私は、マリア・カラス(追補)
2018年12月に公開された映画「私は、マリア・カラス(MARIA BY CALLAS)」。
DVDは2019年9月に発売になっている。
今日からAmazon Prime Videoでの配信が始まった。
2018年12月に公開された映画「私は、マリア・カラス(MARIA BY CALLAS)」。
DVDは2019年9月に発売になっている。
今日からAmazon Prime Videoでの配信が始まった。
TIDALのアカウントは問題なく作れた。
それでもiPhoneにTIDALのアプリをインストールすることは、
日本からだとできないわけではないようだが、手間がかかる。
やろうかな、と思ってみたけれど、
iPhone 12 ProにAmarra Playというアプリをインストールしていたことを思い出した。
iPhone単体でMQA再生を行えるのは、いまのところ、このアプリぐらいである。
Amarra Playは無料で使えるが、MQA再生には課金(860円)が必要になる。
iPhone単体でのMQA再生、
iPhoneにイヤフォンを挿してMQA再生をしようとは、これまで思っていなかった。
なのでこれまで課金することなく、数回試用(他のアプリとの比較)しただけだった。
TIDALのアカウントを作ってから思い出した。
課金することで、MQA再生が可能になるだけでなく、
TIDAL、Qobuzのサービスも利用できるようになる。
なのでさっそく課金した。
Amarra PlayのMQAは、96kHzまでのコアデコードである。
それでも聴いてみれば、MQAの良さが伝わってくる。
MQA対応のポータブルD/Aコンバーターは、すでにある。
オーディオクエストのDragonflyがある。
興味がないわけではないが、それでもDragonflyを使うには、
Lightning-USBカメラアダプタが必要になる。
Lightning-USBカメラアダプタは持っているけれど、
これとDragonflyをもって外出するかといえば、私はしない。
イヤフォンだけ、つまりiPhone単体でMQA再生できるのであれば、それでいい。
Amarra Playはぴったりのアプリといえる。
しかもTIDALのサービスも使えるようになった。
iPhoneのイヤフォンの組合せで音を追求するのであれば、
オーディオクエストのDragonflyということになるだろうが、
私はいまのところiPhoneとイヤフォンだけの組合せで、いい。
聴いていると、じんわりとすごい時代になった、と実感できる。
半年ほど前、ソニークラシカルから1994年ごろに発売になっていたCDボックスを買った。
中古である。
CDボックスといっても、単売されていたCDを五枚をまとめたものだから、
ボックスには、五枚分のCDケースが入っている。
しかもそれぞれのディスクがパッケージされている。
二十数年前のCDボックスにも関らず、
開封されていたのは一枚だけだった。
残り四枚は封が切られてなかった。
このカザルスのCDボックスを最初に購入した人は、どういう聴き方をしていたのだろうか。
五枚すべてを、買った当初は聴くつもりだったはずだ。
けれど、一枚だけで終ってしまっている。
人にはいろんな事情があるから、あれこれ詮索したところで、
ほんとうのところが、まったく見知らぬ人についてわかるわけなどない。
私としては、新品同様に近いカザルスのCDボックスが格安で買えたわけで、
前の所有者が封も切らなかったことを喜んでもいいわけだ。
これはそんなに珍しいことではない。
クラシックのCDボックスを購入した人には、わりとあることのはずだ。
しかも、いまのCDボックスは、もっと枚数が多い。
しかも価格も安い。一度に複数のCDボックスを購入することもある。
昔は店に行って買っていたから、荷物になるから、と控えることもあっただろうが、
インターネットの通信販売を利用すれば、そんなことを気にする必要はない。
一度に複数のCDボックスを注文したことのある人は、けっこう多いと思う。
それだけの枚数のCDが届けば、それなりの満足(満腹)感が得られるだろう。
どんなに空腹であっても、目の前に一度では食べきれない量の料理を出されたら──。
いまだ封すら切っていないCDボックスが、目の前に積み上げられていく。
その人は、ディスクの購入者ではある。
けれど音楽を聴く権利を行使しないままでいるということは、
どこまでいっても、ディスクの購入者(所有者)でしかなく、
音楽の聴き手とはいえない。
オーディオマニアのなかには、パッケージメディア、
つまりアナログディスク、CD、ミュージックテープなどといった購入したメディアでのみ、
音楽を聴くことにこだわる人がいる。
そういう人は、パソコンやiPhoneなどで音楽を聴くことは視界にすら入っていないのだろう。
趣味の世界ととらえれば、それはそれでいい。
けれど、これだけネットワークが普及して、
音楽を聴くために必要なことがずいぶん変化してきた時代において思うのは、
ここで何度も引用していることである。
黒田先生の「聴こえるものの彼方へ」のなかの
「ききたいレコードはやまほどあるが、一度にきけるのは一枚のレコード」に、
フィリップス・インターナショナルの副社長の話だ。
*
ディスク、つまり円盤になっているレコードの将来についてどう思いますか? とたずねたところ、彼はこたえて、こういった──そのようなことは考えたこともない、なぜならわが社は音楽を売る会社で、ディスクという物を売る会社ではないからだ。なるほどなあ、と思った。そのなるほどなあには、さまざまなおもいがこめられていたのだが、いわれてみればもっともなことだ。
*
レコード(録音物)でも本でもいいのだが、
それを購入した人は、ディスクというモノ、紙の本というモノを所有していることになる。
けれど、それらを聴かず読まずであれば、どうだろうか。
そのディスクにおさめられている音楽、その本におさめられている小説、論文などを、
自分のものにした、とはいえない。
つまりディスクや本を買ったということは、そのディスク、本におさられている内容を、
聴いたり読んだりする権利を買ったわけで、その権利を行使するかのか、
それとも買っただけで、いわゆるツンドクのままにしておくのか。
そんなふうに考えていくと、レコード会社も出版社も、
ディスクや本といった物を売る会社ではなく、聴いたり読んだりする権利を売る会社といえる。
もっといえば、聴いたり読んだりする機会を売る会社でもある。
クラシックでは、CDボックスが、どのレコード会社からも毎月のように発売になる。
それらの多くは、CD一枚あたり数百円か、それ以下の価格で売られる。
なので、つい購入する。
購入すれば、一度十枚、二十枚、それ以上のCDが手元に来る。
一度にそれだけのCDが届いたからといって、それらをすべて聴くとはかぎらない。
MQAのエヴァンジェリストを名乗るのであれば、TIDALを無視できない。
TIDALについては、オーディオマニアならばどこかできいたりみたりしているだろうし、
すでに始めている人もいる。検索すれば、いくつもの記事が表示される。
説明はばっさり省く。
TIDALのサービスは、日本では始まっていない。
いつ始まるのかのアナウンスすらない。
「TIDAL 日本」で検索すれば、日本からでもサービスを利用する方法がわかる。
けれど、Windowsでのやり方のみである。
Macの場合、Apple IDとの関係で難しい、とある。
TIDALを使いたい、けれどWindowsは持っていない。
どうするか。
MacのBootCamp機能を使ってWindowsで起動するか。
それにはWindows OSを入手しなければならない。
もしくは格安のWindows機を購入してやるか。
あとはWindowsを使っている友人に頼むか。
けれど、Macだけでやれそうな気がした。
さっき試したら、すんなりできた。
あっけなかった。
もちろん、そのままだったらTIDALに拒否される。
VPNを使うこと、それからSafariでユーザエージェント機能を使うことである。
どちらも無料でできる。
手間もかからない。拍子抜けするほどだった。
X-SPDIF2は昨晩注文したばかりなので、まだ手元には届いていない。
数日から一週間ほどかかるそうだ。
中国からの購入、ということで、ここでも躊躇う人はいよう。
支払いはPayPalで行った。
PayPalの登録を含めて、すべてiPhoneから行った。特に難しいことはなく、すんなりできた。
まだ使っていない、つまり実物を見ていないけれど、
写真どおりのモノであれば、文句はない。
X-SPDIF2を三万円ほどで購入できたということは、
先日ヤフオク!で落札したMac mini(Late 2014)も、ほぼ同じくらいだったし、
その前に購入したネットギアのNighthawk Pro Gaming SX10もそうだ。
十万円ほどで、いわばトランスポートに相当するモノを集められた。
Mac mini(Late 2014)+Nighthawk Pro Gaming SX10+X-SPDIF2で構成する
デジタルトランスポート。
価格的にもサイズ的にも、メリディアンの218とのバランスがとれている、と思っている。
実験として、218と不釣合いな高価格のトランスポートをもってきて、
218の実力の限界は、どのあたりなのかを試してみるのは興味があるし、面白いとは思う。
けれど自分の環境において、それをやる気はない。
あくまでも218との組合せを、バランス良く構築したいのであって、
そのルール(制約)のなかで、あれこれ楽しみたいのである。
X-SPDIF2は、間に合えば12月のaudio wednesdayに持っていくつもりだ。
中国製というだけで、使うのを躊躇う人は、いまでもけっこういるであろう。
十年くらい前だったか、
ある人が中国製の格安のUSBメモリーを購入した。
パソコンに接続しても認識しない。
どうやってもダメで、格安だったこともあって、バラしてみたら、中はカラッポだった。
そんなことをtwitterで見たことがある。
同じくらいの時期に、中国のオーディオメーカーのアンプで、
真空管を使っているものがあった。
けれど、この真空管は単なる飾りで、ヒーターを点火しているだけだった。
それ以外の配線はまったくなされていない。
増幅はOPアンプで行っている、というシロモノだった。
そのころは、私も中国製のオーディオ機器に、いい印象は持っていなかった。
けれど、ここ数年、そのころとは大きく変ってきた、という印象をもつようになった。
AliExpressを眺めていると、
アメリカ、ヨーロッパのオーディオメーカーのアンプやスピーカーを模倣したものが、
こんな値段で? と驚くほど格安で並んでいる。
でもそれだけでなく、いくつかのオーディオメーカーを見つけることもでき、
値段の安さもあって、使ってみようか、と思わせるモノが確実に増えてきている。
昨年、初めて中国のオーディオメーカーの製品を買ってみた。
FX-AUDIOのFX-D03J+である。
四千円ほどの安価なD/Dコンバーター。
けれど手を加えていくと、あなどれない。
四千円で、これだけのモノが買えるのか、という事実に、
いい時代になったぁ、と素直に喜んでいいのか、と悩むところもある。
今回、購入したMatrix AudioのX-SPDIF2は、四万円前後で入手できる。
メーカーから直接購入できるし、
日本のamazonからでも購入できる。
AliExpressからでも買える。
amazonで買おうかな、と思ったが、
検索してみると、SHENZHENAUDIOでも購入できる。
なぜだか、Matrix Audioから購入するよりも安い。
二週間ほどの特別価格のようだ。
33,048円で購入できた。しかも送料無料である。
218を使っているのだから、
D/Dコンバーターの第一候補として考えているのは、
やはり同じメリディアンの210 Streamerである。
なのだが、いまだ輸入されていない。
発表になって一年以上経つが、輸入元がオンキヨーになってしまったことが禍して、だ。
210に関しては、実際に使ってみて確認したいことが、いくつかある。
私の英語の読解力が足りないせいもあるのだが、
メリディアンのサイトで、210のページを読んでも、
私が確認したいことができるのかどうか、いまひとつはっきりしない。
なので210に関しては、保留という態度である。
そうなると、218の相棒としてのD/Dコンバーターを、なんとかしたい。
いま使っているのは、すでに書いているようにFX-AUDIOのFX-D03J+。
これも書いていることなのだが、コネクター部にガタがきている。
それにD/Dコンバーターも、グレードアップしたい、という気持も強くなってきた。
私が求めるD/Dコンバーターの条件の一つに、iOSで使えることがある。
これが意外に少ない。
いろんなD/Dコンバーターの製品説明をみてきたが、
Androidのスマートフォンには対応を謳っていても、
iOSに関しては何の記述もない製品が多い。
試してみれば動作するのかもしれないが、はっきりしたことはわからない。
iOS対応を謳っていて、手頃な価格で、218と組み合わせて大きさもバランスがとれるモノ。
結局、何を選んだかというと、
Matrix AudioのX-SPDIF2である。
中国のメーカーのD/Dコンバーターである。
コンサートホールは、音楽が生まれる場である。
もっといえば音楽が生まれる現場である。
録音スタジオもそうである。
コンサートホール、録音スタジオで生まれた音楽をマイクロフォンがとらえ、
なんらかの媒体に記録(録音)される。
その音楽を、聴き手は自分の部屋で、自分のシステムで再生する。
ということは、リスニングルームは音楽を再生する場なのか、と思うのだが、
生まれたものはすべて死んでいくのだから、
リスニングルームは、音楽が死んでいく場である。
コンサートホールでも、録音スタジオでも、そこで生まれた音楽は、
そのままそこに残っているわけではない。
自然と消えてゆく。
それは音楽の死ととらえるか、ただ消えていった、ととらえるか。
リスニングルームでの音楽も消えてゆくだけではないか。
そうとらえてもかまわない。
けれど、私はリスニングルームは、音楽が死んでゆく場、
死んでゆく現場だととらえる。
一ヵ月ほど前に、映画「テネット」の音について書いた。
こんな記事があるのを見つけた。
「クリストファーノーラン、音がうるさすぎてセリフが聞こえないと文句を言われショックを受ける」
ノーラン監督がショックをうけたのは、
《人々がサウンドに関してはこんなにも保守的なのかということに気付いて》である。
「テネット」のサウンドに関しては、《急進的なミックス》ともいっている。
この記事を公開しているシネマトゥデイのサイトで、
「テネット」の音に関しての記事が、もう一本あった。
「『TENET テネット』音楽にノーラン監督の呼吸音を使用」
「テネット」の音楽を手がけているのは、ルートヴィッヒ・ヨーランソン。
シネマトゥデイの記事では、
「今回のスコアの大部分は、何の音かいまいちわからないギター音や周囲音だったりする。人の呼吸音なども使っているんだ。これはクリストファー(・ノーラン監督)が考えついた案で、クリストファーが自らマイクに吹き込んでくれた呼吸音を細工して、不快な音に仕上げているよ」
とある。
結果として仕上がった音に、ノーラン監督は、
《音色そのものが映画のDNAに織り込まれているかのよう》と語っている。
音色とあるが、私が映画館で体験できたのは、音触といいたいものだった。
大塚久美子氏の経営手腕については、
かなりの人がさまざまなことを書いている。
すべてを読んでいるわけではない。
検索してまで、すべてを読むようなことはしていない。
目に入ってきた記事だけを読んできたわけだが、
それらのなかには、大塚久美子氏が家具が好きではないことに触れていた記事は一本もなかった。
そういうことは、経営について記事を書く人にとってはどうでもいいことなのだろうか。
私は経営の専門家ではないから、大塚久美子氏が家具が好きではないことが気になっていた。
すべての会社のトップが、その会社が扱っているものを好きなわけではないはずだ。
経営手腕が優れていれば、会社のトップとしてやっていけるものだろう。
それでも業種によっては、扱っているものへの感情は無視できないのかもしれない。
五年前、近くにいた大塚家具の社員の数人は、みな家具好きのようだった。
当時の大塚家具の社員みなが家具好きなのかどうかまではわからない。
けれど現場に出向いて仕事をしている社員の人たちは、家具好きなようである。
彼らはその後、どうしたのかは知らない。
大塚勝久氏があらたに創業した会社に移ったのかもしれない。
それとも別の会社に転職したかもしれない。
少なくとも、あのまま大塚家具で仕事をしているとは考えにくい。
大塚久美子氏が家具好きな人であったら、大塚家具の現状は大きく違っていたのか。
経営手腕が同じならば、そうかもしれないと思うし、
それでもダメだったのかもしれないが、どうなっていたであろうか。
大塚家具をみていると、オーディオの会社はどうだろう、とやはり思ってしまう。
今年は、特にそう思っていた。
すこし前に、大塚家具の大塚久美子社長が辞任する、というニュースがあった。
五年前の3月、大塚家具の株主総会があった日に、
たまたまなのだが、大塚家具の社員数人が近くにいた。
彼らは仕事中でも、携帯電話をしきりにみていた。
株主総会の行方が気になってのことだった。
結果が出て、彼らはみな驚いていた。
彼らは大塚勝久氏が勝つものだと信じていたようだった。
なので、これからどうなるんだろうか……、と不安顔でもあったし、
次の言葉が印象に残っている。
「久美ちゃん、家具、好きじゃないからなぁ……」
そう言っていた大塚家具の社員は、みた感じ30代ぐらいの女性だった。
大塚久美子氏は、五年前の時点では、社員から久美ちゃんと呼ばれていたようだ。
家具が好きじゃない人が、家具会社の社長になる。
このことを、ある人に話したところ、
その人は、
「大塚久美子氏は一橋大学を出て、MBAも持っている。これからの大塚家具は、だから伸びていく」、
自信満々で、私にそう言った。
そういうものだろうか、と思いながらきいていたけれど、
反論する気はなかった。
その人は、自分が正しい、といわんばかりだった。
その人の予想が外れたことはどうでもいいことであって、
家具が好きでない人が会社のトップに就く。
このことがあったから、五年前から、大塚家具のゆくえが気になっていた。
昨晩『「三島由紀夫の死」から50年』を公開したあとで、
気づいたことがある。
いまごろなのか、と自分でも呆れ気味ではあったが、
それでも気づいたことがある。
マンガもそうだった。
私がマンガに夢中になっていたころ第一線で活躍していたマンガ家たち、
手塚治虫を筆頭に、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄、水島新司、
ここで名を挙げた人たちはみな戦争を体験している。
戦後生れのマンガ家ももちろん大勢いて、活躍していた。
戦前生れのマンガ家も第一線にいた、というより、
この人たちがまさしく第一線だった。
オーディオ評論家も、私にとってはそうである。
私がオーディオ評論に夢中になっていたころ第一線で活躍していたオーディオ評論家たち、
みな戦争を体験している。
いまのオーディオ評論家はどうだろう。
柳沢功力氏は戦前の生れなのだが、ほかの人たちとなると、
みな戦後の生れである。
読み手側はどうだろうか。
ステレオサウンドの読者は高齢化していることは、
ステレオサウンドが発表している資料からもわかる。
今年(2020年)は、戦後75年。
75歳以上の読者となると、高齢化しているとはいえそう多くはないはず。
ステレオサウンドの読者ですら、戦後生れが大半となっている。
こういうことを書いている私も戦後生れだ。
ただ戦後生れでも、親が戦後生れなのかどうかは、どこかで関係しているのではないだろうか。
私の父と母は戦前生れだから、戦争を体験している。
私の場合、戦前生れの両親をもち、戦争を体験してきた人たちの書いてきたものを、
熱心に読んでいたわけだ。
戦後生れの両親のもとで、
戦後生れの人たちの書いてきているものをリアルタイムに読んできた世代も、
いまではけっこういるであろう。
世代の分断とは、こういうところが意外なところで関係しているような気がしてきている。
2019年夏、
ジャクリーヌ・デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲がMQA-CDで出た。
もちろん購入した。
このディスクは、
2011年に行われた96kHz、24ビットのマスターを、
176.4kHZ、24ビットに変換されたものが収録されている。
今年は、バルビローリ没後50年にあたり、
夏に“SIR JOHN BARBIROLLI THE COMPLETE WANER RECORDINGD”が出た。
109枚組である。
いうまでもなくデュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲の指揮者は、バルビローリである。
この全集は、MQA Studioの192kHz、24ビットで、一枚ずつ配信が始まっている。
デュ=プレのエルガーのチェロ協奏曲の、その一枚としての配信である。
なので当然MQA Studioのはずである。
ワーナーミュージックのサイトには,
11月27日に配信されるのは、96kHz、24ビットでの、2020年のマスターとある。
全集CDは、192kHz、24ビットでリマスターされている。
ということは、192kHzで配信されるのか。
96kHzでも192kHzでも、どちらであっても買う。
2011年と2020年のリマスター、大きな差はないように思っているが、
こればかりは聴いてみないことにはわからない。
2016年のaudio wednesdayから音を鳴らすようになった。
2017年10月のaudio wednesdayで、アルテックの2ウェイ+グッドマンのDLM2という構成から、
アルテックの2ウェイ+JBLの075という構成へと変った。
高音域が、そのことによって拡がった(ワイドレンジになった)とはいえないが、
「いろ(ジャズ)」のワイドレンジに向った。
2020年7月のaudio wednesdayから、タンノイのコーネッタを鳴らしている。
ユニットはHPD295Aだから、ワイドレンジとはいえないが、
かといってナロウレンジのユニットでもない。
良質のトゥイーターを、ほんのちょっとだけ、かなり上の帯域でつけ足したい気持もあるが、
どのトゥイーターをもってきたとしても、
コーネッタのエンクロージュアの上において、しっくりおさまるかということになると、
まったく思えない。
音的にはうまくいくだろうが、見た目が……、となることだろう。
コーネッタは、いまの尺度からすれば、もうナロウレンジになるであろう。
それでも「かたち(クラシック)」のワイドレンジということでは、
ナロウレンジではない、とはっきりといえる。