毎日書くということ(本音を失っているのか・その6)
よく汲みだす井戸の水は澄んでいる、という。
本音も同じだろう。
本音を押え付けたり、無視したりしているうちに、
書き手という井戸のなかの水(本音)は、いつのまにか澱んでしまった。
しかも澱んでしまっていることにすら気づいていない書き手がいる。
よく汲みだす井戸の水は澄んでいる、という。
本音も同じだろう。
本音を押え付けたり、無視したりしているうちに、
書き手という井戸のなかの水(本音)は、いつのまにか澱んでしまった。
しかも澱んでしまっていることにすら気づいていない書き手がいる。
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