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Date: 9月 16th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その3)

2014年から六年後の2020年のいま、
ステレオサウンドの読者の年齢構成比は、
その経過した月日の分だけ、さらに高齢化が進んでいるはず──、
こんなことを、ここで書くつもりでいたし、
2014年以降、ステレオサウンド・メディアガイドは出ていないのか、
ステレオサウンドのサイトを明日になったら調べてみよう、と思っていた。

明日まわしにした私と違って、
すぐに2020年版が公開されている、とfacebookにコメントをされた人もいる。
stereosound_mediaguide_202007というファイルが、確かに公開されている。

毎年、出ていたのか、数年おきなのか、
こまかくチェックしていたわけでないでなんともいえないが、
おかげで2014年と2020年のステレオサウンド・メディアガイドを比較することができる。

二つを比較すると、基本的にはコピー・アンド・ペーストだとわかる。
変更点は、2014年版では190号の表紙が、2020年版では215号の表紙が使われていること、
価格が、2014年版では2,000円、2020年版では2,200円だけ、といっていい。

六年間の変化を、二つのメディアガイドから読みとることはできない。
読者プロフィールの欄も、
2014年版と2020版は、まったく同じである。

年齢構成比、職業、収入、住まい、システム総額、小誌購入の六項目の円グラフも、
2014年版のものを使いまわしている、といっていい。
何も変化がないのだ。

なんらかの方法で読者調査を行った結果が、まったくの変化なしだとすれば、
それはそれですごい、ということになるが、そんなことをあるわけないだろう、とまず思う。

小誌購入にしても、そうだ。
ステレオサウンドは電子書籍版も出している。
どのくらいの割合が紙のステレオサウンド、電子書籍のステレオサウンドなのかはわからないが、
少なくとも2014年と2020年では、その割合に変化はあるはずだ。

2014年、2020年、どちらにも、編集長からのメッセージがある。
     *
 オーディオの素晴らしさを読者にむけて発信し続けます。
「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」。これが創刊以来続く、ステレオサウンド誌の理念です。この理念の基、進化によって刻々と姿を変えていく最新オーディオの魅力、そして伝統を継承して輝き続ける本物のオーディオの素晴らしさを読者に向けて発信し続けます。オーディオ評論家諸氏の心のこもった文章と、製品の美しさをより引き立てる写真にどうぞご期待ください。充実の音楽欄もお忘れなく。
     *
まったくのコピー・アンド・ペーストで、こういう資料をつくっていながら、
この文章には《心のこもった文章》とある。

もっともオーディオ評論家諸氏とあるから、
ステレオサウンド編集部は違うということなのかもしれない。

そして、媒体効果(出稿のメリット)を読んでほしい。
     *
広告対象品としては、オーディオ、音楽ソフト関係製品のほか、高付加価値商品や伝統格式のる商品、デザイン性、実用性に優れた製品やサービスが効果的。例) クルマ、時計、カメラ、海外旅行、ブランド品など。
     *
《高付加価値商品や伝統格式のる商品》とある。
2014年版にも、そうあったので、その時から入力ミスだな、と気づいていた。

まぁ、でも、入力ミス、変換ミスに関しては私もそうとうなものだから、
この点に関しては触れないでいた。

でも、2020年版にも、そのまま《高付加価値商品や伝統格式のる商品》とある。
これが、ステレオサウンド・クォリティなのだろうか、とついいいたくなってしまう。

Date: 9月 15th, 2020
Cate: 世代

世代とオーディオ(OTOTEN 2019・その10)

2019年のOTOTENは、(その1)で書いているように、
日本オーディオ協会の理事長が、
「今月末のOTOTENでは、今までのオーディオマニアの方だけでなく、若い人達にも参加して欲しい」
と発言していた。

2020年のOTOTENは、コロナ禍で中止になった。
例年通り開催されていたら、
今年も若い人たちに参加してほしい、ということになったであろう。

昔は、若い人も読んでいたステレオサウンドは、
いまでは若い人は読まなくなった、といってもいいだろう。
そのことは、別項で書いているように、ステレオサウンド・メディアガイドでもわかる。

若い人がオーディオに関心を持たなくなった理由については、
これまでもいろいろいわれている。
どれが大きな理由なのか、はっきりとわかっている人は誰もいないようだ。

ただ、それらの理由の一つに、老害がある、という人たちがいる。
そういう人たちは、たいてい若い人たち、
若いオーディオマニアの人のようである。

若いといっても、10代ではなく、
おそらく20代後半以上のように感じている。

老害がない、とはいわない。
けれど、老害だけでなく、
実のところ、若いオーディオマニアの人たちの存在も、
オーディオに関心を持たない人たちをつくり出しているように思っている。

すべての若いオーディオマニアがそうだというわけでなはいないが、
一部の人たち(どのくらいの割合かはなんともいえない)のふるまいをみていて、
オーディオに少しでも興味を持ち始めていた人たちを、
遠ざけてしまっていることだってある、と確信している。

Date: 9月 15th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その2)

別項で何回か触れているstereosound_mediaguide_140401。
ステレオサウンドのウェブサイトで六年ほど前に公開されていたPDFのことである。

ファイル名にmediaguideとあるから、ステレオサウンド・メディアガイド(PDF)としよう。
いまは公開されていないようである。

ステレオサウンド・メディアガイド(PDF)は2ページだけの内容だが、
クライアント向けにつくられたことは、媒体プロフィールとして、
 ■創刊 1966 年11 月
 ■発売日 季刊:3月、6月、9月、12 月の上旬
 ■発行部数 5 万部
 ■判型 B5判/タテ組/右開き
 ■価格 2,000 円(税別)
以上のことがまずあり、
さらに広告料金表まで載っていることからも明らかである。

なぜこういうものを、読者の目にとまるところで公開していたのか、
いまも不思議でならない。
しばらくのあいだ公開されていたから、単純ミスによるものではないだろう。

リンクできるようにしていたので、ダウンロードされた人もいるはず。
私もダウンロードしている。

六年前のものとはいえ、読者プロフィールは興味深い。

年齢構成比、職業、収入、住まい、システム総額、小誌購入の六項目の円グラフがある。
この読者プロフィールのところには、こう書いてある。
     *
読者は40 歳から60 歳代の比較的年収の多いビジネスマンが中心。
持家率も高く、オーディオライフを機器だけではなく、部屋を含めた環境づくりとして大切に考える。購買意欲も高く、友人、知人にも大きな影響力を与えるマーケットリーダー的存在ともいえる。高付加価値商品への千里眼をもち、商品の歴史や伝統、デザイン、質感、実用性にもこだわりをもつ。
オーディオ以外の趣味には、クルマ、カメラ、時計、生演奏鑑賞、ホームシアター、パソコン、グルメ旅行、ワイン、などがある。
     *
私が、個人的に突っ込みたいのは《友人、知人にも大きな影響力を与えるマーケットリーダー的存在》、
《高付加価値商品への千里眼をもち》のところである。
ほんとうに、こういう人ならば、ステレオサウンドを読む必要はないはずである。

千里眼を持っているのだから。
(蛇足ながら付け加えておけば、ここでの発行部数は公称発行部数ということ)

それはともかくとして、年齢構成比を見てみよう。
 19才未満 2%
 20〜29才 3%
 30 〜39才 11%
 40〜49才 21%
 50〜59 才 26%
 60 〜61才 28%
 70〜79 才 7%
 80 才以上 2%

ステレオサウンド 47号(1978年夏号)の特集、
ベストバイの読者アンケートの結果である。
 10〜15才:5%
 16〜20才:15.7%
 21〜25才:28.9%
 26〜30才:29.4%
 31〜35才:9.6%
 36〜40才:5.7%
 41〜45才:3.9%
 46〜50才:1.9%
 51〜55才:1.1%
 56〜60才:0.5%
 61才以上:0.2%
 無記入:1.2%

調査方法の違いはあるとはいえ、この二つの結果は、まさに実情といえよう。

Date: 9月 14th, 2020
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その1)

1966年に創刊したステレオサウンドは、2016年に創刊50年を迎えた。
今年は2020年。六年後の2026年には創刊60年になる。

そのとき、いまのレギュラー筆者、
いいかたを変えれば、ベストバイ、ステレオサウンド・グランプリの選考委員の人たちは、
いったいいくつになっているのかを、ちょっと想像してみてほしい。

柳沢功力氏は88歳、傅 信幸氏は75歳、黛 健司氏は73歳、
三浦孝仁氏と小野寺弘滋氏が何年生れなのかははっきりと知らないが、
私よりも少しだけ上のはずだから、63歳よりも上になっている。

みな健在であれば、
六年後のベストバイ、ステレオサウンド・グランプリの選考委員をやっているはずだ。

私が最初に手にして読み始めたステレオサウンドは41号だから、
この時、菅野先生、長島先生、山中先生は44歳で、瀬川先生は41歳だった。

私は13歳で、それがいまでは57歳だから、みなそれだけ齢をとるわけだが、
それにしても41号のころのレギュラー筆者の平均年齢と、
いまのレギュラー筆者の平均年齢の差は、やはり大きすぎないだろうか。

だからといって、いまのレギュラー筆者(選考委員)は年寄りばかりで、
ダメだなんていうよりも、
このことを異状と感じてない人たち(つまりはステレオサウンドの読者)がいることこそ、
実のところ異状だといいたいのだ。

趣味の雑誌で、こういう例は他にあるのだろうか。

書き手の平均年齢が年々高くなっていく。
そのことを、記事の内容が円熟している、といいながら喜ぶのか。
それが当然のこと、と受け止めるのか、
それとも異状なこととして危機感を、どこかにもって読むのか。

Date: 9月 13th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その7)

インダクタンスが高くて、直流抵抗が低い──、
こう書いていて、そういえば、と思い出したのが、
真空管アンプ、それもかなり古いアンプに用いられていたグリッドチョークのことである。

ずっと昔の三極管はグリッド電流が多いという問題があった。
そのためグリッド抵抗よりも、直流抵抗が低くできるグリッドチョークが、
いわば必須といえた。

古典的といえる三極管を採用した、昔のアンプの回路図をみても、
真空管アンプの回路の歴史を解説した記事をみても、
グリッドチョークは必ず登場する。

けれどグリッドチョークの採用したアンプを、
私は聴いたことはない。

三極管でも、有名なウェスターン・エレクトリックの300Bは、
グリッド電流が少ないため、グリッドチョークではなく、
グリッド抵抗で、しかも高めの値で設計できる。

良質な抵抗とグリッドチョーク。
どちらが音がいいのかは、聴いたことがないからなんともいえない。

ただ、抵抗とチョークコイルとでは、
価格がずいぶん違うし、それ以上にスペースの違いの問題は、
アンプを自作するうえでは、このことは大きな違いとなってくる。

グリッドチョークの真空管アンプは、自作する以外に、
これからも聴く機会はないだろう。

それでも今回の実験で、グリッドチョークへの関心は急速に増しているし、
それだけでなく、スピーカーユニットに対してのグリッドチョークの応用も考えている。

Date: 9月 13th, 2020
Cate: ディスク/ブック

BEETHOVEN Complete Piano Sonatas · Diabelli Variations / Barenboim

ダニエル・バレンボイムのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集が、
10月30日、ドイツ・グラモフォンから出る。

バレンボイムのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、これで四度目である。
前回はデッカから14年前に出ている。

たしかブレンデルが三回録音していたと記憶しているが、
それでもすごいことだと思っていたが、
バレンボイムはそれをこえている。

今後、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を四回も録音する演奏家は、
登場しないのではないか。

少なくともバレンボイムに匹敵するピアニストということになると、
少なくとも私が生きているうちにはないだろう。

バレンボイムは、今年の11月で78歳になる。
バレンボイムの音楽活動を見ていると、
この人は、あと20年くらい現役のままなのではないか、と思うことがある。

仮にあと20年、バレンボイムが現役のピアニストだったとしたら、
五度目の全集録音が現実となるかもしれない。
というよりも、可能性は、けっこう高いと思っている。

いままでバレンボイムのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集には、さほど興味を持てなかった。
これといった理由があったわけではないが、なんとなく遠ざけてきていた。

三度目の全集だったら、そのまま聴かずにすましていたことだろう。
けれど、四度目となると、なぜ、そこまで、という興味がわいてくる。

それに、MQAでもリリースされるのではないか、という期待もある。
MQAだったら、まちがいなく聴く。

通常のCDであっても、おそらく聴くと思う。
五度目を期待しているから、である。

Date: 9月 12th, 2020
Cate: audio wednesday

audio wednesday (今後の予定)

先週、audio wednesdayの、残り四回のおおまかな予定を公開した。

10月は野上眞宏さんと赤塚りえ子さん、二人のDJによるmusic wednesday、
12月は、ベートーヴェン生誕250年なので、ベートーヴェンばかりをかけるつもりでいる。

11月は先週の時点では未定だったが、
さきほどユニバーサルミュージックのサイトをみていて、
今年はBird 100なのを知った。

チャーリー・パーカー生誕100年である。
なので11月は、チャーリー・パーカーを中心にかけていこう、と考えている。

e-onkyoをみると、3タイトル、MQAになっている。
April In Paris: The Genius Of Charlie Parker」、
Night And Day: The Genius Of Charlie Parker」、
Collectors’ Items」、
いずれも192kHz、24ビットである。

私がもっていくのは、これだけの予定である。
あとは来られる方におまかせする。

Date: 9月 12th, 2020
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その24)

「七色いんこ」の主人公、七色いんこは、代役専門である。
著名な役者(しかも老若男女関係なく)の代役も完璧にこなすほどで、
天才的代役専門の役者という設定。

「七色いんこ」の連載期間は、一年ちょっとだった。
それほど人気を集めていたわけでもなかったのだろう。

それでも「七色いんこ」の三十年後を描いた作品が、
別の作者によって描かれているし、二回舞台にもなっていることが、
検索してみるとわかることから、評価は低くなかったようにも思う。

「七色いんこ」が連載されているころ、
すでにオーディオにどっぷりはまっていた。

それに、そのころはスピーカーを擬人化して捉えることを頻繁にやっていた。
でも、当時は、スピーカーを役者として捉えることはしていなかった。

もしそうしていたら、「七色いんこ」の捉え方も、ずいぶん違ったものになってきただろう。

代役専門の役者という設定が、
いかにも、ある種のスピーカーシステム的だと思うからだ。

あらゆる色づけを排し、高忠実度をめざして開発されていったスピーカーは、
ある意味、代役専門の役者的ではないだろうか。

七色いんこは、代役を、ほぼ完璧にこなす。
それは誰かの演技を、ほぼ完璧にコピーしているから、ともいえる。

Date: 9月 12th, 2020
Cate: audio wednesday

audio wednesday (first decade)…

6月に「audio wednesday (first decade)」を書いたのは、
喫茶茶会記が、いまの場所からの立ち退きが決っていたからである。
ビルの建て替えによる退去である。

今年の12月いっぱいで、いまの場所での営業は終る。
しばらく内密にしてほしい、ということだったので、それ以上のことは書かなかった。

facebookで、店主の福地さんが、移転のことをさらっと触れられていた。
移転先のことを書きたいところだが、実はまだ決っていない。

浅草橋にいい物件があって、決りかけていたのだが、
そこも建て替えする、ということに急になってしまった。
しかもいまの場所も、浅草橋のところも、
同じ最大手不動産会社による、いわば地上げである。

喫茶茶会記のようなスペースは、都内にはなかなかない、と思う。
喫茶室の奥に、イベントが行えるスペースがある。
しかも音も自由に出せる。

東京だから、予算に限度がなければ物件は見つかるだろう。
実際は、そうではない。

来年も喫茶茶会記はある(はずだ)。
けれど、いままでと同じようにaudio wednesdayがやれるかどうかは、
いまのところなんともいえない。

喫茶茶会記の、四谷三丁目での営業は年内いっぱいの予定だ。
けれど福地さんに無理をきいてもらって、
2021年の1月のaudio wednesdayはやらせてもらえる。

あと四回を残すのみ。

Date: 9月 12th, 2020
Cate: トランス, フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(パワーアンプは真空管で・その6)

今回の実験に、私は手持ちのタムラのA8713を使っただけであって、
このトランスが最適というわけではない。

これからいろいろ条件を変えて試聴してみたいなことにははっきりしたことはいえないが、
おそらくインダクタンスが高く、直流抵抗が低い巻線をもつモノが、
よりいい結果につながっていくように感じている。

とりあえず試してみたい人は、
MC型カートリッジの昇圧トランスを使うのがいい。

このブログを読んでいる人のほとんどが、
昇圧トランスは何か一つ持っている、と思う。

この昇圧トランスの二次側の巻線を利用すればいい。
試してみて、なにか感じるものがあったならば、それから先は、
他のトランスを買ってきて試してみればいい。

なにがいいだろうか、と探していたら、
染谷電子のトランスが、なかなかいいように思っている。

真空管アンプ用のドライバートランス、インプットトランス、ライントランスなどだけでなく、
オーディオ用チョークコイルもある。

しかもインダクタンス、直流抵抗などのスペックもきちんと記載されている。

Date: 9月 12th, 2020
Cate: 境界線

感動における境界線(その3)

ずっと以前は、クラシックのコンサートとロック・ポップスのコンサートの違いは、
PAを使うのか使わないのか,ぐらいだったのではないだろうか。

それがいつのころからか、
ロック・ポップスの、非常に人気のある人、グループのコンサートは、
エンターテイメントの追求からなのか、
大型のテーマパークのような印象を受ける。

そういう人たちのライヴをおさめたものが、Netflixで公開されているのをみていると、
私がずっと以前に数回程度行ったことのあるロック・ポップスのコンサートとは、
もうべつもののようである。

こういう、ハリウッドの超大作的規模のコンサートは、
当然数万人という観客を集めなけれはならないだろうし、
コロナ禍以降、どう変化していくのかなんともいえないが、
こういうテーマパーク的、ハリウッドの超大作的コンサートを画面越しに眺めていると、
すごいな、と思う一方で、最後までみるのがしんどく感じることもあったりする。

コンサート会場にいれば、また感じ方は違ってくるのか。
同じ画面越しであっても、本格的なホームシアターでみるのであれば、
最後まですんなりみて楽しめるのか。

そんなことを考えるよりも、そこで感動を受けた、という人はいるはずであって、
でも、そこでの感動は、もしかすると装飾された感動ではないのか、と思ってしまう。

Date: 9月 11th, 2020
Cate: 映画

メイド・イン・ヘブン

「メイド・イン・ヘブン」(原題:Made in Heaven)は、
1987年の映画で、ティモシー・ハットン、ケリー・マクギリスらが出ている。

好きな映画であり、もう一度観たい、と思っていても、
アメリカではDVDで出ているが、日本ではDVDになっていない。

Netflix、Amazon Prime Videoにもない。

「メイド・イン・ヘブン」は、天国で出逢った男女が生れ変るストーリーである。
こういう内容を鼻からバカにする人もいるようだが、
そういう人に無理にすすめる気はまったくない。

大ヒット作でもないし、ものすごい名作ともいえない。
そんな映画なのに、このごろもう一度みたい、と思うことが多くなった。

みたい、と思うから、ここでも書いてしまっている。

ティモシー・ハットン演ずる主人公が、
終盤で老夫婦と食事を共にするシーンがある。

主人公は、食事をする金にも事欠いている。
だから、あるいいわけをする。

老夫婦は、それがお金がないことのいいわけだと、わかっている。
主人公と同じいいわけを、私も若いころ、何度使っている。

お金がない、と素直にいえなかったからだ。
同じいいわけをしたことがある、という人は、私だけではない、とおもう。

五味先生は、オーディオ愛好家の五条件として、
金のない口惜しさを痛感していることを、その一つにあげられている。

「メイド・イン・ヘブン」を観た時はそうではなかったけれど、
観ていて、お金のない切なさを思い出していた。

このシーンをみても、何も感じない人がいるかもしれない。
それはシアワセなことであろう。
けれどオーディオマニアとしては、しあわせだろうか。

Date: 9月 10th, 2020
Cate: オーディオ評論,

オーディオ評論家の「役目」、そして「役割」(賞について・その4)

一冊のオーディオ雑誌に、複数の記事が載る。
世の中には、複数のオーディオ雑誌がある。

一年間で、何本の記事がオーディオ雑誌に載ることになるのだろうか。
数えたことはないけれど、かなりの数であり、
いまではインターネットで公開される記事もあるから、そうとうな数になる。

いまもだが、昔も、掲載(公開)された記事を検証する記事はあっただろうか。
これまでさまざまな記事があったが、
オーディオ雑誌にないものとは、記事の検証記事ではないだろうか。

なにもすべての記事を検証すべきとは思っていない。
それでも、なかには検証したほうがいいのでは? とか、
検証すべきではないのか、と思う記事がある。

記事もだけれど、オーディオ機器の評価に関しても、
このオーディオ機器の評価は検証したほうがいいのでは?、
そう思うことがなかったわけではない。

賞は、実のところ、検証の意味あいを担っているのではないだろうか。

一年間に、けっこうな数の新製品が登場する。
それらが新製品紹介の記事や、特集記事で取り上げられる。

新製品の記事で、その新製品を紹介するのは、
ステレオサウンドの場合は一人である。

以前は、井上先生と山中先生が、新製品紹介の記事を担当されていて、
海外製品は山中先生、国内製品は井上先生という基本的な分け方はあっても、
注目を集めそうな新製品に関しては、対談による評価だった。

一年のあいだに、ある製品について何かを書いている人というのは、意外に少ない。
個人的に関心の高い新製品を、この人はこんな評価だったけれど、
あの人はどうなんだろうか、と知りたくても、載っていないものは読めない。

そういうもどかしさは、熱心に読めば読むほど募ってくる。

Date: 9月 10th, 2020
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(情報量・その10)

オーディオについて、けっこう知識を持っている人は少なくない。
でも、そんな人と話していると、「この人は知識過剰だな」と感じることがある。

知識量が豊富だから、そんなふうに感じるとはかぎらない。
同じくらいの知識量をもっていると思われる別のオーディオマニアと話していると、
そんなふうに感じないことがあるからだ。

もちろん、二人のオーディオマニアの、本当の知識量が正確に把握できているわけではない。
話していることから、なんとなく感じているだけのことなのだが、
それでも、「この人も知識過剰だな」と感じることがあるのは、なぜなのだろうか。

知識量が同じでも、知識の質が違うから、そう感じるのではないように思う。
オーディオの経験量と知識量のバランスがとれていないから、そう感じるのだろうとは思っている。
知識過剰と感じさせる人は、結局、器が小さいのだろう。

と同時に、知識過剰だな、と感じさせる人は、どちらかといえば攻撃的なのではないだろうか。
面と向かって話している時はそうではなくても、
インターネットを介しての、顔をみえない、名前もわからない状況下だと、
やたら攻撃的な人がいるけれど、そういう人は知識過剰なのかもしれない。

といっても、インターネット上で攻撃的な人が、どんな人なのかは、
パソコン、スマートフォンの画面越しではなにひとつわかっていない。
なので、私の勝手な想像でしかないのだが、それでも、そういう人のものの言い方をながめていると、
知識過剰なのかも……、と感じてしまう。

そう感じてしまうのは、実際に、そういう人を知っているからである。
誰なのか特定できるような書き方はしたくないが、
その人は知識量は豊富である。

いろんなオーディオ機器を手に入れている。
SNSでも、多くのオーディオマニアとのつながっているし、
つながることにとても積極的である。

いまどきの、熱心なオーディオマニアと、多くの人の目には映るであろう。
SNSでも書き込みも、多くは常識的な範囲のことが多いのだが、
ふとしたきっかけで、非常に攻撃的な書き込みをするのを、何度か見たことがある。

豹変するとまではいかないものの、
この人には、こんな側面があったのか、と少々驚くほどではある。

Date: 9月 10th, 2020
Cate: スピーカーとのつきあい

複数のスピーカーシステムを鳴らすということ(その23)

スタニスフラフスキー・システムのことを書こう、とは、五年以上前から思っていた。
けれど、スタニスフラフスキー・システムという言葉を正確に思い出せなかった。

「七色いんこ」で、スタニスフラフスキー・システムが登場したエピソードでは、
主人公の七色いんこという代役専門の役者が、自分の演技の限界について悩む、という内容だった。

そこでスタニスフラフスキー・システムのことが語られていた。
当時、そういうのがあるのか、ぐらいの関心だった。

それにそれ以上調べるには、演技関係の書籍に頼るしかない。
インターネットで調べるなんてなかった時代である。

結局、そんなシステムがあるんだ、ぐらいのままで、終っていた。
なので、この項を書いていて、そういえば、と思い出しても、
スタニスフラフスキー・システムの名称が正確に思い出せないままだった。

スタニスフラフスキー・システムにからめて続きを書いていこう、と考えていても、
肝心のスタニスフラフスキー・システムが正確に思い出せないまま数年が経ってしまった。

つい最近、まったく違うことからの偶然で、
スタニスフラフスキー・システムに、ふたたび出合った。

そうだそうだ、スタニスフラフスキー・システムだ、と、
30数年ぶりに、スタニスフラフスキー・システムについて調べることもできた。

調べるといっても、インターネットで検索するぐらいで、
演技の専門書をひもといて、というわけではない。

それでもスタニスフラフスキー・システムについて、概略程度を知るだけでも、
スピーカーという存在は、役者と捉えてもいいという考えは、
案外的を射ているのではないか、と思ったし、
スピーカーシステムには、スピーカーシステムの鳴らし方には、
スタニスフラフスキー・システム的といえるものと、そうでないものがある──、
そう感じるようにもなってきている。

同時に、そのスピーカーの鳴らし手であるオーディオマニアは、
演出家なのか、という考えもできる。