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Date: 7月 25th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド 61号・その3)

ステレオサウンドの論文募集には、ほぼ間違いなく新しい筆者を探す意図があったと見ていい。
菅野先生によるベストオーディオファイル訪問にも、そういう意図はあった。
事実、ベストオーディオファイル訪問に登場した人の何人かは、
筆者としてステレオサウンドの誌面に登場している。

おそらくどのオーディオ雑誌の訪問記事も、新しい筆者探しの意図があるとみていい。
書き手としての寿命より、雑誌の寿命が長いことがある。
ステレオサウンドもそうである。

9月に発売になる号で200号。創刊50周年。
創刊号をもっている人は、めくってみてほしい。
いまステレオサウンドに書いている人で、創刊号に書いていた人はいない。

筆者も編集者も、そして読者も新陳代謝していくのだから。

ならばなぜステレオサウンドは、59号以降、読者の論文募集をやらなくなったのか。
応募がほとんどない、というのが現実的な理由であろうが、
それだけが理由だろうか……、といまは思っている。

これは私が勝手にそう思っているだけで、確たる根拠はなにもない。
それでもそう思えることがある。

論文募集に積極的であったのは瀬川先生だったのでは……、ということだ。
ステレオサウンド 61号から瀬川先生は不在になった。
同時に論文募集も終ってしまった。

Date: 7月 23rd, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その7)

迷走していくかもしれないとわかっていても、
パブロ・カザルスのことが頭に浮んでくるし、追い払えないでいる。

ここでのカザルスの演奏とは、チェリストとしての演奏ではなく、
指揮者としてのカザルスの演奏のことである。

ベートーヴェン、シューベルト、ハイドン、バッハ、モーツァルトなどの録音が、
CBSに残されている。
いずれもライヴ録音である。

ベートーヴェンの交響曲第七番で、指揮者カザルスを知った。
驚いた。
フルトヴェングラーの演奏はすでに聴いていた。
カルロス・クライバー、カラヤン(ベルリンフィルハーモニーとフィルハーモニー)、
その他にも聴いていた。
そのころ、ベートーヴェンの交響曲の中で、頻繁に聴いていたのが七番だっただけに、
よく聴いていた方だと思う。

そこにカザルス/マールボロ音楽祭管弦楽団の七番だった。
こういう演奏が聴けるとは思っていなかったという驚きだけでなく、
その演奏の凄さに心底驚いていた。

A面、B面を聴いたあと、もう一度レコードを裏返してA面に針を降ろしていた。
こういう聴き方は、あまりすすめられたものではないことはわかっていても、
そうせざるをえなかった──、そんな衝動があってのものだった。

立て続けの二回目であっても、いささかも感動は損なわれたり、薄くなったりはしなかった。
むしろ驚きは増していた。

そこで聴いたのはCBSソニーから出ていた国内盤のLPだった。
解説は宇野功芳氏だった。

こんなことが書かれていたと記憶している。
カザルスは作曲家によってスタイルを変えることはない。
そのためバッハではカザルスの演奏スタイルは行き過ぎのように感じられることもあるし、
ベートーヴェンではもの足りなさにつながる。
バッハとベートーヴェンの中間にいるモーツァルトには、
カザルスの変らぬスタイルがぴったりくる、と。

その時点ではベートーヴェンの第七番しか聴いていないのだから、
書かれてあったことに賛同はすることはできなかったものの、
カザルス指揮のモーツァルトは聴かねば……、と思っていた。

そのカザルスのモーツァルトの交響曲が、頭から離れないのだ。

Date: 7月 21st, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その6)

こうやって書いている今も迷っていることがある。
フリードリヒ・グルダのモーツァルトのピアノソナタを、
グレン・グールドのモーツァルトと同じように《幼児の無心さ》といっていいのだろうかと。

五味先生は書かれている。
《凡百のピアニストのモーツァルトが如何にきたなくきこえることか》と。
グルダのモーツァルトは、そんなふうには決してひびかない。
凡百のピアニストとははっきりと違う。

the GULDA MOZART tapes のI集とII集に聴き惚れていながらも、
迷っているのが正直なところだ。

グールドもグルダも幼児の無心さをひびかせてくれている、としたら、
どうして、ふたりのモーツァルトはこうも違うのか。

ここでまた五味先生の書かれたものに戻っていく──
     *
 よく私は、レコードをききながら小説の構想を練るといわれるが、これは嘘だ。文学は音楽に影響されるものではない。逆もそうだろう。ただ、作家として世に出る機縁となった芥川賞受賞作『喪神』の結構を、ドビュッシーの〝西風の見たもの〟からヒントを得てまとめたのは事実なので、そのことにふれておきたい。
『喪神』のモチーフになったのは、西田幾太郎氏の哲学用語を借りれば、純粋経験ということになるだろうか。ピアニストが楽譜を見た瞬間にキイを叩く、この間の速度というのは非常に早いはずである。習練すればするほどこの速度は増してゆき、ついには楽譜を見るのとキイを叩くのが同時になってしまう。経験が積み重なってゆくと、こういう状態になる。それを純粋経験という。
 ルビンスティンもグールドも純粋経験でピアノを叩いている。それでいて、あんなに演奏がちがうのはなぜか。そこに前々から疑問を抱いていた。純粋経験というのは、意志が働く以前のところで処理されているはずなのに、と。そのときふと思ったのは、これは戦場で考えつづけていたことだが、人を斬ったらどういう感じがするだろうか、ということだった。
(「オーディオと人生」より)
     *
ここでの「純粋経験」が、幼児の無心さということなのか。
グールドにとっても、グルダにとってもモーツァルトのピアノソナタは暗譜していても不思議ではない。
テクニックとしても負担のある曲ではないはず。
そういうモーツァルトのピアノソナタだから、グールドとグルダの違いは、
演奏の違いとして(音楽の違いとして)、これほどはっきりと表出してくるのか。

幼児の無心さとは、意志が働く以前のところで処理されているはずのものなのか。

これで納得しようと思えば納得できるけれど、
感情の自由ということが、ひっかかっているのに気づく。

Date: 7月 21st, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その5)

フリードリヒ・グルダのモーツァルトは、ピアノ協奏曲第20番が、私にとっては最初だった。
アバド指揮のウィーン・フィルハーモニーとの1974年の録音だから、
私が「五味オーディオ教室」と出あったときには、すでにあったレコードだ。

そのころピアノ協奏曲第20番で世評の高いものは、
このグルダ/アバドの他に、
ハスキル/マルケヴィチ指揮コンセール・ラムルー(1960年)、
カーゾン/ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団(1970年)があった。

まずハスキル盤を買った。
次にカーゾン盤、グルダ盤はその次だった。
そのころはポンポンと聴きたいレコードを次々に買えたわけではなかったから、
ハスキル盤からグルダ盤までは、わりと離れていた。

グルダ盤を聴いたのは、19か20ぐらいだったか。
そのころは私は、ハスキル盤のほうがよく思えた。
グルダ盤もよかったけれど、世評ほどではないと感じてしまったのを憶えている。

私はあまりグルダの積極的な聴き手ではなかった。
グルダを積極的に聴くようになったのは、もう30をこえていた。
そのころになってやっと、グルダ盤のよさが感じとれるようになっていた。

the GULDA MOZART tapes のころになると、もう聴いた途端に「ああ、グルダ!」と思えた。
「ああ、グルダ!」については、以前書いている

「ああ、グルダ!」と感じさせる感情の自由が、
the GULDA MOZART tapes のいたるところにあると感じた。
そのうえで考える。
グールドがひびかせた幼児の無心さとの違いについて、である。

Date: 7月 20th, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その4)

《いっそ無心であるに如かない》、
だからこそグレン・グールドはコンサート・ドロップアウトをしたのではないか。
そうも思えてくる。

そういうグレン・グールドのモーツァルトである。

CBSソニーから、グレン・グールドのCDが出はじめたときのことだ。
モーツァルトのピアノソナタ全集もCDになったのを機に、
一枚目から一気に聴き通したことがある。
20代前半のころだった。
聴きはじめて、そうとうにしんどいことだと感じていた。

そのしんどさがどこからくるのか、その時はまったくわからなかった。
しんどさに耐えながら聴き続けるものではないかもしれない──、
そう思いつつも聴き続けていた。

その日から30数年経ったころ、
フリードリヒ・グルダthe GULDA MOZART tapes のI集が出た。続けてII集も出た。
録音状態はよいとはいえないCDだったけれど、これは夢中になって聴いていた。

I集とII集、五枚のCDを続けて聴いても、
グレン・グールドのモーツァルトを続けて聴いたときのしんどさはみじんもなかった。
このことは以前書いている

いろんなことが変化している。
そのうえで、五味先生の文章を読み返したわけだ。

Date: 7月 19th, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その3)

五味先生は音楽評論家ではない、
オーディオ評論家でもない。

中にはオーディオ評論家と思いこんでいる読み手がいるが、
どうしてそう思えるかが不思議に思う。

五味先生は小説家であり、オーディオ、音楽について書かれているのは、
小説ではないから(そこには小説的要素が含まれていようとも)、物書きであるわけだが、
けれどグレン・グールドのモーツァルトについて書かれたものを読んでいると、
これに匹敵する音楽評論を読んだ記憶が私にはない。

グレン・グールドに関するものはかなりの数読んできた。
レコード評を含めて読んできた。

モーツァルトのピアノソナタに関しても、そうやって読んできたが、
五味先生によって書かれたもの以上には、いまのところ出合っていない。
あるのかもしれない、私が単に読んでいないだけ、という可能性はあるけれど、
それでもなお、これ以上のものが今後読めるだろうか……、と思ってしまう。

冒頭に、五味先生は評論家ではない、と書いておきながら、
これこそが評論だ、と思うわけだ。
いわゆる職業評論家による評論(表論)ではない「評論」が、ここにある。

Date: 7月 18th, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その2)

昔だったら──、
つまりインターネットがなかったころだったら、
昨晩,書き写した五味先生の文章は、私だけしか見れない。

親しい友人に電話して、読み聞かせる──。
やらないタイプの人間である。
やったとしても、ひとりだけである。

インターネットが、だからこれだけ普及しているから、
昨晩は書き写したともいえる。

公開したのは非公開のfacebookグループだから、
それほど多くの人の目に留るわけではないが、
電話でひとりひとりに読み聞かせるのとは比較にならないほど、多くの人が読めるようになる。

書き写す。
読むだけでは終らずに書き写したことで、拡がりがうまれる。

Date: 7月 18th, 2016
Cate: 五味康祐

続・無題(その1)

暴言を敢て吐けば、ヒューマニストにモーツァルトはわかるまい。無心な幼児がヒューマニズムなど知ったことではないのと同じだ。ピアニストで、近頃、そんな幼児の無心さをひびかせてくれたのはグレン・グールドだけである。(凡百のピアニストのモーツァルトが如何にきたなくきこえることか。)哀しみがわからぬなら、いっそ無心であるに如かない、グレン・グールドはそう言って弾いている。すばらしいモーツァルトだ。
(五味康祐「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」より)
     *
「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」は新潮社の「人間の死にざま」に収められている。
比較的ながい文章である。
引用したところは、終りのところに出てくる。

「モーツァルト弦楽四重奏曲K590」はあと少し続く。
そのあと少しが、ずしっと重いのだが、
あえて、ここだけを引用した(というよりも書き写した、といいたい)。

何も感じないのか、何かを感じるのか。
どれだけのことを感じ考えるのか。

昨晩、facebookにも、書き写していた。
書き写したい衝動にかられてのことだった。

昨晩は寝苦しかった。
そのためか、夢で何度か反芻しては目を覚ましていた。

これから何を書こうと思っているのか、自分でもよくわからない。
それでも、これだけは書き写しておきたい、とおもいながら、また眠りについていた。

なのでタイトルも無題とした。
五年前の夏に、一度「無題」は使っているから「続・無題」とした。

Date: 7月 15th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏のこと(続・何度書かれたのか)

稽古をつけてもらう、という表現がある。
稽古をする、という表現ある。

「つけてもらう」と「する」とでは、同じ稽古であってもまったく同じことではない。
稽古をする、は、一人でもできる。

稽古をつけてもらう、は、一人では無理だ。

稽古とは、
書物を読んで昔の事を考え,物の道理を学ぶこと。学問。学習、と辞書には書いてある。
「稽」は考えるの意、とも書いてある。

つまりは古(いにしえ)を稽(かんが)えるという意味をもつ。

ふと思った。
瀬川先生が小林秀雄氏の「モオツァルト」を書き写されたことは、
稽古をつけてもらう意味があったのかもしれない、と。

Date: 7月 15th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その2)

瀬川先生は、「世界のオーディオ」タンノイ号掲載の「私のタンノイ」の中でも、
AXIOM 80について少し触れられている。
     *
 S氏邸のタンノイからそれほどの感銘を受けたにかかわらず、それから永いあいだ、タンノイは私にとって無縁の存在だった。なにしろ高価だった。「西方の音」によれば当時神田で17万円で売っていたらしいが、給料が8千円、社内原稿の稿料がせいぜい4~5千円。それでも私の若さでは悪いほうではなかったが、その金で母と妹を食べさせなくてはならなかったから、17万円というのは、殆ど別の宇宙の出来事に等しかった。そんなものを、ウインドウで探そうとも思わなかった。グッドマンのAXIOM―80が2万5千円で、それか欲しくてたまらずに、二年間の貯金をしたと憶えている。このグッドマンは、私のオーディオの歴史の中で最も大きな部分なのだが、それは飛ばして私にとってタンノイが身近な存在になったのは、昭和三十年代の終り近くになってからの話だ。
     *
瀬川先生がS氏(新潮社の齋藤十一氏)のお宅でタンノイの音を聴かれたのは、
昭和28年か29年のこと。
そのころ瀬川先生はラジオ技術で編輯の仕事をされていた。

昭和28年(1953年)だとすれば、瀬川先生は1935年生れだから18歳。
《給料が8千円、社内原稿の稿料がせいぜい4~5千円》ということだから、
12000円か13000円ぐらいの月々の収入。
きままな独り暮しであっても、17万円のユニットはそうとうに高価なモノだ。

瀬川先生は《母と妹を食べさせなくてはならなかった》から、
ユニットだけで17万円は、ほんとうに別の宇宙の出来事に等しかった、と思う。

このころAXIOM 80は25000円だったのか、とも思う。
同じイギリスのユニットであっても、タンノイとグッドマンとでは約七倍違う。

AXIOM 80が欲しくて、二年間の貯金ならば、
タンノイのDC15は十年以上の貯金となる。

瀬川先生がタンノイを購入されたのは、約十年後の《昭和三十年代の終り近くになってから》とある。
その頃には、秋葉原で75000円になっていた、そうだ。
17万円のままだったら……、もっとかかっていたことになる。

もし瀬川先生が、そのころ裕福な暮しぶりであったなら、
AXIOM 80ではなくタンノイのDC15を購入されていたかもしれない。

欲しいモノがすぐに買えるだけの余裕があるのは悪いことではない。
そんなことはわかっている。
それでも、もし瀬川先生がAXIOM 80ではなくタンノイにされていたら……、
ここをおもってしまうのだ。

Date: 7月 12th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その1)

グッドマンにAXIOM 80というユニットがあった、ということは、何かで知っていた。
でも私がオーディオに興味を持ち始めた1976年にはすでに製造中止で、
写真も見てはいなかったし、詳しいことはほとんど知らなかったのだから、
名前だけ知っていた、というレベルでしかなかった。

AXIOM 80をはっきりと意識するようになったのは、
ステレオサウンド 50号の瀬川先生の文章を読んでからだ。
     *
 外径9・5インチ(約24センチ)というサイズは、過去どこの国にも例がなく、その点でもまず、これは相当に偏屈なスピーカーでないかと思わせる。しかも見た目がおそろしく変っている。しかし決して醜いわけではない。見馴れるにつれて惚れ惚れするほどの、機能に徹した形の生み出す美しさが理解できてくる。この一見変ったフレームの形は、メインコーン周辺(エッジ)とつけ根(ボイスコイルとコーンの接合部)との二ヵ所をそれぞれ円周上の三点でベークライトの小片によるカンチレバーで吊るす枠になっているためだ。
 これは、コーンの前後方向への動きをできるかぎりスムーズにさせるために、グッドマン社が創案した独特の梁持ち構造で、このため、コーンのフリーエア・レゾナンスは20Hzと、軽量コーンとしては驚異的に低い。
 ほとんど直線状で軽くコルゲーションの入ったメインコーンに、グッドマン独特の(AXIOMシリーズに共通の)高域再生用のサブコーンをとりつけたダブルコーン。外磁型の強力な磁極。耐入力は6Wといわめて少ないが能率は高く、音量はけっこう出る。こういう構造のため、反応がきわめて鋭敏で、アンプやエンクロージュアの良否におそろしく神経質なユニットだった。当時としてはかなりの数が輸入されている筈だが、AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──を、果してどれだけの人が本当に知っているのだろうか。
     *
AXIOM 80の鮮明な写真と瀬川先生の文章。
このふたつの相乗効果で、AXIOM 80は、その音を聴いておきたいスピーカーのひとつ、
それも筆頭格になった。

けれど瀬川先生が書かれている──
《AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──を、果してどれだけの人が本当に知っているのだろうか。》
ということは、そうでない音で鳴っているAXIOM 80が世の中には少なからずある、ということで、
なまじそういうAXIOM 80の音を聴くよりも、聴かない方がいいのかも……、とも思っていた。

それからというものは、ステレオサウンドに掲載されているオーディオ店の広告、
それも中古を扱っているオーディオ店の広告からAXIOM 80の文字を探してばかりいた。

AXIOM 80を手に入れたいけれど、どの程度中古市場に出ているのか。
どのくらいの価格なのだろうか。
ステレオサウンド 50号の瀬川先生の文章以上の情報はなにも知らなかった。
とにかく、このユニットのことを少しでも知りたい、と思っていた日々があった。

Date: 7月 9th, 2016
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(ボザークとXRT20・その1)

1981年春、東京で暮すようになった。
行きたいところがあった。
そのひとつが、日本楽器銀座店だった。
目的はAUDIO CYCLOPEDIA。

AUDIO CYCLOPEDIAのことは、池田圭氏のラジオ技術の記事で知っていた。
そこには日本楽器銀座店の書籍売場にある、とも書いてあった。
1700ページ超の分厚い本で、15800円した。

そのころの私には、かなり高価な買物だったけれど、ためらわず買った。
全文英語である。
読破したとはいわないけれど、この本から学べたことは多い。
AUDIO CYCLOPEDIAがなかったら、いまの私のオーディオの知識はどう違っていただろうか。

AUDIO CYCLOPEDIAを入手した約半年後にステレオサウンド 60号が出ている。
マッキントッシュのXRT20が誌面に登場した号である。

24個のトゥイーターコラムが、ウーファー・エンクロージュアから独立した恰好は、
それまでのスピーカーにはなかった形態であった。

けれど同時に既視感もあった。
AUDIO CYCLOPEDIAに載っていたボザークのP4000Pというスピーカーの写真を見ていたからだ。
P4000Pは、日本に輸入されていたモデルでいえば、B4000A Moorishにあたるはずだ。

ボザークのことは知っていたとはいえ、
井上先生がステレオサウンドに書かれたもので知っていたくらいである。

ステレオサウンドに載っていたボザークの写真は、常にネット付きのままだった。
ユニット構成がどうなっているのかは知っていたけれど、
写真で見るのと文章だけで想像するのとでは、やはり違う。

AUDIO CYCLOPEDIAで、P4000Pのユニット配置の写真を見ていた私は、
XRT20のユニット配置に、近いものを感じていた。

P4000Pは30cmウーファーを縦に二発、その上に少しオフセットして16cmのスコーカー、
その横にコーン型トゥイーターが縦に八発並ぶ。

XRT20はトゥイーターコラムとして独立しているとはいえ、よく似ている。
エンクロージュアは、どちらも東海岸のスピーカーらしく密閉型である。

それからボザークはネットワークは一貫して6dB/octスロープを採用していた。
XRT20の初期型も、基本的には6dBスロープだと聞いている。

他にもいくつかの共通項を、このふたつのスピーカーからは見出せる。
そして思うことがある。

XRT20を、井上先生だったらどう鳴らされただろうか。

XRT20は菅野先生が高く評価、というより惚れ込まれて自宅に導入された。
上杉先生も導入されているけれど、やはりXRTといえば菅野先生のイメージが強く濃い。

こんなことありえないのだが、もし菅野先生がXRT20に惚れ込まれなかったとしたら……、
意外と思われるかもしれないが、井上先生が高く評価されていた可能性を、どうしても考えてしまう。

井上先生はボザークを愛用されていた。
そのボザークに通じるところがあり、より進歩したともいえるところのあるXRT20を、
井上先生はどう鳴らされたのか、どうしても想像してしまう。

ヴォイシングも一から井上先生が手がけられたXRT20の音は、
どこが菅野先生の鳴らし方と同じで、どこが違ってくるのか。

おおまかな音をイメージしながらも、細部についてあれこれ想像し積み重ねていく。

Date: 6月 14th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド 61号・その2)

ステレオサウンド 42号と43号には、
「ステレオサウンド創刊10周年記念オーディオ論文入選発表」という記事がある。

ステレオサウンドが創刊10周年を記念して、オーディオをテーマとした論文を募集したもので、
締切日までに57篇の応募があった、とある。

優秀論文として3篇、佳作として5篇が選ばれていて、
42号と43号に優秀論文が掲載されている。
最優秀論文は該当作品がなかった、ともある。

審査には第一次がステレオサウンド編集部、
第二次が井上卓也、岡俊雄、黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹、坂清也、山中敬三、
ステレオサウンド編集長の八氏によって行われている。

ステレオサウンド 59号の158ページには、
創刊15周年を記念しての論文を募集している。
ここではテーマが四つ挙げられている。
 ①筆者への手紙
 ②わが愛するコンポーネント
 ③MY SOUND GRAPHITY
 ④五味康祐論

締切りは1981年の9月1日、12月1日、1982年の3月1日、6月1日の四回で、
それぞれの応募作の中から入選作と佳作を選び、一年間を通しての入賞作の中から、
検出したものには特選賞が与えられる、というものだった。
賞金もついていた。
入選作に10万円、佳作に3万円で、特選賞には30万円だった。

読者の論文募集は、59号が最後だった(と記憶している)。
創刊20周年での募集はなかった。それ以降もなかった。
次号でステレオサウンドは創刊50周年を迎えるが、読者の論文募集はない。

このことをどう捉えるか。
このことだけで考えるのか、他のことと関連付けて考えるのかによっても変ってくる。
ステレオサウンドをどう捉えているかによってもそうだし、
それ以上に、創刊20周年時には瀬川先生はもうおられなかったことが強く関係している。
私は、いまそう考えている。

Date: 6月 13th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド 61号・その1)

昨日の「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その10)」。
こういうことを書くと、どうしても瀬川先生のことを書きたくなる。
一種の反動のようなものかもしれない。

思いついたことを、だから書いておく。
ステレオサウンド 61号。
この号は「特別」な号になってしまった。

248ページから252ページまでの五ページ。
この五ページを、何度読み返したことか。

61号から瀬川先生は、もうステレオサウンドに登場しなくなった。
もう瀬川先生の文章が読めなくなったことを、
61号でもう一度知らされた。

菅野先生が書かれている。
     *
 彼の死のあまりの孤独さと、どうしょうもない世間馬鹿のこの才能豊かな一人の人間の生き様は、多くの人達には解るまい。もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはずだ。彼の中に、自分との共通性を見出すことが出来ない人間なら、彼の死も、その孤独さも、もっと単純な寂しさと悲しさ、そして残念さとして受けきめることが出来るのだろうけれど、僕の気持はもう少し複雑なのである。彼は、ほんとうに、ずば抜けて素晴らしく、また駄目な人間でもあった。彼のような人間は、まず多くの理解者に恵まれることはなかろう。
     *
できれば何度も読み返してほしい。

瀬川先生の生き様は《多くの人達には解るまい》と書かれている。
《もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはずだ。》とも書かれている。

結局、そうなのだ、と思う。
1981年の冬よりも、いまのほうがより強く、そう思ってしまう。
だから悲しいのだ。

《もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはず》ではなかったから、
ああいうことが起っている。
何も、ああいうことは、あの一例だけではない。

そして、ああいう人が、いまでは「先生」なのだ。
世の中(オーディオの世界)が、よくなっていくはずがない……のかもしれない。

Date: 6月 8th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(本のこと)

先日、facebookで教えてもらったのが、佐貫亦男氏の「発想のモザイク」である。
すでに絶版だが、検索すればいまでも入手は容易だ。

教えてくださったA氏(元ステレオサウンド編集者)は、瀬川先生に「読んでみろ」と奨められた、とのこと。

この項の(その18)にも書いているが、菅野先生から、以前教えてもらった本がある。
「オーム(瀬川先生のこと)は、佐藤(信夫)さんのレトリックの本を読んでいたし、影響を受けていたはず」と。

こういう本はまだ、きっとあるはず。