または座談の形で活字になっているオーディオ機器や新譜レコードの紹介または批評──。
 ちょっと注意して読むと、おおかたの人たちが、「非常に」あるいは「たいへん」といった形容詞を頻発していることにお気づきになるはずだ。
 むろん私はここでそのあげ足とりをしようなどという意味で言っているのではなく、いま手近なオーディオ誌……と書いたが少し枠をひろげて何かほかの専門誌でも総合誌あるいは週刊誌や新聞でも、似た内容の記事を探して読めば、あるいは日常会話にもほんの少しの注意を払ってみれば、この「非常に」「たいへん」あるいは4とても」といった、少なくとも文法的には最上級の形容詞が、私たちの日本人の日常の会話の中に、まったく何気なく使われていることが、まさに〝非常に〟多いことに気付く。
 この事実は、単に言葉の用法の不注意というような表面的な問題ではなく、日本という国では、もののグレイドをあらわす形容が、ごく不用意に使われ、そのことはさかのぼって、ものを作る姿勢の中に、そのグレイドの差をつけようという態度のきわめてあいまいな、あるいは本当の意味でのグレイドの差とは何かということがよくわかっていないことを、あらわしていると私は考えている。さきにあげたジェイ・ダブリン教授の言葉も、まさにこの点を突いているのだと解釈すべきではないか。
     *
47号は1978年だから、40年前だ。
《ちょっと注意して読むと、おおかたの人たちが、「非常に」あるいは「たいへん」といった形容詞を頻発していることにお気づきになるはずだ》
とある。

いまはどうだろう。
フツーにうまい、とか、フツーにかわいい、といった表現が頻繁に使われている。

Date: 4月 18th, 2018
Cate: 新製品

新製品(テクニクス SP10Rとラックス)

復活したテクニクス・ブランドのアナログプレーヤーには、
まったくときめくものを感じない。
それでも、こんなタイトルをつけて書いているのは、
わずかな可能性に期待することがあるからだ。

ラックスのアナログプレーヤーといえば、
私と同世代、上の世代の人たちにとっては、PD121こそが真っ先に思い浮べる存在のはずだ。

よく知られているようにPD121に使われているモーターは、
テクニクスのSP10同等品である。
両機種のターンテーブルプラッターを外してみれば、すぐにわかる。

だからこそ、両機種を並べてみるまでもなく、
これだけ違う仕上がりになるのか、とラックスを褒めたくなる。

ラックスからは、現在PD171Aが出ている。
ベルトドライヴになっている。
PD121とはずいぶん違う仕上がりになっている。

PD171には、ときめくものをまったく感じない。
だから、こんなことを考えてしまうのかも……。

SP10Rのモーターを採用したPD121が登場しないものか、と。

Date: 4月 17th, 2018
Cate: アナログディスク再生

私にとってアナログディスク再生とは(HD Vinylについて)

100kHzまで対応可能なアナログディスクとしてHD Vinylのことが話題になっている。

SNSで、ニュース元をシェアしている人がけっこういる。
その人たちはHD Vinylに期待しているのであろうが、
私は、どちらかというと、期待していない方である。

何度も書いているように、
私はアナログディスクをエネルギー伝送メディアとして捉えている。
そんな私にとっては、カッティングとは、
マス(質量)のあるダイアモンドのカッター針を動かすからこそ得られる特性・特質としての、
エネルギー伝送メディアである。

そんな私だからハーフスピードカッティングにも、どちらかといえば懐疑的だ。

HD VinylにはHD Vinylなりのよさはあるはずだし、
実際に、その音を聴けば、なかなかいいな、と評価するにしても、
それはもうエネルギー伝送メディアから信号伝送メディアへのグラデーションなのだと思う。

Date: 4月 16th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

SNSが顕にする「複雑な幼稚性」(その4)

以前は行列ができる飲食店は、そうそうなかった。
とんかつ屋でいえば、目黒のとんきは、昔から行列はあった。
けれど行列といっても、それほど長くもなかったし、待った、という記憶もない。

30年ちょっとのあいだに行列があちこちに見られるようになったと同時に、
料理の写真もを撮る人も増えた(というより、昔は見かけたことはなかった)。

携帯電話にカメラ機能がつき、
スマートフォンに、より高画質で、その場で編集できる機能さえつくようになった。

そういうハードウェアの変化もあってのことだとはわかっていても、
行列の数と長さ、写真を撮る人の増えかたは関係しているのではないのか。

誰だって美味しい店を知りたいし、そこに行きたい。
私がオーディオの先輩たちから教わったのは、
そういう店を大事にすることである。

自分だけが知っていて、誰にも教えないわけではない。
私に教えてくれたように、私も誰かに教えることになる。

少数の人だけが知っていても、その店が繁盛しなければつぶれてしまうことだってある。
それは困る。
繁盛しすぎて、長い行列ができてしまうのはまだ我慢できても、
味が落ちてしまうのは我慢できない。

だから、その店を大事におもうわけだ。

インスタ映えするように写真を撮って、SNSで公開する。
身内だけの公開ではなく、不特定多数に向けての公開である。
その行為に、店を大事にするという感覚がまったく感じられない。

Date: 4月 15th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その16)

ステレオサウンド 55号の特集2の「ハイクォリティ・プレーヤーシステムの実力診断」、
瀬川先生と山中先生が試聴を担当されている。
記事には、試聴中の写真が各機種毎に載っている。

山中先生はダストカバー付きだったり外した状態だったりしているが、
瀬川先生は少なくとも写真をみるかぎりではすべて外した状態での試聴である。

そこで思い出すのが、下に引用する文章だ。
     *
プレーヤーを選択するのに、しかし、必ずしも厳格な意味での音質本位で選ぶとはかぎらない。これはすでに岡俊雄氏が「レコードと音楽とオーディオと」(ステレオサウンド社刊)の中で紹介された話だが、音楽評論家の黒田恭一氏は、かつて西独デュアルのオートマチックのプレーヤーを愛用しておられた。このプレーヤーは、レコードを載せてスタートのボタンを押すだけで、あとは一切を自動的に演奏し終了するが、ボタンを押してから最初の音が出るまでに、約14秒の時間がかかる。この14秒のあいだに、黒田氏は、ゆっくりと自分の椅子に身を沈めて、音楽の始まるのを待つ。黒田氏がそれを「黄金の14秒」と名づけたことからもわかるように、レコードを載せてから音が聴こえはじめるまでの、黒田氏にとっては「快適」なタイムラグ(時間ズレ)なのである。
 ところが私(瀬川)はこれと反対だ。ボタンを押してから14秒はおろか、5秒でももう長すぎてイライラする。というよりも、自分には自分の感覚のリズムがあって、オートプレーヤーはその感覚のリズムに全く乗ってくれない。それよりは、自動(オート)でない手がけ(マニュアル)のプレーヤーで、トーンアームを自分手でレコードに載せたい。針をレコードの好きな部分にたちどころに下ろし、その瞬間に、空いているほうの手でサッとボリュウムを上げる。岡俊雄氏はそれを「この間約1/2秒かそれ以下……」といささか過大に書いてくださったが、レコードプレーヤーの操作にいくぶんの自信のある私でも、常に1/2秒以下というわけにはゆかない。であるにしても、ともかく私は、オートプレーヤーの「勝手なタイムラグ」が我慢できないほどせっかちだ。
(「続コンポーネントステレオのすすめ」より)
     *
「5秒でももう長すぎてイライラする」瀬川先生にとって、
レコードのかけかえのために閉じたり開けたりするする必要が生じるダストカバーは、
自分の感覚のリズムをを乱す邪魔な存在でしかなかったのだろう。

そのためか、55号の瀬川先生の試聴記には「デザイン・操作性」という項目があるが、
そこでダストカバーについては一切触れられていない。

Date: 4月 15th, 2018
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(ダストカバーのこと・その15)

音がこもる──、
そこまでせはいいすぎとしても、ダストカバーを閉じた状態では、
音ののびやかさがいささか損われる。

このことはなにもアナログプレーヤーにだけいえることではなく、
アンプであってもCDプレーヤーであっても、閉じた空間の筐体、
しかもその筐体ががっしりとしていると、
それは強くなってくる傾向があるように感じている。

とはいえダストカバーは大半がアクリル製とはいえ、
そこにはある程度の重量がある。
そのおかげで、閉じた状態ではプレーヤーキャビネットのf0が低くなる場合もあるのは、
「プレーヤー・システムとその活きた使い方」掲載の測定データから読みとれる。

アナログプレーヤーのダストカバーは、
スピーカーシステムのサランネットのような存在なのか。

いまでも大半のスピーカーシステムにサランネットはついている。
昔はほぼすべてのスピーカーシステムについていた。
けれど、サランネットがつけた状態で聴くのか、外した状態で聴くのか、
そのスピーカーを製造しているメーカーは、どちらを標準としているのか、
スピーカーシステムの試聴においては、このことは決して忘れてはならない。

瀬川先生がステレオサウンドで試聴されていた時、
編集者がサランネットを外したままで音を出した始めたことがあるそうだ。
その時、かなり怒られた、ときいている。

編集者は気をきかせたつもりだったのだろうが、
瀬川先生にとっては、それはよけいなことというより、
試聴をいい加減なものにしてしまう行為であったのだろう。

そんな瀬川先生なのだが、アナログプレーヤーの試聴の際には、
ダストカバーは外されていた、ようだ。

Date: 4月 14th, 2018
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(KEF Model 303・その2)

KEFのModel 303は、ステレオサウンド 54号の特集
「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」に登場している。

瀬川先生だけでなく、菅野先生黒田先生の評価もそうとうに高い。

《このランクのスピーカーとしては、ひときわぬきんでている》(黒田)、
《スケールこそ小さいが、立派に本物をイメージアップさせてくれるバランスと質感には、脱帽である》(菅野)、
《ポップスで腰くだけになるような古いイギリスのスピーカーの弱点は、303ではほとんど改善されている》(瀬川)、
三氏とも特選である。

菅野先生は
《このシステムを中高域に使って、低域を大型のもので補えば、相当なシステムが組み上げられるのではないかという可能性も想像させてくれた》
とまで書かれているし、
菅野先生と瀬川先生は55号の特集ベストバイで、ともにModel 303を、
スピーカーのMy Best3のひとつとして選ばれている。

瀬川先生は、そこでこう書かれている。
     *
 オーディオ機器の音質の判定に使うプログラムソースは、私の場合ディスクレコードがほとんどで、そしてクラシック中心である。むろんテストの際にはジャズやロックやその他のポップス、ニューミュージックや歌謡曲も参考に試聴するにしても、クラシックがまともに鳴らない製品は評価できない。
 ところがその点で近ごろとくにメーカー筋から反論される。最近のローコストの価格帯の製品を買う人は、クラシックを聴かない人がほとんどなのだから、クラシック云々で判定されては困る、というのである。クラシックのレコードの売上げやクラシックの音楽会の客の入り具合をみるかぎり、私には若い人がクラシックを聴かないなどとはとうてい信じられないのだが、しかし、ともかく最近の国産のスピーカーのほとんどは、日本人一般に馴染みの深い歌謡曲、艶歌、そしてニューミュージックの人気歌手たちの、おもにTVを通じて聴き馴れた歌声のイメージに近い音で鳴らなくては売れないと、作る側がはっきり公言する例が増えている。加えて、繁華街の店頭で積み上げられて切替比較された時に、素人にもはっきりと聴き分けられるようなわかりやすい味つけがしてないと激しい競争に負けるという意識が、メーカーの側から抜けきっていない。
 そういう形で作られる音にはとても賛成できないから、スピーカーに関するかぎり、私はどうしても国産を避けて通ることが多くなる。いくらローコストでも、たとえばKEFの303のように、クラシックのまともに鳴るスピーカーが作れるという実例がある。あの徹底したローコスト設計を日本のメーカーがやれば、おそろしく安く、しかしまともな音のスピーカーが作れるはずだと思う。
 KEF303の音は全く何気ない。店頭でハッと人を惹きつけるショッキングな音も出ない。けれど手もとに置いて毎日音楽を聴いてみれば、なにもクラシックといわず、ロックも演歌も、ごくあたり前に楽しく聴かせてくれる。永いあいだ満足感が持続し、これを買って損をしたと思わせない。それがベストバイというものの基本的な条件で、店頭ではショッキングな音で驚かされても、家に持ち帰って毎日聴くと次第にボロを出すのでは、ベストバイどころではない。売ってしまえばそれまでよ、では消費者は困るのだ。
     *
メーカー筋からの反論。
《最近のローコストの価格帯の製品を買う人は、クラシックを聴かない人がほとんど》、
ここでのローコストの価格帯とは、どのあたりを指すのか。

瀬川先生の文章を読むかぎり、
59,800円(一本)のスピーカーも、ここに含まれる。

Date: 4月 13th, 2018
Cate: ディスク/ブック

A CAPELLA(余談)

シンガーズ・アンリミテッドの録音は、MPSだった。
ポリグラム、そしてユニバーサルミュージックから発売されていた。
最近ではビクターが、2015年から24ビット、88.2kHzのフォーマットで配信を行っていた。

けれどそのラインナップにはシンガーズ・アンリミテッドは含まれてなかった。
さきほど検索してみたら、ビクターのサイトにはMPSのページはなかった。
e-onkyo musicでは購入できるようだ。

CDはタワーレコード限定で、二年ほど前に発売になっていた。
K2リマスターだったから、ビクターが手がけたのだろう。

MPSは、ドイツのEdel Germany GmbHが所有している。
ある人の話では、日本でのDSD配信を計画している、らしい。

権利関係がどうなっているのか、そのへんを確認・整理してのことになるし、
いつ開始されるのは知らないし、まだ決っていないようだ。

それでも始まってくれれば、
シンガーズ・アンリミテッドの録音もそこに含まれるかもしれない。
グルダの平均律クラヴィーア曲集も期待したい。

Date: 4月 13th, 2018
Cate: 「本」, ジャーナリズム

オーディオの「本」(考える人・その11)

株式会社ファーストリテイリングの単独スポンサーによって「考える人」は、
新潮社から出ていた。

単独スポンサーゆえに、その会社が降りてしまえば、
そして次のスポンサーが見つからなければ、それで終りとなる面ももつが、
「考える人」のオーディオ版は、やはり無理なのか、とずっと思っていた。

「考える人」だから単独スポンサーがついた、ともいえる。
オーディオ雑誌に、単独スポンサーがつくだろうか。

オーディオメーカーが単独スポンサーについたのでは、意味がない。
オーディオと関係のない会社で、オーディオ雑誌の単独スポンサーになるところ、
そんな会社、あるわけがない──、と思い込んでいた。

先月のKK適塾が終って、数日後、ふと思いついた。
もう完全に妄想の領域であるし、可能性としてはゼロではないだろうが、
限りなく近いこともわかっている。

わかったうえで書いている。
川崎先生が編集人・発行人としてのオーディオとデザインの雑誌ならば、
DNPが単独スポンサーになることだって、可能性としてはまったくゼロではないはずだ。

Date: 4月 13th, 2018
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(KEF Model 303・その1)

別項「現代スピーカー考(余談・その2)」で、
とあるレコード店のスピーカー、KEFのModel 303について触れた。

今日久しぶりに、そのレコード店に入った。
同じ位置にModel 303は置いてある。
モーツァルトのピアノ協奏曲が鳴っていた。

ほどよい音量で鳴っていた。

瀬川先生はステレオサウンド 56号での組合せで、
《最新の録音のレコードから、旧い名盤レコードまでを、歪の少ない澄んだ音質で満喫できる》
と書かれている。
そのとおりの音で、モーツァルトが美しく鳴っていた。

1979年発売のスピーカーだから、ほぼ40年が経っている。
専用スタンドで設置されているModel 303には、
高価なスピーカーケーブルやアクセサリーが使われてはいない。
ごくごく一般的な置き方のまま鳴っている。

ほぼ40年、店主の好きな音楽を、ほぼ毎日鳴らしてきての、
今日、私が聴いた音なのだろう。

中古のModel 303は、誰がどんな鳴らしかたをしてきたのか、わからない。
どんな使われ方だったのかもわからない。
そんなModel 303に、私が今日聴いた音を期待しても無理というものだ。

Model 303は、一本59,000円(その後62,000円)の、イギリス製のスピーカーだ。
海を渡っての、この価格ということは、イギリスでは普及クラスのスピーカーだったのだろう。

598戦争が始る、ほんの数年前に、同価格帯にModel 303が存在していた。
そのことを、今日、その音を聴いて思い出していた。

Date: 4月 12th, 2018
Cate: 所有と存在

所有と存在(その16)

「この瞬間は永遠だ」
小説やドラマ、映画などで、目にしたりきいたりしている、と思う。

シチュエーションによっては、とても陳腐にきこえたりもする「この瞬間は永遠だ」。
けれど音と真剣にむき合ってきた(対決してきた)オーディオマニアであれば、
「この瞬間は永遠だ」とおもえる音をなんどか聴いている、と私は信じている。

その瞬間はそうおもえなかった音であっても、
ずっと心に焼きついている、深く刻み込まれていることがある。
その存在に、いつの日かふと気づく(気づかされる)ことがある。