Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 8月 10th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

コーネッタとケイト・ブッシュの相性(その3)

ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4で、
菅野先生はHPD295Aの低音について、
《解像力が少し弱くてあまりリズミカルには躍動しない》といわれているし、
瀬川先生も低音は《少し重くなります》という評価だった。

これはブックシェルフ型エンクロージュアに入れての評価ではなく、
2.1m×2.1mの平面バッフルに取り付けての試聴の結果である。

7月のaudio wednesdayで鳴らした時も、
低音に関しては同じ印象を受けた。

量的には出ているけれど、確かに解像力が弱い、やや不明瞭になる、とはいえる。
それでも低音は、意外にものびているからこそ、
もう少し澄んだ低音を響かせてくれれば──、とないものねだりをしたくなる。

だから菅野先生は、ジャズのベースがドスンドスンという響きになる、と、
瀬川先生はジャズを鳴らすには方向が違うような気がする、といわれている。

コーネッタにおさめた状態でも、HPD295Aは、まさにそうだった。
でも、それが特に不満というわけではなかった。
ただ、ケイト・ブッシュには向かないだろう、ということだった。

ケイト・ブッシュは、リンゼイ・ケンプに弟子入りしている。
パントマイムを、デビュー前にやっていた。
そのことは、ケイト・ブッシュのミュージックビデオを見ると伝わってくる。

20代のころ、ケイト・ブッシュについて、なんでもいいから知りたい時期だった。
レーザーディスクも、テレビを持っていないにも関らず買った。
友人宅に持っていき、見ていた。

ストーリー仕立てといっていいのだろうか、そういうミュージックビデオもあったし、
舞台を思わせるミュージックビデオもあった。

後者のそれを見ていて、
これがケイト・ブッシュが表現したかった世界? と思うこともあった。
動くケイト・ブッシュを見る楽しみはあった。
けれど、当時の私にとっては、それ以上ではなかった。

LPやCDで音だけで聴いているほうが、
ずっとケイト・ブッシュの魅力を堪能できる。
それはいまも変らないが、コーネッタで聴いて、少し変ってきた。

Date: 8月 10th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

コーネッタとケイト・ブッシュの相性(その2)

コーネッタというスピーカーの形態が、
ケイト・ブッシュの再生に適している、とは、これまで思ったことがない。

コーネッタを今回手に入れたのは偶然のようなものだし、
手に入れるまで、ずーっと欲しい、と思い続けていたときでも、
コーネッタでケイト・ブッシュを聴きたい、と思っていなかった。

でせ、音だけは聴いてみたいことには、わからない。
このあたりまえのことを、あらためて感じている。

「五味オーディオ教室」には、ステージということについて何度も書かれている。
     *
 私は断言するが、優秀ならざる再生装置では、出演者の一人ひとりがマイクの前に現われて歌う。つまりスピーカー一杯に、出番になった男や女が現われ出ては消えるのである。彼らの足は舞台についていない。スピーカーという額縁に登場して、譜にあるとおりを歌い、つぎの出番のものと交替するだけだ。どうかすると(再生装置の音量によって)河馬のように大口を開けて歌うひどいのもある。
 わがオートグラフでは、絶対さようなことがない。ステージの大きさに比例して、そこに登場した人間の口が歌うのだ。どれほど肺活量の大きい声でも、彼女や彼の足はステージに立っている。広いステージに立つ人の声が歌う。つまらぬ再生装置だと、スピーカーが歌う。
     *
ここ以外にも、ステージの再現については書かれている。
このステージは、いわゆる音場感とはちょっと違う。

音場感がうまく再現されていたとしても、
そこにステージを感じとれるかどうかは、また別のことである。

ケイト・ブッシュの音楽は、マルチ・マイクロフォン、マルチ・トラックによる録音だ。
そこに、クラシックでいうところのステージがある、とはケイト・ブッシュ好きの私でも思っていない。

なのに、今回コーネッタでケイト・ブッシュを聴いていて、
そのステージ的なもの、ある種の舞台を感じとっていた。

聴いていて、不思議な感じだった。

Date: 8月 8th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その13)

今年春に出たクリュイタンス/ベルリンフィルハーモニーによるベートーヴェン。
1959年録音の交響曲第4番をかける。

ベートーヴェンの4番といえば、カルロス・クライバーの演奏が出てからは、
もっぱらそればかり聴いていた。
他の指揮者の4番も持っていたし、聴いていたけれど、
クライバーの疾走感ある演奏のあとでは、ほかの演奏をずいぶんのあいだ聴く気にならなかった。

クリュイタンスの4番は、MQAで聴いている。
クライバーの4番は、私はCDでしか聴いていない。
SACDがかなりあとになって出ているが、買いそびれている。

クリュイタンスの4番は、60年ほど前の録音とは聴いていると、まず思えない。
気持良く音がひろがる。
どこにも無理がない。そんなふうに音がひろがりハーモニーを醸し出す。

こんなにも素晴らしい演奏だったのか、と、
ずっと昔に聴いた記憶をたどったところで、そのころの印象は、
2020年のいま聴くほど鮮烈ではなかった(はずだ)。

そうであったなら、記憶にはっきりと残っているはずだからだ。

聴いているとよみがえった、と思う。
ショートピンを218に挿さない状態でも、60年前の録音とは思えなかったのが、
ショートピンを挿すことで、ますますそうとは思えなくなった。

とにかくクリュイタンスの4番をMQAで聴いて、
古い録音だな、と感じるのであれば、再生装置のどこかに不備があると思っていい。
そういいたくなるほどの演奏・録音である。

Date: 8月 7th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その12)

ショートピンの効果は、218でも、アンプと同じようにあらわれる。
音のひろがりが、いちだんと増す。

聴感上のS/N比に配慮したシステムであればあるほど、
そこでの変化ははっきりとあらわれる傾向にある。

雜共振のかたまりのようなシステム、
つまり聴感上のS/N比の悪いシステムでは、
ショートピンの効果はそこまではっきりとは出ない傾向がある。

今回の218へのショートピンの効果が大きく感じられたのは、
218にこまめに手を加えてきたこと、
LAN用のターミネーター、200V駆動などの積み重ねなどが関係しているように思う。

ショートピンといえば、喫茶茶会記でのaudio wednesdayでは、
マッキントッシュのMA7900にも挿している。

MA7900にはフォノ入力が二系統ある。
使っていない端子に、常時挿してある。

audio wednesdayで使う場合に、CD端子にもショートピンを挿す。
メリディアンの218を使うようになってから、
218でレベルコントロール、トーンコントロールをするようになったため、
MA7900のプリアンプ部は使わずに、パワーアンプ部のみ、
つまりパワーアンプ入力端子に218を接続している。

こうやって使う場合に気をつけたいのは入力セレクターのポジションである。
私はショートピンを挿した端子にセットしている。

ほんとうならば、すべての入力端子にショートピンを挿してみて、
ということも試したほうがいいのだが、
効率的に、ということでショートピンをライン入力のどれかに挿して、
そのポジションにセレクターをあわせる。

便宜上、CD端子にショートピンを挿して、セレクターはCDにしている。
それから精神衛生上というか、ボリュウムは絞りきっている。

パワーアンプ部しか使っていないのだから、ボリュウム位置は音量には関係しない。
それでも絞りきっている。

Date: 8月 6th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(その11)

物理的なS/N比を向上させたければ、
アンプの場合では入力端子にショートピンを挿せば、
たったこれだけのことでS/N比の数値は高くなる。

ステレオサウンドでは、以前、測定を積極的に行なっていたころ、
アンプのS/N比を、ショートピンを挿した状態、
実際の使用条件にあわせた状態での測定の両方を行っていた。

ショートピンありだとS/N比はよくても、
たとえフォノ端子にカートリッジ、それもインピーダンスが高いMM型を取り付けた状態では、
S/N比がかなり悪くなる機種が、意外にも少なくなかった。

私がステレオサウンドを読みはじめた1976年ごろ、それ以降も、
ヤマハのコントロールアンプ、プリメインアンプは優秀だった。

ショートピンありの状態でも抜群のS/N比の高さを誇っていたが、
カートリッジありの状態で、さほど低下せず、測定機種中、優秀な値を示していた。

つまりショートピンを、空いている入力端子に挿すだけで、
アンプのS/N比は向上する。

これは大半のアンプに有効なのだが、
ごく一部のアンプにおいてはショートピンを挿すと発振気味になる場合もあり、
100%良くなるとはいえない。

測定器がなくても、ショートピンの効果は、ノイズを聞けばすぐにわかる。
クロストーク、それも両チャンネル間のそれではなく、
各入力間のクロストークのことであり、
ショートピンの有無は、この各入力間のクロストークをなくしてくれる。

メリディアンの218には、アナログ入力端子がある。
ここにショートピンを挿す。

これだけである。

Date: 8月 6th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

コーネッタとケイト・ブッシュの相性(その1)

コーネッタを鳴らして、その音の何にもっとも驚いているかといえば、
ケイト・ブッシュに関して、である。

先月のaudio wednesdayでもケイト・ブッシュをかけた。
昨晩のaudio wednesdayでも、やはりかけた。

どちらも2018年リマスターでMQAである。

ケイト・ブッシュのディスクは、自分のシステムだけでなく、
ステレオサウンドの試聴室でも何度も鳴らしていたし、
ほかの人のシステムで、少なからぬ回数聴いている。

ケイト・ブッシュを聴き尽くした、とは思っていない。
それでも、かなり聴いてきたし、どんなふうに鳴るのかも、ある程度は想像がつく。

それでもコーネッタで聴くケイト・ブッシュは、前回も今回も意外だった。
ケイト・ブッシュのディスクを最初に鳴らすのであれば、
そういうことがあるのもわからないではない。

けれど、ケイト・ブッシュの前に、聴きなれたディスクを何枚も鳴らしている。
それだけ鳴らしていれば、ケイト・ブッシュがどう鳴ってくるのかは、かなり予測できる。

にも関らず、今回もコーネッタで聴いていて驚いたとともに、発見があった。

フロントショートホーン付きのスピーカーは、独自のプレゼンスを持つ傾向がある。
すべてのフロントショートホーン付きのスピーカーを聴いているわけではないが、
フロントショートホーンなしのスピーカーでは聴けない独自の臨場感がある。

この独自の臨場感は、コーネッタに感じている。
しかも私の場合、意外にもケイト・ブッシュでいちばん感じている。

Date: 7月 29th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(余談・その後)

ルンダールのLL1658に取り付ける部品の一つが、前回は手に入らなかった。
電話で問い合せてみた。

すると9月に入荷予定、とのこと。
9月なのか……、と思ってしまう。

自分のモノならば、9月まで待つのもいいけれど、頼まれている分だから、
9月までは……、と思うわけだ。

欲しかったのは、DALEの無誘導巻線抵抗の20Ω(3W)が、五本。
これが9月まで手に入らないのであれば、10Ω+10Ωでいくか、と考えた。

けれど10Ωも在庫がない、ということ。
そうなると、サイズがけっこう大きくなってしまうけれど、
20Ω(5W)の無誘導巻線抵抗の在庫を訊いた。

こちらはなんとか必要な本数分あった。
海神無線にはウェブサイトがあって、
そこで各部品の在庫は確認できる。

今回ももちろん確認していた。
DALEの無誘導巻線抵抗の在庫は、ウェブサイト上はあることになっていたが、
こまめに更新されているわけではないことは知っていた。

なので、電話で確認するのが確実である。

3Wと5Wとでは、かなり大きさが違う。
5Wのサイズだとちょっとめんどうかな、と思うところもあるが、
とにかく仕上げることができるようになった。

前回、コロナ禍の影響がこんなところにまで、と書いたが、
影響は想像以上に、こんなところでも大きくなってきているようだ。

Date: 7月 25th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その25)

7月のaudio wednesdayで、フルニエのバッハの無伴奏をかけたときに、
「目の前で弾いているかのようだ」という感想があった。

そのときのコーネッタは、まだまだ本調子といえる鳴り方ではなかったけれど、
そう感じられるところは確かにあったし、そう感じてくれた人がいたのは嬉しいことでもある。

ここでの「目の前で弾いているかのようだ」は、人によってはそう感じないこともあるだろう。
もっと別の鳴り方でなければ、そう感じない人がいても不思議ではない。

いまどきのハイエンドオーディオの鳴り方になれている人だと、
「目の前で弾いているかのようだ」とは、たぶん感じないであろう。

フルニエのチェロの音像は、いわば虚像である。
その虚像に対して「目の前で弾いているかのようだ」と、まさしく錯覚であって、
錯覚のしかた、というか、そのひきがねとなる要素は、すべての人がみな同じなわけではないだろう。

同じ人であっても、時と場合によって少しは違うことだってありうるであろう。

7月のaudio wednesdayで、「目の前で弾いているかのようだ」と錯覚させてくれたのは、
なんだったのか、といえば、それはおそらく弦の息づかいではなかろうか。

ここ十年以上ステレオサウンドの試聴記をきちんと読まなくなった。
なので、そんな私の感想にすぎないのだが、
最近の試聴記に「弦の息づかい」は使われていないような気がする。

使われているとしても、
私が熱心に読んでいたころとは、ニュアンスの違いがそこにあるような気すらする。

Date: 7月 21st, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218(version 9)+α=WONDER DAC(余談)

メリディアンの218を使っている人たちがいる。
その人たちも、200Vにする。
そのための昇圧トランスを6月にまとめて五つ注文した。

もちろんルンダールのLL1658である。
先日届いた。予定よりもいくぶん早かった。
コロナ禍の影響で遅れるかな、と思っていた。

トランスが届いたから、200Vで使えるようにしなければならない。
そのための部品を秋葉原に購入しに行った。

いつもならすんなり買えるのに、今回は違った。
部品の在庫が少なくなってきている。
三つの部品は、ぎりぎり必要な数が揃った。

一つの部品は、まったく在庫がなかった。
店の方に訊くと、二ヵ月くらいまえに注文を出しているけれど、まだ届かないそうだ。
そろそろ入荷するだろうけど、こういう状況だから、はっきりとしたことはいえない、とのことだった。

なので製作を頼まれている分も手つかずのまま。
コロナ禍の影響は、こんなところにも出てきている。

Date: 7月 16th, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

メリディアン 218を聴いた(喫茶茶会記の場合・その8)

今日、開店前の喫茶茶会記に行ってきた。
メリディアンの218にさらに手を加えるためである。

これで6月のaudio wednesdayで鳴らした218と同じになった。
ただしLAN用のターミネーターはなし、の状態だし、100Vでの使用である。

これで来月のaudio wednesdayから218を持参しなくてもいい──、とはならない。
また、わずかだが手を加える予定でいるからだ。

Date: 7月 14th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その24)

いうまでもなく、ここでのそれぞれのアンプの音については、瀬川先生の個人的な印象である。
これらのアンプを聴いたことのある人すべてが、瀬川先生と同じに感じるわけでもないだろう。

マランツのModel 7やModel 2、Model 9で聴いた音が、
なんらかのレコードや曲名と、深く結びついて耳の底にずっと焼きついている──、
そういう人もいるとは思う。

それでも、瀬川先生がいわんとされるところが、よくわかる、といいたい。

私は、マッキントッシュ、マランツ、JBLのアンプを、
それぞれ別の場所で、別の時期に聴いたことは何度かある。
JBLのSG520は、それほど長い期間ではないが、自分でも使っていたことがある。

でも、ほぼ同時期に、同じ場所できいたという経験はない。
それでも、なんとなくわかる気がする。

それに、なんらかのレコードや曲名と結びついた記憶がないから、
優れたアンプではない、ということでもない。

アンプとしての優秀さとは、直接的な関係はない、ともいえるし、
当時のマッキントッシュ、マランツ、JBL、
これらのなかではマランツがもっとも優秀なアンプだった、といえよう。

このことは、アンプだけの話ではないように、いまも感じている。
スピーカーにしてもそうだし、いまもそうだ、と感じているところがある。

オーディオ機器として優秀であるのならば、
それで聴いたなんらかのレコードや曲名と音とが、耳の底に焼きつくはずなのだが、
現実にはむしろ違う、と感じることが多すぎる。

蘇音器ではなくなってきている、ともいえるのは、なぜなのか。

Date: 7月 14th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その23)

蘇音器の本来の意味から離れて、
蘇音器を構成する漢字からイメージすることだけで、思い出すのが、
瀬川先生の1981年の「いま、いい音のアンプがほしい」のなかに出てくる、
マッキントッシュ、マランツ、JBLのアンプについてのところである。
     *
 昭和41年の暮に本誌第一号が創刊され、そのほんの少しあとに、前記のプリメインSA600を、サンスイの新宿ショールーム(伊勢丹の裏、いまダイナミックオーディオの店になっている)の当時の所長だった伊藤瞭介氏のご厚意で、たぶん一週間足らず、自宅に借りたのだった。そのときの驚きは、本誌第9号にも書いたが、なにしろ、聴き馴れたレコードの世界がオーバーに言えば一変して、いままで聴こえたことのなかったこまかな音のひと粒ひと粒が、くっきりと、確かにしかし繊細に、浮かび上り、しかもそれが、はじめのところにも書いたようにおそろしく鮮度の高い感じで蘇り息づいて、ぐいぐいと引込まれるような感じで私は昂奮の極に投げ込まれた。全く誇張でなしに、三日三晩というもの、仕事を放り出し、寝食も切りつめて、思いつくレコードを片端から聴き耽った。マランツ♯7にはじめて驚かされたときでも、これほど夢中にレコードを聴きはしなかったし、それからあと、すでに十五年を経たこんにちまで、およそあれほど無我の境地でレコードを続けざまに聴かせてくれたオーディオ機器は、ほかに思い浮かばない。今になってそのことに思い当ってみると、いままで気がつかなかったが、どうやら私にとって最大のオーディオ体験は、意外なことに、JBLのSA600ということになるのかもしれない。
 たしかに、永い時間をかけて、じわりと本ものに接した満足感を味わったという実感を与えてくれた製品は、ほかにもっとあるし、本ものという意味では、たとえばJBLのスピーカーは言うに及ばず、BBCのモニタースピーカーや、EMTのプレーヤーシステムなどのほうが、本格派であるだろう。そして、SA600に遭遇したのが、たまたまオーディオに火がついたまっ最中であったために、印象が強かったのかもしれないが、少なくとも、そのときまでスピーカー第一義で来た私のオーディオ体験の中で、アンプにもまたここまでスピーカーに働きかける力のあることを驚きと共に教えてくれたのが、SA600であったということになる。
 結局、SA600ではなく、セパレートのSG520+SE400Sが、私の家に収まることになり、さすがにセパレートだけのことはあって、プリメインよりも一段と音の深みと味わいに優れていたが、反面、SA600には、回路が簡潔であるための音の良さもあったように、今になって思う。
 ……という具合にJBLのアンプについて書きはじめるとキリがないので、この辺で話をもとに戻すとそうした背景があった上で本誌第三号の、内外のアンプ65機種の総試聴特集に参加したわけで、こまかな部分は省略するが結果として、JBLのアンプを選んだことが私にとって最も正解であったことが確認できて大いに満足した。
 しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これも前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ思ったものだ。
 だが結局は、アルテックの604Eが私の家に永く住みつかなかったために、マッキントッシュもまた、私の装置には無縁のままでこんにちに至っているわけだが、たとえたった一度でも忘れ難い音を聴いた印象は強い。
 そうした体験にくらべると、最初に手にしたにもかかわらず、マランツのアンプの音は、私の記憶の中で、具体的なレコードや曲名と、何ひとつ結びついた形で浮かんでこないのは、いったいどういうわけなのだろうか。確かに、その「音」にびっくりした。そして、ずいぶん長い期間、手もとに置いて鳴らしていた。それなのに、JBLの音、マッキントッシュの音、というような形では、マランツの音というものを説明しにくいのである。なぜなのだろう。
 JBLにせよマッキントッシュにせよ、明らかに「こう……」と説明できる個性、悪くいえばクセを持っている。マランツには、そういう明らかなクセがない。だから、こういう音、という説明がしにくいのだろうか。
     *
ここでのマッキントッシュ、マランツ、JBLのアンプとは、
ずいぶん昔のアンプのことである。
マッキントッシュはC22とMC275のことであり、
マランツとはModel 7のことである。

この三つのブランドのアンプで、マランツだけが、
いわゆる蘇音器的ではない、と私は感じる。

Date: 7月 13th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その22)

タンノイは蓄音器的といわれている。

そのことは、ステレオサウンドの試聴室でタンノイを聴いても、そう感じるところはあった。
コーネッタは、私がステレオサウンドで聴いたタンノイのスピーカーシステムと比較すれば、
口径も小さいし、エンクロージュアもコーナー型で、フロントショートホーン付きと、
さらに蓄音器的といえる内容だ。

ことわっておくが、ウェストミンスターは省いて、である。

そういうコーネッタだから、鳴らすのであれば、真空管アンプだな、と考えていた。
能率は、いまでは高い方に属するけれど、当時のスピーカーとしては低い。

300Bのシングルアンプというのは、出力として不足するであろう。
ならばEL34のプッシュプルアンプか。

伊藤先生がサウンドボーイに発表されたEL34のアンプが、第一候補となる。
けれど、電圧増幅、位相反転回路を共通で、
出力段のみEL34の三極管接続にしたデッカ・デコラ内蔵のパワーアンプの回路にするか。

そんなところを、音を聴く前に考えていたけれど、
音を聴いてしまうと、がらりと変ったところが出てきてしまった。

確かに真空管アンプで鳴らしてみたい、という気持はいまも捨てきれずにいる。
でも、ケイト・ブッシュをMQAで聴いて、こんなふうに鳴ってくれるのであれば、
最新の、とまではいかなくても、比較的新しいパワーアンプ、
もちろんトランジスター式のパワーアンプで鳴らしてみたい、という気持に大きく傾いた。

蓄音器的ということでは、真空管アンプだ。
蘇音器的というとこでは、トランジスターアンプである、私にとっては。

Date: 7月 8th, 2020
Cate: TANNOY, 型番

タンノイの型番(その2)

タンノイの同軸型ユニットは、1974年登場のHPDシリーズからは、
ユニット口径をインチから変更した。

それまではモニター15とかモニター12とか、インチだった。
モニター15はHPD385に、
モニター12はHPD315に、
モニター10はHPD295になっている。

15インチ、12インチの型番が385、315になったのはわかるけれど、
なぜ10インチが295なのか、と疑問に思う人もいるだろう。

この295という数字は、フレームの最大外径からきている。
HPD295だけフレームの形状が違うからだ。

いまコーネッタのことを書いているが、コーネッタのスペルはCornettaだ。
英語が堪能な人は、コルネッタ、もしくはコㇽネッタと発音している。

おそらくコーネッタよりも、そちらのほうが正しいのだろう。
でも、ステレオサウンドが企画してうまれたCornettaは、コーネッタでいい。

Date: 7月 7th, 2020
Cate: Cornetta, TANNOY

TANNOY Cornetta(その21)

タンノイは蓄音器的といわれている。

瀬川先生は《電気蓄音器の音と共通の響きであったように思えてならない》と、
「私のタンノイ」で書かれているし、
井上先生は《アコースティック蓄音器を思わせる音》と、「私のタンノイ観」で書かれていた。
どちらも「世界のオーディオ」のタンノイ号で読める。
長島先生も同じことをステレオサウンド 49号、ロックウッドのMajorのところで書かれている。

いまのタンノイがそうだとはいわない。
違うともいわない。
なにしろ、いまのタンノイのスピーカーがきちんと鳴った音を聴く機会がなさすぎる。
インターナショナルオーディオショウでの音を聴いて、
あれがタンノイの音とは思わない方がいい。

電気蓄音器とアクースティック蓄音器とでは、音の印象として違うところもあるが、
郷愁をくすぐるところがあるという意味では、同じことである。

エジソンの蓄音器が日本に最初に入ってきた時には、
蘇音器(機)、もしくは蘇言器(機)と呼ばれていた。

今回コーネッタの音を、じっくりと聴いていて、
私にとっては蓄音器的というよりも、蘇音器的だな、と感じていた。

蘇音器的といっても、エジソンの蓄音器的ということではない。
聴いていて思い起されること、というよりも、思い起こされる音がいくつもあったからだ。