Archive for category テーマ

Date: 11月 21st, 2019
Cate: 「本」

オーディオの「本」(近所の書店にて・その5)

SWITCHは、12月号はオーディオを特集するのが三年続いている。
12月号は、「いい音と暮らす QUALITY of SOUND LIFE」である。

今日書店に寄ったのは、SWITCHが目的でもあった。
ション手について、まずオーディオアクセサリーの最新号を、
それから「菅野沖彦著作集」、「菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」を手にした。

この数分のあいだに、これからの本を手にした人は誰もいなかった。
でも、SWITCH 12月号は三人が手にしていた。
三人とも買いはしなかったが、それでも迷わずSWITCHに手を伸ばしていたのだから、
12月号の特集の内容に興味を持ってのことなのだろう。

この人たちが、オーディオに関心があるのか、それとも村上春樹への興味からなのか、
それとも両方に関心があるのか──、私にはわからない。

それでも手にする人がこれだけいるのか、と思った。
わずか三人じゃないか、といわれそうだが、
上記のように、オーディオ雑誌を手にした人はいないのだから。

今日に限らない。
オーディオ雑誌に手を伸ばす人を見かけるのは、一年の間に二回あるかないかである。

Date: 11月 20th, 2019
Cate: デザイン
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オーディオ・システムのデザインの中心(その22)

五年前の別項で、
ステレオサウンドは、オーディオのデザイン論をやってこなかった、と書いた。

これは私自身の反省もある。
私がいたときもやってこなかった。

企画をたてたところで、当時の私にどれだけの内容の記事がつくれたのか。
それでもやっておくべきだった、と後悔している。

やらずにすませてきた。
それから五年経った。
やはりステレオサウンドは、オーディオのデザイン論はやっていない。
おそらく、これから先もまったく期待できないはずだ。

オーディオのデザイン論、
そういう記事がどれだけ必要なのか、と疑問に思われるかもしれない。

ステレオサウンドがやってこなかったから、
エソテリックの、ああいうデザインが登場してくるし、
今回のタイムロード/ArchitecturaのAlinaのデザインが、
平気な顔して登場してくる──、そう思ってしまう。

ジョーダン・ワッツのflagonへのオマージュとリスペクト、
デザインや機能に意味合いを持った製品開発、
そういったことを謳いながらの、このかたちなのか。

特に青色のAlinaは、Flagonというよりドラゴンクエストのスライムである。

こんなことを記事になかったなら、
変な形のスピーカーが登場したな、とは思いつつも、ここで書くことはしなかった。

けれど違う。
それで書いている。

どうして、こんなデザイン(デザインとは呼べない)モノが、
日本のオーディオ製品として、ここに来てさらに目立つようになったのか。

Date: 11月 20th, 2019
Cate: ディスク/ブック

CHARLES MUNCH/THE COMPLETE RECORDINGS ON WANER CLASSICS(その2)

2018年9月に出た“CHARLES MUNCH/THE COMPLETE RECORDINGS ON WANER CLASSICS”。
この13枚組のCDボックスから、今年6月に、
パリ管弦楽団とのブラームスの交響曲第一番とベルリオーズの幻想交響曲が、MQA-CDで発売になった。

ほかの曲はどうなのだろう、とまたまたe-onkyoを検索してみると、
昨年のCDボックス発売にあわせて、四枚が配信されていることを、いまごろ知った。

ブラームスの一番は、先月のaudio wednesdayでかけた。
早い時間に第一楽章を、
終り近くで第四楽章をかけた。

ミュンシュのパリ管弦楽団を振ってのブラームスは、
宇野功芳氏と福永陽一郎の両氏は、
フルトヴェングラー以上にフルトヴェングラー的である、
最上のフルトヴェングラーだ、
そういうふうに高く評価されている。

フルトヴェングラーのブラームスは、モノーラルしかない。
仕方ないといえばそれまでだが、ミュンシュ/パリ管弦楽団は1967年のステレオ録音である。

最上のフルトヴェングラーといいたくなる気持は、聴けば納得できる。
特に第四楽章は、圧倒的というか圧巻だ。

フランス人の指揮者で、フランスのオーケストラ。
そんなふうには誰も感じないはずだ。

奇蹟のような名演、と表現してしまうと、大袈裟な……、と感じてしまう人が必ず出てくる。
MQA-CDには、
《特に終楽章の高揚感と壮麗な表現は大きな感動を呼びます》とある。
決して誇張ではないし、
この演奏が聴けることこそ、オーディオの醍醐味とさえいえる。

Date: 11月 20th, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(audio wednesdayのこと・その4)

いまではaudio wednesdayといっているが、
最初のころはaudio sharing例会といっていた。

そのころは音は鳴らさずに、話だけだった。
音を鳴らすようになってほぼ三年になる。

この三年間は、一度器材の不具合で音を鳴らせない日があったし、
喫茶茶会記のスペースが、どうしてもその日は空いていないということで、
飲み会に変更した日もあったけれど、
それ以外は、ずっと音を鳴らしてきた。

音を鳴らすと、話す時間は極端に減る。
というか、最低限のことしか話さない時も多い。

でも皆で集まって、
オーディオの話、音楽の話、時にはほとんど関係ない話をするのは楽しい。
たまには音を鳴らさない会もいいんじゃないですか、といわれたこともある。

だから、毎年忘年会やっているじゃないですか、と返事したが、
忘年会での話とaudio wednesdayで喫茶茶会記に集まってでは、
場の雰囲気も違うし、お酒が入って会話とそうでない会話と同じではない。

そういわれればそうである。
audio wednesdayに新しく来られた方たちと、あまり話すことがなかった。

会の終りまで参加されている方たちとは、片づけをしている時に話したりするけれど、
終りはたいてい23時半ごろで、喫茶茶会記を出るのは20分ぐらい後になるのだから、
皆が最後まで、というわけではない。

音を聴いてもらうことを優先していると、どうしてもそうなってしまうのだが、
どちらがいいのだろうか、と少し迷うところもある。

8月のaudio wednesdayのように、なんらかのトラブルがあったときなどは、
音を鳴らさずに話に切りかえよう、とか、そういうことではなく、
普段の会から、きちんと来られた方たちともっと話をしよう、ということを思う。

Date: 11月 19th, 2019
Cate: デザイン

オーディオ・システムのデザインの中心(その21)

続けてエソテリックについて書くつもりでいたが、
数日前に、首を傾げたくなるスピーカーシステムが登場したので、
まずこのことについて書きたい。

もうこれだけで、どのスピーカーのことなのか、わかった方はけっこう多いと思う。
タイムロードのオリジナルブランド、
Architectura(アーキテクチューラ)のスピーカー、Alina(アリーナ)だ。

Phile webの記事で知った。

記事には、《「デザインや機能に意味合いを持った製品」の開発をコンセプトに掲げる》とある。
古いオーディオマニアならば、このAlinaを見て、
ジョーダン・ワッツのFlagon(フラゴン)を思い出す。

記事にも、
《JORDAN WATTSの壺型陶器製スピーカー「FLAGON」の存在が大きいと説明。これを現代の技術で作ったらどうなるのかと考え、オマージュとリスペクトとして日本の伝統というオリジナル要素を加えて開発したとのことだ》
とある。

Flagonの存在を知ったのは、
1976年12月に出たステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」だった。
岡先生が、FlagonとQUADの33と303、FM3、それにデュアルの1228という組合せをつくられていた。
当時Flagonは、49,500円(一本)していた。

けっして安いスピーカーではなかった。
搭載ユニットはジョーダン・ワッツ独自の10cm口径フルレンジのModule Unit。
エンクロージュアは陶器製で、どこか東洋的な花瓶のようなスタイルをもつ。

こんな変ったスピーカーがあるのか、と思うだけでなく、
いつかお金に余裕ができたら、欲しいと思ったスピーカーでもある。

エンクロージュアが焼き物だったため、生産性が悪く、
1980年代には金属製に変更されたが、ロングセラーのスピーカーシステムである。

Alinaは、そのFlagonへのオマージュとリスペクトなのだそうだ。

Date: 11月 19th, 2019
Cate: アンチテーゼ, 平面バッフル

アンチテーゼとしての「音」(平面バッフル・その4)

平面バッフルの構造は、特に複雑ではない。
バッフル板と支える脚部があれば、平面バッフルとして機能する。

とはいえ脚部をどうするのかは、意外と難しい。
脚部というよりも、平面バッフル全体を、どう支えるかの問題である。

さらに平面バッフルの材質には、響きのよいものを、と昔からいわれている。
だから上質の木材が、平面バッフルにはよく使われる。

平面バッフルにおいて、バッフル板の響きは確かに重要であるが、
その響きを疎外する要因となっているのが、
スピーカーユニットのバッフル板への取り付けである。

重力のない世界ならば影響は抑えられるが、
地球上にはそういう場所はない。
バッフル板には、ユニットの重量が荷重となる。

2m×2mといった大きな平面バッフルに、10cm口径のユニットならば、
ユニットの荷重による影響は小さくなっても、
2m×2mの平面バッフルに、小口径のユニットを取り付ける人はまれだろう。

やはりこれだけの規模となれば、38cm口径のユニットを、私だったら迷わず選ぶ。
となるとユニットによくる荷重は、10cm口径のユニットとは比較にならないほど大きくなる。

そうするとバッフル板へのテンションが強くかかることになる。
このテンションの強さは、本来材質が持っている響きのよさを損ねる方向に働きがちだ。

ダンボールの平面バッフルは、不思議といい音だった。
ダンボールだから、叩いてみても、良質の木材のようないい感じの音がしてくるわけではない。

ダンボールの平面バッフルの音の良さは、
ユニットを人が手で支えていたから、ダンボールのバッフル板には、
ユニットによる荷重はまったくない。

Date: 11月 19th, 2019
Cate: 1年の終りに……

2019年をふりかえって(その11)

2018年が、MQAとメリディアンのULTRA DACと出逢えた年で、
2019年は、よりMQAに近づくことができた一年といえる。

MQA-CDがワーナーミュージックからも発売されるようになった。
それに度々書いているように、e-onkyoでのMQAのラインナップが充実してきている。

タワーレコードやHMVからの新譜のメールが届いて、
こんな新譜(旧盤の復刻を含めて)が出るのか、と思い、
e-onkyoで検索してみると、CDの発売にあわせて配信が開始されることも増えた。

ジネット・ヌヴーがそうだったし、
新録音の新譜でも、もう出ているのか、と驚くこともある。

当然e-onkyoでの配信は、CDのスペックをうわまわっている。
そのうえでMQAがあることも増えてきている。

オンキヨーがメリディアンの輸入を12月から開始するくらいだから、
このことにはいろんな感情があるとはいえ、
e-onkyoでのMQAのラインナップが、今年以上に充実してくる可能性もあるのでは──、
と都合のいいように考えて、期待がふくらんでいるのは否定できない。

e-onkyoのラインナップにまだまだ満足していないけれど、
今年のように、もしくはそれ以上積極的に展開してくれれば、
CDの売上げがいまも大きい日本でも、徐々に変化していくのではないのか。

Date: 11月 19th, 2019
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その20)

その19)で挙げた例と同じ状況におかれた、私ならどうするか。

知人の友人と同じ状況だったら、どうするか、といえば、
会社を辞めることをまず考える。

欲しいと思い続けてきたスピーカーをなんとか手に入れることができた。
なのに海外への転勤が決まってしまい、
スピーカーは転勤先に持っていけないことになったら、
ここを読まれている方はどうするだろうか。

24時間空調が完備している倉庫で、日本に戻ってくるまで寝かしておくのか。
けれど、スピーカーというものは、鳴らさずに一年、二年……、と置いておくだけで、
本来の性能が失われていく。

これは不可避の現象である。
そういうことを知っていれば、なんとかしたい、と考える。

知人の友人は、だから、知人に預ってもらって、
転勤のあいだ、ずっと鳴らしてもらうことを考えついたのか。

新品で買ったスピーカーを、そうやって人に預けて鳴らしてもらう。
短期間ではない、海外転勤が終るまで、少なくとも一年とか二年はかかるのだろうか。

たとえば、誰かに預けるスピーカーが、
新品のときから鳴らしていて、すでに二年、三年が経っていたのであれば、
信頼できる人に預ける、ということを、私も考えるかもしれない。

けれど新品、もしくは数ヵ月程度しか鳴らしていないスピーカーを、
誰かに預けることは絶対に考えない。

だから、仕事を辞めるということを考える。
辞める、といっても、仕事の関係上、そうもいかないこともある。

私なら、そのままにしておく。
鳴らさずに置いておく。

確かに新品の状態を、いろんな意味で維持できなくなるのはわかっている。
それでも、誰かに鳴らされるよりは、そちらのほうがましだからだ。

Date: 11月 18th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その17)

今週金曜日(22日)から三日間、インターナショナルオーディオショウである。
今年、多くの人の注目を集めるのは、
テクダスのAir Force Zeroと断言してもいい。

生産台数の少ない限定であるだけでなく、
その重量を考えても、来年のオーディオショウで見られる(聴ける)とはかぎらない。
今年が最初で最後の機会になる可能性はある。

私が関心があるのは、roonのNucleusを使用するブースがどれだけなのか、がまずある。
それからMQAでの音出しを行うところがどれだけあるのかも、そうだ。

(その11)で書いているように、
今年は、各ブースのスピーカーで目立つのはフォーカルなのか、
それとも他のブランドなのか、も興味がある。

オーディオショウなんて、いい音が聴けるわけでもないし、
人は多いし……、
文句ばかり言って行かない人も少なくないようだ。
知人にも、一人いる。

いいたくなる気持はわかるけれど、
行けばやはり楽しいところは、必ずある。
通ぶっても、行かずに文句ばかりたれているのが最悪なのは皆わかっているはず。

Date: 11月 18th, 2019
Cate: 世代

世代とオーディオ(その表現・その9)

機械(オーディオ機器)にふりまわされるな。
私がオーディオに興味をもった40年以上前も、このことはいわれていた。

正しい、といえば、そうである。
それでも、一度は、機械にふりまわされてみよう、といいたい。

機械にふりまわされるな、という人は、
使い手(人)が主で、オーディオ機器(道具、機械)は従の関係だ、ともいう。

これも正しい。間違ってはいない。
それでも、これに対しても、若いうちに、この主従関係を逆転させた時期を体験してほしい。

そうやって、オーディオの美の世界に、どっぷり溺れてほしい。
溺れないように、溺れないように……、
そんな及び腰でオーディオをやっていても、中途半端な楽しみでしかない、と私は思う。

溺れることを怖れずに飛び込んでこそのオーディオである。
インターネットは、溺れないための浮袋ではない。

Date: 11月 18th, 2019
Cate: 1年の終りに……

2019年をふりかえって(その10)

いまオーディオをスタートさせる若い人はかわいそうだね、と嘆くことは、
誰にだってできる。
そんなことをしてみたところで、これからオーディオに取り組もうとしている人に向って、
何かを示すことになるわけではない。

今年ヤフオク!で入手したオーディオ機器は、すべて手を加える。
来年一年をかけてやっていき、
毎月第一水曜日のaudio wednesdayで、その結果を披露したい。

ここまで良くなるのか、と思われるかもしれないし、
これならばオリジナルのままのほうが……、という結果に終るかもしれない。

それは聴く人の判断にまかせよう。
私は、限られた予算内でどさだけのことができるのか、
それを少しでも示すことができれば、と考えている。

私がやったのと同じことを、初心者のオーディオマニアができるかといえば、
それは無理であろう。
一人では無理であっても、私はノウハウを出し惜しみはしないから、
直接訊いてほしい。

だからといって、買ってすぐに手を加えろ、といいたいのでもない。
買ったら、最低でも一年はじっくり聴いてほしい。
できれば二年くらいはそうしてほしい。

そのうえで不満があるのならば、手を加えるもよし、
買い換えるのもよし、と考える。

とはいえ、こういうことを書いたところで、
audio wednesdayに10代の若い人は来ない。

Date: 11月 18th, 2019
Cate: 1年の終りに……

2019年をふりかえって(その9)

最初に手にするオーディオが中古。
このことに批判的な意見はある、と思っている。

今年の春だったか、
女子高校生がクルマの免許をとって、
自分で貯めたお金で、中古の軽自動車を買った、というツイートが話題になった。

おめでとう、というコメントも多くあったとともに、
最初のクルマが中古ということに批判的な意見も多かった、と、
何かのニュースで読んだ。

批判する人には、その人なりの理由があるのだろうが、
本人が喜んでいるのだから、赤の他人が水を差すこともなかろう、と思うのだが、
なにか一言いわないと気がおさまらない人が多いようだ。

私は、というと、オーディオに関しては、
スピーカーは新品を買ったほうがいいよ、とは思っている。

でも、現実はどうなのか。
冷静にみまわすほどに、予算に限りのある若い人に向って、
新品で揃えよう、とは言いにくくなる。

中古は、同じ製品であっても、状態はピンキリであったりする。
いいコンディションのモノにあたればいいが、
ひどいコンディションのモノに不幸にもあたってしまえば、
オーディオへの興味、関心が失せてしまうことだってあるのはわかっている。

中古を無責任にはすすめられない。
それでも、中古オーディオという選択肢を無視できるだろうか。

こんなことを考えることが、ここ数年あった。
それもあってKEFのModel 303を落札した。

40年前のスピーカーは、いま聴くとどうなのか。
そして、まだやっていないが、303にも手を加える予定でいる。

手を加えるつもりで落札している、といえる。
40年前の製品だから、メインテナンスも必要となる。

ならば積極的に手を加えよう、というわけだ。
ここでの手を加えるは、別項で書いているメリディアンの218への手の加え方とは違う。
ハンダゴテも使う。部品も交換する。

そうすることで、40年前のオーディオ機器がどこまで鳴ってくれるのか。
それを確認しておきたい。

Date: 11月 18th, 2019
Cate: ディスク/ブック

陰翳礼讃

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」こそ、
いまどきのオーディオマニア(あえて、こんな表現にしている)が読むべき一冊である。

Date: 11月 17th, 2019
Cate: ディスク/ブック

André Cluytens – Complete Mono Orchestral Recordings, 1943-1958(その1)

フォーレのレクィエムの名盤といえば、以前はクリュイタンス盤だった。
いまはどうなのだろうか。

クリュイタンスのフォーレのレクィエムには、モノーラル録音とステレオ録音とがある。
名盤としてよく知られているのはステレオ盤であるし、
私が初めて買ったフォーレのレクィエムも、クリュイタンスのステレオ盤だった。

いま聴いてもいい演奏だ。
でもしばらくして、音楽之友社がCDを独自に復刻するようになった。

セルの「エグモント」が出たし、その後にクリュイタンスのモノーラル盤が出た。
モノーラル盤のことは、黒田先生のレコード評で知っていた。

黒田先生はステレオ録音よりも、モノーラル録音のレクィエムをより高く評価されていた。
そのころから聴きたい、と思っていた。

でも音楽之友社が復刻するまで廃盤だった、と記憶している。
それからしばらくして東芝EMIからもモノーラル盤が出た。
さらにテスタメントからも復刻CDが出た。

たしか、黒田先生は、ステレオ盤でのクリュイタンスの演奏は、
音楽の身振りが大きくなっている──、
そういう趣旨のことを書かれていた、と記憶している。

ステレオ盤だけを聴いているときは、そうかな、と感じていた。
けれどモノーラル盤を聴いたあとに、ステレオ盤を聴くと、そう感じられる。

音楽の身振りが大きくなったことがよい方向に働く音楽もあるだろうが、
フォーレのレクィエムにおいて、
それはフォーレのレクィエムならではの色調を損うよう働くようにも聴ける。

いまモノーラル盤は、
André Cluytens – Complete Mono Orchestral Recordings, 1943-1958”で聴ける。
数年前に出たボックスのことを、いまごろ書いているのは、
さきほどe-onkyoを検索してみたら、あったからだ。

ここまで書けば気づかれる方もいるだろう。
MQAで、96kHz、24ビットで配信されている。

Date: 11月 17th, 2019
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その61)

オーディオの想像力の欠如した耳は、必要とされる音がわからないのかもしれない。